>>32
聖霊に関する話になって来ていますね。

>光のシンボルとしての言でしょうか?
> 言は、光の横溢と理解しています。

>多彩な意味合いでの言、聖霊がしっくり来ます、確かに。
>聖霊が神からの霊で、悪霊が神に繋がらない霊ですよね。

そうですね、冒頭からわかることをみてみましょうか。

ヨハネによる福音書 冒頭 1章1〜5節

初めに言があった。

言は神と共にあった。

言は神であった。

この言は、初めに神と共にあった。

万物は言によって成った。

成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

言の内に命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇の中で輝いている。

暗闇は光を理解しなかった。

・・・・・

言が初めにある、神が初めにあったでなく。
けれども神と共にあり、神である。

@「神」も我々がことばにして言い表してこその「神」である。
  「ことば」が先にあるということは、我々が言う「神」は
  【言】のことなんだよ、と【初めに言があった】で宣言している。

A万物を成らしめているのは言である。

B言に宿っている命は【人間】を照らす光のことである。
 万物ではなく、人間。
 言は、万物を成し、言に宿る光(命)で人間を照らしている。
 (人間が気が付かなくても、言の方から一方的に照らしている)

C言=光は暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解できない。
 理解できないとありますから、霊的視力(聖霊次元)の事である。
 言=光を、暗闇におれば理解できないのである。