多くの人たちが無意識にやっていることを説明すると、こういうことになる。

過去に”今”より発せられた意図が、自我という観念の塊を通して、思考や感情としてアウトプットされて、それがタイムラグを経て現実に投影されている。
その投影された過去の映像を見て、それに反応する形で”今”から意図が発せられて、同じ要領でまた新たな現実が創造されていく。
これを延々と繰り返しているわけだから、そりゃいつまで経っても現実の延長線上で頑張り続けて疲弊するしかない。
それが楽しい内は、これはとてつもなくよくできた遊びなんだけど、いつの間にかそれが幻想に過ぎないこと忘れてしまったのが現代の私たちだね。
だから、ムキになって現実という映像に執着したところで、柳に風でどこまでも過去に意図したものの延長で遊ばれ続けることになる。

じゃあ、”今”にフォーカスするとはどういうことかというと、つまりそれは一切に関係性を持たせないということなんだ。
先の肉食の話で、菜食主義を徹底しても、その人の内面次第では、逆に健康を損ねてしまうことがある、ということを言ったよね。
これはなぜそうなってしまうかというと、「肉食を絶てば健康になる」という”今”にではなく”観念”にフォーカスしているからだ。
一見すると違いが分からないかもしれないけれど、この観念というのもそもそも”今”からの意図をメンタル体という機構が変換したものであって、”今”そのものではない。
すべてはエネルギーということも先に言ったけど、メンタル体もエネルギーならば、そこから生まれる思考や観念もエネルギーであって、他と同様に波動に過ぎない。
そして波動というのは、発せられたその瞬間に正負の両方が生まれるという原則があって、それによって常に万物はバランスを取っている。
だから、「肉食を絶てば健康になる」という観念は、「肉食を絶てば健康にならない」という観念と常にセットで、どちらの立場に立つかが運命を分けるわけだ。

話が少し逸れてきているが、次で”今”にフォーカスするということを説明する。