個人的な見解を述べよう。

私は率直に言って、伝統的なアドヴァイタの教義や、
仏教の無常観には疑問を抱いている。

ブラフマーとマーヤーという対立軸。
煩悩即菩提と述べつつも、なお煩悩と菩提とを
切り分け優劣を付けようとする便宜的姿勢。

今、あなたもまた、眠りと目覚めとを別の世界のように
分けようとしてはいないかと私は感じている。

ある時間経過の中で、先ず苦に満たされた悪い状態があり、
さらにそれが滅尽された寂静の、より良い状態があるのだと見ること。

私はそうは思わない。存在とは、エネルギーの部分的な
凝集であり、部分的な滞留なのではないか?

実在とは、相対化された無だ。
それを無として見ても、有として見ても、実相は同じ。

ただ変化だけがあるのだ。光り輝く変化の太陽だけが、
私たちの精神には到底理解しえないような規模で、
時を越えて存在しているのだ。