>>906
わたしは、この、意志が止まった時にある
外側の変化にこだわるべきでないのではないかと思い始めています
この視野の変化を、進めていくには、ふたたび再現しよう、維持しようという、意志が、そこに働いて、またもや苦しむからです
しかし一方で、この、苦しんでいる自己活動を、この地点から消失させていく意志的努力がいるのかも知れないとも感じるのです
ここで混乱してしまいますが、やはり、このような状態には固執しないことがノンデュアリティなのでしょう