魂の年齢。霊格レベル。7。 [無断転載禁止]©2ch.net
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簡単に説明すると、人間には魂があり、魂にはそれぞれに年齢がある。
魂の年齢は前世の回数にある程度比例する。
人間としての転生が少ない魂を乳児期の魂といい、
人間として何百回も生まれ変わり、輪廻転生を終了する段階の魂を老年期の魂という。
その間には、幼児期、若年期、成人期、がある。
つまり、下から順に、
乳児期。
幼児期。
若年期。
成人期。
老年期。
という魂の段階がある。 >>680
親がまともでも外の環境で挫折して引きこもることもあるかと
>>681
親や国に迷惑掛けるつもりで悪意を持ってニートやってるとカルマになるだろうね
某かのきっかけで鬱とかになって引き込もってしまってるならまだマシかと >>682
これは本当にそう
社会に適応してても狭い世界で生きて狭い
価値観のまま死んでいく人もいるし、
逆に常識から逸脱した生き方の果てに引きこもりになって、
一見自分の殻に閉じ籠ったように見えたとしても、
世界(価値観)が狭まるどころかむしろ広がったりもする 結局は今世、その人に見合った生き方を皆それぞれしてるに過ぎない
比べてヘコんだり非難したりする必要はない >>683
それこそまさに霊格の成長だと思います。 みんな元気にしてる?
愛って良いよね!奉仕って良いね! >>96
フィシオエナジェティック的な観点から言うと、統合失調症は、不確かな記憶だから間違ってたら申し訳ないんですが、ストレスでできた活性酸素が脳の視床部分から始まり、名前忘れちゃったけどどこかまでダメージが進んだら幻覚などの症状が現れるそうです。
フィシオエナジェティックで治せますのでおススメですよ。
東京町田にある、かわせカイロプラクティックってところが良いです。
このスレによると西洋医学は最初に書いてあったように幼児期や若年期のひとが作ってる?から不完全とありましたが、
僕も統合失調症に関しては西洋医学で治療することは不可能だと思います。
ちなみに、僕は西洋医学は間違ってるところが多いので自分が医師になって、西洋医学で治らなくて悩んでる人を助けたいと思ってます。
ちなみにこの医師という選択は自分の本来やりたいことではなく、実際病気で悩んでいる人や親から求められてることで、本当は歌が好きで一応才能もあると言われているのでそちらもやりたいなと思っていました。
実際はどうかわかりませんが自分は成人期なのかな?と思いました。
ホリスティックに頼るのは老年期とありましたが、たぶん成人期ですかね。
知りたいな。
ちなみに、自身も体調面で自殺したくなるほど辛い思いをした経験があって、それが西洋医学が全く宛にならなかったので、ホリスティック(フィシオエナジェティック)に通っています。
日本人は西洋医学を盲信しすぎてると思うので(もちろん、救急医療などかなり効果的な面もありますが万能ではないという意味です)、西洋医学で治らなくて悩んでしまって死にたいって思う人が少なからずいることを知りました。
そういう状況のときは、やはりホリスティックに頼ってみるのも一つの手かもしれません。
この発言が、誰かの助けになればいいなと思います。 >>692
お医者になってもならなくても自分の経験を発信する事で誰かの目に止まって誰かの助けになってますね。
歌もお医者もご自身で『大好き』って言える方を選んだ方が良さそうですよ。
人を救う方法はお医者になることだけでは無さそうだし。
ここを見ている人が救われたら良いですね。 アセンションでもし若い魂が別の星に移って急速に魂成長させるんだとしたら
若い魂である自分は今の地球生活はただ楽しめばいいんじゃないかと思えたりする ていうかこの発言でかなり重いカルマを背負った気がする
大丈夫かな 大丈夫だよ。発信したカルマよりも受け取り側のカルマの方がメインだから。
心から悪気があっての発言はカルマを負うだろうけど。 不幸な人というのは自分の人生を呪っているんです。人生を呪っていて人生がほほえみかけることはないのです。
ただ現状から、逃れよう逃れようとする心の中には、また新たな苦しみを作っていくということなんです。
地球は住みにくいから宇宙に逃れたら人は幸せになるかといえば、そんなことはないんです。そこには新たな苦しみが出てくるでありましょう。 ですからこの地球上では幸せになれない人は宇宙空間に出ても幸せにはなれないということなんです。
地上の人間といがみあっている人間がね。地上から脱出して天国に逃れたところで、そこにはユートピアはできないということです。 >>677
>間違っても怒りの感情や悲哀の感情を持ったり持たせたりする勿れだ
人が嫌がることを独特の嗅覚で感知できる人が身近にいます。(Aとします)
Aは人の弱い部分を周囲にはわからないように攻める感じです。
やられている側は悲しくなったり、傷ついたりして精神的に参ってしまいます。
そういう姿を見ることでAは満足して自分の精神状態を高めることができるようです。
変な言い方ですが、純粋に人を傷つけることがとても好きで
ある意味、充実感にあふれてキラキラしています。
これはこれで有りなのでしょうか。
いずれは傷つけられた人たちからの念や恨みを突きつけられる状況になるのでしょうか。
来世がハンディを持ったスタートになるなど可能性はありますか。 >>699
この世で充実感を持っていてもあの世でもそうとは限らない。
でも 正直さから相手を傷つけるなら 正直は罪ではない。ハゲにハゲ、デブにデブ、は的を得た発言だから。日常の問題は大したカルマにならない。
来世は余程 悪いこととか、波動を上げて成長しない限りは
全く同じ今世とコピーした人生を繰り返すだけでハンデはない。 悪意の度合いと罪の意識の有無によるでしょうね。
真実であっても、それを言うのは良くないことと知っていること、そして相手を傷つける目的や悪意を持って言えば更なる罪です。
何も知らない幼児が正直を言うのと知識を持ったあなた方が言うのでは訳が違います。
>>699
傷付けられた側の人間は、何時しかのカルマを浄化出来ている可能性があります。
相手の辛苦の未来の希望を考えるより、自分の進歩だけを考えた方が有益ですよ。 >>701
699です。ありがとうございます。
他人から傷つけられる、苦しめられることで自らのカルマを浄化させるという話は聞いたことがあります。
こじれた人間関係は本当に神経をすり減らすものですね。
Aの悪意の度合いはかなり強いと思いますが、それ以上にAにとっては有益で肯定させるものがあるようです。
ですので罪の意識はないと思います。(精神の充実感を得る趣味の延長のような)
ちなみに攻めるというのは、相手の容姿をからかうといったものではないです。
幼少のころに傷ついた経験、大人になっても克服しきれていないトラウマ的なものを察知、そういった部分を執拗に刺激するといったやり方です。
>相手の辛苦の未来の希望を考えるより、自分の進歩だけを考えた方が有益ですよ。
おそらくAの魂の年齢は若いのでしょうね。
私もそんなAに焦点を合わせ続けるより、そのほうがいいことは理解できます。
ただ、相手が辛苦する未来の姿を頭から排除しようとすると、
「待って!ホントはそれを望んでいるくせに!」と内なる声の反発が聞こえてきます。 他人の辛苦を願うより、自分を幸福にしてあげる方が遥かに簡単で有益だと思うけどね。
恨みは自分の波動を落とすよ? いや、どういう心持ちでその発言をしたかだよ
相手を傷つけようとしてハゲやデブなら言うならもちろんカルマはたまる
相手の体調を心配して、メタボだから体調気をつけて減量しなよ的な事を言うなら大丈夫
全ては心持ち こちらが親切のつもりで言っても、相手に不快な想いをさせたら悪想念をもらうから難しいところだよね。 結局善意であれど、他人の何かを変えようとか気付かせようだなんておこがましい行為なのだね >>707
そうなのかもね
各々が勝手に気づくことなのかも 家族と話をしていて、「子供を残して死ねない」「そうなったら無念だ」って。
自分はもうそういった感情がなく、むしろ死ぬことも見送ることも経験だと思うから、妙に新鮮だった。
実際、自分も早くに父親を亡くしてるし、それがあってあっちの世界と色々話すことがあったから、こっちの世界のソースのみだとそういう認識になるのかと。
そう考えると、至極冷酷に見られているのかな。 >>703です。
いろいろな考えを聞くことができて勉強になります。
相手の辛苦を願っていてもしあわせにはなれない。
それはわかっているのですが、私は聖職者ではないのでむずかしいですね。
内なる反発を自分で押さえつけているだけで修行のようです。
どのみち、傷ついたり悲しんでいる時点でかなり波動も落ちていますよね。
「恨んでいると波動が落ちるよ」と言われて
「えっ、落ちるのなら恨むのは止めておこう」と切り替えられる人は、それほどの苦しみを抱いていなかったのではなかったのかもしれないですね。 幼いころ、時々親から「そんなことをしていると○○になるよ!」という注意のされかたをしてきました。
本人(私)の何かの行動を止めさせたり制限するのに、全く別のところから私が恐怖を感じることを引っ張って来ってセットにしたわけです。
一瞬怖さを感じましたが、恐怖心を与えることで行動を止めさせようもしている親のやり方を冷静に分析してしまいました。
矛盾という言葉さえ知らなかったころですが、幼いながらにそういうものを感じていました。 そこまで分析してAの心理研究しておるのなら、逆にAの弱点を刺激してはいかがか?
そうする事で迂闊にこいつを刺激するような真似は危ないと思われて、Aを牽制することが出来るのでは?
傷ついた時に相手や運命を憎むか、自分や魂の成長や清浄化と捉えるか。
現代生きているニンゲンのほとんど聖職者じゃないだろうが、そういう理解に至った人は多数いる。
悟り="聖職者 のような遠い人間の行いや思考"というのがまず違う。
本当は悟り、神の慈愛はどの環境にいる誰もが理解出来るようになっている。
どうやってそういう思考に達するか?、抑圧ではなく納得して理解することが出来るのか?
それはこういった知識の吸収と実体験。という他ない。
一つ言うとあなたはAの「相手の傷つく心情を見て愉しむ」心を察知して、自ら無意識に本当にそのように動いてしまっているのだよ。
相手に囚われている状態。相手の念に気圧されている状態。相手の術にかけられている状態。相手の世界にいる状態。
それをブチ壊す自分の心持ちや世界の確立をしなければならない。 「そんなことをしていると◯◯になるよ」かぁ。
現実的(物質的)な人はそう考えるかも知れんが、違う目で視れば本当に◯◯になっていたりすることもあるけどね。
先人達は狂人・悪人を鬼と呼んだ。
何か一つへの否定はあなたの可能性や世界の全ても否定してしまう訳だ。否定は吸収の敵だ。
純粋に、感覚的に物事を飲み込むこともまた大事ですよ。 >>712
新年からこのような愚問にお相手いただいて感謝しています。
>自ら無意識に本当にそのように動いてしまっているのだよ。
相手に囚われている状態。相手の念に気圧されている状態。相手の術にかけられている状態。相手の世界にいる状態。
あまり認めたくはないですが、たぶんそれに近いものがあるかもしれません。
無意識で「相手の術にはまっていたい。理不尽な扱いをされることで自分の存在価値の低さを感じていたい」
的なことを無意識で考えていたとしたら背筋が寒くなります。
もちろん、顕在意識ではこんな馬鹿なことは考えていませんが。
ある精神スレで悩みを書き込まれた方がいました。
でも結局、「やはり我慢するしかないですかね・・」という結論を自分で出されていました。
それに対して「これからも我慢する人生が続く道を選択してるよ」とさらっとレスされた方がいたのです。
その時は、「自分で選択している」の意味が理解できなかったのですが、今は何となくわかります。 見た目が不細工なだけでも一生つらい思いをして生活しなきゃならないんだけど
その他苦労するようなオプションを自分で選んで生まれてきたんでしょうか。
子供の頃から嘆き悲しんで自殺ばかり考えて
ちゃんとした修行にならなかったと思う。
いろんな良いものを知っても
基本つら過ぎる日常が続くから
いろんな理不尽な出来事を恨んで
少しも納得出来ず
なんにも悟れない。
楽になりたい。
霊格低過ぎ。 >>715
動物や子供、お年寄りと接するなど、愛情を持って関われることに挑戦してみてはいかがでしょう?
何かを愛すれば愛するほど、自分も愛される人になっていくと思います。 何が目的かによる。
友達たくさん。恋人大好き。結婚。仕事は安定。お金はたくさん。綺麗が幸せ。
生きてく上で刷り込まれたこの物質的な「人生のレール」を幸福とするなら苦痛は続くだろうな。
常に他人と自分を比べて、それを目的とするなら苦痛は続くだろう。
他人がいなければ君は自分自身の苦痛に気付かなかっただろ?
他人が無ければ君はどう生きてた?そういう世界を確立させる。
他人、外がツクッた常識に委ねない自分だけの世界。
今は「不細工は不幸」っていう他人に作られてかつ、自分が作った世界にいるだけなのだがね。 選んで生まれてくる部分もあるが因果もあると思うよ。
即ち、過去世で人の外見を嘲笑うとその因果を受ける、ようなものだよ。例えね。
地球自体、修行場と言われているからね。一説には流刑場とすら言われていた。
生きることは苦痛があってナンボじゃくらいの考えでないとひ弱になるぜ。
それでなくともニンゲンは、上を上を羨む傾向がある。もっと悲劇を見てご覧よ。もっと悲劇を知った方が良い。
悲劇を他人事にするなら、喜劇も自分と同じ立ち位置に考えないことだ。
本当に不細工が世間に受け入れられないならテレビに不細工芸人だなんだは映らない。
本当に不細工が全ての苦痛の原因なら、真面目にあの愉快なオッサンがCMやってるクリニックに行った方が良い。
敷居は思っているより低いだろう。
内面(思考)を変えるか、外見を変えるかのいずれかがあなたには選択出来る。 >>716
逆。自分が自分を好いていないのに、
自分の心身の全体を大切に扱っていないのに
自分以外へのあかの他人へどうぞとプレゼントでさしあげる「愛」
なんて残量ありませんよ。他人奉仕であげてばかりいたら枯れて死亡しますよ
まずは自分がいまの自分を受け入れる度量とか、自分で自分を愛する、
自分で現状受け入れることがなによりも最優先 >>719
無条件で自分を愛することができないから苦労しているように見受けられますけどね。
それを克服するために、まずは自分が無条件で愛することができるものに接するということです。
自己犠牲の話ではないですよ。 子供やお年寄りはひとによりけり。相手が人間だとカルマもあるし
こじれることもあるよ。エネルギーバンパイアで吸いとられたらおしまい
720さんのおっしゃられる無条件愛なら、自分愛(自己への無条件愛)なので
動物飼うか触れ合うか、雄大な自然相手しかないでしょう。ぼーっと森林浴するだけでいい
電池の充電みたく、空海、自然、動植物から、(愛)充電チャージに近いですよ。アーシングも良いです 人間相手にそういう愛をあげられる人はすごいよね。一歩上なんだよね
自然はあげてるようで結局多めなくらいに返されてるから 今朝から退去した隣の部屋に業者の清掃が入っている。
午前中からとにかくうるさくてたまらない。
ガンガンこちらの部屋との境の壁に何かぶつけてくる。
掃除機などの大きな音に耳が慣れているのか、喋る声もうるさい。
こちとら円パスでちょっとした衝撃音にも心臓ドキドキするくらい苦しくなるのに。
夕方まで続いていたけど、最後のほうは携帯で私用電話して笑いなながら仕事していた。
修行のような1日だった。 >>715
自己評価が低いとしても、それが霊格が低いことには直結しないと思う 見た目や才能含めて、自分が優れた存在でありたいと願う気持ち自体は否定しなくてもいいし、自然なことなのではないかな
問題は他人と比較して勝ち負けを競うこと。
「勝ち」を喜びと感じ、「負け」てる不満を他人や社会への恨み、怒りといった感情と昇華させてしまう
この辺が人間の悪しき業のようなものだと勝手に思ってる
差別や争いなんかもそこから生まれるんだと思うし >>723
それは大変やったね
今度から耳栓常備しとくと良いかも
それか思い切って外出して外に逃げるか
寒いから億劫だけど >>726
>>723です。ありがとう。
耳栓は常備していて就寝中もしていたのですが、今朝はそれさえも突き破る轟音でした。
とにかく感覚過敏が悩みで、音にも弱く脳にドリルで穴を開けられるような痛みがあります。
人が多い場所など、例えば飲食店で客から怒鳴りつけられている店員とのやりとりや、知らない人同士のケンカであっても
自分もその感覚みたいなものをもらってしまいます。
瞬時に店員やケンカしている人の波動と共鳴してしまうのでしょうか。
鈍感になりたい。人からの何かに邪魔されたくないです。 既に使用してたのねw
自分も就寝時は耳栓してる
でも重低音が筒抜けで最悪な寝起きの毎日だわw
集合住宅だからしょうがないんだけどね
てか最近耳栓しすぎて耳から血が・・・・(*_*) なんか突然鬱になったりってなんなんだろう
あからさまに運が悪い日とか >>728
>自分も就寝時は耳栓してる
でも重低音が筒抜けで最悪な寝起きの毎日だわw
(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ
音の被害は経験した者でないとそのつらさはわからないと思います。
毎日が最悪な寝起きだし、落ち着くことができない。
神経質扱いされた上に
「そんなにうるさかったら耳栓しておけば?」と無神経なことを平気で言う人もいて、余計に音に過敏になる。
それにしても耳栓しすぎで血とか痛い... 他人を変えようとしたら苦しくなるね
自分が変わった方が楽だし自分はどうなっても自分なんだからそれでいいんだよね
ようやくこの世界の入り口にたどり着いた気がする 他人を変えようとするのはむずかしいのは同意
というかもうあきらめの境地に近い
でも状況によってはどうしても他人にそれをお願いしなけらばならない時もあるんだよね
こちらが変わるにはあまりにも失うものが多く、リスクも多い 一人霊格が高い人が現れると
霊格低めの人が
拒否反応で一気に下がる
みないなのない?! >>733
それもまた成長のためでは?
他人を否定する→カルマが生まれる→カルマにより自分が否定される→気付く
みたいな
>>735
私個人の考え方だけど、高い人は否定しない
もちろん悪いことは悪いと言うんだけど、自分の苛立ちを人にぶつけたり、傷つけるような言い方をしない気がするよ ご自分は美しいのに他人の容姿を執拗に悪く言ってる人にうんざりする
容姿が美しいのは霊格が高いからではないのかあ >>736
あまりにも事実と違う決めつけや嘘を流布された時、やっぱり否定したくなりませんか?
それも他人を否定することになるのでしょうか。
今はとにかくイライラしている人が多い一方、
穏やかだったり優しい性格の人
がその怒りの矛先にされてしまう可能性がありますよね。
(霊格はわかりませんが)
「コイツになら何を言っても大丈夫だろう」と甘く見られるというか...。 霊格が高そうな知識があるのに
人を傷付けたり揚げ足とったり煽るような言い方して
しつこく他人を批判する女性がいて本当に困ってる >>738
それは否定していいと思う
嘘なんでしょ?否定してOK、一番大切にするべきなのは自分の本心であって、楽しそうに嘘をつく人達を認めることではないよ
できるなら面倒な人にはあんまり意識を向けなさんな
そういう人と関わって受け取るものは負のループしか生み出さない >>740
そうですよね。
でも「こんな人とは関わりたくない、避けたい」と思えば思うほど
そういう傾向の人を身近に集めてしまうのは何なのでしょうか。
人間関係は自分の意思で作っているようで違うような...。 >>741
「こんな人」にスポットを当てた結果引き寄せの法則ですね。
「どんな人」になりたいか。にスポットを当てたら「そのような人」になれますよ。 >>741
それこそが負のループだよ
741さんが言ってるように、あなたが一緒に居て楽しくなったり穏やかでいられる人の事を考えるといいよ 量子のもつれって知ってる?今世で出会った縁はエンドレスに続くらしいんだ。
嫌いな人はどれだけ相手が理不尽なひとだとしても 学びで存在するから 心から感謝できるまで
縁は終わらないらしい。それがカルマ。 >>744
例えば昔の小学生くらいの時を思い出してみると、クラスで意地悪する子やワルガキのことは覚えている。
でも意地悪もしない、いじめなんかもしない、ごく普通の子のことは記憶には残っていない。
仲良かった子もいるはずなのに覚えていない。
「善き者」に焦点を当てるのではなく「悪しき者」に意識は向けてしまうことは、人間の性みたいなものかと思っている。
邪だったりネガティブなほうが圧倒的にパワーが強い。
「明日は大好きな音楽の授業がある」
「でもまた教科書とノート隠されるかも...」
このふたつなら後者の不安のほうがより心を支配していた。
それは精神の発達が幼いころも今もそれほど変わっていない。 霊格や魂が成長するとタイムラインって変わりやすくなるんでしょうか?
面接で立ち会ってくれた社員さんの容姿が違いすぎて戸惑ってる
というか、一緒なのは名前だけで顔も性格も違う
名前を確認したら同姓の方はいないし
働きだして2ヶ月弱経ちましたが
私が記憶している容姿の方を見かけたこともありません >>746
思い出せていないだけで、ちゃんと頭の中には残っているよ
特徴がないから思い出しにくいっていうだけ
確かに人なんてそうそう変わりはしないね、そのひとに根付いた価値観があるから
けれど楽しいこと、嬉しいことって、今日や明日を生きるパワーをくれる
たしかに嫌な事って心に残るんだけど、それってほとんどは考えてもどうにもならないことばかりじゃない?
どうせなら、良いものに意識を向けたいものだね、思考は自分で選べるんだから 毒親、イジメ、転職繰り返すニートとテンプレ人生だったけど、全部自分の思考が招いたんだと気づいたよ
愛された確信がない者は、常に愛を求めて他人軸で動く。都合良い存在になる
「また失敗するかも…」という不幸の引き寄せが止められない
一つずつ、今日感謝することをメモに取っていったらプラスに視点をおけるようになり、ポジティブ人間になれた
40歳までかかったよw 抜け出せる人と悪化の一途の人の違いはなんだろう
愛着障害から始まり同じ不幸を経験し、
30代後半から開き直る人と、鬱病を拗らせ引き籠る人の違いは?
前者は女が多く、後者は男が多い
男は生物学的にも弱く出来てるからか? デートの主導権を早くとらない男性を「情けない男」と呼び、早く行われれば「ストーカー・セクハラ・レイプ犯」と呼び、うまく引っ張ってくれない場合「男らしくない」と呼ぶ。
鶉まどかの書く「クラッシャられ男子」は、男子だから情けないと評されるのであって、
女子だったら許されているのが現状だ。
そこそこ可愛い女に生まれれば、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、
口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生の王道を歩み続けることが出来る。
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、
「男性差別」の一つなのだと思う。 なぜ「デートに誘う」のも「プロポーズ」も男の役割なのか?
恋愛、結婚、就職から人質救出まで 女に都合良く利用される「男らしさ」の受難
(SAPIO 2009年5月号掲載) ジェンダー、性差別といった問題は一般的に女性の抑圧という視点から論じられ、
男性解放論はほとんど聞かれない。現代は男性こそが抑圧され、支配されている。
男性は女性に比べてより危険で過酷な仕事につくことを要求される。女性は結婚により家庭に入るという選択肢もあるが男性にはほとんどそれは用意されていない。
デートにいくときは男性が支払うことが期待され、結婚生活においても男性がより多く支出するという考えが一般的であるため、男性は自分の意思に反してでもきつい仕事にしがみつき、ストレスと過労から健康を害することになる。
さらに、女性をエスコートし、誘い、性的関係を迫るのは男性であるという文化的コードがあるために、男性は常に自ら危険な交渉を買ってでなければいけない。
実際には女性が誘っていても、少なくとも表面上は「拒否する」という意思表示を繰り返すため、そのプロセスでしばしば、セクハラ、レイプといった嫌疑をかけられる。
国や制度、社会規範によって保護された女性に対し、男性は、軍隊や危険な作業に駆り出され、嫌な仕事を続けることを強制され、家では女性の言いなりになって、 追い詰められる。
そうした生きる範の狭さ、生きづらさが、男性の平均寿命の低さに表現されているのだという。
実際アメリカでもっとも長寿なのが白人女性、次に黒人女性、そのあと白人男性、もっとも短命なのが黒人男性で、実に15才ちかくもの差がある。 動物学的に見てホルモンが違うからじゃない?
男女差別とは分けて考えないと。
人としての価値は平等でも特性は色々あるよね。 >>748
過ぎ去ったことだから、考えてもどうなるものでもないのはその通りです。
でもみんな「考えても仕方ないからもう考えない」と意識の方向をコントロールできるものなのかな。
むしろ過去でありながら「生」を持って育っていて、年月と共により不快さや悲しさが濃厚になっていく感じはないですか。 >>757
できるできないではなく、するんだよ
私にだって辛い記憶はある
何度も何度も消えたい、生まれて来なければよかったと思ったことがあるよ
でもいつまでそれに囚われ続けても、苦しいだけでいい事なんてひとつも無い
だからそういう事を思い出してしまったら、楽しかった事を思い出して笑うようにしてる
もちろんできるようになるまで時間はかかったよ
どうしてもその記憶を捨てられないなら、一度認めてしまったらどう?
辛かった、悲しかったんだと、あほらしくなるまで泣いたらいい
辛い事を押し込めてしまうから、ずっと溜め込むことになる
これから何か辛いことがあったら、家に帰ってギャン泣きしたらいいよ
泣いちゃダメなんてことはないんだからね
辛いことはなるべく早く出し切るのが一番 【相談】
男性を信じることができません。怖いというより、嫌い。話をしてもつまらない、頼りにならない、といった感情です。
昔の日本男児だらけの日本であればそうは思わないと思いますが、現代男性のように打てば崩れる人たちに何かを求めようとは思えなくなってしまいました。
頼りにできない人間と結婚という形を取るのか、尼さんになることも手なのかもしれない。この状況を打開できる方法を教えてください。
【回答】
男性に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。
男性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「打てば崩れそうで頼りないからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、会話をリードすべきだ!」「頼りがいがあって、ただ一方的に自分を守ってくれる人であるべきだ!」
そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実に嫌悪感を抱かれているのでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、「頼りない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。
現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人は、この世にいません。
「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」と、視線を180度転回してはいかがでしょうか。 ↑みたいな考えのまま今世を終えたら、
次は女性差別の強い国に女性として生まれてくるのかな… 男であろうが女であろうが、他人に何かを求めていることが苦しみの原因なんじゃないのかな 人生相談の解答を、自分の外側へ聞いてる時点でもう駄目だよね
じぶんのことなのに第三者へ正解についてを、質問する。尋ねてる
なにかについて行動への質問であったり、
考え方についての質問であったり、なにかの結果に
ついての疑問であったりそれぞれ内容の違いはあれど、
他人へ乗っかる、他人頼るのがなによりもまず先になっている
自分で自分の責任・・自己責任を取らない。強い覚悟が足りない
大反省会しなくてもいいから、ここを変えてみようかと生活の改善
をちょろっと試みるだけでもちがうのに この回答者さん正論なんだけど、この手の質問してくる人って正論ぶつけられると逆ギレする人が多いからなかなか勇気あるよね。
ネットだから逆ギレされた所で別にどうってこともないけど。
私だったら面倒臭いから放って置いちゃう。 人生相談というか、悩みの内容にもよると思った。
中には自分では動かずに第三者や専門家に入ってもらわないと、もっと問題が深刻になる場合もあるからね。
外に向けて聞いてもいいと思うけど、今時お金が介在しないでそういった悩みに耳を傾けてくれる人もいないのが現実。 >>758
無理やり...ですか。
本能で選んでしまいたくなるものを意識して方向転換させるわけですね。
時々こういった過去の出来事での落ち込みや不安の悩みに対して「負の感情を味わい尽くせ」という話を聞きます。
でもその途中に余りにも自己の価値観の無さ後悔の念に追い詰められて衝動的に「四」を選びそうで私はちょっとやれないですね。
(ストレートに書けないのであえて漢字を変えてみました)
あと個人的には、つらいことや悲しいことがあったら泣くという行為がどうしても結びつかないのです。
泣くことで溜まっているものを昇華させるという方法は、
余計にその不快な気持ちを自分に刻みつけているだけのような感じがするのです。
「泣いてスッキリした!」というのは万人に当てはまるストレス解消法のようですが、
心底つらい時ってかえって泣けなくないですか。
私はむしろ何かが突き抜けて呆然とするか、笑い出してしまいそうになります。 >>765
泣けなくても良いと思うよ
とにかく何か美味しいもの食べたりふて寝したりして、頭の中にそういうものが存在する時間が減ればいい
あなたはたくさん考えてしまう人なのかな
私だったら後悔するようなことがあったら、次に活かすぞ!という考えに持っていくし、価値観なんて人それぞれだって開き直る
もちろん私の考え方はであって、あなたにはまた別の考え方があるんだろうけどね >>764
専門所へ頼るのはいいけど、
それでも最終判断や結論出すのは本人しかいないでしょ。そういう場所は
プロから適切な支援をして頂ける。こんがらがっている箇所をうまく整理して
快適な生活ができるようにヒントをもらって導いて頂けるところだよ
人生最後までピッタリとくっついてお手伝いさんのように手取り足取りで
四六時中の責任持ってはくれない
医者やプロ相談員から何かしらを設問されても『わかりません』、
困ってる本人へあなたはどうしたい?と質問されても『ハァ!?知りませんよ』
なにか希望はないの?したい事柄はないの?あなたの心の意見はないの?
だとか聞かれても『なぜ私へ上から目線で意見をするんですか。何なの!?』
『そんなのプロ先生が決定して下さい』『専門家ならそのくらい解かるはずです』
『周囲の人が皆バカなんです、皆使い物にならない』『先生も結局ダメですね』
じゃ意味がないよね これを贈る
>>765
私はバシャール信者ではないけど一部参考にはしている
抑制で泣かないから浄化作用働かない→感情スッキリしない→体内へ溜まる→悪化→こじれる
涙の力
https://ameblo.jp/viva-bashar/entry-12335672547.html 悩みなんて人それぞれなのに相手を自分に置き換えて説教したがる人は何を考えているんだろうと不思議な気持ちになる 魂の到達点はどこなんだろうね?
やっぱり、自分の欲を捨てて他人のために頑張ることが自分の幸せ、と感じられるようになることなのかな。 自分切り売りして人に尽くしてる人もいるから、何とも
あと欲はなければ生きないし
欲とエゴは違う
エゴは人を操作しようとする心
自分が気持ちいいと思える生き方しとけばいいさー 全受容というか、自分と他人を同じように愛せることかな 魂の到達点は、自分の内にある大いなる意識に気づくこと。
自分はちっぽけな肉体ではなく、神の意識と同じ意識体だと知ること。
それが到達点。そこに到達すればすべての真理が理解できる。
神意識に目覚めると自我が消滅するので自我から生じるカルマのループが終了する。つまり輪廻転生も終了する。
欲を消して人に尽くすことが、どれほど自我から生じた不自然な行いであるかを知る。
その行いは慈悲慈愛でないこともわかるようになる。
ほんとうの慈悲慈愛とは、他人もあなたも私という感覚から生じるので、
欲を消すとか他者のために、というようなエゴからくる感覚がない。
欲も他人も含めてすべて私という感覚。その私の意識は神そのものの大いなる意識ともいえる感覚。
それが慈悲慈愛。胸があったかくなるような愛は自我の愛、それは本当の愛じゃない。
本当の愛とは、他人と自分の境がわからなくなり、自分と同じような感覚で相手を見ること。
もし自分自身に対して素っ気ない人なら、相手に対しても素っ気ないものになるが、それも慈悲であり真実の愛。
意図的に愛そうとして自我の愛を宿して相手に接するのは慈悲じゃない。
そんな意図的なエゴによる愛や奉仕などは、まったく魂の成長にならない。
そういう無駄な意図的な不自然な努力はすべて捨てて、あるがままの自分でいること。
あるがままの自分の意識を瞑想で感じ続けると、意識の拡大が起こり、自我の消滅が起こり
神なる意識になっていき、悟りを開きます。 人を愛そう、慈悲の心を持とう、神意識になろう、
奉仕しよう、欲を消して人に尽くそう、善に生きよう、
菜食主義でいよう、清貧に生きよう、人格者になろう、
それらすべて捨ててください。すべて捨ててください。
悟りを開くと、それらすべての欲が消え失せます。
なのにそれらすべてを得るのです。
意味わかりますか?
それらになろうとするのは自我から生じます。
しかし、それらはすべて自我の消えた神意識の特性そのものです。
悟りを開き自我が消えると、欲がなくなるのでそれらになろうという欲は消えるんですが、
自我が消えたせいで、それらの性質が自分自身であることに気づきます。
そしてそれらの特性になるんです。
つまり、本来は目覚めた意識が先で、その結果、慈悲になり、奉仕的になり、
欲がなくなり、無我になるんですが、
自我は何かになろうとするので、慈悲深くなろうとしたり、欲を消そうとしたり、
奉仕的に生きようとしてしまうんです。
それらの特性を持とうとするのはもう一切やめて、
神意識を開くことにポイントを絞るんです。
真我を開く、神意識になる、そこに重点を置きます。
いや、それさえも探求の終わりには求めなくなります。
思考を静める、思考の止まった自分の意識に気づく。
それだけです。それが実践です。つまり瞑想です。真我探求の瞑想。 >>769さんが説教ではない見本の解答をしたら良いですね
相手を自分に置き換えて説教はしませんね
理想的な回答してさしあげたら良いではありませんか
そこまで書き込んだのに言いっ放しはなしですよ。さあどうぞ 説教だったのか
ずっと同じことを質問し続ける人に対して頑張ってアドバイスしてるお節介さんだと思ってた よくわかんないけど、他人のために〜他人のために〜となり過ぎることもまたその人のエゴということかな。
実は生きれば生きるほど、「所詮人間は自分のために行動してるのであって、人に優しくするのも、人のためになることをするのも自分のため」そんなような気がして仕方がなくなって。
そんな人間が汚く邪悪な存在だと嫌気がさしていた時期もあったけど、今はそれもまた人間なんだと思えるようになってきた。
でも他人と自分に境がわからなくなる、ていうような感覚には、到底たどり着けてない気もするなあ。 生まれつき完璧主義すぎる自分は、やっぱ未熟なのかな。
他人に対しても、自分に対しては特に、完璧でないと落ち込んで全てがダメに思えてしまう。
ここでよく言われる無条件の自己受容なんてものとは、程遠い位置にいるわ・・・ >>781
人と比べない事をまずは意識してみたら?
自己受容って自分の立ち位置がいつも自分だけなんだよ。
誰かと比べたら劣っている。
ありのままの自分で今の所OK。伸び代あるよ〜って(笑)
自分と他人の境界線が無くなるとか、ワンネスって「対、人」ではなくなるところからだと思うよ。 あなたはそのままで完璧なんです。
神のような完璧さをすでに持っています。それに気づいてないだけで。
自我は他者と比べます。自分と外の世界を区別し、自分と他人を区別し、比較します。
それによって自分は他者よりも優れてる劣ってると比較し、劣等感に苛まれるんです。
でも本当のあなたとは、神意識そのものです。
本当のあなたとは、その肉体や性格や才能ではなく、大いなる意識そのものです。
その意識はすべての人々と同じ意識であり、神と同じ意識です。
つまりあなたに内在するその意識とは、元々は一つしかないんです。
その神意識に目覚めたとき、自分と他人を比較しなくなります。
なぜならすべてあなただからです。あなたが羨ましいと感じる相手さえもあなたの部分なんです。
もちろん動植物も自然もあなたであるんです。
その大いなる意識に目覚めて生きれば、自分のことで悩むことはなくなります。
ではどうすれば神意識に目覚めることができるのか。
自我を消すだけです。自我は思考から作られます。なので思考を止めると自我が消えます。
自我が消えても意識はあることに気づくはずです。
その意識こそ本来のあなたであり、神意識であり、真我であり、神性であり、仏性なんです。
それに目覚めるために輪廻転生を繰り返します。それに目覚めることが輪廻転生を解脱するということです。 本当のあなたはその肉体ではありません。忘れてください。
本当のあなたはその性格でもありません。忘れてください。
本当のあなたはその能力でもありません。
あなたは学歴でもありません。職業でも地位でもありません。
肌の色でも年齢でも性別でもありません。
それら脳が勝手に自分と思い込んでる特徴をすべて忘れ去ってください。
捨ててください。消しさってください。それらすべて偽の嘘の虚像のあなたにすぎません。
本当のあなたではありません。
本当のあなたとは、意識です。意識そのものです。その意識を魂と呼ぼうが霊と呼ぼうがかまいません。
その意識こそ本当のあなたです。
なので、すでにあなたは本当のあなたであるんですが、
思考から作られる自我によって、その意識が肉体レベルに縮こまってしまってる状態です。
なので瞑想で思考を止め自我が消えると、元あったあなたの意識は本来の大きさを取り戻し、
神意識、宇宙意識へとなります。
それこそ本当のあなたです。それが目覚めた意識です。
自分は神だったことに気づくんです。自分はあらゆるものすべてだったことに気づくんです。
それが悟りです。
すべての人は元々その意識を持ってます。ただ自我によって肉体サイズになってしまってるだけです。
元々の意識のサイズは宇宙レベルにまで広がります。
なぜなら意識は神と同じ意識だからです。神の意識が宇宙すべてをおおいつくすゆえ
あなたの意識も本来は宇宙すべてをおおいつくす意識なんです。 >>781
781が脳内で想定している完璧主義とは?。その完璧の基準とは?
なにが軸になっていて完璧だ!と決定付けているのだろうか?
宇宙には完璧という基準なんて存在しないし
もっと進化した宇宙人でも完璧宇宙人なんて存在しない
なによりもここの宇宙を作った創造主ですら完璧な存在ではない
という話が幾つもあるのに、なぜ一介の人間の781さんのみが、
この宇宙全体を作った完璧ではない創造主を越えて完璧な存在なんだろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています