魂の年齢。霊格レベル。7。 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
簡単に説明すると、人間には魂があり、魂にはそれぞれに年齢がある。
魂の年齢は前世の回数にある程度比例する。
人間としての転生が少ない魂を乳児期の魂といい、
人間として何百回も生まれ変わり、輪廻転生を終了する段階の魂を老年期の魂という。
その間には、幼児期、若年期、成人期、がある。
つまり、下から順に、
乳児期。
幼児期。
若年期。
成人期。
老年期。
という魂の段階がある。 >>758
無理やり...ですか。
本能で選んでしまいたくなるものを意識して方向転換させるわけですね。
時々こういった過去の出来事での落ち込みや不安の悩みに対して「負の感情を味わい尽くせ」という話を聞きます。
でもその途中に余りにも自己の価値観の無さ後悔の念に追い詰められて衝動的に「四」を選びそうで私はちょっとやれないですね。
(ストレートに書けないのであえて漢字を変えてみました)
あと個人的には、つらいことや悲しいことがあったら泣くという行為がどうしても結びつかないのです。
泣くことで溜まっているものを昇華させるという方法は、
余計にその不快な気持ちを自分に刻みつけているだけのような感じがするのです。
「泣いてスッキリした!」というのは万人に当てはまるストレス解消法のようですが、
心底つらい時ってかえって泣けなくないですか。
私はむしろ何かが突き抜けて呆然とするか、笑い出してしまいそうになります。 >>765
泣けなくても良いと思うよ
とにかく何か美味しいもの食べたりふて寝したりして、頭の中にそういうものが存在する時間が減ればいい
あなたはたくさん考えてしまう人なのかな
私だったら後悔するようなことがあったら、次に活かすぞ!という考えに持っていくし、価値観なんて人それぞれだって開き直る
もちろん私の考え方はであって、あなたにはまた別の考え方があるんだろうけどね >>764
専門所へ頼るのはいいけど、
それでも最終判断や結論出すのは本人しかいないでしょ。そういう場所は
プロから適切な支援をして頂ける。こんがらがっている箇所をうまく整理して
快適な生活ができるようにヒントをもらって導いて頂けるところだよ
人生最後までピッタリとくっついてお手伝いさんのように手取り足取りで
四六時中の責任持ってはくれない
医者やプロ相談員から何かしらを設問されても『わかりません』、
困ってる本人へあなたはどうしたい?と質問されても『ハァ!?知りませんよ』
なにか希望はないの?したい事柄はないの?あなたの心の意見はないの?
だとか聞かれても『なぜ私へ上から目線で意見をするんですか。何なの!?』
『そんなのプロ先生が決定して下さい』『専門家ならそのくらい解かるはずです』
『周囲の人が皆バカなんです、皆使い物にならない』『先生も結局ダメですね』
じゃ意味がないよね これを贈る
>>765
私はバシャール信者ではないけど一部参考にはしている
抑制で泣かないから浄化作用働かない→感情スッキリしない→体内へ溜まる→悪化→こじれる
涙の力
https://ameblo.jp/viva-bashar/entry-12335672547.html 悩みなんて人それぞれなのに相手を自分に置き換えて説教したがる人は何を考えているんだろうと不思議な気持ちになる 魂の到達点はどこなんだろうね?
やっぱり、自分の欲を捨てて他人のために頑張ることが自分の幸せ、と感じられるようになることなのかな。 自分切り売りして人に尽くしてる人もいるから、何とも
あと欲はなければ生きないし
欲とエゴは違う
エゴは人を操作しようとする心
自分が気持ちいいと思える生き方しとけばいいさー 全受容というか、自分と他人を同じように愛せることかな 魂の到達点は、自分の内にある大いなる意識に気づくこと。
自分はちっぽけな肉体ではなく、神の意識と同じ意識体だと知ること。
それが到達点。そこに到達すればすべての真理が理解できる。
神意識に目覚めると自我が消滅するので自我から生じるカルマのループが終了する。つまり輪廻転生も終了する。
欲を消して人に尽くすことが、どれほど自我から生じた不自然な行いであるかを知る。
その行いは慈悲慈愛でないこともわかるようになる。
ほんとうの慈悲慈愛とは、他人もあなたも私という感覚から生じるので、
欲を消すとか他者のために、というようなエゴからくる感覚がない。
欲も他人も含めてすべて私という感覚。その私の意識は神そのものの大いなる意識ともいえる感覚。
それが慈悲慈愛。胸があったかくなるような愛は自我の愛、それは本当の愛じゃない。
本当の愛とは、他人と自分の境がわからなくなり、自分と同じような感覚で相手を見ること。
もし自分自身に対して素っ気ない人なら、相手に対しても素っ気ないものになるが、それも慈悲であり真実の愛。
意図的に愛そうとして自我の愛を宿して相手に接するのは慈悲じゃない。
そんな意図的なエゴによる愛や奉仕などは、まったく魂の成長にならない。
そういう無駄な意図的な不自然な努力はすべて捨てて、あるがままの自分でいること。
あるがままの自分の意識を瞑想で感じ続けると、意識の拡大が起こり、自我の消滅が起こり
神なる意識になっていき、悟りを開きます。 人を愛そう、慈悲の心を持とう、神意識になろう、
奉仕しよう、欲を消して人に尽くそう、善に生きよう、
菜食主義でいよう、清貧に生きよう、人格者になろう、
それらすべて捨ててください。すべて捨ててください。
悟りを開くと、それらすべての欲が消え失せます。
なのにそれらすべてを得るのです。
意味わかりますか?
それらになろうとするのは自我から生じます。
しかし、それらはすべて自我の消えた神意識の特性そのものです。
悟りを開き自我が消えると、欲がなくなるのでそれらになろうという欲は消えるんですが、
自我が消えたせいで、それらの性質が自分自身であることに気づきます。
そしてそれらの特性になるんです。
つまり、本来は目覚めた意識が先で、その結果、慈悲になり、奉仕的になり、
欲がなくなり、無我になるんですが、
自我は何かになろうとするので、慈悲深くなろうとしたり、欲を消そうとしたり、
奉仕的に生きようとしてしまうんです。
それらの特性を持とうとするのはもう一切やめて、
神意識を開くことにポイントを絞るんです。
真我を開く、神意識になる、そこに重点を置きます。
いや、それさえも探求の終わりには求めなくなります。
思考を静める、思考の止まった自分の意識に気づく。
それだけです。それが実践です。つまり瞑想です。真我探求の瞑想。 >>769さんが説教ではない見本の解答をしたら良いですね
相手を自分に置き換えて説教はしませんね
理想的な回答してさしあげたら良いではありませんか
そこまで書き込んだのに言いっ放しはなしですよ。さあどうぞ 説教だったのか
ずっと同じことを質問し続ける人に対して頑張ってアドバイスしてるお節介さんだと思ってた よくわかんないけど、他人のために〜他人のために〜となり過ぎることもまたその人のエゴということかな。
実は生きれば生きるほど、「所詮人間は自分のために行動してるのであって、人に優しくするのも、人のためになることをするのも自分のため」そんなような気がして仕方がなくなって。
そんな人間が汚く邪悪な存在だと嫌気がさしていた時期もあったけど、今はそれもまた人間なんだと思えるようになってきた。
でも他人と自分に境がわからなくなる、ていうような感覚には、到底たどり着けてない気もするなあ。 生まれつき完璧主義すぎる自分は、やっぱ未熟なのかな。
他人に対しても、自分に対しては特に、完璧でないと落ち込んで全てがダメに思えてしまう。
ここでよく言われる無条件の自己受容なんてものとは、程遠い位置にいるわ・・・ >>781
人と比べない事をまずは意識してみたら?
自己受容って自分の立ち位置がいつも自分だけなんだよ。
誰かと比べたら劣っている。
ありのままの自分で今の所OK。伸び代あるよ〜って(笑)
自分と他人の境界線が無くなるとか、ワンネスって「対、人」ではなくなるところからだと思うよ。 あなたはそのままで完璧なんです。
神のような完璧さをすでに持っています。それに気づいてないだけで。
自我は他者と比べます。自分と外の世界を区別し、自分と他人を区別し、比較します。
それによって自分は他者よりも優れてる劣ってると比較し、劣等感に苛まれるんです。
でも本当のあなたとは、神意識そのものです。
本当のあなたとは、その肉体や性格や才能ではなく、大いなる意識そのものです。
その意識はすべての人々と同じ意識であり、神と同じ意識です。
つまりあなたに内在するその意識とは、元々は一つしかないんです。
その神意識に目覚めたとき、自分と他人を比較しなくなります。
なぜならすべてあなただからです。あなたが羨ましいと感じる相手さえもあなたの部分なんです。
もちろん動植物も自然もあなたであるんです。
その大いなる意識に目覚めて生きれば、自分のことで悩むことはなくなります。
ではどうすれば神意識に目覚めることができるのか。
自我を消すだけです。自我は思考から作られます。なので思考を止めると自我が消えます。
自我が消えても意識はあることに気づくはずです。
その意識こそ本来のあなたであり、神意識であり、真我であり、神性であり、仏性なんです。
それに目覚めるために輪廻転生を繰り返します。それに目覚めることが輪廻転生を解脱するということです。 本当のあなたはその肉体ではありません。忘れてください。
本当のあなたはその性格でもありません。忘れてください。
本当のあなたはその能力でもありません。
あなたは学歴でもありません。職業でも地位でもありません。
肌の色でも年齢でも性別でもありません。
それら脳が勝手に自分と思い込んでる特徴をすべて忘れ去ってください。
捨ててください。消しさってください。それらすべて偽の嘘の虚像のあなたにすぎません。
本当のあなたではありません。
本当のあなたとは、意識です。意識そのものです。その意識を魂と呼ぼうが霊と呼ぼうがかまいません。
その意識こそ本当のあなたです。
なので、すでにあなたは本当のあなたであるんですが、
思考から作られる自我によって、その意識が肉体レベルに縮こまってしまってる状態です。
なので瞑想で思考を止め自我が消えると、元あったあなたの意識は本来の大きさを取り戻し、
神意識、宇宙意識へとなります。
それこそ本当のあなたです。それが目覚めた意識です。
自分は神だったことに気づくんです。自分はあらゆるものすべてだったことに気づくんです。
それが悟りです。
すべての人は元々その意識を持ってます。ただ自我によって肉体サイズになってしまってるだけです。
元々の意識のサイズは宇宙レベルにまで広がります。
なぜなら意識は神と同じ意識だからです。神の意識が宇宙すべてをおおいつくすゆえ
あなたの意識も本来は宇宙すべてをおおいつくす意識なんです。 >>781
781が脳内で想定している完璧主義とは?。その完璧の基準とは?
なにが軸になっていて完璧だ!と決定付けているのだろうか?
宇宙には完璧という基準なんて存在しないし
もっと進化した宇宙人でも完璧宇宙人なんて存在しない
なによりもここの宇宙を作った創造主ですら完璧な存在ではない
という話が幾つもあるのに、なぜ一介の人間の781さんのみが、
この宇宙全体を作った完璧ではない創造主を越えて完璧な存在なんだろ? >>783
おたくどこの教祖様?
私は御大層な名前を付けるものを信用しない
あなたの文章も教科書丸写しみたいで少しも響いてこない
自分の言葉で語ったら? >>781
完璧主義者は傲慢で不安の強い矮小な人間だよ
人を劣ってるとジャッジ出来るほどおたくは偉いのか?
傲慢さは劣等感の裏返し
親から充分に承認欲求を満たされて来なかった
人を見る前に胸に手を当て聞いてみたら 私は低学歴だし容姿も並だし社会的地位も低い。
自我から見ればコンプレックス劣等感の塊。
でも目覚めた大いなる意識で見れば、自分はそのままで完璧であり、なにも変わる必要ないことを感じる。
その感覚は、ライオンも1匹のアリも自然界を作るうえでは価値は変わらないという感覚に似てる。
大統領もニートも障害者も、神の目から見ればそれぞれの役目を果たしてるのであって、その価値自体はまったく変わらない。
それに優劣をつけるのは人間側のエゴであって、神意識はそれらを区別しない。
それすべて含めて1つとして成り立っていると感じる。そしてそれが大いなる自分と感じる。
なので自分がどんな人間であろうと、コンプレックス劣等感を感じることがない。
意識がちっぽけな人格を超越して大いなる意識に目覚めているから。
その大いなる意識で生きることが慈悲であり奉仕だと思う。 >>788
あなた魔境みてきたね
いったんスピリチュアルから離れた方がいい
悟りの入り口で全てを識った状態になるのは危ない
元が劣等感強い人間が陥りやすい魔境 魔境の基準って何だろう?
いろんなブログ読んでみたけどよく分からん >>790
力を得たとこんな掲示板で吹聴したくなったら、魔境かな
真の悟りの境地は言語に現せない
入り口で悟った気になって、人に布教し始める人が大半
ブログの有名人も然り たしかに今までずっとコンプレックスをスピリチュアルな解釈で誤魔化してきた所もある。
社会的には低いけど、霊格は高いと思うことで自尊心を保つような。
でも、悟りを開いてからはその自尊心さえもなくなった。
プライドとか自尊心とか見栄とか、そういうものが消えた。
だから今はすごい楽で安らぎに満ちている。
悟りを開く前はたしかにあなたの言うような人間だったけど、
悟りを開いてからは一個人としての悩みはなくなった。消えた。
なので魔境というわけではないとおもう。 スピリチュアルを実践している人は善悪について考えることが多いとおもうけど、
悟りを開くと、善悪は同じことにすぎないと感じる。そして善も悪もないことを知る。
人間側が善や悪と定義づけてるだけであって、真実はそのような現象があるにすぎない。
その現象は大いなる神の意思によって地球上に存在するわけで、それらに善も悪も定義づけることはできない。
例えると、地球は誰のものでもなく土地は誰のものでもないのに、人間が勝手に国境を作り勝手に所有地を作るようなもの。
善悪もしょせんは人間側が都合よく法律をこしらえ、その基準で判断してるにすぎない。
ただ真理の観点からみると過ちということがひとつある。
それは命を傷つけること。命は魂であり、自分と同じ意識、神の意識ゆえ。
それにのみカルマは発生する。いくら物を壊そうがカルマは発生しないが、
その壊した物によって傷つく人がいるなら、カルマになる。
他者と自分の意識は同じゆえ、人を傷つけることは自分を傷つけることと同じ。
その痛みがカルマという意味。
自他の区別のなくなった目覚めた意識にカルマは存在しない。
それまでカルマの輪廻は自我がある以上続く。 匿名掲示板で長々と持論を書き連ねるのは魔境に入った人の特徴かもね
本人はすごい知らしめてる感じなんだろうけど読んでる方はピンと来ないという
真理はシンプルで誰にでも分かりやすいものだったりするから
理屈で考えているうちは魔境なのだと思うことにした ネガティブなコメントは遠慮願います。
私たちは1つなのですから、くだらない言い合いや否定的な印象を抱くことはしたくありませんから。
読みたくなければスルーでかまいません。
聞きたいことある人だけ聞いてください。答えます。
もう長文は書かないのでこれで最後にします。 >>796
カテゴリーが違うと思う。
ここは悟りを語る場所じゃないよ? 魔境というフレーズ何度も繰り返している様子だし
瞬間的に、すぐ頭へ魔境という言葉が浮かびネットへも書き込む、
うえのほうで”魔境”とやらへ逐一、執着気味の連中こそ魔境じゃね?
オレら下賤のおめーと違って格がちがう!オレら魔境じゃねーぜ!
って態度。上から目線だ
こちとら全然興味が無いのでつまらん講釈要らん。そんな発想すらなかったわw
面白い話しろよ >>796
一つなのに別々になったのは、別々なことをしてぶつかったり悲しんだり喜びあったりするためだと思うの。
ネガティヴが怖いの?
疲れたなら疲れた、怖いなら怖いでいいと思う。 上の人も書いてるけど、教科書通りの言葉だから響かない
同じ内容はスピリチュアルブログで山ほど書かれてる
布教したければ専スレ立てて来なさいよ
それで挫けなければ本物と認める
ネガティブな意見を拒んでる時点で、あなたは違うのよ
ゴールと思えば歩みを止める。成長はない
生きて境地に至る人はブッダレベルしか居ない 分からんな
長文を書いた人がいる←これは気にならん
それを魔境と呼ぶ人がいる←これはイチャモン
長文の方は気にしないで良いよ
読むために覗いてるからさ
イチャモンじゃなくて自分で話題書け >>801
コテハンだからさ
コテハンは何故叩かれるの?という質問がよくある。
嫌われ、叩かれるのにはそれ相応の理由があるはずだ。それをいくつか上げてみよう。
1)頭が悪い:2ちゃんねるではコテハンは叩かれる、という純然たる事実を理解できない。
2)空気が読めない:自分が嫌われている、という雰囲気を察することができない。
3)目立ちたがり屋である:言わずもがな。
4)自分勝手でわがままである:コテ付けるとスレが荒れるから止めてね、と注意されても聞かない。
5)幼稚である:注意されるとヒステリックに反発する。忠告を受け入れたら負けかなと思ってる。
6)かまってちゃんである:「どんなレスをもらったか」よりも「レスをもらえたこと」自体を喜ぶ。
そのため、皆から批判されても批判された事そのものはスルーし、「自分が話題になっていること」に快感を覚える。
目立ちたがり屋で何が悪い?という意見もあるだろう。
その通り、貴重な情報をもたらしてくれたり、優れた作品を発表している人であれば何ら問題がない。
しかし、2ちゃんねるのコテハンの99%はそういた能力を持っていない。
中身がないクセに自己顕示欲だけは強い人間…。
すなわち2ちゃんねるにおけるコテハンとは「実力を伴わない目立ちたがり屋、空気が読めない馬鹿」であり、
叩かれて当然なのである。
逆に言えば、「嫌われやすい人に限ってコテハンを名乗りたがる」ということでもある。 悟りを開くと善とか悪とか無くなっちゃうし自分と向き合うから他者からどう見えてるかに無頓着になるからある意味『悟りあるある』なんだよね。
ただ、コテハンさんを嫌いだと判断するのは各個人の主観だからなぜ嫌いなのか…考えた方がいい。
上から目線と感じるのは自分が下だと思っているから。
偉そうに見えるのは自分が劣っていると思うから。
悟ったらそう言うの一掃されるよ。
嫌いな人が多数いるから偽物って言うのは違う気がする。 悟ってない人にも悟ってほしくて書くのなら受け入れてもらえる書き方の工夫をするべきだと思う
結局受け入れてもらえないことに不満を覚えたり文句を言いたくなるのなら同レベルだと思うし
文句を言われたくないのならブログとか書いて認めてくれる仲間を集めたら良い
いくら丁寧に書いても内容に対する違和感は消えない
悟り以前に普通に人間としてその場に馴染めていないことに気づかない?
悟っていれば何でもアリならその傲慢さこそ魔境だろうな というか、私は悟りましたてきな話から入るのは 反感をうむよ。
無意識に私は悟ったひと、あなたは悟ってないひとと別れるわけですよ、
そういう区別が 既に自身の分離を産んでることに気付かないとまだまだだと思います。
つか、そういうのは魂的にみんながわかっているから 響かないのかも? あるがままとか あくびをするほど 聞き飽きているのです、みんな。 >>806
なるほど、結局は優劣マウンティングになるのね
つか私は単にコテに引いたわw
スピ板で「悟った人」は、化粧板で「私は美人」とコテるようなもん このスレ自体が優劣マウンティングかw
霊格で区別してるし 霊格に優劣は無いのよ。幼児と大人に優劣はないでしょ?生まれてきた順番なんだから。 魂には新しいのと古いのとあって、子供なのに大人な魂と、大人なのに子供な魂とあるんだよ。それは優劣ではなく生まれた魂の年輪のようなもので 上下ではないんだよね、 でも 大人の魂だから凄いとかじゃなくて、
子供の魂でも 優秀な才能とか持ってるやつもいるわけで 一概に古いから凄いとかではないんだよ。 >>785
>>787
自分が完璧であるとは思ってなくて、むしろ完璧でないことに対する悲しみや虚しさというか。自己評価が低いのかな。
ただ、権力とか財産とか社会的地位とかには求めなくて、むしろそういうものにはほとんど興味がないんだよね。
内面的な部分とか、自分が好きな分野での才能、あとは見た目かな、、完璧を求めてしまうのは。
ただ人を見下すようなことはしないし、むしろトランプゲームでも何でも、負け続けてる人とか見ると何とかしてあげたくなる、虫とか基本殺せないき、弱者の気持ちみたいなのはすごくよくわかるんだよね。
一方で、いきがってる人とか、計算高い人とか見ると、「こいつはクソだ」とか思ってしまう。
思い通りに行かないことにすぐ頭に来たり。
自分語りばかりしてすいません、中々難しいね。 スレッドが、優劣を競う意識なのでしかたないが、
自己の霊性などと言う妄想の優劣を競って何が得るものがあるのかな?
生きる目的は、自己の霊性を上げることではない。
むしろ、
他人を救うという意味のない自己否定な人間として愚かな欺瞞行為を
実戦し続けるこでしかない。
これを、人間には地獄の世界に見えるが、
神とは、この馬鹿気た世界が大好きで、人間ができないことを要求してくる。
人間を信じれない神が、人間に人間を信じろという。
神を信じることは、自分が愛されているという取引があれば
人間は好んで、神を信じたがる。
しかし、自分より馬鹿と思う人間を尊敬することなんて、誰ができる。
愚か者は、ゴミであり、とっと死ねばいい。ただそれだけの存在でしないのに、
その、愚か者の中に神を見出し信じろいう霊性...まるでペテン師の総本山。
悟りなんてものは、偽りの自分をひていできる許可書のようなものです。 カルマ..そのような者を、神は作ったことがないと言っている。
人間は、自分の品格を上げるために、カルマを作ったといっている。
神にとって興味があるのは、
人間が、神の本当の目的に気づけるかであって、
気づくと、きっと人間は、発狂すると思っている。
なので、人間をいつも試し、混乱させる。
混乱させないと、遊ぶことができない。 >>815
他人を救うという意味のない自己否定な人間として愚かな欺瞞行為を
実戦し続けるこでしかない。
じゃあ 仏陀とイエスは意味のない愚かな行為をしたということになるね?
それだけじゃない、
何のために宗教はあるんだろう? 自分という自覚が生まれると、
他との比較をし、その比較によって恐怖と生きがいを作る。
こんな面白い生き物(玩具)は、人間以外の動物にはない。
あげくに、他人を批判し、怒り狂いと抹殺する。
死の恐怖を与えると、もう全員が気を狂う。
自分だけが生きたいと思うと、すべて混乱する。
自分が死んで、愚かな他人に命をささげる
こんな、馬鹿げた使命など、キリストでもできうやしない。
キリストは神に嵌められた道化師の一人。
きっとあの世で、神からご褒美の美女と酒で、乱交パーティで
永遠の時間つぶしをしてるかも 向上伈..これほど怖い意識はない。
無の悟り、.これほど愚か意識もい。
自分が何をすべきか。
これが、自分でわかるなら、すべtは無意味になる。
自分は何をできるか?
意識することそのものが無意味。
できることをしても、単なる繰り返しの時間の無駄になるし
できないことをしても、これも、単なる繰り返しの時間の無駄になる。
今あることをする?
そこに価値も意味などないが、
生きるには、しないと嫌われる。そして他者に殺される。
なので、やむなく行う。
人間に自主性はあるのか?
実はない。ただ他者のために生かされれいるだけ。
それは、動物園の織に入ったパンダを見に来たものを、喜ばしている。
相手が喜ぶと、いい気分になれるし、おいしい餌が手に入る。
かわいいね。胸がキューとする。
今日はいい。気分転換ができたといって喜ばすと、鰓が手に入る。 他人の意見を批判する。これもいい気分になれる。
他人の意見を褒める。これもいい気分になれる。
辛いのは、何もできないとき.
.じっとただ一人で生きること。 嘘をいっぱいついて、騙すと気分最高。
嘘を見抜いて、これが本当だと教えると、これも最高に気分がいい。
馬鹿が騙されるの見るのも、結構いい。
困った人を助けると、自分が偉くなったようで、これもいい気分。
人生って最高と思えば、いい気分になれるし、
こいつ馬鹿と、怒鳴ると、いい気分になる。 くだらないスレッドが潰れると最高の気分..やったー
でもすぐに、また馬鹿が新しいスレッドを立てる。
これも時間つぶしには、いいことだ... >>820
裏宇宙のパクリか、無空庵のパクリかな、
二番煎じは笑える。三流の小説家にもなれんよ 結局、書かれた内容なんて、自己中の塊であって、
誰一人、他人のことなど関心はない。
そのくせ、一人になると妙にさびしく、かなしく、... "悟りを開いた者"さん
表現は違えど、魂のシステム的には私が受け取ったインスピレーションとビジョンはほぼ同じ
元は一つなんだけど、次元が私達がいるところまで増えた理由に魂が沢山出来た経過までは分からないかな?
ハイヤーセルフといわれてるもの、守護霊とかガイドとか呼ばれてるものができた理由とか。 悟りさんの文、
面白いし、納得できる所も多々ある。
書き込み続けてくれるなら続けてほしいな〜 私も、そう思います
色んな人がいていい
続けてほしいです >>825
まだ宇宙ができる前、神しか存在していませんでした。
神しかいない世界では対象物がないので、神は神自身を知ることができませんでした。
そこで神はまず宇宙を作りました。宇宙の星々を作り、別次元にさまざまな生命体を作ります。
その生命体に宿す命を与えるため、神は細胞分裂し、純粋無垢な何も知らない魂たちを生み出します。
その魂たちが地上の植物や鉱物に宿ります。
地上で個という物質に宿ることで、自分と他者という区別ができます。
その比較によって自分というものが何であるか知ろうとします。
その魂たちは次々と自分は何者であるか知り続けます。植物なら植物、動物なら動物、人なら人。
その経験値はアカシックレコードに蓄えられ、神がおのれ自身を知る記憶となります。
植物として宿る小さな意識は、幾多の転生で動物のより大きな意識となり、
幾多の転生でより大きな人間の意識となります。
そして自分が人間を超越したより大いなる意識であることに気づくと人間を卒業して、より大きな意識の存在になっていきます。
その無限とも思える工程を経て、最終的に神そのものに帰依します。
つまり簡単に説明すると、神から生まれた我々は、神から離れて旅をし、最終的に神の元に帰っていきます。
それは神が自分が何者であるか知るための、派遣員みたいなものです。
お前らは地上に行ってたくさん経験してこい、その知識を神に授けるんだ、という使命を持って生まれてきたんです。
その危険な旅は何があるかわからないので、ガイドをつけます。それが守護霊です。
守護霊は我々より先に輪廻を卒業した先輩の魂であり、より大きな意識を持ってます。 >>829
まだ宇宙が出来る前、神様しか存在していませんでした。
では その神様はどうやって現れたのですか? 神しかいない世界では対象物がないので、神は神自身を知ることができませんでした。
自分を知ることが出来ないのに
どうして 神様はわたししかいないと知ることが出来たのだろう? >>831
お、哲学的。もしくは量子力学か
観測されて初めてその形を成す的な
神を宇宙とするならば、宇宙の成り立ちも今かなり割れてきてるみたいね
無の空間からビッグバン起きて広がった…なぜ完全無から有が生み出されたのか?
持論なんだけど、一つから多数が生まれたんじゃなくない?
時間がすべて同時に存在してるなら、未来、多数が広がり過ぎた宇宙は再び縮む。胃袋みたいに
圧縮して、またビッグバン
神とは私達の集合意識体
特別な一つがあってそれから生み出されたわけじゃなく、
無数が一つになり、それが散らばった
つまりオレたち神 >829
なぜ、神の下へ戻る。その理由は?
>831
自分の思い、意識に反発する対象がない。
このため、自分を知ることができない。
力(属性)とは、接近(結合)と離散(反発)
その認識がない無、空の状態は、すべてのものが存在できない。
概念さえも
>>833
お、ほぼ同意見。嬉しい
無は無なんだよなぁ
世界の科学者達が振り絞って考えても解らないんだから
悟りさん、やっぱ教科書というより宗教書みたいだわ
エホバの勧誘食らったとき聞いた話に似てる
つまり神は絶対、唯一無二なわけでしょ?
人間は矮小な存在。神という大いなる力に跪けってな
これ罠だよなぁー
子供の自立を妨げる親みたいなのが神ってなーなんだかなー >>834
あなたに重要な生きる問題です。
@ あなたは、空という曖昧な意識に集中できますか?
A あなたは、無という曖昧な意識に集中できますか?
そして、
B その集中意識とは、どのような感覚か体験できましたか?
C 集中意識できる(意識のコントルール)と、
思考において、どのようなメリットがあると思います?
D 禅の思想では、一体何を得ようとしていますか? >829
悟りとはどのような意識(世界)をいいますか?
@ 損得を超えた世界?
A 自他を超えた世界?
B 愛に満ちた世界?
C 言葉を超えた世界?
D カルマ(輪廻)を超えた世界?
E 空の世界
F 神意識の世界
そして、
G これらすべてを含むの世界?
H これらすべてを超えた世界?
I これらすべてを否定した世界?
J ここに、記述されなてない壮大な世界?
K 嘘のない真実だけの世界?
あなたが
本物なのか偽物なのか
逃げるのか、自問自答するのか
高慢なのか、嘘つきななのか
無意味だというのか、いい意見とおもうのか?
困ったですか。厄介ですか。すばらしい事件ですか。楽しい時間ですか?
これらは、悪魔のささやき。それとも天使のほほえみ?
ウフフの世界ですか? これが人間の世界でですか?
あなたは、私のも質問目的が何なのか、疑いましたか?
基地外には相手しないと思いましたか? >829
あなたに質問で、
悟りの世界は、あなたに利益を与えましたか?
悟りという言葉を、どうして好きなのですが?
悟ることで、別の世界が見えましたか?
悟ることで、あなたの人生は大きくかわりましたか?
人から尊敬されるという快感は、すばらしい喜びですか?
他人にないの能力を今後も、得たいですか?
質問の目的がわかりますか?
あなたは試されていますか?
わたしは、あなたの尊敬してますか?
わたしも、悟ってますか? ここで投稿される人は
霊性というランクがお好きです。
私のランクは? 1 -1 100 -1000 1億
どうか、誰か、神になった気分で、教えてください。 その質問に答えられたからってどうなるものでもなかろうに、 闇は、闇はのままがいい。
闇に、光を当てる必要はないし、
闇には、崇高な闇の世界がある。
美しいものはいい。
賢い言葉も、喜びを与える。
馬鹿な言葉もいい、弱い者にでも、生きる勇気と楽しみをもたらす。 >>830
神ははじめから存在していました。
そして永遠に存在します。なぜなら神の世界には時間がないからです。
始まりとか終わりという概念がないのです。
そして神はすべてであり、無限であります。
>>833
生まれる者は死んで生まれる前の場所に帰る。月や太陽は昇っては沈む。
それと同じです。神から生み出されたものは神へと帰っていきます。 >>841
カミカミ神ってさー
一神教嫌いなんだよね
どこからか聞き齧ったような言葉ばかり並べて、自分の考えはどうなのさ?
神信じてるわけ?
入信してるあんたに奇跡はおこってる?
悟った者なら超能力使えるんでしょ?使えるの? 本当の覚者はスピリチュアルなど捨ててまっすぐに生きられるんだよ
スピリチュアルというものがないと生きることが成立しない人は偽物なんだよ
そのまま生きることがそのまま神秘神髄につながっているのが本当の覚者だから
そしてその域まで達した人は色々な物事が自在になるのを人が見て奇跡と目をひらく
その域に差し掛かった人は、誰にでもわかるくらい圧倒的な神気や覇気を纏っているよ
近づいた時に侵すことを躊躇するような神々しいオーラというのがある
一方で灰色や煙のような靄がかかった人、最悪の黒いオーラというものもある
そういうものが素直に感じられない人は一回徹底的にグラウンディングして、
スピ系のものから離れてヘンテコなスピリチュアルに染められた自分をデトックスする方がいい
スピリチュアル知識で逆に目が曇ってる人は全く知識がない人よりたやすく騙される みなさん色々意見あるとおもいますが
自分はこう思うというだけです。
さようなら。 >>844
私もあなたの書き込みすごく理解出来るし悟ったかもって思ってるんだけど、なぜコテハン付けたの?
私はいつか人間全員が悟ると思っているけど悟らせようとは思った事なくて。
いいタイミングでいい言葉や本に出会い悟って行くと思う。
ただ、自分で悟った人って発表して何が目的なのかな?と思って。 >>845
自分も迷っている時期が長かったから、そういう人がいたので道しるべを示したいと思っただけです。
コテハンはあえてつけました。
道しるべの者として大層な名前をつけてしまいました。 道しるべありがたいですよ
悟りさんには悟りさんのお役目があってそうされているのだと思います なんだろな〜。
悟りに対してイチャモン風にレスしてる人は
客観的に何で自分がそう思ったのか考えてみたら良いかもね〜。 >846
永遠に迷い続け、永遠に無知なる人間の認識に気づく。
そのためには、
@ 自己という意識そのものが、他の存在の中でしか存在していないとあきらめる。
A もし自分が神ならどのいうに前提で思考する。
神と人間との関係では、
どのような人間であっても導くことも、愛することも、嫌うこともない。
何もしない、何も決定などしない神の行為によって、
個々の人間は、生かされている。
それは、まるで自由という独房の中で
生きることへの自己矛盾と対峙しながら...、
人間はそんな、虚の自分に耐えられず、
自己成長という欲望を求め、
他者より優れた自分を妄想する。
それはまるで、孫悟空が阿弥陀の手に上で、あがくように... >>846さんは超越期なのかなぁ。
皆が言ってることはよく分からないけど、色んな感情は自分の中に生まれるものだから、折角だし味わうのがいいと思う。
ちゃんと飲み込んで腑に落としてを繰り返せばいいんじゃないかな。
むしろ、ただ飲み込んで消化しない方が同じことを繰り返すし、思い出しては恥ずかしくなって逃げて、ある日同じものを口にせざるを得なくなる。
それは>>846さんの言う「神様に派遣されて経験をする」に値するのかなって。
神様ってなんかイメージしづらいなぁ。
自分はものすっごいでかい光の玉かなぁ。 >>829
825です
言ってる事は理解できますよ
どちらかというとあなたは宗教的な観念のフィルターが色濃いのかな?
だから解釈が違う部分があるかも
受け取ったインスピレーションとビジョンから、あなたとの解釈の違いを書いてみますね
※魂=意識体
あなたが神と呼んでる魂の根源は全ての魂を同時に体験してるけど、ほぼ無機質で産まれて間もない赤ちゃんみたいなイメージ
全ての魂が戻ろうとする
それはただの性質であって、そこに意味はない
自然界の動物に見る本能的なものかな?
ハイヤーセルフは根源から直接分裂したいくつかの意識体
その魂が分裂した時に次元が発生し、その次元から更に分裂したらまた次元が発生した
要するに分裂するほど低い次元が発生し、それと比例して、根源とはほとんど差のなかった意識の違いが特色として出る様になった
それぞれから分裂し発生した次元の全ての魂(私達個人含む)を体験してる
根源ほどではなくとも、ほぼ全てを知ってる
愛とかの概念はもう少し下がった次元
私が思うに多くの人がいう神はその辺りの次元かな?
そして人間と関わる神は更に下がった次元かと
ガイドや守護霊と呼ばれるシステムは、今いるこの次元、特に人間界で必要になり発生したみたい
そうせざるを得ない理由があって、そこに根源の意図はない様です
(私達に一番関係する内容かと思うけど今回は割愛)
私の受け取ったものとの違いをざっくり書いてみました
できるだけ受け取ったそのままを書いたけどなんて夢のない内容w
ただそこに意味を与え希望にするのが人間なんだとか
それも理由があっての事だそう
それが悟りさんが今やってる事なんだと思う
ただ、神といっても人それぞれ神そのものの観念が違う
あなたの観念に近い人は納得できるけど、観念が遠くなるほど反発する人が出てくるのは仕方ないかなと思います
それを認識した上で気にしない事です
何をどうしたってそうなるもんだから
私が受け取ったインスピレーションやビジョンが正しいかは分からない
そしてどれだけ正確に受け取れてるか分からない
また、膨大に流れ込んでくる情報をまとめたり解釈しようとすれば自分フィルターも通るし
受け取ったそのままをみんなの頭にコピペ出来たら、逆にコピペしてもらえたら楽なのにねw 誰かが言った言葉を記憶している。
誰かが書いた本の言葉を記憶している。
自分の好きな言葉を、自分で選び、信じ込み
あたかも、それが神の言葉のように聞こえ思い込む。
これを防ぐには、神の声と信じないこと。
神の声という言葉と意識を、疑うこと
真理の言葉には、「神」という単語を必要としない。
そこにあるのは、矛盾を超えた矛盾のない世界。
矛盾の無い世界では、神という言葉を最も嫌う。 神は人間を思考停止にし、支配しやすくする為のシステムだからね
私はまだまだ未熟者だが、スピリチュアルにハマるごとに神は居ないと思った
自分に都合の良い神は居ない 神の存在という概念と推論のための仮説は
自己思考のミスや方向性を正すのに必要ですが、
神のそのものの存在の有無の認識は、
まったく意味がなく、単なる詐欺師の道具でしかない。
永遠の過去現在未来まで、、神を見た者、神の声を聴いた者は
いませんし、現れることは100%ありません。
神が存在しないのではなく、神の存在の有無そのものが
人間にとっても宇宙にとっても意味がないのです。
神は隠れた存在であることが必要なのです。
神の存在は、存在すると仮定することが意味を持つのです。
「悟り」という言葉も同じです。 神との対話..どうして神なの?
悪魔か神か..対話の相手が、どちらかをどう判断する?
自分の作り出した神と本当の神..どう区別する?
書かれた文章は、ただの幼稚な戯言であっても、
「神との対話」といえば、読みたいと思うのはなぜ?
「神は、なぜ人間と対話するの」...その必要性はどこにある?
数え上げれば、無限なる矛盾があっても、
自己都合は矛盾は、いとも簡単に忘れさせる。
だれかが言った神の言葉...
これほどの矛盾はない。
神は誰とも語らないし、誰も応援などしない。
誰にも、責任なふぉ押し付けないし、生きる目的も与えない。
誰も導かないし、誰も助けない。
ご褒美もないし、努力なんて賞賛しない。
これが神の姿であることを、全員が知っているのに、
それでも、神と愛し、神の奴隷になりたがる。 私は時々インスピレーションみたいな形で言葉が降りてくるけど、守護霊かな?と思ってるから、曾お祖母ちゃんありがとう。って思ってるよ。
お名前は?って聞いたら守護するエネルギー体だから名前はなんでもいいよってさ。
それを神だと思う人もいれば、曾お祖母ちゃんだと思う人もいる。ってだけの話じゃない?
まず、曾お祖母ちゃんってのも私が勝手に決めた呼び方だし。 守護するエネルギー体
素敵ですね
想像しただけで力がわいてくるみたい
心よ、と呼び掛ける人もいますね
色んな呼び方があっていいと思います 人が死す時、今生いかに修養したるや、判定ありて、結果を示されん
人生の成績表なり
その結果にて魂のその後の行き先定めらるる
人は何のために生まれるや。修業のためなり
意識・無意識・直接・間接かかわらず、一人でも多くの他者を幸せにするが生きる意味なり。役割なり なれば、己に降りかかる出来事全て、良きことも悪しきことも、その修業、役割果たすため、必然に起こるものなり
その時いかに行動するや、神は全てを見ておわす
神を信じようと信じまいと、己の行動は全て天に記録されしものなり
それを肝に銘じ、人生の成績を少しでも高める努力をなすがよからん 下手に他者と関わらぬ方がよしと人間関係は段々希薄となり、平凡に生きるが1番と考える人多し。
悪しきことせずとも、良きこともせず、人に奉仕もせず、そのような人生おくらば、それも罪なりと知らねばならぬ。
あの世の仕組みは肉体失いて初めてわかるものなれば、その時己の生き方悔やみても遅し。
自殺する者、親殺し、子殺し、人の命奪うは、想像を絶する厳しき修行待ち受ける。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています