【イエス】 清く 正しく 美しく 【キリスト】二輪花 [無断転載禁止]©2ch.net
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・シャロン&アンさんが立てたスレが【一輪花】でこのスレは、それに続く【二輪花】です。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
マタイによる福音書:第11章28節
祈り合いましょう。
・シャロン・
キリスト教ではなく、悪霊、邪霊、地縛霊、浮遊霊
清められていない霊、汚れた霊、化け猫 など
ご自分の考えや、体験、宗教的観点
それぞれ思うところを、出し合い
どうすれば良いかの気付きに出会えるヒントに
できればと思います。
宗教の差別や偏見、脅しの話ではありませんので、
宗教的な観点を織り交ぜるとしても、個々人に立脚した提起
で話し合いましょう。
スレタイは、聞いたことがあるワンフレーズだと思いますが、
この曲の、的確な表現は、
安全地帯、玉木氏作詞作曲の唄であり、
私は3日前まで知りませんでした。
【何もできなくなってしまった時】清く 正しく 美しく
とあります。
この歌いいぞ!!魂が揺すぶられる!!
玉置浩二 清く 正しく 美しく
動画リンク[YouTube]
※私はアンのHNを使う事にいたします。
■実践や体験、体的なものに基かない机上の空論は、スレの趣旨に反します
■一日数レスでもいいじゃないか!堅実なやり取りをしましょう。 ありがとうございます。太郎冠者さん。
前スレでの話をまず貼っておきたいと思います。
よろしければ、太郎冠者さんもご意見をお願いします。 シャロンさんが仰いました、クリスチャンが祈らないとは、
クリスチャン外の人よりも
自分たちクリスチャンはどうかが大事ではないかという、
まずもっての視点を述べられたのですね。
汚れた霊や清められていない霊を悪霊と言うのは、
イエスキリストにおいて、荒野の誘惑からはじまり
サタンの頭を打ち砕くという、展開で理解されることだと思います。
神と結ばれていない霊は、誘惑に陥るという事、
誘惑に陥れば、汚れた霊の支配を受け、それを一言で悪霊と表現するのは、
聖霊との対比があるからですね。
イエスキリストは、異邦の者に信仰があるではないか、とか
ご自分が属する、ユダヤ教に対して何をしているのだ、とばかりに
痛恨の(剣)の一手、王手をかけたのですね。
ですから、イエスキリストの内心は、他民族の神がどうのこうのではなく、
別の神の目をもって、見抜き、変化や解放、癒しを実行されています。 新約の当時の時代背景から、
福音記者もやはり伝える側の表現的な限界はあったでしょうし
パウロにも現実的な苦渋のそれは見て取れます。
当たり前だと思います。
イエスの十字架後でも、長い歴史から来た表現形態を使うしかないし
そういった生活をして来た人々への、福音の知らせですから。
イエスでさえ、そこに生活する人々の感覚でわかるであろうという
配慮をもとにした譬えを使っておられます。
端的にいいますと、イエスキリストは、人間があれこれ言っている
民族対立の次元からの神やサタン、悪霊というような卑小な発想に
おられない。
そのような事が大事なら、神殿を三日で立て直すなどという
神業の大胆な宣言もないはずです。
異教よりも、まずユダヤ教を、ご自分の居場所を問い、解放することで
異邦人とのベールまで突破していく光の照射です。
それは、真です。
宗教的な上辺洗脳によるものでなく、
世界中で、イエスキリストの真に直接出会う方々いる事実も
一方でなかったなら、とっくに一時の流行のごとくに滅んでいると
考えられるからです。
シャロンさん、皆様方、次にあげます新約箇所は、
汚れた霊(悪霊)を捉えるのに道標になるかと思いますので、
思われることがあれば、ご意見をください。 <<マルコ5章1節−20節>>
5:1 こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、
けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3 この人は墓場をすみかとしており、
もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、
鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、
だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、
石で自分のからだを傷つけていた。
5:6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。
神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8 それは、イエスが、
「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、
「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。 5:10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、
しきりに願いつづけた。
5:11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12 霊はイエスに願って言った、
「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、
豚の中へはいり込んだ。
すると、その群れは二千匹ばかりであったが、
がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
5:14 豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、
人々は何事が起ったのかと見にきた。
5:15 そして、イエスのところにきて、
悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、
それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
5:16 また、それを見た人たちは、
悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
5:17 そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、
頼みはじめた。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、
悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
5:19 しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、
「あなたの家族のもとに帰って、
主がどんなに大きなことをしてくださったか、
またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
5:20 そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、
ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、
人々はみな驚き怪しんだ。 *この聖書箇所、
少しづつ 読み進めていきたいと思います。
何かあればご意見ください。
ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された(マルコ1:39)
中風の人や手の萎えた人などを癒されていきます。
イエスが(海とありますが、)ガリラヤ湖で船に乗り、途中で嵐をしずめて、
対岸に着かれ時の話しです。
その時代、墓場は崖の洞穴が用いられていた為に、
舟からあがられるとすぐに、対岸の崖にある墓場から汚れた霊につかれた
人に出会います。
豚の一群も崖から湖へなだれを打って駆け下り、
おぼれ死んでしまった。
(場所は墓場のある崖)
対岸の汚れた霊につかれた人の事を知っておられて
イエスは船で向かわれたのかもしれません。
悪霊もそれを察知しており、嵐が起こったのかもしれません。 >対岸の汚れた霊につかれた人の事を知っておられて
> イエスは船で向かわれたのかもしれません。
> 悪霊もそれを察知しており、嵐が起こったのかもしれません。
は、想像であり余談であることは、皆様もお解りになると思いますが、
まったく、根拠がないというわけでもありませんし、
幅になりますので、あえて書き添えました。
5:6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。
神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8 それは、イエスが、
「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
イエスは、悪霊の追い出しや癒し、宣教などの行動をされており
その中での話であること、
イエスは何もないのにぶらぶらされている訳でなく、
無駄のない集中力が、常にあります。
しかも、それらをイエスは聖霊の御業にて実行されていきます。
遠くにいるイエスが汚れた霊に対して「この人から出ていけ」
と言ったのが聞こえるのは、
この人ではなく、汚れた霊に聞こえたと
いうことです。
この人は、この人でなく汚れた霊に喋らされていますから、
霊的な事が先にはじまっていると推測できるという余談です。 <<マルコ5章1節−20節>>
>>5-6
汚れた霊につかれた男は、家族がいましたが集落で暮らすことが
出来なくなっていた。
5:3 この人は墓場をすみかとしており、
もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、
鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、
だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、
石で自分のからだを傷つけていた。
この人の霊は、汚れた霊に支配され,にっちもさっちもいかない、
集落ではお手上げ状態、鎖や足枷も無効であり叫び声はきこえてきても、
野放しにするしかなかったようです。
激しい自傷行為もあります。
水や食料を得る為に、野生動物のように山に入ったりしていたのでしょう、
おそらく。
墓場とは・・・白骨がごろごろしており、肉食の鳥も飛んでいたり
するのでしょうか。<死>
誰が、それを、良かったね、幸せだね、嬉しいね、個性だねって
讃え、喜ぶでしょう。 神も仏も名無しさん 2016/11/13(日) 10:00:13.90 ID:A2neUxqH
彼はあまりにも見事だったから、聖書に載り、
人類に救いの教訓となったのだ。
イエスが来る前は、彼はハッキリと【自分の中の悪】と捕えて、
必死で耐え自死もしなかった。
イエスが来た時も決して逃げなかった。
彼の体力は非常に優れていて、おそらく天賦の才だろう。
彼は生まれ持った宿命の苦に面と向かって取り組み、
ついにイエスに遭ったんだ。
苦しみによく耐えたと思う。
神も仏も名無しさん 2016/11/13(日) 10:05:57.55 ID:A2neUxqH
レギオンの逸話は、たとえどんなに惨くても自分の中の苦しみによく耐えて、面と向かって取り組むことが、
やがて必ず神の救いにつながることを教えている。
この逸話には他にも注目すべきことがあるけど、今回はこれまで。 グノーシス派 ヨハンネス
2016/11/13(日) 16:12:08.21 ID:n9ewx75o
では、グノーシス派としての意見を示そう。
レギオン(軍団)とは、諸々の怒りと悲しみ、そして執着などを意味している。
ここでは特に絶望と怒りだろう。それらをレギオン(悪霊)と呼んでいる。
イエスは、このレギオンに取り憑かれ墓場に住んでいる男に希望と喜びを与えた。
この男自身の内に、この世への絶望と怒りによって盲目となって見えなくなっていた光のことである。
ここに出て来る豚は、この世の人々(ゲラサ人たち)を比喩している。
彼らが、この男を絶望と怒りの淵に追い込み狂人として墓場(死人:この世から消えた者たちが葬られている)に住まわせた。
イエズスは、この男に向き合い心通わせることで神の国(光)を思い起こさせた。
汚れた執着(絶望と怒り悲しみ)は、それを与えた者たちであるゲラサ人に返せばよい。
(死人の葬りは死人に任せよ)ゲラサ人らの心魂は滅びそのものだからである。
だから、イエズスによって心を回復した男は、
イエズスに付き従うことを望んだ。
だが、イエズスはこの男をして、
この地にあって同様に心に飢えている者らへの使命を与えたのである。
----------
ちなみに、こういう種類のストーリーそれ自体は多分に都市神話化されたものなので、真相を読み解く目が必要なのである。
その目で読み解く能力こそがグノーシスである。
ただ文字面に引っ張られて、お決まりの聖霊・サタン・天使・奇跡などで信じ込もうとする馬鹿がクリスチャン信仰者である。 シャロン
2016/11/13(日) 17:38:13.80 ID:pQ05qyKv
サタンは頭を砕かれました。
尻尾でもくねらせているのでしょう。
サタンは十字架の死と復活により敗北したのです。
そして、イエスが地上の一切の権威、主権を取り戻しました。
サタンはそれを隠しているのだと思います。
今は新約に時代です。「見よ全てが新しくなった」、と聖書にあります。
. シャロンさん、こんにちは。
小旅行に行かれたのかと思っていましたが、
規制でしたか(@_@。
>ガラサの狂人の描写が生々しいです。
> 誠実に丁寧に読み込んでおられるのがわかります。
ありがとうございます。
新約記述の中でも、とりわけ汚れた霊についてのこの生々しさは、
大事であるから描写されていると思います。
人が荒れ狂うのは、自然災害よりもずっと恐ろしかったりします。
手に負えなさは、通り魔から戦争等々、理不尽さ。
暴力性、残忍性・・・・負の状態です。
生から遠ざかり、<死>のベクトルが特徴で、つまり死霊です。
墓場や自傷は、死にまとわりつかれている状態を現しています。
ガラサの狂人も何らかの負の連鎖や抑圧を受けたのでしょうし、
そこから抜け出て、それを解除すれば解決なのです。
が、そう簡単な事でなく、憑かれるというのは自失ですから
それが苦しくて暴れて、さらに傷が深まる。
(たとえば釈迦も家から出ますし、野生のよう?
でも負がこの世にあることを識って、さてどうすれば良いかの
探検に意識的に出発されたのですから、ステージが違いますし、
個人的なお悩み解決でなく普遍性に到達し、問いに答える側の方であり
家出(出家)、野生といっても違います。)
イエス様も家出、荒野を行く ですね。(^^*)
ですから、やはりステージ(出発点)が違いますね。 太郎冠者さん、
前スレの主だった内容です。
ここから、続きを再出発したいと思います。
あなたの、ご配慮に感謝いたします。
どの板も、日本中のたくさんの方々見ておられるのは、
変わりないですから、自分次第だと心得て
使わせていただきます。 一息入れて、お茶にいたします( ^^) _U~~
この歌いいぞ!!魂が揺すぶられる!! 玉置浩二 清く 正しく 美しく
https://www.youtube.com/watch?v=8Bd65HI8GhA >>15
> 太郎冠者さん、
> 前スレの主だった内容です。
> ここから、続きを再出発したいと思います。
> あなたの、ご配慮に感謝いたします。
> どの板も、日本中のたくさんの方々見ておられるのは、
> 変わりないですから、自分次第だと心得て
> 使わせていただきます。
アンさん、どうぞお使い下さい。
シャロンさんも。
スレッドはsage進行?がいいでしょうね、多分^^ 空気の読めない人達へ
859 名前:シャロン [age] :2016/11/21(月) 00:15:38.02 ID:11t+2Qwm
>>856
スピ系はキリスト教と対極に位置するものですね。
その影響を少しでも受けるのをとても警戒しています。
さてはてどうしたものでしょうか?
矢張り私はキリスト教スレに留まると思います。
折角のご厚意なのにごめんなさい。
. >>16
ほとんどお初?の挨拶になります^^
では一服。
> この歌いいぞ!!魂が揺すぶられる!! 玉置浩二 清く 正しく 美しく
聞きました。
スレタイは見事です。
どんな人でも聞いたことがあると思いますが、
この言葉にどう反応するかが、一つの試金石となっているんじゃないかと思う。
きよい・ただしい・うつくしい
宗教宗派に関わらず、光を見据えて生きる人ならば、
光へのホップステップジャンプだと気づく。 きよく、ただしく、うつくしくとは、抑圧教育で度々、悪用されがちだったのですが、
それを理由に、これを捨ててしまうのはあまりに残念。 >>17
太郎冠者さん、おはようございます。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 154
の>>856から読んで下さい。
シャロンさんのお返事もあります。
太郎冠者さんを警戒しておられるかもしれませんね。
好意であったと私は思いますから、無理強いする必要もありませんし、
来られなくともいいと思います。
私はここでということで、よろしくお願いいたします。 >>21
右も左もわかりませんがよろしくお願いします^^
聖書の読解で、『霊的な事柄がまずあって、そこから各場面がある』
という理解は開眼しました。目から鱗の感じです。 >>20
そうですね、非常に重要な事です。
【言葉を取り戻す】 ですね。 >>22
新約聖書、イエスキリストは、諸霊でなく、聖霊を前面に
打ち出し、聖霊次元を開闢されるのですが、
これは、実に簡単な事でありながら、実に高度な事です。
譬えで用いられる、赤子(幼子)もそれを伝えるための
表現ですね。
そして、福音書で内容的にほぼ一致した構成要素を持つ、
マタイ、マルコ、ルカ、の3福音書は分類として共感福音書と呼ばれています。
ヨハネによる福音書は、3福音書の構成に加え、イエスキリストの
思想に迫るような他にない特徴があります。
そして、その冒頭は、
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
有名な冒頭ですが、神=言ですから、神と出会うは
言と出会う事であり、
そして言とは聖霊を現している可能性があります。
そうすると辻褄が合うのです。
神との和解、聖霊世界の開闢、
「言葉を取り戻す」 になります。
はじめに言があった。
はじめに聖霊があった。 この世界が不幸蔓延してるのってこの世界がまだ完全じゃないって話なんですか? >>25
何のお話でしょう、よろしければ教えてください。
>>26
コバルトって何かと思いましたら、他スレのスレタイにありました。
存じあげませんが。 ご意見番犬タロー、こっちにきてたのか?
改心する気が起きたのかい?
>>24
>有名な冒頭ですが、神=言ですから、神と出会うは
言と出会う事であり、
> そして言とは聖霊を現している可能性があります。
浅いだろうな。
キリスト、語るキリストだろうな。
バルト神学では「神は語れり」が好きらしいからなw >>23
> そうですね、非常に重要な事です。
> 【言葉を取り戻す】 ですね。
言葉の回復は、大事ですね。 こっちは、たろーにしてやるよ。
ぼったんの近くはアニマルしか来ねえから、犬扱いだw >>24
押し入れから旧約聖書を引っ張り出しました。
新約・旧約、準備万端。
> ヨハネによる福音書は、3福音書の構成に加え、イエスキリストの
> 思想に迫るような他にない特徴があります。
ヨハネは、少し雰囲気に差がありますね。
> そして、その冒頭は、「初めに言があった。
> 言は神と共にあった。言は神であった。」
> 有名な冒頭ですが、神=言ですから、神と出会うは
> 言と出会う事であり、
光のシンボルとしての言でしょうか?
言は、光の横溢と理解しています。
> そして言とは聖霊を現している可能性があります。
> そうすると辻褄が合うのです。神との和解、聖霊世界の開闢、
> 「言葉を取り戻す」 になります。はじめに言があった。はじめに聖霊があった。
多彩な意味合いでの言、聖霊がしっくり来ます、確かに。
聖霊が神からの霊で、悪霊が神に繋がらない霊ですよね。 約束どうりに、犬は使わず、たろーへ
> 言は神と共にあった。言は神であった。」
普通は、キリストの事を意味しているのだが、
俺様はspecホルダーだから、アンよりも詳しく霊的だw
聖霊はキリストの十字架を通して弟子達に与えられるものだ。 >>33
否否否。
弟子に下った聖霊はやがて神に還る。
人が死ねば土塊になるように。
ならば神に還る聖霊はどこから来たるのか。
神より他にあるまい。
家々は河川に、河川は大海に注がれん。 >弟子に下った聖霊はやがて神に還る。
そういう話は聞かないな。
神、キリスト、聖霊はおのおの人格であるからな。
精霊と意味がはき違えているな。たろー
俺様はspecホルダーで、預言者的才覚があるからな。
普通のクリと普通に信仰の話ができる。
アンとかより別物だ。 キリスト教系故に、ぼったん攻撃的脳天直撃作法はない。自由自在に返答手法を変えられるからなw
俺様は。 >神、キリスト、聖霊はおのおの人格であるからな。
という設定の根拠は、新約聖書によると、
キリストは、母親という人格、父なる神から降りてきた聖霊との受誕によるもの。
故に、聖霊は人格という扱いになる。
俺様も、その話を怪しんでやるとw
お目目が痛くなり、聖霊、父なる神がご機嫌悪しw
ていう感じだなw 聖霊、父なる神がご機嫌悪くなるから、仕方なしに・・・・w >>37,38
聖霊は神の言(光、御心)。
聖書には、鳩の羽ばたきと共にイエスに下ったとあるじゃないか。
やはり、神が大海なら、聖霊は河川、水を曳くのがイエス、弟子は家々だな。
(悪霊は汚水。)
各々、性質が【違う】が結局のところ【違わない】。
それが三位一体だろう。(会議で決まったとかいう低次の議論は遠慮する)
それゆえ聖霊は被造物か神かのどちらかだろう。
また、三位が一体でなくば、それは人の形に拘りすぎ。 >また、三位が一体でなくば、それは人の形に拘りすぎ。
たろー、よ
聖書の説明の意味が解らないのかな?
という設定の根拠は、新約聖書によると、
キリストは、母親という人格、父なる神から降りてきた聖霊との受誕によるもの。
故に、聖霊は人格という扱いになる。
子供は女と人格でないものから生まれると、力説するのかね?君は? >聖書には、鳩の羽ばたきと共にイエスに下ったとあるじゃないか。
たろーよ、ここも聖書をきちんと読んでいないぞ。
声がしたらしいじゃないか。私の心にかなう者、私の愛する者、と。
私が。ていうことは人格ではないか。 たろーよ。
聖書を精読できずに、低次云々意見するのは空虚すぎるんじゃないのかな? >>32
聖霊に関する話になって来ていますね。
>光のシンボルとしての言でしょうか?
> 言は、光の横溢と理解しています。
>多彩な意味合いでの言、聖霊がしっくり来ます、確かに。
>聖霊が神からの霊で、悪霊が神に繋がらない霊ですよね。
そうですね、冒頭からわかることをみてみましょうか。
ヨハネによる福音書 冒頭 1章1〜5節
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
・・・・・
言が初めにある、神が初めにあったでなく。
けれども神と共にあり、神である。
@「神」も我々がことばにして言い表してこその「神」である。
「ことば」が先にあるということは、我々が言う「神」は
【言】のことなんだよ、と【初めに言があった】で宣言している。
A万物を成らしめているのは言である。
B言に宿っている命は【人間】を照らす光のことである。
万物ではなく、人間。
言は、万物を成し、言に宿る光(命)で人間を照らしている。
(人間が気が付かなくても、言の方から一方的に照らしている)
C言=光は暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解できない。
理解できないとありますから、霊的視力(聖霊次元)の事である。
言=光を、暗闇におれば理解できないのである。
アンはキリスト不在賛成論者だな。
キリストも復活せずw聖書無縁の信仰w >>42
> たろー、よ
> 聖書の説明の意味が解らないのかな?
> という設定の根拠は、新約聖書によると、
> キリストは、母親という人格、父なる神から降りてきた聖霊との受誕によるもの。
> 故に、聖霊は人格という扱いになる。
> 子供は女と人格でないものから生まれると、力説するのかね?君は?
聖霊に人格が無いとは言ってない。
それが人語を語るもよし、語らずともよし。
例えば、
暖炉は家庭のありかを語る(温かさ)
暗闇は不安を語るが(触れる者は、たじろぐ)
光は慈悲を言葉を尽くして語り(光に安堵する)
季節はじめの風は、何より季節を語り(到来)、
雨は渇きし生き物に、恵みを語る(慈雨)
声は、神の声は、耳を以て聞くものにあらず、
垂れた頭で聞くものだ。
聖書の、貴公のそういった読み方は誤りだろう。 >>45
> 聖霊に関する話になって来ていますね。
> >光のシンボルとしての言でしょうか?
> > 言は、光の横溢と理解しています。
> >多彩な意味合いでの言、聖霊がしっくり来ます、確かに。
> >聖霊が神からの霊で、悪霊が神に繋がらない霊ですよね。
> そうですね、冒頭からわかることをみてみましょうか。
> ヨハネによる福音書 冒頭 1章1〜5節
> 初めに言があった。
> 言は神と共にあった。
> 言は神であった。
>
> この言は、初めに神と共にあった。
>
> 万物は言によって成った。
>
> 成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
>
> 言の内に命があった。
>
> 命は人間を照らす光であった。
>
> 光は暗闇の中で輝いている。
>
> 暗闇は光を理解しなかった。
>
> ・・・・・
>
> 言が初めにある、神が初めにあったでなく。
> けれども神と共にあり、神である。
> @「神」も我々がことばにして言い表してこその「神」である。
> 「ことば」が先にあるということは、我々が言う「神」は
> 【言】のことなんだよ、と【初めに言があった】で宣言している。
> A万物を成らしめているのは言である。
> B言に宿っている命は【人間】を照らす光のことである。
> 万物ではなく、人間。
> 言は、万物を成し、言に宿る光(命)で人間を照らしている。
> (人間が気が付かなくても、言の方から一方的に照らしている)
> C言=光は暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解できない。
> 理解できないとありますから、霊的視力(聖霊次元)の事である。
> 言=光を、暗闇におれば理解できないのである。
わかりました。
言は神から人間に対する聖霊。
聖霊は、人間に与えられた言。 たろーも病んでいるなあ。
同一人物か?
たろー=アン。 >例えば、
暖炉は家庭のありかを語る(温かさ)
暗闇は不安を語るが(触れる者は、たじろぐ)
光は慈悲を言葉を尽くして語り(光に安堵する)
季節はじめの風は、何より季節を語り(到来)、
雨は渇きし生き物に、恵みを語る(慈雨)
声は、神の声は、耳を以て聞くものにあらず、
垂れた頭で聞くものだ。
お前、神道の神の解釈混同し過ぎ、聖書をきちんと読め。
自然現象は、主の被造物に過ぎない。 >>46
> アンはキリスト不在賛成論者だな。
> キリストも復活せずw聖書無縁の信仰w
キリスト不在?
まだ説明してない段階で在も不在もないだろう。
復活についての記述と聖書のそれに相当する内容は、400レスくらい後になるんじゃないかい?(笑)
これ過去スレじゃないし(笑) >>49
> たろーも病んでいるなあ。
> 同一人物か?
> たろー=アン。
病気か?
カカシ=ダイオウか? >ヨハネによる福音書 冒頭 1章1〜5節
たろー、頭悪いな、
普通は、これはキリストを意味する。
たろーもキリスト不在論者。
神道やら精霊の勘違いした倒しやろう。
アンもな。 >>53
あなたは、宗教版から来ましたか。
意見がございましたら、人の書き込みをよく読んでからにしてください。
>>50
>お前、神道の神の解釈混同し過ぎ、聖書をきちんと読め。
> 自然現象は、主の被造物に過ぎない。
そのような話ではなく、例えばと言われているではありませんか?
イエスかいちじくの実のたとえを話されたら、
自然現象は、主の被造物に過ぎない、と言うのでしょうか(笑い
>>53
>普通は、これはキリストを意味する。
6章からその話があるのですが、
あなたは、その解説をできるだけ丁寧にしてみてください。 >>53
児童文学ならそれで正解ですよ。
しかし、人生を児童文学に預ける訳にはいきません(笑) 6章→6節です。
>>55
私は児童文学は、素晴らしいと考えています。
なので、できれば児童文学ではなく、他の表現でお願いいたします。 >はじめに聖霊があった。
最初からキリストはいる、とするのが通常でしょう。
バラバラに解釈するのは・・・。 >>56
幼心で読む児童文学は、計り知れない価値がありますね。
軽率な発言でした。
ああ・・・
棒読みは児童文学の様な色彩に富んでないので、不適切な喩えですねorz... >>57
バラバラではありませんが? では私が6〜18節を述べます。
5節までで分かった事は、
【神とは言のことである。】ですから神よりも言の事を語ることで、
それを宣言している。
そして、その【言の内に命=光があって】人間を照らしている。
6節からは全部貼りませんので、聖書を傍らに置いて読んで下さい。
ヨハネは、【光でなく、光を証し、】その証ですべての人が信じるように
なるために、神から遣わされ来た人物である。
世は、言によって成ったことは、5節までに述べられていますが、繰り返されています。
言は世にあったが、民のところへ来たが、世の方が言を認めず、
民は受け入れなかった。
【言(神)を世は認めず、民は受け入れなかった】
※そこで
1:12
しかし言(神)は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。
民のようになんとなくの複数ではなく、
人(独り)であり、その個人を信じる人々は、血によってでなく
肉の欲でも、人の欲によってでもなく、神によって生まれたという
ルーツを誕生させた。
私達の間に肉体をもって宿られた個人がイエスキリストである。 1:17
律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスキリストを
通して現れたからである。
1:9
その光は、【まことの光】で 【世に来て】すべての人を照らすのである。
1:18
いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、
この方が、神を示されたのである。
言(神)は見えないが、父のふところ=言の内にある、
命=光=独り子である神=イエスキリストが、神を示された。
言(父神)・・・万物を成す
言の内にある光(命)・・・言(父神)を示す独り子=神の子
※で、言を受け入れ、自分の名を信じた者とある。
イエスキリストは、父のふところにいる独り子の神。
イエスはご自身を神だと言った事がないばかりか、
他の新約聖書箇所でも人の子(イエス)にいい逆らう事はゆるされても、
聖霊を冒涜することは、いつの世でもゆるされないと言われています。
言とは父であり、聖霊はその働きであり、あくまでも神の独り子である
イエスキリストです。
ですから、>>40のご意見はよろしいと私は思います。 >>32
>ヨハネは、少し雰囲気に差がありますね。
ヨハネは、【光でなく、光を証し、】その証ですべての人が信じるように
なるために、神から遣わされ来た人物である。
光そのものでなくとも、光を証し、すべての人が信じるようになるために、
神から遣わされたとか、
このヨハネと言う人物。
光でなくとも、光を証言できるなら光を理解していなければできない。
神に遣わされたのなら、
イエスとセットの人物である。
言を認めた、言を受けれている人物がイエス以外にいたということでも
あります。
福音書書記のヨハネ、洗礼者ヨハネ、黙示禄のヨハネ、
ヨハネ。 ┏━━━━━━━━━━━┓ ∧_∧ 11/27 東京11R 芝・左 2400m (国際招待)
┃第36回ジャパンカップ(GI)┃(´∀` )<3歳以上(国際)(指定)オープン 定量 発走15:40
┣━┯━┯━━━━━━━┻○━○━┯━┯━━━┯━━━━━┯━━━━┓
┃1 │1 │キタサンブラック [牡4]│57│武 豊│(西)清水久│京大賞 1┃@
┃1 │2 │ビッシュ .[牝3]│53│ 幸 │(東)鹿戸雄│秋華賞10┃
┃2 │3 │ゴールドアクター [牡5]│57│吉田隼│(東)中川公│オ-ルカマ-1┃B
┃2 │4 │ルージュバック [牝4]│55│戸 崎│(東)大竹正│天皇秋 7┃F
┃3 │5 │[外]イキートス [牡4]│57│ファーガソ |..(独)h.グリュ-│バイエルン4┃
┃3 │6 │ラストインパクト [牡6]│57│川 田│(西)角居勝│京大賞 7┃
┃4 │7 │ワンアンドオンリー ....[牡5]│57│田 辺│(西)橋口慎│Ar共和 8┃
┃4 │8 │[外]イラプト [牡4]│57│P.ブドー│(仏)Fグラファ│加国際 1┃
┃5 │9 │ディーマジェスティ .[牡3]│55│蛯 名│(東)二ノ宮 │菊花賞 4┃C
┃5 │10│トーセンバジル .[牡4]│57│内田博│(西)藤原英│オクト-バ-1┃
┃6 │11│フェイムゲーム .[せ6]│57│北村宏│(東)宗像義│Ar共和 5┃
┃6 │12│サウンズオブアース .....[牡5]│57..|M.デム-ロ|..(西)藤岡健│京大賞 4┃
┃7 │13│ヒットザターゲット [牡8]│57│小 牧│(西)加藤敬│京大賞 5┃
┃7 │14│レインボーライン .[牡3]│55│cルメール│(西)浅見秀│菊花賞 2┃E
┃8 │15│[外]ナイトフラワー [牝4]│55..|A.シュタルケ|..(独)Pシールゲ|オイロパ賞1┃
┃8 │16│リアルスティール .[牡4]│57│R・ムーア│(西)矢作芳│天皇秋 2┃A
┃8 │17│シュヴァルグラン .[牡4]│57│福 永│(西)友道康│Ar共和 1┃D
┗━┷━┷━━━━━━━━━━━━┷━┷━━━┷━━━━━┷━━━━┛ >>58
太郎冠者さん、おはようございます。
わかりました。
児童も読むことが出来る文学書と言う意味でなく、
児童が文学を読むかのような棒読みのことですね。 洗礼者ヨハネについては、ルカによる福音書が詳しい。
ヨハネの父親ザカリアは祭司であり、妻のエリザベトはイエスの母マリアと
親類で、二人とも神の前に正しく、主の掟と定めをすべて守り、
非の打ちどころがなかった。子供がなく高齢であった。
祭司職でくじがあたり、香を焚いていると香壇の右に主の天使ガブリエルが
現れて、母の胎にいる時から聖霊に満たされて、父の心を子に向けさせる者・・
・・・とそのような人物の誕生を告げ、ヨハネと名付けるように言う。
同じ主の天使ガブリエルが、ガリラヤのナザレのマリアにその6か月後に
遣わされて、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる・・・・」
その時、親類のエリザベトの懐妊の話も伝える。
マリアはエリザベトを訪問し挨拶すると、胎の子が喜び踊る。
ヨハネが誕生すると、サガリアは聖霊に満たされてヨハネとイエスについての
預言をする。
イエスの父親ヨセフにも夢で主の天使ガブリエルが現れ、イエスと名付けるように
言い、インマヌエル=神は我々と共におられる、と言う名で呼ばれる
と告げる。(マタイ)
イエスと言う名は胎に宿る前に主の天使から示された(ルカ)
マタイでは、受胎後でありルカと違いますが、
【主の天使ガブリエル】がザカリアとエリザベト・ヨセフとマリア
の両カップルに重大ごとを告げ、示しに来た点が一つ。
もう一つは、【聖霊】。 エルサレムのシメオンという、正しく信仰が厚い人物も
聖霊からお告げを受けている(ルカ2:25〜
水で洗礼を授けるヨハネ、
聖霊と火で洗礼を授ける人、イエスの登場となりますが、
聖霊は正しい人には、イエス誕生前から働いており、
イエスより6カ月前に胎に宿どりしヨハネ自身も
既に胎にいる時に聖霊に満たされています。
なら、ヨハネよりまさり、ヨハネより先におられたと、
ヨハネが証言するイエスは、
もちろん聖霊に満たされていないはずはありません。
ヨハネから水の洗礼を受けて、聖霊を授かったイエスではなく、
ヨハネが洗礼を授けたら、聖霊がイエスにとどまるのが観え、
その方こそが、神の子であるという
ヨハネがイエスを人々に証しするための、合図の洗礼ですね。
主の天使が告げたり示したりでイエス以前からも
正しい人には、聖霊の働きなるものはあったのです。
しかし、主の天使は聖霊とセットでその告げ、示しは
視え、聞こえる者にしかわからない、領域であり、
一方イエスは受肉した天使であるかのように、物質化して登場する。
言のまことの光、人々をその光で照らしだす、
最高位の天の使いとして来られた事は、間違いなさそうです。 >>64
> 太郎冠者さん、おはようございます。
> わかりました。
> 児童も読むことが出来る文学書と言う意味でなく、
> 児童が文学を読むかのような棒読みのことですね。
そうです^^ >>66
>なら、ヨハネよりまさり、ヨハネより先におられたと、
>ヨハネが証言するイエスは、
>もちろん聖霊に満たされていないはずはありません。
どう考えてもそうです。
>ヨハネから水の洗礼を受けて、聖霊を授かったイエスではなく、
>ヨハネが洗礼を授けたら、聖霊がイエスにとどまるのが観え、
>その方こそが、神の子であるという
>ヨハネがイエスを人々に証しするための、合図の洗礼ですね。
まさしく、人々への洗礼でしょう。 59 : アン@無断転載は禁止2016/11/24(木) 20:04:52.57 ID:eirocpva
>>57
バラバラではありませんが? では私が6〜18節を述べます。
と言われても、
>はじめに聖霊があった。
切り取り過ぎているな、神、聖霊、イエスは同時的に示すべきだろう。ヨハネ福音書17章。 >言とは父であり、聖霊はその働きであり、あくまでも神の独り子である
イエスキリストです。
役割分割し過ぎでしょう。 同時に示す意義が希薄でしょうね。
それらが等価ではない事を考えれば、順序があるのは当然(笑) ┏━━━━━━━━━━━┓ ∧_∧ 11/27 東京11R 芝・左 2400m (国際招待)
┃第36回ジャパンカップ(GI)┃(´∀` )<3歳以上(国際)(指定)オープン 定量 発走15:40
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┃1 │1 │キタサンブラック [牡4]│57│武 豊│(西)清水久│京大賞 1┃@@
┃1 │2 │ビッシュ .[牝3]│53│ 幸 │(東)鹿戸雄│秋華賞10┃H
┃2 │3 │ゴールドアクター [牡5]│57│吉田隼│(東)中川公│オ-ルカマ-1┃BB
┃2 │4 │ルージュバック [牝4]│55│戸 崎│(東)大竹正│天皇秋 7┃GD
┃3 │5 │[外]イキートス [牡4]│57│ファーガソ |..(独)h.グリュ-│バイエルン4┃
┃3 │6 │ラストインパクト [牡6]│57│川 田│(西)角居勝│京大賞 7┃
┃4 │7 │ワンアンドオンリー ....[牡5]│57│田 辺│(西)橋口慎│Ar共和 8┃ G
┃4 │8 │[外]イラプト [牡4]│57│P.ブドー│(仏)Fグラファ│加国際 1┃
┃5 │9 │ディーマジェスティ .[牡3]│55│蛯 名│(東)二ノ宮 │菊花賞 4┃CA
┃5 │10│トーセンバジル .[牡4]│57│内田博│(西)藤原英│オクト-バ-1┃
┃6 │11│フェイムゲーム .[せ6]│57│北村宏│(東)宗像義│Ar共和 5┃
┃6 │12│サウンズオブアース .....[牡5]│57..|M.デム-ロ|..(西)藤岡健│京大賞 4┃FF
┃7 │13│ヒットザターゲット [牡8]│57│小 牧│(西)加藤敬│京大賞 5┃
┃7 │14│レインボーライン .[牡3]│55│cルメール│(西)浅見秀│菊花賞 2┃EH
┃8 │15│[外]ナイトフラワー [牝4]│55..|A.シュタルケ|..(独)Pシールゲ|オイロパ賞1┃
┃8 │16│リアルスティール .[牡4]│57│R・ムーア│(西)矢作芳│天皇秋 2┃AC
┃8 │17│シュヴァルグラン .[牡4]│57│福 永│(西)友道康│Ar共和 1┃DE
┗━┷━┷━━━━━━━━━━━━┷━┷━━━┷━━━━━┷━━━━┛ >同時に示す意義が希薄でしょうね。
たろーは浅はかやな。神秘に意義を求めるとはw
キリスト教を論理だと思い込みw
たろーは、小理屈をこねずに一から聖書を読んで、論理でないことを再認識学習しよう。 >>74
> たろーは浅はかやな。神秘に意義を求めるとはw
> キリスト教を論理だと思い込みw
> たろーは、小理屈をこねずに一から聖書を読んで、論理でないことを再認識学習しよう。
ベラベラと中身のない理屈をこねすぎッスね(笑) キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味かね。
理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘って来たようですな。 >キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味かね。
理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘って来たようですな。
ということはイエス・キリストみたいなのはタロー君の批判の対象ですね?
福音書は、そういう話の繰り返しですが・・・。 >>77
イエスは皆のタメに磔に架かった。
一方、お手前は趣味で小わっぱと闘う。
共通点が分かりません(笑) >イエスは皆のタメに磔に架かった。
その原因が
>キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味かね。
理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘って来たようですな。
なのですが?
論点はぐらかしすぎですよ、タロー君。 イエスの知剣
お手前の猛突進
これの共通点が分からない(笑) イエスの利剣は決して人を選ばないですね。
それは、エゴ解釈して民を圧迫する者、愚かな青年、聖句を汚す化け物、奸計を巡らせる学者等々に、
選ぶ事なく剣を飲ませている。目の前に闇が有れば照らす。明白だろう。 論点はぐらかしすぎですよ、タロー君。
たろー君の心の闇を直視できないから、はぐらかしを繰り返すのはよく理解できますよ。
タロー君のキリストは「政治屋」かもしれませんね。 >>82
君は何がしたいのですか?
意見があるのなら、勝手な思い込み言いがかりでなく
まともに話してみてはどうでしょう。
それができない精神状態なら、
しばらく休んで、落ち着いてから出直してください。 >>76は、お手前の動きへの感想に過ぎないのだが、
お手前はそういう文句はイエス・キリスト批判にもなるじゃないかと、受け取られた。
>>82
ならば
『キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味。
理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘う』
という感想・見解を抱かざるを得ない?聖書の流れを、
簡略化したものでいいので説明して下さい。
つまり
イエス・キリストが
・理知的な解釈をする人間を議論相手として選び、嗜む
(戯れているとしか思えない箇所)
・理知で足元を見失う人間わざわざ選び他の誤りを放置している
(嗜好性がある箇所)
と思われる内容や、イエス・キリストが批判対象に(!)せざるを得ないような、
戯れや真剣さを欠いた嗜好性が意図があると解釈せざるを得ない箇所を挙げてみて下さい。
言葉じりをあげつらっている訳でないならキチンと答えられるはずだろう。
政治屋という展開をされた理由も、ついでにお聞きしたい。 >>79
> >イエスは皆のタメに磔に架かった。
>
> その原因が
> >キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味かね。
> 理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘って来たようですな。
>
>
> なのですが?
これも分からないですね。
イエス・キリストが理知で聖書解釈する者のみ批判する事を喜び嗜み、
その結果、磔なんですか?
詳しくご説明下さい(笑) たろーさんは脳が暴走してるみたい。
アンは、考えがひとつにまとまらない感じ。
両方とも何言ってんのかイミフだから結局こんな理解にしかなりません。 >>84 政治屋
「あなたの信じているのはキリストではなくてヒットラーだ」ってよく言います。
アンはウリストの関係者なので、アンに肩入れする場合はそのように疑われて当然だということでしょうか。 >>86
> たろーさんは脳が暴走してるみたい。
> アンは、考えがひとつにまとまらない感じ。
> 両方とも何言ってんのかイミフだから結局こんな理解にしかなりません。
因縁をつけて事足りとするようなら来ないで頂きたい。
そうでないなら、議論をする姿勢をお願いします。
>>87
> >>84 政治屋
> 「あなたの信じているのはキリストではなくてヒットラーだ」ってよく言います。
意味不明です。
> アンはウリストの関係者なので、アンに肩入れする場合はそのように疑われて当然だということでしょうか。
ウリストってなんですか?
意味不明の言葉で他人を貶める様ではお里が知れますよ。
お手前の文にまともなメンタリティを感じませんが。 >>60
太郎冠女は、やっと捕らえたセトをくだらないやさしさから逃がしてしまったイシスみたいだ。
セトはオシリスを二度にわたってカロした。
逃れたセトは、後々今日に至るまで人類に災厄を及ぼすことになった。
あの時ホルスがイシスの首をはねたのは、女がつまらない意地をはったからかもしれない。 >>91
太郎冠女とは?、誰に話しかけている?
いくら何でも迷走しすぎでは?
お手前の意味不明な思考を辿るのも怖いが(笑)、
誰がどう反応して、どうなったというのだね?
何が気に食わないのか分からないが、意味不明なんだからどうしょうもない(笑)
ご自分の投稿の異常さを顧みれば、それが招く結果に色々と気付かれるのでは?
だが、気付かれないのなら仕方ない。
最初から、まともな反応など返って来はしないのだよ。
なぜなら、お手前が正気でない事に他人はすぐに気が付くからだ。
無意味なレスは止める事だ。 たろーは十字架に行く前の裁判のような政治屋らしい誘導的過ぎる質問をしにきているが。
誘導質問を無視して、
政治屋たろーには無駄な回答になるだろが、答えてやろう。
>『キリスト教を理知的に解釈する小わっぱと闘うのが、趣味。
理知で足元を見失う小わっぱとばかり闘う』
という感想・見解を抱かざるを得ない?聖書の流れを、
簡略化したものでいいので説明して下さい。
はっきり言えば、新約聖書にでるパリサイ派の教師=政治屋タロー、
とみれば、たくさんある。政治屋タローをみれば誤魔化し詭弁のパリサイ派教師の心理も明らかになるであろう。、
マルコによる福音書第 2 章
16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
17 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
ルカによる福音書第 14 章
1 ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
2 するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。
3 イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。
4 彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。
5 それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
6 彼らはこれに対して返す言葉がなかった。
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 >イエス・キリストが理知で聖書解釈する者のみ批判する事を喜び嗜み、
>喜び嗜み
を加えて質問する政治屋タローの姿が
実に、十字架に行くイエスを裁判し尋問する誘導姿勢を彷彿させる。
政治屋タロー=イエスを殺そうと陰謀をたくらむ者、
両者の思考回路は極めて近似値である。 政治屋タロー的思考=イエスを殺そうと陰謀をたくらむ者
はイエスを殺そうとした理由は。
マルコによる福音書第 2 章
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
を受け入れられず、虚栄心丸出しで抵抗したいのだ。 >>95
マルコのは理屈を好む小わっぱが話しかけ、邪魔をして来たから、答えた場面。
ルカのは、病人が苦しんでいるから、より病人を苦しませる者に教えてやった場面だな。
ところで、お手前は何をさっきからブツブツひとりごとを言ってるんだ?
具合でも悪いんですか? 83のアンの虚栄心が湧いてきたのも、当然。
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
を受け入れられず、虚栄心丸出しで抵抗したいのだ。 >ところで、お手前は何をさっきからブツブツひとりごとを言ってるんだ?
具合でも悪いんですか?
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
を受け入れられず、虚栄心丸出しで抵抗しエンドレスに永遠に繰り返す詭弁政治屋タロー。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています