魂の年齢。霊格レベル。7。 [無断転載禁止]©2ch.net
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簡単に説明すると、人間には魂があり、魂にはそれぞれに年齢がある。
魂の年齢は前世の回数にある程度比例する。
人間としての転生が少ない魂を乳児期の魂といい、
人間として何百回も生まれ変わり、輪廻転生を終了する段階の魂を老年期の魂という。
その間には、幼児期、若年期、成人期、がある。
つまり、下から順に、
乳児期。
幼児期。
若年期。
成人期。
老年期。
という魂の段階がある。 スピ板の糞コテこと絶望ババア◆H0ngQkTfkXCQ自作自演がバレる(笑) [無断転載禁止]©2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/spiritual/1506404264/ カルマってよく言われるが、カルマの概念自体が“復讐”の願望だと思う。
よってカルマに拘り、カルマの概念を押し付ける人は復讐願望を押し付けているようなモノ。
確かに、悪い事している人が酷い目にあって欲しいと言う願望。
それが地位や権力を持っている相手ならば、なおさら願うしかない。
しかし、この願いそのものがブーメランの法則でもある。 生きているうちに安息が訪れることはないと
最近分かった気がする >>428
安息って求めれば求めるほど遠のいて行くものだからね。
生きている間にないと言うよりはないと言う生き方を選択してるって感じ。
安息のある生き方を選択すれば大丈夫だよ 復讐の願望?自然の摂理ですよ そこに一切の人間如きの感情はないです 今の日本は若年期後半の人が増えているような気がする。
成人期への過渡期の葛藤が、社会情勢や流行に反映されているのを感じる。
幼年期や若年期真っ只中の人も沢山いるだろうけど。
昨今、特に思うのは「マウンティング」という単語の流行。
人より上に立とうとする精神は、若年期そのものだ。
言葉によって概念が可視化されていくと、多くの人がそれを自覚する。
逆に言うと、その気持ちに気づいたから単語が生まれたともいう。
戦いの真っただ中にいる人は自分のことが見えていない。
客観視できているということは、卒業への一歩を踏み出したということだ。
今の世の中を悲観する人がいたとしても、それは大丈夫で、
確かに前に進んでいるんじゃないかなと思う。
徒然思ったことを綴った文章を、読んでくれて有難う。 自分は青年期と成人期に二極化してるんじゃないか、と 若年期の人たちにとって若年期の世界は別に居心地が悪いわけじゃない。
逆に居心地ががいいとさえ感じるだろう。その競争や弱肉強食を楽しむから。
若年期の世界が居心地悪く感じるのは老年期の人たち。
精神レベルが離れすぎてるため、若年期の野蛮で愛のない波動の荒い世界に苦痛を感じる。
それはまるで高級霊が低級界に降りていく感覚に似てる。
だから無限期のブッダが地上界に降りたとき、この世は苦であるといい続けたんだ。
老年期の人たちは自分よりも波動の低い世界で生きることは苦でしかない。
そして老年期の人たちは外の世界に幸せを求めるのをやめ、自分の内面に幸せを見出そうとする。
内観や瞑想によって真我を探求し、神の愛や平和という絶対的な幸福を求めるようになる。
それに対して若年期などの若い魂は外の世界に幸せを求める。お金持ちになろうとしたり高い地位を得れば幸せだと考える。
でも老年期は知っている。いくら裕福になっても地位を得ても、けして幸福になることはないと。
なぜならこの世は相対的であり、一般的に言われる幸も不幸も実は同じで脆く儚い幻のようなものであると知っているから。 >>434
老年期の人たちは若年期を見て微笑んでいるよ。
血気盛んな若年期を自分たちより低いとは見ていないから。
通過点であり善でも悪でもないと知っているから。
あの頃のパワーを懐かしんだり、幸せとは何か探究する事に意味があると充分理解してるからね。 俺はカルマが怖すぎて怖すぎて
青年期一番ヤバイでしょ >>434
でもさー、
どうせ同じ人生80年過ごすなら底辺貧乏よりかは上級国民のほうが良くない?(´・ω・`)
勿論、カルマは極力作らずにね
死んだら皆同じだとは思うけどさー >>434
の書き込みは勝ち組に嫉妬して酸っぱいブドウ(合理化)している底辺の言い訳にしか聞こえないんだよなぁ
またこの世に生まれ変わらなければならないほどのカルマを作らないように気を付けながら勝ち組になればいいだけだと思うぞー 他人を虐げてまでとか、強引に奪ったりだとか
そういうことをせずに富を充分に得ることは可能
若年期の活躍や裕福な暮らしに嫉妬しながら残りの人生を生きるよりも遥かに精神衛生面は健康かと
変に拗ねてないで自分も勝ち組になればいい
勿論、その時他人を見下すようではカルマが生まれるだろうけど カルマを恐れなくていい。
カルマの輪廻から超越すればいいだけ。方法は。
カルマは自我から生まれる。自我がなければカルマは発生しない。
自我を消すには瞑想で思考を止める。無になる。今ここを生きる。
真我で生きるようにする。それだけ。それが悟り。それが解脱。
輪廻の卒業。
真我で生きるとエゴのためにお金持ちや地位を得ようと思わなくなる。
何かを得ることで幸せを求めなくなる。
いまここに在るだけで満たされていることを知っているから。それが真の幸福。
それが老年期最終段階の感覚。 w
それで生きていける環境にあるならそれでいいかもだが、現実は厳しいぞw
俺には出来ん 元々金持ちで働く必要ないくらい資産形成出来てるならその生き方もありだろう
俺はないから自我を出して欲を出していかなきゃならんわ 環境に依らず、若年期に囲まれても老年期の心を保つのが最も難儀な修行だと思うよ
それが真の老年期だろ。若年期に囲まれてじゃあ俺も若年化!ならまだ結局若年期。 必要な時に必要なものは揃うようになってる。
現に日本に生まれて餓死した事がないのが何よりの証拠。
お金が足りないと感じているのは自我。
餓死していないというのが真我。
自我をなくすのが難しいようだったら、主観を変えてみる事から始めてみたらどうかな?
ほとんどの主観は社会や他者と比べて作り上げた物だから本当の自分の内側を見つめられたらお金が足りない感覚はなくなると思うんだ。
因みに、2億円持ってる人と200万円しか持ってない人の違いはお金を扱うための器の大きさ(必要性)の違いだと思ってる。 人は平穏を求むる。
平凡に行きるを望む者多かれど、人間の役割を果たさば平凡に生きるは困難なり。
人間がそもそも魂の向上の為にこの世に生を受けたならば、時に神は苦難を与え、その成長を図らんとさるるゆえならん。
金銭物質に困らず、他者を助ける事も無く生きれば修行果たせず。
なれば、自ら苦労を買って出る姿勢にて行動するべし。
さなる姿を神は望まん。 余分なものと最低限のものを見極めれば自然とそういう感情も湧き出るんだよ。
あれ欲しい、こうしたい、それ食べたい、この人好き、あの人は嫌い、憎い、もっと好かれたい、もっと認められたい、
俗世のそんなものばかりを見ていて自分のことでいっぱいいっぱいなうちは己の真の霊性の声は聞こえないよ。 そんな世俗的な己の欲望をやりつくして、その結果を体で体験して、思考で折り合いを付け
はじめてその先に続く道は開けるのさ。
誰に教えられなくてもいずれは到達するし、先達がアレコレ注文着けると余計な回り道させちゃうぞw 最近は中間くらいだった人達低い人に引きずられて落ちてく
みたいなことか多い気がするんだが 老年期の人なんてそうそういないけど
ほとんどは教育する環境にいて自分の人生は二の次だったりする なんだろう。穏やかなお爺さんおばあさんって
他の年齢の人を野蛮だのなんだのと
見下して世間を嘆いたりするでしょうか。
ここの人達のいうなんとか期というものに、
人の生がたとえに使われているのが理解出来ませんわ。
若者にも色んな人間がいるというに。
一括りで20代の若い頃から結婚して、幸せに家庭を育んでる若者に鼻で笑われますよ。
魂の年齢ってなんやね。
達観するのが年寄りの特徴なのかな
私の周りの年寄りは経験豊富でケチで、
人の言うことを聞かんで、子供がえりしてましたわ。
あと輪廻を越えるとかいう仏陀もびっくりな所業をなさる方がおるという笑
とても楽しくて愉快なスレです。
世の中には色々なものの見方をする方々がおるんやなぁと、
楽しく拝見させて頂いています。
人の行いを笑うものではない、
人の可愛らしさに微笑ましくなってるんです、失礼をm(_ _)m 前にいた老年期スレ欲しいって人もういないのかな
まったりできる専スレ欲しい >>455
欲しい欲しい。
まったり出来る5chって可能なの? どうせすぐ『お前は老年期じゃないだろ』とかの老年期判定スレになるから止めとけ
そんなに神格化するようなものでもないのに老年期なんて
ただの社会不適合の糞期だぞ 社会不適合の糞期、ワロタw
ほんとそう思う。話が合う人が減っていって
人と接するのに相手と合わせようとして疲れてしまう
結局ひとりが一番落ち着くことに気づいてどんどん人里離れて行く 見下してるつもりはないんだけど、自分の概念を取っ払えば取っ払う程、周囲が変な空気になって辛くなる。
他人を罵倒したり、他人のものを見て話題にしたり、大事なものを放置してたり。
見栄張ったり、自慢したり。
それを見るのがすごくしんどいし、そういうこともあると理解しようとしても分からなくて辛い。
1人でいたくてたまらない。 >>461
なんでそんなのを見てるだけなのにしんどくなるの? >>462
そういう人のエネルギー?みたいなのが、ピュンと飛んでくるときがあったり、視界に入るか入らないかのところにチラチラしたりするんだ。
つい気になってそっちを向くと、そういったはなし すまん、途中であげてしまった。
気になって振り向くと、ここぞとばかりに話されたりする。
うまくスルーする方法はないんだろうか >>464
464さんの霊格を上げたら気にならなくなるよ。
私も5年ほど前、凄く嫌な気分になっていたんだけど、自分の霊格が上がるにつれて「お母さんの愛」みたいな視線で見られるようになったよ。
子供同士の喧嘩を見るような。。
上から目線なのではなく、若さ故の喧嘩や揉め事、嫉妬や妬みには全て意味があって幸せを感じられる様になる為には必須なんだよね。
成長にはその人のタイミング等がるから「今はそう思ってても大丈夫だよ。」って見守ってあげる気持ちになれたら楽だよ。 大人しい人の中にもつけこまれやすい人と、慕われる人がいるけど
両者の違いは他者への愛の有無なのかも
自分も461さんと似たような状況で、マウンティング合戦や利害のみの付き合い
を察知すると辛くなって人と会うのが嫌になる
個人的には>>37にある「無条件の自己受容と他者受容」
それから>>41にある「自己愛に関する強い自己カルマ」
この学びに取り組みたいけど、気が遠くなるほど難しいものだとも感じてる >>465
相手によってはそれができるんだよね
それは感じのいい相手だったり子供っぽい嫌味のない人が相手の時
でもあまりよく思っていない相手や自分の気にしている部分をを突かれたとき
そういった状況になると、もうダメ
怒りが抑圧されて相手を憎み続ける >>465
直接受け止めるんじゃなく、俯瞰するイメージかな?
それなら何となく出来そうだ。
少しずつ霊格が落ちてきている気がしてたんだ。
それもある人の怒りを理不尽に受けてからで、体調も崩したし口も悪くなった。
それで最近少しずつ上げ直そうと思ったら、そういうのに捕まるようになったという。 >>467
気持ち、すごく分かる。
憎んでも仕方ないと分かってるけど、振り上げた拳は止まらないんだよね。
何とか止めたいけど、解消されないとグズグズの傷で治りにくい。 mbtiっていう性格診断でも大体どの年代か測れるね >>466
無条件の自己受容と他者受容、自己愛に対する強い自己カルマ。
その2つはどちらも、真我の自分に目覚めることで達成することができる。
自我を消滅し真我に目覚め真我で生きることは、霊的巡礼者は必ず通らねばならない道。
それがキリストの道でありブッダの道であり神の道である。
そしてそれは瞑想によって達成される。
普通の生活で真我を開くとなると相当な苦難や悲しみを通してしか開かれないが、
瞑想によってならそれら苦難や悲しみを必要とせず開くことができる。
自我を消滅したらな自己カルマを消滅したということ。
なのでもうカルマが残っておらずもう転生の必要がないので、来世生まれ変わることはない。
それが悟りということ。老年期最終段階に近い魂は自我の消滅と真我が開く体験を必要とする。 >>472
ちょっと前の私なら理解出来なかっただろうなー
私は瞑想じゃなく苦難や哀しみだったけどw
まだまだ修行中だけどね。最終難関、毒親への赦しが待ってたw 瞑想やるならムージの動画みるといい。
youtubeでムージと検索したら出てくる。
現代に生きる数少ない覚者が瞑想や真我について真理を語ってくれてる。
瞑想をリラックスの手段としてじゃなく、真我探求のために行う人は見るといい。 最近どうあがいても自分は幼児期の魂なんだなと思わざるおえない悲しさww 俺なんか成人期〜老年期からなかなか抜け出せなくて地獄だわ
幼年期ってことは社会にはフィットできてるんだろ?
俺は完全に詰んでるわ
いつ首吊るかその瞬間を待ってるだけの人生 >>476
ここに来てる時点で幼児期でない気がするのは気のせいか? >>478
でも親から自分で考えろとか言われるんよね
自分の意見がないとか
今一応精神病院通ってるけど自分では病気と思ってない
先生に自分の意思が出てきたなーとか言われるようにはなってきたことあるけど
最近は自分がないなーって言われる
そう言われてる時点で幼児期ではないのかな?
子供のころは確かに自分で考えるとかそういうのはできてた気がするけど
かたくなとは言われるから幼児期としか思えん 誰か診断できる人おらへんかな?
まあこんなに自分の年代気にしてる時点で低いほうだと思うけど あーでも去年あたりからぞろ目のナンバー気になりだしたことはあるな
精神病院から帰るときに2525連続で7個くらい見たことあるし なんか恥ずかしくなってきた...
なんでもないです、流して >>479
ガチの精神病の人は、自分は病気じゃないと言うんだよ
そのまま通ってね
幼児期だから未熟とか老年期だから偉いとか、カテゴリ分けは意味がないよ
すべては同時に起っているから
ただみんな、自ら割り振った役割を担っているだけ
死にたい言う人も、死にたいと思いたいから、そのような人生を選択している >>483
ありがとうございます
やっぱり病気と思えないけど、今ちょっと流されようって感じで通ってる感じです
通い続けます >>484
今 話題のエンパスなんじゃないですか?
病気じゃないけど、病気と診断されてしまうという。検索してみると多いですよ?それで悩むひと。 エンパス体質って自分がないひとが多くて他人と自分の境界線が無いひとらしいですよ?
他人の考えてることがなんとなくわかったり
流されやすかったりして生きづらいらしいです。 エンパス体質って自分がないひとが多くて他人と自分の境界線が無いひとらしいですよ?
他人の考えてることがなんとなくわかったり
流されやすかったりして生きづらいらしいです。 >>484
僕的に別のことが原因だと思ってるんです
病気っていうか、あまり人に理解されないけど
あることをしてしまってそれが原因だと思ってるんですけど
理解者が一人二人しかいなくて
たぶんエンパスでもないかと
それに人間関係にも関わらないから かといって老年期なんてことも絶対ないし
普通に幼児期の理解されがたい症状を持った普通の人ですよ、うん 普通に成人期や老年期だと思いたいだけのしがない幼児期の魂です
あんまそう思いたくないけど
ちなみに、ちょっと数秘とかで研究しちゃって、それを魂の年齢に当てはめてみたんですけど
ちょっと合点がいくような結果になりまして
話してみたらたぶん違う意見が出るかもしれないんですけど >>488
原因がわかってるなら対処法もわかるかもしれませんよね?、
理解者がいるなら ひとりで悩むこともないですね、瞑想はお勧めしますよ。ちゃんと習いに通ったら病気改善しますよ。これは本当にお勧めします。 >>489
自分で納得するのが一番です。
ひとの意見はひとの意見としてまずは自分で納得するのが一番。 所詮この地球は青年期の星
アセンションで成人期に移行しつつあるとは言え、まだまだ青年期の支配する星である
自分は成人期〜老年期なのでこの地球という惑星の文明社会にフィットさせて生きていくのは難しい
成人期なら成人期らしく生きていくだけだ 魂が幼い人の見分け方教えてあげる。
意識無意識にせよ真似する人は魂が幼い。仕草、言動、趣味嗜好とか。
これは信念がなく依存度が高いからすぐ人の真似してしまう。
子供をみてもわかるでしょ、子供はすぐ真似するよね。
成熟した大人の魂になるほど、信念や哲学を持つようになるし
人に合わせるよりも自分がどうあるべきかを慎重に洞察するので
安易に人の言動を真似したりしない。 >>469
抑圧もよくないのかな
他人を大事にするように自分も大事にしなきゃ
だめなのかなと最近思うようになった
ただその怒りが自己愛からくるものなのか
相手の悪意に対するものなのか測りかねてる >>472
>無条件の自己受容と他者受容、自己愛に対する強い自己カルマ。
この部分どこから取り掛かろうか混乱してたけどどれも自我に通じるね
ただ自分は老年期じゃないので自我を完璧に消すことは難しいと思う
自我を自我であると認識しながら、それも受容したうえで真我を思い出すという形が
目指す方向な気がしてるけど
いずれにしても瞑想挑戦してみる
ありがとう 自分が老年期じゃないと思う理由は他にもあって列挙してみる
>美味しい食事やワイン、友達づきあいが大好きで、
>企業の世界でスーツを着、ネクタイを締めて働くくらいなら、貧乏をして請求書
>に追われているほうがマシだと考えます。
>それにもかかわらず、現実には、彼らは他のどの年代の魂の人よりも成功し、
>莫大な財産を築くのです。
>それぞれの状況下で、どの性格を発揮するか、自分の本質と偽の人格の
>いずれに基づいて行動するかを選べるのです。
>そのおかげで、老年期の魂たちは、実に柔軟で多彩な態度をとることができます。
>乳児期や幼児期、若年期の魂が、偽の人格に振り回されて生きているのとは対照的です。
>世才がある。 つまり金銭的な成功や地位の獲得なんてやろうと思えば
やれちゃうわけだよね 散々経験してきたわけだから
そのうえで、あえてそれをしない選択もあるだろうし、競争せず誰も傷つけない
独自のやり方でそれを獲得(というか向こうからやってくる)するかの2パターンが
あると思うんだけど、自分にそれができるかというとやっぱり無理 >>495
それ老年期に移行する段階にみんなそうなるんじゃね?
若年期や幼年期の羨ましいとか、自分も真似してみるとか、を過ぎて自分の在り方を見つけていくみたいな。
魂の年齢と実年齢は別物だけど、自然と年取って行っちゃうのと同じで魂も自然と見聞きしているうちに老年期になる気がするよ。
実年齢もどうやったら年取れるかなんて考えないのと一緒で今この位だからこの感情なのかもなぁ。くらいで良いんじゃない?
いずれにしても今の自分を受け入れてあげる事をオススメするよ。子供なんだからしょうがないじゃない!!って。
背伸びしたって、背伸びしてる自分は本当の自分じゃない訳だし。 自我を100%消すって不可能な気がする
完全に俗世を断ってどこかに篭って生きてくなら可能だけど
社会に混じりながらではほぼ不可能 463です。
皆さん、ヒントを沢山ありがとう。
昨日一日で大分整理できた。
MBTIも非常によく助かった。
自分を知り、他人を知ることで、境界線を引ける。
今は別の個体、いつかは戻るけども、主観で知れないことも別の目で見れば新しい。
だからこそバラバラになったんだと思ったら、とても素晴らしく特別だと感じた。
自我は消えない、生きている限り自分だから。
生まれ出る感情は許容する、自分に嫌悪することなく、奢ることもなく、ただ眺める。
眺めた先は何があるのか分からないけど、今はこれでいいんだと思う。 瞑想してる人はわかると思うけど、自我とは思考なんだよね。
思考が自分という概念をこしらえてるわけで。
思考が止まると、その瞬間は自我が消えて真我が現れる。
現れるというよりも、隠れていた本質の意識が目覚めるという感じか。
瞑想中は思考が止まり真我でいられるけど、普段の生活では難しい。
そこでヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスが人気なわけ。それらは日常生活で瞑想できるから。
エックハルトトールのいう、今ここ、を意識して生活するわけ。
今ここを感じる練習をしていくと、しだいに今ここにいられる時間が増えてくる。
つまりそれは真我でいられてる状態といえる。 今ここ、ということは乳児期を思い出すみたいな感覚なのかな
そう考えると乳児期はある意味真我に近い(部分もある)と解釈できて面白い
成長するにつれて真我から離れていき、そこから汚れを落としていって洗練された
形で最初に戻るみたいな 背伸びというのは本当にその通りで
高い理想ばかり追ってしまい辛くなる、の繰り返し
現時点での自分(他者も)を受け入れることを目指してみるよ
最近特にしんどかったので気が楽になった
ありがとう
みんなバラバラだからこそ新しい視点をもらえるんだね 地に足をつけろとか、グラウンディングを強化しろとか言われる事も多いけど、
成人期以降の人が、若年〜青年期の価値観で動いてる社会に適合するのは難儀な話だと思います。
無理に社会に合わせるよりも、自分の目標(霊性の向上など)にフォーカスした方が良いんじゃないのでしょうか。
マイノリティである以上、何をやっても社会の多数から評価される事は難しいですし、
自分の目標にとって必要だと思った時に、満を辞して社会に出たら良いと思います。
宮沢賢治も、生きている内は評価され無かったですし。
自分は成人期に入ってから、ハートチャクラが開く事でエンパスが強化され、
人や職場の低いエネルギーから心身にダメージを受ける事が多くなりました。
満員電車での通勤や、攻撃的なエネルギーを向けられ続ける事で、自死寸前まで行きました。
今はサナギとなり、社会の春(成人期の人達の増加)を待って蝶になる事で良いかと思ってます。 社会の春が待ち遠しいな
でも成人期、老年期に入るのって霊的成長の一環としてか
日常生活でかなりしんどいことあるよね
耐えきれず自ら死を選ぶ人も今より増えそう
自分はなんとか乗り越えて今があるけど、一時期は危なかった
生きようってちゃんと意識していないと息するのやめちゃいそうなくらいに
ここのみんなはどうだったんだろう
その頃思えば今は天国だけど、ひとりでいるのちょっと飽きてきたw >>505
家族が居ても 彼氏彼女が居ても 基本 みんな内心は孤独だと思ってると思うよ。分離を体感したいから人間してるんだから。
死にたい気持ちがどんなのかだって貴重な体験なのさ、 霊格レベルも良いけど
俺はチン格のレベルを上げたい >>505
日本の自殺者数アベレージ3万ずっと続いてるな
これからも減ることは当分無いだろう
言っても高齢者の病苦による自殺が殆どだけどな
延命治療と安楽死(尊厳死)を考え直したほうがいいな日本は ひとは何故悟りたいかっていうと永遠の命を終わらせたいからなんだよね、永遠の命は地獄なんだよね、輪廻は地獄、だから生きてる時に悟って、死ぬ時に無になりたいんだよ。 あなたに存在する私という意識は睡眠中も夢の中で存在し、
死後もずっと存在しつづける。肉体は80年程度しか続かないけど、
あなたの本当の姿である意識は何億年前から存在しており、何億年後も存在し続ける。
永遠に存在し続ける。けして私という意識が途切れることはない。
途切れる瞬間は一瞬として存在しない。
その私という感覚のあるこの意識を魂と言ってもいい。
魂というとなんかオーブみたいな現実味のない感じだけど、ちがう。
魂つまり意識は今肉体に入って世界を認識してる以上に鮮明でリアルに世界を知覚する。
あなたは今現在、肉体に入りながらほとんどの瞬間を肉体を忘れて生活してるだろう。
鏡を見るとき以外はほとんどの瞬間を外の世界に意識を向けて生きてる。
それは魂の状態で生きることとほぼ何も変わらない。
そのあなたの本質である魂のレベルを上げることと、この世での数十年間の成功とどちらが大切か
どちらが重大事項か、子供でもわかること。 おれだって生きてるんだ、のおれ。
これ私なの?、の私。
自分だけかも、の自分。
この、あなたがあなたであると感じる自意識の部分。
これが私だ、これが自分だ、という感覚。
それがあなたの意識。本質。魂。
その魂のその自己を感じる意識というのは永遠。
死んでも永遠に続くもの。
自分は消えないんだよ。死んでも意識は消えないんだよ。意識だけは消えないんだ。
永遠に続くものだから。
この意識が大きくなることが魂の成長ということ。
自分はこの肉体というちっぽけな意識が、自分は全てである、という意識になるまで魂の成長は続く。 じつはあなたにあるこれが私であるというそのあなたの意識は、
ほかの人たちとまったく同じ意識であるということ。
そしてその意識は神とまったく同じということ。
つまりあなたと他人と神はすべて同じ意識を共有してる、ということ。
あなたと他人と神はすべて一つの意識でしかない。
どうやらこれが真理だ。悟りを開いた覚者たちは肉体を持ちながらこのことを体感した。
すべては一つ、ワンネスであると。自分は他人であり神であるという気づきを。
ただその感覚を体験するのは難しい。なぜなら人はこの肉体とこの思考を自分であると思い込んでしまっているから。
自分と他人の分離意識が生まれてしまっている。
そこで思考を止め肉体を弱らせれば、その感覚を体験できるんじゃないかと、
様々な苦行や修行が生まれた。 きちんと理解したいなら、インド哲学の学者が翻訳した哲学書を読んだほうが良い あなたは世界の中に自分が存在すると思っている。
でもほんとはあなたの中に世界が存在している。
子供の頃思ったことはないだろうか?世界は自分1人しか存在してなくてそれ以外はぜんぶ偽物なんじゃないか?という疑問。
じつはそれあながち間違ってない。
あなたが目をつむると世界は消える。つまり世界はあなたによって認識されているに過ぎない。
怒ってる相手、嫌いな相手、悲しんでる相手、を見て感じるのは自分でしかない。
魚が人間を見ても怒ってるか悲しんでるかなど感じない。
感じるというのは、こちら側にそれを感じ得る器があるから。
つまりあなたが世界をとおして、見ること、知ること、感じることができるのは
それらすべてがあなたの内面に存在するからであって、あなたなしには世界は認識されないつまり存在しない。
つまりあなたがいることによって初めて世界は存在することができる。
あなたの認識する世界と別の人の認識する世界が同じなら、その意識は同じということになる。
同じように世界を認識する意識は、つまり一つの意識ということ。
もしその意識を神と呼ぶなら、神は世界のすべてであり、あなた自身であり、他人であるということ。 >>521
長いなぁ、釈迦は涅槃なんだけど。
ここは空だけど意識の世界は次元が違うよ?
相対性なんだ。
生まれなかったらまた生まれてこれるし、ね。
自由意志があるんだよ、 >>522
生まれたかったら また生まれたいときに、
輪廻はね、自由意志が出来ないんだよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています