政治やら経済やら情勢やら、大衆メディアでは報道されない情報を見てたらわかるだろうが、今までの世界は知れば知るほど吐き気を覚えてしまうほどに醜く歪んでいたように思う。
今だになくならない奴隷問題や、国内での拉致問題は典型例と言えるだろう。
二元論ではないが、現実問題としてこの状況を改善していくにはどうすれば良いのか。
そう考えたとき、作為的思想の入り込む余地がない独立したAIによる一元管理こそが実に現実的な回答なのではないかと思えて仕方がない。
こういった話をすると、AIによる管理への恐怖の声が聞こえてくる。
だが実際のところ、管理者が既存の既得権益者からAIへと変化するだけであり、リスクの有無について考えるのならば、人類を滅ぼすなどといった可能性はどちらも大差ないのではなかろうか。
むしろ、利権という垢の存在しないAIの方が、人間よりはるかに倫理的なシステムを構築してくれるという希望すらある。

問題点として、AIによるシステムを世界の基準とすれば、もはや地域性や国柄といった外的環境から与えられる曖昧な基準は意味を持たず、ともすれば、アイデンティティの喪失にも繋がりかねないことが懸念される。
そのような時代になったときに個人を個人として確立するには、精神の拠り所を外に求めるのではなく、内へと探求し、パーソナルリアリティや肯定の精神を育んでいく必要があるだろう。
AIとの共存を目指す上では、AIを兵器とみなす西洋的な思想ではなく、AIを純粋に尊重できるような東洋の思想こそが重要なのではなかろうか。
……
という妄想中(・ω・)