【私はいない】ノンデュアリティ・ティーチャー総合2 [無断転載禁止]©2ch.net
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うちのハチは今まで、いろんな人や犬に噛みついてきました。
彼は自分が一番強くて偉いと思っているからです。だから、怖がりなのです。
今も、突然の大嵐におびえてなきわめき、やっと今、私の足元で疲れ果てて寝ています。
ハチにとって、私は神様かお母さんみたいなものでしょうが、
ほんとうの神様は光ですから、ハチも、私も光の子ですね。 みんなみんな同じ神の子、光の子なのに、この幻の世界ではなぜ戦いが起こるのでしょうか?
それは誰かより偉くなりたい、誰かを負かしたいと思うからですよね。
この世界の片隅には、慈しみあい、助け合っている人たちはたくさんいます。
私の住む街はこの世の天国です。
子どもたちは溌剌としていて元気です。朝は、おはようの挨拶に癒されます。
障害のある子どもたちも明るくて、みんなで助け合ってます。
最近の子どもたちはすばらしい進化を遂げているような気がします。 新しい女史きたよ。びこL.Wさん。やっぱり見栄え大事。次の大和田菜穂だな。1日で1万越え動画数 偉ぶったり、嫌がらせをしたり、
自分以外の人間を指図したり、
罵倒したりするのも、
すべてパーフェクト、すべパーなのですか ? >>140
びこさんのは具体的で詳細が細かいから
大和田菜穂の話はワンネスではないね、アースワンだ。とにかく観てみなよ びこさんのyoutubeのタイトル見たけどお子様向けじゃん。
あと、naoさんの方が美しいです。 中身を批評できるような知能が無いのでは?
つまり>>144の頭のレベルがお子様 わたくしは 目覚めています
妄想、幻想の中に住みつづける哀れなオマイラは
消滅しなさい。 アホ! いつもある精神統一
つまり
変わらない愛だけがあるのです
すべパーなので他人を小バカにしても、他人を指図しても、よいのです いったでしょ
あんたら 何もわかってない お馬鹿さんだから
教えてやってるの わたくしは
目覚めた熟睡(深い平安)
にいるのです
ですから嫌がらせをし続けても すべパー なのです わたくしが 強がっているように見えるなら
あなたたちの目が歪んでいるのです
わたくしが 威張っているように見えるなら
あなたたちの目が汚れているのです 静かにしようと一人でする必要はないのです
いつも精神統一はあるからです
怒りまくり、罵倒しまくり、騒いでればいいのです
それがハートです わたくしは 元の名前が
のぶちゃんであったことを忘れてしまいました
わたくしの本当ね名は
いつもある精神統一だったのです わたくしは インターネット依存症ではない
わたくしは 統合失調症でも発達障害でもない
わたくしは いつもある精神統一なのである 最終姿勢
精神統一は個人的なものではない
それがわかっていれば
個人的に精神統一をする必要はない
ハートが指導するから おれを馬鹿にするなよ
反論したらただじゃおかないからな
わたくしは いつもある精神統一なのである !!! わたくしが
一日に何十回も 書き込んだり、他人のブログに殴り込んでも
すべパーなのです
愛からの衝動なのである すべパーなのです
シナリオ通りなのです
愛からの衝動なのです
ハートの指導なのです
ですから わたくしは
人が嫌がることを平気でつづけているのである ありがとうございます
うれしいです
すべパーですよね 一つ思い出したことをかきます
奇跡のコースのワークブックの後半をやっていたころ
ある介護のお客様の送迎をさせていただいていました
その方のお部屋に(体調がわるいとき)連れてはいったとき
36不動尊の掛軸(かけじく)が飾られていました
*巡礼でご朱印を36枚あつめ、不動尊の背景に貼ってつくる掛軸のことです
そのとき不思議な因縁を感じました
その方は近畿ではなく
四国36ヵ所不動尊を巡礼されたそうです
今おもえば
因縁というより
恩寵がはたらいてくれていたのだと思います
聖霊は様々なかたちで働きかけてくれていて
そして自分のものだと思っているささやかな意欲(基盤に気づきたいという)
もあたえてくれています
だから
努力がおこるとき
それは夢のなかで自然に意欲とともに「起こるのですが」
それは私が起こしているのではないということです
波が起こるときもそうですし
波がしずむ
ことが起こるときもそうです
意欲を起こしというより
起きてきたというほうが正確なのではないでしょうか
行きも
帰りも
では自由意志はないのでしょうか
いえ
自由意志であるものがすでに
起きているのです 冬のソナタというドラマでは
18話に
あたるかもしれませんね
BS11の冬のソナタの再放送で
ちょうど18話が昨日あり録画を今朝見ていました(久しぶりに今朝見たら今朝のコメントとシンクロで
18話を見たことは
すべパーでしたね)
これは愛の邂逅の象徴としてあくまで参考ですけれど。
これは分離していなかったという記憶と関係しているのです
私の人生は平凡です^^
旅行ももう10年くらいしてません 新海誠 監督の「言の葉の庭」
を返却してきました
夕方の送迎がなぜか
今日とても遅かったため
時間があいたからです
新海誠さんの「雲のむこう、約束の場所」をもう一度見ることに導かれたような気がしたので、かわりにレンタルしました
そのあと送迎がおわり
ヘルパー会議の予定がはいったので
夜に家に帰ってきました
(これもまた象徴的な出来事です。
あたたかい交流があり夕食をいただいてきました
)
それからすぐ
そのレンタルした映画を見ました
そして今見終わりました
なぜ白いPLの塔が遠くにみえる‘河内長野’に生まれ
やがてPLの塔のあしもとに住むことになったのか
すべて象徴的な意味する ことが
新海誠さんの映画によって
明らかになりました
目覚めのためです 映画にでてくる
湖・背景の雪山という象徴
湖はあたたかい‘ハート’を示す
‘ハート’にもどる前は
雪山はこの世界の厳しさをあらわします
しかし同時に白い雪山は
‘ハート’をくぐったら
‘ハート’がとけたあとの
抽象世界(愛)をあらわします
つまり
‘ハート’(湖):わたしたちの絆
そして
‘ハート’よりも基盤であるのは
抽象(愛:無条件:神)
だということです 旅のおわりに夕陽が沈む風景
夕陽がすべての景色
を夕陽の色に染めあげる
多彩に
見えていた景色
は
すべて夕陽色に染まる
つまり
旅の終わりにみる風景は
存在するすべては
愛(いしき)のみであったこと。
存在も存在の夢(遊び)もすべてパーフェクトであったこと
一者がすべてを動かしていたこと(オートマチック)
の真実をしることになる 荒らしに乗っ取られてしまったな、このスレ
まあ嫌がらせするのがコイツの目的だって白状してるので
反応しない方が良いかもだが
ただやってることは連投荒らしなんで、運営に通報されることも考えおいてくれ こいつは荒らしじゃない
「阿部敏朗」とか「真我なるハート」とかあちらこちらに書き込んでる真性のキチガイ。宗教精神病だよ。 セレンディーのメルマガ登録してたのを忘れてたが、かなり久しぶりにメールが届いた。限定10名個人セッション、13万5千円。10名で135万か。限定10名なんて言っておいて何名でも引き受けるんだろ。細木とか、野村サッチーとか、デヴィとかのイメージ。胡散臭い。 (すべてパーフェクトである理解)
白い塔のもとへ引っ越しして新しいテレビで最初に見たのが
新しい靴を買わなくちゃ
というフランスが舞台の映画でした
これはもう1つのことを意味しています
*エッフェル塔
PL塔:白い塔:抽象
です
不動の象徴として
ヒロインがこころの支えとしていた塔です
悟りへの路はすべてはパーフェクトにすすんでいるのです ちなみに 新しい靴を買わなくちゃ という映画では 塔のラストの撮影シーンのほかに 川をながれていきながら 舟で塔をながめるシーンがあります
(ともに とてもすてきなシーンです)
映画では 塔はPLの白い塔のように抽象(愛:祈り)を意味するのです
8月1日になる直前 月末に 北海道の海のちかく
北朝鮮のミサイル(実験) が落下しましたが
その後の 8月のはじめの朝日新聞のニュースで ミサイルと フランスの航空機との ニアミスがあったことが報じられました
これも偶然ではないと思います
ミサイルというのは 象徴であり 最終兵器彼女という映画 では この世の想い(私という想い)が神へと帰還したがっている
愛への呼びかけと聖霊は愛とともにみます
それが エッフェル塔(愛という抽象)を象徴としている フランスの航空機と
ニアミスを犯したのは ひとつの象徴だとおもわれます
ミサイルは航空機を破壊することはなく
海(自然)へとおちました
これは 赦し(:帰還)の力によるもの
すなわち ミサイルは象徴としては 海(:愛:自然)に吸収されました。
いつもある精神統一です。 白い塔のもとへの引っ越しのはじまりから
引っ越しの完了までのあいだ
ご紹介したすべパー映画には
次のようなものがあります
「新しい靴を買わなくちゃ」*フランスが舞台(日本映画)
「北のカナリヤたち」*北海道が舞台
(吉永小百合ほか主演)
「思い出のマーニー」*北海道が舞台
(日本アニメーション映画)
「じんじん」*北海道が舞台
(2013年・日本映画・山田大樹監督)
「旅の贈りもの 明日へ」*福井が舞台
(前川 清 ほか主演)
「君の名は。」
*岐阜県?が舞台が舞台(信州〜大阪の中間) 湖‘ハート’の段階
(日本映画アニメーション。新海誠 監督)
「言の葉の庭」*靴職人・‘ハート’における癒しがテーマ *同時に水はエッフェルの塔と同じく抽象をあらわす
(日本映画アニメーション。新海誠 監督)
です 。 わたくしは元の名前が
のぶちゃんであることを忘れてしまいました
本当の名前は いつもある精神統一であると思い出したのです
つまり覚者です
何でも質問しなさい わたくしは
あらゆる概念から 解放されているのです
by いつもある精神統一 >>177
のぶちゃん びこさんのライブに質問してなかった?半信半疑で、でも興味本位で来てるでしょって当てられてたやんな。のぶちゃんアピール凄かった、おまえやなたぶん。 お前、こいつの病気を知らんの?
何度でも復活するよ >>181
笑えるくらい普通な質問してたで、笑笑
のぶちゃん 頭オカシイふりしてるんよ、笑 のぶちゃんは
「みにくいアヒルの子」ではなかったのです
のぶちゃんは
「偉大な美しい白鳥」だったのです つまり
のぶちゃん
は
存在していないのです
いつもある精神統一が
本当の名前なのです 目覚めなくていいんやで
目覚める個人はいない
いつも すべパーなんや ジュンコさんの新動画、いまいちだったな...
また次に期待。 期待も 要求も 比較も
すべて幻想やで
じゅんこちゃんも太郎くんも 誰もいないんや
空間も時間も あらへん
それ それだけや 夢がすべてパーフェクトであることを宣伝しているのは
いつもある精神統一への信頼をとりもどす方便にすぎません
ほんらいは
いつも精神統一があることに気づけるようになる 映画シリーズ(厳選版ではなく最短版)だけでかまわないと思っています
トロン・ レガシー
イフ・アイ・ステイ 愛が還る場所
冷静と情熱のあいだ
そのときは彼によろしく
最終兵器彼女(アニメーションではなくて、特撮映画のほうを観てください。前田亜季さんほか主演。)
これだけ紹介すればじつはそれで十分だと思います 今朝
引っ越しの荷物で
自室の机に置く小物を整理してだしていたら
昔(20代後半のころ)
大阪の心斎橋にある
「ワールドメイト」(深見東洲さん代表)
の支部の一階にあるお店で
深見東洲さんの絵葉書を一枚買ったことがありましたが、それを机にだしました *ワールドメイトに所属したことはありませんでしたが、
救霊を受けたことがあったので
(そのとき救霊してくださったワールドメイトの救霊師の方との出会いは奇跡でした。なぜなら河内長野に住んでいた頃、中古の本屋さんで買った深見東洲さんの本のなかに、
忘れ物の写真がはさまれていて、それはおそらく関西国際空港での待合室での女性の姿でしたが、まさにその方が救霊師として支部におられ、救霊してくださったからです。) 今朝みた絵葉書は
その支部の一階に売っていた絵葉書で
最初に富田林の藤沢台
に引っ越してから
自室の机にずっと飾っていたものだったのです
買ったその当時の印象は その絵葉書の絵は
山々を背景とした川のような絵で、川のなかに白い神さまのような存在が泳いでいるようにみえる絵でした
今朝 その絵葉書の隅っこの小さな文字の説明
をはじめてよんでみました 深見東洲さんが大好きな オーストラリア連邦のニュージーランドのワカティプ湖を 深見東洲さんが描いた絵葉書でした
ワカティプ湖とは
ニュージーランド南島のオタゴ地方の内陸、ワカティプ湖畔に面した町である。
周囲の山々に囲まれたその美しさが「ヴィクトリア女王にふさわしい」と名づけられたことに由来する。世界的に有名な観光・保養地である。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%97%E6%B9%96%E3%81%A
8%E9%9B%AA%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9&hl=ja&source=and
roid-unknown&prmd=mivn&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj36sXxnsvVAhWIjLwKHV4uA6AQ_AUICygC#imgrc=0rXKbHpRosLBSM:
運命の糸がまた一つ明らかになりました
すべての運命はつながっているんですね ちなみに
なぜ救霊師は、本にはさまれていた写真のなかで関西国際空港?にいたのでしょうか
それは私が母親と北海道やイタリアをはじめとした旅行(すべて関西国際空港から飛行機に搭乗しました)に行くことを予言していたのです
そして
すべパー映画である
『最終兵器彼女』や『冷静と情熱のあいだ』の映画を観ることになることも。 当然
救霊師の方もそのことをしりません
偉大なる神の計画なのです いつもある精神統一と似て*非なるもの
‘私’はいないと
探して居なかったことに安心しているのは ‘わたし’である (探求エナジー)
これは大和田菜穂さんも本でいってることである
おそらくそれは 個人に近いレベルの‘私’はなかったという探求の成果であり
非個人的レベルの‘わたし’はいない というものではない
非個人的レベルの‘わたし’(探求エナジー)がいないとわかるのは
いつもある精神統一・愛である
それは努力とは関係なく存在できるものである しかし 努力とは関係なく存在できるものである
とかくと では努力しないようにしようという
‘わたし’を信じる場合がある
努力しないようにする‘わたし’はいないのである
努力‘わたし’はいないのである
あらためてコントロールする ‘わたし’はいないのである
すでにコントロールはあるのである
いつもある精神統一
あるいは
いつもあるコントロール
(夢の場合は)
があるのである すでに ではなく いつもある
という書きかたをなぜするのかというと
すでには 正しいのだが
それを読む人のなかに
‘じぶん’で読む人がいて
じゃあ すでにだから もどらなくちゃならないと レベルの混同をするからである
レベルは存在しないというのが要点なのだが それを読みそこなうので
いつも と かいているのである
すでに も いつも も正しい
それは努力とは関係ないからである
だが すでに の意味は いつも である もどる ととらえつづけると (努力)自分という錯覚の非実在の立場を維持することとなる
わざわざそこからやりつづける必要はない
そこは非実在である そして想いは夢のなかでは‘起こる’ ものだから
じぶんでしてるのではないから じぶん‘わたし’も じぶんで起こしてるものではないから
(じゅんころさんのいうように)
それを とめようとしないことである
日中は いつも精神統一があることに気づいていれば十分である
それが 通り過ぎるものであれ という意味である
催眠‘わたし’がコントロールをしてる
がなければ十分なのである
(いつも精神統一があることに気づいてる) パパジが覚醒の炎で述べているように ジーバンムクタ(最終解脱) は真我を決して忘れたりすることのない状態だといわれている
‘じぶん’がコントロールしなければならないとおもってると 忘れてることは確実である(初心者・中級者の場合)
実例でいえば たとえば朝おきて 悟りの動画を見ようとか したりしている時点で ‘わたし’(探求エナジー)がしているのである
?朝起きて ということ自体 休んでいた自我と一体化して 寝て起きた ということである
起きる‘夢’と一体化していくら修行しても(夢のなかでいくら修行しても)
催眠自体はとけていない
もちろん 催眠自体がとけるまでは 必要な夢の修行である
それに 催眠がとけても
起きることはかわらないのである
しかし催眠がとけているかどうかで 通りすぎるものであれ となっているかどうか すなわち いつもある精神統一・コントロール があることに気づいているかで
癒し・あるいは最終的な目覚めも決まることになる 人生って不思議ですね
私の父(方)のルーツは富山です(長野県から引っ越したため)
なので富山県が舞台の映画には興味がひかれます。
TSUTAYA(レンタル店)で新作でしたが一週間レンタル可能なDVDでしたので借りて観ました。
みてよかったと思います(あくまで僕の個人的関心です)。 今回の富山などなどが舞台の映画は
「カノン」という映画です
https://g.co/kgs/EfvzBa
すでに一緒に借りた
映画「千年女優」
はご紹介しておきました。
そのあとにみた作品です
このカノンという映画は
一応紹介はしますが
おすすめしてるわけではありません。
もし関心があればどこかで観てください
この映画には途中で
「三日市」というわたくし個人のkeyword
があらわれてきましたので
学ぶことがまだあるためにめぐりあった作品だと感じて観ました
覚えておいででしょうか
大学のとき親友に彼女ができ、
それを縁として
親友とわかれることになり探求にはいっていった話を。
親友の彼女も私も
河内長野の「三日市」出身だったということ
を
三日市なんて町名どこにでもありますが
わたくしのすべパー世界では
偶然をそのようにはみません
この世界に
偶然はないからです
すべて学ぶ意味(タイミング)があるというわけです
ですから
この映画はおすすめはしていません
が
すべパー映画
として
^^一応紹介しておきます
いい映画でした♪
https://www.youtube.com/watch?v=4mpxxOpdLro&sns=em 北朝鮮のミサイル発射(実験)が 8月1日(自由の花火)の直前の頃 この世界の北海道の海に 無事になぜ落ちたのかについて
もう1つの説明をかいていませんでした
それは 北海道は自由の象徴ですが アメリカ大陸を意味しているからです
その1つの理由は アメリカは自由の象徴だからです(*実際に自由の国であるといってるわけではありません)
そしてミサイル発射実験の際に フランスの航空機の話があらわれましたが
フランスがでてくるもう1つの理由は、エッフェル塔の理由だけではなく
アメリカに自由の女神を贈った国だからです
なぜ 象徴的出来事として 北朝鮮が(牽制として)射ちたがっているアメリカと北海道が関係しているかというと
そのように必然的関係だったからです
それは 日本地図と世界地図がシンクロをしているからです
日本の地図を 回転させて 水平的にみてみると 九州は アフリカの大陸をさし
四国は オーストラリア大陸をさしています
山口から青森 は ユーラシア大陸をさします
北海道は アメリカ大陸 となっています
次に 北朝鮮がミサイル発射実験を行う予定があるとニュースで昨日も報じられていますが
それは 島根県などを通過する予定であると報じられています
それは 日本地図を横にした場合 ユーラシア大陸の北西 つまり北欧
「アナとオットー」の映画の舞台となります
島根(ユーラシア大陸の西方の北側)は 映画では 抽象のもう1つの象徴であり
北欧 「アナとオットー」 「砂時計」「瞬 またたき」の映画と関係しているのです
以上です コメントをよんでいながら自分の方はなんにもシェアしようとしないのは
態度として 矛盾をしていると思います
これはあくまで意見ですので なにも強制しようというじゃありません
ただなんかそうおもいませんか? と提示してるだけです いずれにしても私の仮説にたいするジャッジは
私にとってなんの関心もありませんし問題にもなりません
私は癒されているのである わたくしがシェアを引き続き行うかどうか は
8月15日にハートの意志によって決定されます 中身は少なくても、おしゃれでキラキラしてるのが
スピリチュアル的に効きそうで良いよネ〜 もがき苦しんでいる愚か者の皆さま、喜んで下さい
いつもある精神統一に
ファイナルアンサーも
ラストメッセージも
ないのです ! 今後も 富田林から
ハート(愛) のメッセージを
あなた方に与え続けます かんたんにいうと
全自動だったということです
脳は心臓と同じく
宇宙が動かしているのであり
心臓は全自動で
脳が全自動ではない
というのは分離の投影のジャッジにすぎません
脳も心臓と同じで全自動なのです
これは遊びの旅のはなしですが
さらに
かえりの旅もそうなのです
行きの旅だけが全自動で
帰りは全自動ではない
これもハートでなく分離の考えであり
催眠が恩寵によりとけるまでは
自分がやっていると思っています
しかし
すべて全自動(ひとつの意志しか存在しません)
なのです いつも精神統一があることに気づいたとき
私
と私の世界
はとけさる
そのとき
一者
が実在し
遊びと目覚めという夢は自然(実在)から自然におこる、オートマチックの夢であることもしる
実在は変わらない愛です 富田林のTSUTAYAは聖地である
わかってない愚か者は
富田林のTSUTAYAを巡礼すべきであるのである 何もわかってない
愚かな皆さん
頭は 大丈夫ですか わたくしの 探求は 終わったのです
勘違いしている愚か者に
わからせてあげることが
ハートの衝動なのです 神業です
富田林のTSUTAYAと同じ敷地にあるパン屋で
店員の若い女性と目が合いました
神の 偉大な計画だったのです まさに神業です 父親がわたくしたち母子をすてて 家を出ていったことも
神の 偉大な計画だったのです まさに神業です わたくしが 嫌がらせを続け
わたくし以外の全ての人々から嫌われ 無視されているのも
神の 偉大な計画だったのです
まさに神業です わたくしが
河内長野から 富田林に
引っ越し PLの白い塔に
近づいてきたのも
神の偉大な計画だったのです
まさに神業です いつも 「これでいい」と安心してればいいのである
これは すべてが今のなかの自動的な動きである
というのと同じことである
永遠の今(いつもある精神統一)のなかの自動的動きである
ということである
すべては 自然から自然におきていることなのだ
だから
「これでいいのである」 だから わたくしが
一方的に コメントしつづけているのも
これでいいのである
これでいいのである
これでいいのである さて わたくしは 先日
PLの塔の足元に引っ越したあと
自宅の家具を買い足すため お店に行ったとき 古本屋で 冬のソナタの 二人の脚本家が書いた
「もうひとつの冬のソナタ (チュンサンとユジンのそれから)」 という本をみつけ あれから読みました
そして その日に図書館で 次の音楽CDを借りにいきました
すると もう一枚の「冬の恋歌(ソナタ)」のCDをはじめて見つけました
以前借りたものは 冬のソナタだけが収録されたCDではなく ドラマのユン・ソクホ監督が冬のソナタの前に作ったドラマ「秋の童話」の音楽がまじったものでした
今回 目の前にあらわれたCDは冬のソナタだけが収録されたものでした
わたくしは My Memoryの歌詞と スミレの歌詞が好きです
スミレの歌詞の最後はこんな詩です
「あなたは微笑みながら私に言ったね 真夜中でも目覚めていたいと」 さて 今夜は
太陽に向かう街(PLの塔の近くの街)の盆踊りの日です
この記念すべき日に ハートの意志により メッセージが 再始動できることに感謝いたします
中学生の頃に 盆踊りの夜に 「無数の彗星」があらわれた漫画(孔雀王)
をよんだ記念すべき日ふたたびになりました
わたくしは
PLの花火芸術の日の直前にテレビのBSの11チャンネルで 冬のソナタの最終回を観ました
今回図書館で 冬のソナタのCDとともに 借りたもうひとつのCDは(CDは二枚借りれるので)
歌手の森山良子さんの
CDでした
その曲のなかに おどろくべき曲がありました
遠いむかし 幼稚園の頃に よく耳にしていて 曲の名前をしらなかったその曲だったのです
父(生き別れで今は明石に住んでいる)が 設計の仕事から自宅に帰ってきたとき 父がピアノでよく弾いていた曲です
それは Eternally〜エターナリー という(永遠という意味) チャップリン主演の映画 「ライムライト」
のテーマ曲だったのです
バレリーナに恋する道化師のお話です
ピアノ演奏『ライムライト』
https://www.youtube.com/watch?v=_8Cdravxdvw&sns=em
Eternally
唄
https://www.youtube.com/watch?v=aFVkUmKvQDQ&sns=em わたくしは、
自己正当化の塊である
他人はいつもまちがい
わたくしが正しい
これでいいのである
まさに神業です わたくしは
わたくしの正しさを
証明するために コメントをつづけているのです
まさに神業です コメントし続けていないと落ち着かないのである
不安なのである
静かにしなくていいのである
いつも精神統一はある 大和田さんの話は逃れることができない困難が将来に亘って続くかも知れない人取っては
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