『豚』

ここで読み違えてはならない大事なことがあります。

ユダヤ教は豚はなんらかの事情で忌み嫌うという風習がある。

ギリシャ風の生活をしている人は、調理方法も知っており食していた。

この二つは、異なる文化の歴史経過を持っていると言うだけです。

5:11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。

5:12 霊はイエスに願って言った、
「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。

イエスが豚が穢れていると思って、けがれた霊をその中へ送り込もうとしたのでは
ないのです。

懇願に応じて豚の中に送り込んだのです。

ここを読み込めずに勘違いすると、豚に対する偏見が生じます。
行き過ぎると他民族差別にもなりかねません。

(豚に真珠というのは、見境のない欲望を諌めているのであって
肉欲に対するあくまでも譬えです)

レギオンとは、軍隊の一ケ師団です。
その土地で悲惨な様々な戦闘があり、苦しむ霊たちが地縛霊として
集団意識のように執着し、
一人の男に憑依したのではないか。

「豚の大群が飼ってあった」

よくわからぬままに命を奪い合い、最終自分の命も奪われた
兵士たちやその地域に暮らした人達の無念の集団意識は
太らされてその命を檻に閉じ込め食べられる豚とリンクし・・

人間に憑依できなくなると、動物に移動するしかない。

豚さんたちはお気の毒・・・けれど
「パンのみで生きるにあらず」
「豚のみで生きるにあらず」

豚はパンと同じで、
その日に限りの範囲で、多くの人々の肉の腹を満たす食糧のひとつに
なり活かされたかもしれませんし、
それも大切な事です。

しかし2000頭の豚は2000年の時をこえて
霊的領域で愛の物語を伝える活かされ方をしています。
イエスは一人の男を救っただけでなく、
豚とけがれに陥り悪と化した霊も永遠の命の道を歩んで
私たちの心を導き、生きています。