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2016/11/24(木) 14:24:57.16ID:eirocpva聖霊に関する話になって来ていますね。
>光のシンボルとしての言でしょうか?
> 言は、光の横溢と理解しています。
>多彩な意味合いでの言、聖霊がしっくり来ます、確かに。
>聖霊が神からの霊で、悪霊が神に繋がらない霊ですよね。
そうですね、冒頭からわかることをみてみましょうか。
ヨハネによる福音書 冒頭 1章1〜5節
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
・・・・・
言が初めにある、神が初めにあったでなく。
けれども神と共にあり、神である。
@「神」も我々がことばにして言い表してこその「神」である。
「ことば」が先にあるということは、我々が言う「神」は
【言】のことなんだよ、と【初めに言があった】で宣言している。
A万物を成らしめているのは言である。
B言に宿っている命は【人間】を照らす光のことである。
万物ではなく、人間。
言は、万物を成し、言に宿る光(命)で人間を照らしている。
(人間が気が付かなくても、言の方から一方的に照らしている)
C言=光は暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解できない。
理解できないとありますから、霊的視力(聖霊次元)の事である。
言=光を、暗闇におれば理解できないのである。