阿部敏郎パート8[無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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愛というものは首根っこの後ろでするのだ
そして、こんなに愛しているのに悲しいという思いも、まんざら悪いことでもない笑
そこでしか触れられない本気というもんがあるからね 最近の相談で多いのが、子供の不登校。
あなたの周りにもいませんか?
いま急激に世の中が変わっていて、どこまで変わるのか誰も想像できないくらい変わってきていて、まさに激動の時代。
10年後は社会構造そのものが、根底から変わっているかもしれない。
結婚しない人もさらに増加するだろうし、不登校も大きな意味ではそんな流れの一環だと思う。
学校に行きたくない理由を聞けば、人それぞれに違う答えがあるだろうけど、たぶんその理由は僕らの時代にもあったものだろう。
でも、実際に行かない子が増えていく現象は、僕らの時代にはなかった。
子供の精神力が落ちたという人もいるけれど、乱暴な言い方をすれば、やはり時代が変わったということに尽きると思う。
彼らは全く新しい世の中を生きていく未来人だ。
その未来人たちが通う学校は、明治時代からのもので、古さの象徴みたいなところ。
そこで感じる違和感は僕らの想像以上に大きいことだろう。
新しい時代がどうなっていくのか、何が必要とされるのか想像の域を出ないけれど、
我々大人がいまの子供たちにできる最大のことは、
「お前でOK」
という事実を、さり気なく教えてあげることくらいじゃないだろうか。
そうすれば、自分で何とかする。
その何とかは、いまの大人達の価値観とは違うかもしれないけれど、大切なのは、何であれ生きていく力だ。
ちなみに僕が子供に言い続けてきたのは、
「将来のことは大丈夫だ。
将来のことは将来のお前が何とかするから」
これは大人たちにも言えること。
わかりもしない将来より、今日一日を生きるとしよう。
完璧じゃなくても、人並じゃなくても、今日一日が人生の全てくらいの気持ちで生きれば、それ以上の人生があるだろうか。
相談を受けて、そんな風に思った。 >>92
>ちなみに僕が子供に言い続けてきたのは、
>「将来のことは大丈夫だ。
>将来のことは将来のお前が何とかするから」
ABの息子は、どんなに素晴らしい人間になったのだろうか。
いまでも
「将来のことは大丈夫だ。
将来のことは将来のお前が何とかするから」
と思って人生を過ごしているのだろうか・・・。 大和田獏か?
そりゃちょっとわかりにくいジョークだなぁ。
考えてしまったじゃないか ww FF瞑想って、本当にどの教師も適当だよな。
つくづく思う。 なにもわからない君たち
すべてわからない
己が欲望のままの君たち
すべては、おのがままの君たちにも
崩壊がある
こうしたくても無理である ファイナルファンタジーの瞑想か
ゲームの瞑想というのも珍しいな スピ系に嵌って、その稚拙さに気付けただけでもよかったかな..と自分で思う。
普通の人より遅れはとったというか、もう頑張りたくないけどw 人生では起きることが起きる。
それ以外は決して起きない。
どの道同じことならば気楽にいこう。 全体で起きてると思えば諦めもつくときが確かにあるが・・・
逃げ根性にはならないのだろうか?
てかそんな考えじゃスピの世界はやめたほうがいいか ABの息子は無職なの??
自分では何も決められない人間に育ったの?? >>結婚しない人もさらに増加するだろうし、不登校も大きな意味ではそんな流れの一環だと思う。
結婚しない人、不登校な子の増加。
なにか問題でも?
増加していることが悪い事なのか?
選択や拒否が自由にできるいい時代じゃないか。 さてみなさん、今日は日ごろのご愛顧にお応えして、究極の真実にお連れしましょう。
いやあ、それにしてもあなたはツイてる。
幸運なことに今日は、あなたの目の前にあるのだから。
いつか出会いたいと願っていた究極にして唯一の真実が、いま目の前にある。
まさにいま目の前にある「これ」のことです。
言葉遊びを聞いているみたい?
そんなんじゃないし、ましてや比喩でもないですよ。
文字通り目の前のこれのことです。
「これ」は常に変わり続けています。
あるときは部屋の中
ある時は電車の中
ある時はオフィスの中
ある時は海だったり、山だったり、野原だったり、街の雑踏だったり。
共通しているのはいつも目の前にあるってこと。
そうやって外側に展開するものと同時に、内側にも「これ」が展開しています。
思考、感情、空気感、触れた物の感触。
これらも常に変わり続けているけれど、共通しているのは、いまこれが起きているってこと。
内側にも、外側にも、「これ」は同時に起きています。
この話が当たり前に聞こえて、何の有難味もないとしたら、あなたは話を取り逃がしました。
「これ」こそが唯一の真実で、人生には「これ」以外のものはなく、「これ」以上のものもなく、こともあろうに「これ」を探して、あなたは覚醒の旅を続けてきたのです。
それも今日で終わり。
だってこうして目の前に見つけたのだから。
いつの日か、心を囲った一線を飛び超えて、晴れて一人前の覚者となったとき、すべての問題が消え、至福に満ちた永遠の中に生まれ変わるなんて、そんなこと考えてませんでした?
それこそが、幻想が生んだ幻想。
そういう幻想から解き放たれることが覚醒なのです。
それにしてもあなたはツイてる。
幸運なことに今日は、「これ」があなたの目の前にあるのだから。
とは言え、いつも今日だけどね(^^)
「これ」って、すごく平凡に見えてしまうんですよね。
もし「これ」が、孫悟空の西遊記みたいに、多くの冒険の果てにたどり着くガンダーラの聖地にあるとしたら、人はもっと有難がるのでしょう。
「これ」を言葉にした瞬間、「これ」が対象化されてしまい、もはや「これ」ではなく、「これ」についての考えになってしまう。
ここが落とし穴なので、不立文字と呼ばれてきたのです。
あなたはすでに、「これ」(究極の真実)の中に在ります。
衆生近きを知らずして 遠く求むる儚さよ
白隠禅師 あのさ、もしも の話。
あべさんの信者が結婚しないで赤ん坊産んで
その父親が激怒して あべさんとこへ
「お前が父親だそうだな!責任をとれ!!」って赤ん坊を置いていったら
あべさんは平気な顔して「ほお そうか」と言って そのまま育児できる?
評判悪くしても、信者が離れていっても 平気でさ。
できないでそ?
白隠さんを引用されるのは なんか不愉快なんだよなあ。 abはOSHOでも白隠でもなんでも、自分の体験を承認と権威付けしてもらうために
引用しているだけじゃん。
過去大勢の詐欺師や自称覚醒者がやってきたこと。
必死にコピペしてるのが滑稽だね。 いましかないのに、いまを生きられないのには理由があります。
ズバリ言えば、いまあるがままの状態では不十分だと感じているから。
いまの自分では何かが足りないし、いまの状況もこのままではいけないと思っています。
いつかどこかに理想の毎日が待っているはずだ。
私という個人は、そこに一歩でも二歩でも近づくために今日を生きている。
多くの人はそんな信念を持って生きています。
心の中に、いまの不十分な状態が改善されて、完全な日々を生きている自分を描いているのです。
いつの日か、やりたい職業に就けば・・・
いつの日か、あの人と結ばれれば・・・
いつの日か、老後の心配がなくなれば・・・
いつの日か、借金が完済されたあかつきには・・・
いつの日か、不登校の子供が学校に行き始めれば・・・
いつの日か、減量に成功すれば・・・
いつの日か、悟ったあかつきには・・・
いつの日か、○○○○○○○・・・
(○○○の中にあなたの言葉を入れてみてください)
そうなれば問題が消えて、安心することが出来て、ずっと待ち焦がれていた完全な人生を生きることができる。
だから結婚したい。
だから離婚したい。
だから就職したい。
だから退職したい。
あの人みたいになれたらなァ。
これらをストーリーと呼びます。
必要なことは、ストーリー上にある理想の状態を目指すことではありません。
ストーリーという催眠術から目覚めること、○○○になればという信念を手放すことです。
このことは、よくよくじっくりと確認してみてください。
と言うのは、○○○になってもいまと感覚(欠乏感)は変わらないから。
えっ、そんなことはないはずだって?
その気持ちは分かるけれど、実際にはいつだって、いまと同じあるがままのあなたがいるだけです。
その時また、新しい○○○が湧いていることでしょう。 >>111
この記事自体が、ABのストーリーなのです。
信者も息子も、
ABのストーリーをコピペして生きていくのです。
可哀そうに・・・。 獏ちゃん
新し動画いいんだけど、質問者への解決策は何らかの示唆でいいから
することを考えた方が見る人多くなるよ >>111
最近の精神世界関連の本を数冊読めば誰でも書けてしまう文章(笑)
自分の言葉で書かれていないことが見る人が見ればわかってしまう >>111
読経、唱題を繰り返す。
邪知謗法の人々に法を説く。
さすれば必ずこの世界がよくなる!世界が平和に!
って体で本当は自身の得だけ
期待してるが他人にはそれを言わない...
ってソウカと同じだったか。ゴメンw 人生に対する考え方は、年齢とともに変化してきました。
可能性を追いかけていた若いころは、いつかどこかにすべての問題が解決された幸せの楽園があると思っていました。
人生はその楽園に向かう果てしない旅だと信じていました。
楽しいことも沢山あったけれど、本当に心から楽しんだことはどれくらいあっただろう。
笑い声の裏には、いつも冷めた自分が辺り全体を見張っていました。
何かを手に入れてもすぐに別のものが欲しくなる。
心の中はいつだって欲求不満です。
それなのに周りはこんな僕を羨んでいる。
彼らの期待を裏切らないように幸せな人を演じることも忘れませんでした。
心の中を支配していた基本的な考えは
「いまはまだ十分じゃない」
そんな人生が30歳まで続きました。
ある日、人生を歩む足がいきなりストップします。
初めて本当の意味で立ち止まったのです。
疲れたから立ち止まったのではありません。
実際には疲れ果てていましたが、それでも明日への希望という推進力が勝っていたので、疲れを自覚することなく前に前にと歩んでいました。
何故立ち止まったのか。
それは、ふいにある考えが体中を流れたからです。
その考えとは
「人生はどこにも向かっていない。
私は同じ場所で、ハツカネズミの輪っかを走り続けていたんだ」
そう思った瞬間、すでに輪から降りていました。
降りようと思ったわけではなく、どこにも向かっていないという気づきが、その輪自体を消滅させていたのです。
そこに訪れた解放感。
これこそが、輪を回し続けることで求めていた楽園でした。
そのとき初めて、自らの中に優しさを感じました。
自分にも本当の優しさがあることを知りました。
何かを獲得しようとする緊張が、本来の温かさをマヒさせていたのです。
それは深夜のことでした。
僕は階下に眠る両親の枕元にこっそり忍び込み、小声で伝えました。
「もう大丈夫だからね。
僕はいま生まれ変わった。
僕が守ってあげるから、もう大丈夫だよ」
あれからまた30年が過ぎました。
いまは両親とも消えてしまったけれど、心の中に灯った炎はいまも燃え続けています。
後半の30年は何を目指すでもなく生きてきました。
にも関わらず人生という劇場は勝手に展開しています。
うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、それは前半の30年と何も変わっていません。
違いがあるとすれば、自分に対する過剰な期待がなくなったこと。
そして正しさで人を裁くことがなくなったこと。
今日も窓辺でお茶を飲み、テレビを見て、仕事をして、気が向いたら瞑想しています。
何も特別なことがない当たり前の人生。 >>118
>それは深夜のことでした。
>僕は階下に眠る両親の枕元にこっそり忍び込み、小声で伝えました。
>「もう大丈夫だからね。
>僕はいま生まれ変わった。
>僕が守ってあげるから、もう大丈夫だよ」
普通じゃない...
.
. 昨日話した「優しい気持ち」
それが自分の中にもあると気づいたとき、それまでの自分とは違う現れをしていることに気づきました。
肩の荷が下りているというのが分かりやすい言い方ですが、同時に「普通の人」になっていました。
普通の人とは、凡庸でつまらない人ということではなく、自然な人という意味です。
それまでは、特別な人を生きようとしていたので、その不自然さが日常になっていました。
自分が他者より優れていることを証明するのが仕事でした。
それによって、みんなの愛が得られると思っていたのです。
結局のところ、愛されたい、認められたいという心の衝動を満たすために、自分ではない自分を生きていたわけです。
「優しい気持ち」というのは、そのまま「愛」のことであり、自らの中に愛を認めた瞬間、他者からの愛が不要になり、自己演出が消えました。
人から好かれるために、いかに多くのことをしていたことか。
自分が普通以上の特別な存在だということを、執拗に印象付けようとしていたことが滑稽でした。
自分が心底普通だと思えた時、あらゆる人も本当は同じなのだとわかります。
そのとき分離が消えていました。
「特別さ」と「分離」は表裏一体で、どちらかが落ちれば両方が落ちます。
すべてが普通(自然)であるということは、分離した「私」はいないということ。
このことが、いまのメッセージの原点になっています。
上も下もないということがわかると、人生はとても楽になります。
僕もあなたも普通の人。
それでいいでしょ?
今日も自然な自分で、清々しく生きましょう。 荒稼ぎするようになってから冷めた目でしか見れない。
118の文章キモい。 >>122
「優しい気持ち」...?
ブログの中で人を責めたり、落とし込もうとしたABがこの言葉を使うとは...。
普通じゃない...
.
. なんかさ。。。。。。
あれだけおおっぴらに正体さらしたあとでの 覚者ぶりっこって
普通恥ずかしいとか、体裁悪いとか感じるんじゃないかと思うんだけど。
それでもやり続けるのが すごいよね。
やっぱり普通の人じゃないんだな。 黒斎の老子の本、出たばかりの時に、Amazonで低い評価のやつもあったけど、さっき見たら全部満点レビューで、操作してんじゃねって思った。 >>126
個人攻撃の様な評価は申請をすれば削除されるよ。
低い評価をした本人が評価を取り下げたかもしれないよ。
ステマ評価を乱発する事は容易。でも低い評価を消す事は困難だよ。 >>127
評価者が取り下げたのかもね。
「どうした??黒斎!?」
みたいな、昔は良かった的な内容だったけど。 黒斎もS野と持ちつ持たれつのズブズブになってからおかしくなった気がする。 S野S一郎と関わった連中は全員落ちぶれているよねぇ つまるところ、みんなで仲良くできたらいい。
それぞれの考え方や生き方を認め合って、争うんじゃなくてそれぞれの良さを与えあえたらね。
本当は誰でも心の底で、みんなと仲良くしたいと思っている。
なのに、表層の自分がそれをさせないんだ。
自分正しさのアピールのほうが大切になってしまう。
自分の正しさが一番正しいと思っているから。
口喧嘩から戦争に至るまで、あらゆる争いは正しさと正しさの闘い。
そして力が勝った方が正しかったということになる。
この世から正しさが消えたらいいと思う。
その代わりに愛があればすべてうまくいく。
愛は自分を主張しない。
愛は相手を受け入れる。
愛は空っぽの器にしか入れない。
自分の意見でいっぱいのマインドに、愛が満たされることはない。
いかに空っぽになるか。
いかに力を抜いてリラックスするか。
そうすればみんなで優しくなって、この世がグンと生きやすいところになるだろう。
この地上には70億人を養って余りある富と資源がすでにあるのに、それを使っていく能力をまだ人類は持っていない。
その気になればこの瞬間、世界中みんなで幸せになれるのに、そんなことより相手を淘汰することのほうが大切だと思っている。
恐れと恨みが消えてなくなれば、一気に人類の文明は高度なものになるのにね。 >>130
昔興味あったけど、見切って良かったーーw ある時、悪魔会議が開かれました。
人間をいつまでも不幸にしておくために、人間が決して神の子だと気づかないように、一番効果的な方法を人間界に用いてきた悪魔を、次期悪魔大統領に任命しようと言うのです。
現職の悪魔大統領が、候補の3悪魔に聞きました。
「お前たちは、人間界で何をやってきたか」
一人目が答えました。
「私は新種のウィルスを捲き散らしてきました。
エイズウィルスと鳥インフルと豚インフルです。
狂牛病も付け加えておきました。
欲深い人間どもが、肉を食し性欲におぼれる限り、これらの恐怖から逃れられません」
悪魔たちから拍手と歓声がわきました。
次に二人目が答えました。
「私は人間どもに暴力と破壊の楽しさを教えてきました。
映画やゲームのような娯楽に悪魔性を吹き込んで、子供の頃から洗脳し、無差別に人を殺しても何とも思わなくなる大人を養成できるようにしてきました」
ブラボー!会場はさらに盛り上がりを見せました。
そして三人目が答えました。
悪魔の中でも一番賢く、期待の星でした。
「私は聖者になり済まし、彼らの前に立って言いました。
『あなたは神の子だ』と」
会場に動揺が走りました。
しかし、その悪魔は続けました。
「どんなに苦しくても頑張るのだ。
耐え忍びなさい。
そして希望を持ちなさい。
より高き自分をめざし、神に近づくのだ。
いつの日か、完全な自分になった暁には、自分が神の子だったことを知るだろう」
会場は騒然となりました。
一番期待されていた悪魔が、自分たちを裏切るとは。
しかし、現職の悪魔大統領は言いました。
「人間はいずれ、ウィルスも暴力も制御してしまうだろう。
しかし、3人目のお前こそ完璧に仕事をやってのけた。
これで人間が神の子だということを知る日は永遠に来ない。
彼らは、永遠に自分を高め続け、永遠に神にあこがれ、永遠に「いつの日か」を待ち続けることだろう。
ABこそが次期大統領だ」
・
・ Merry Merry Christmas!!
i really wish your happiness and peace. キリスト、天皇、優しさ、愛・・・を集客の道具にしてしまうのですね。
キリストの名のもとに侵略と殺戮を繰り返した人々
天皇の名のもとに死んでいった人々
キリストも天皇は素晴らしいですが、
その名を使って金と名声を欲する人がいるんだよね。
普通と言いながら、特別を示す人には気を付けたほうがいいと思うよ。 もしかしたら人生は、自分の都合から貢献のレベルにシフトする学びの場で、結果もそれに従って付いてくるようになっているのかもしれませんね。
何事もタライに張った水みたいなもので、与えようとして水を押せば縁(へり)に沿って自分に返ってくるけれど、水を自分に引き寄せようとすると縁に沿って逃げていく。
身近な人間関係から仕事まで、何かに悩んだときはいつもこの基本をチェックするようにしています。
それにしても自我君は、執拗なまでに自分の生き残りを心配して、周囲をコントロールしようとする。
自力で生きているって信じているから奮闘するわけです。 わははは
確かにその通りなんだけど
人の書く文章って あれこれ他者について語っているつもりでも
実は自分自身のことを書いているってことが多くて 笑っちゃうよね。
スピリーダーであっても それは同じ。
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!! >>136
>何事もタライに張った水みたいなもので、与えようとして水を押せば縁(へり)に沿って自分に返ってくるけれど、水を自分に引き寄せようとすると縁に沿って逃げていく。
何言ってるのか、わからない???
だれか説明してくくれませんか。 「ほとんどの人間は、自分と周りという分離の現実に生きている」
って、
お前が一番分離しとるやん!w >>139
abさんの得意な パクリ ですね。
タライの水を押したり引いたりしないで、水をすくって頭からかければいい。
>>131
>愛は空っぽの器にしか入れない。
これもパクリかな? アセンションに関する自説
2012後半から叫ばれているアセンションいわゆる地球を含む次元の上昇
これに伴い人間も変化ていくと言われる
2016冬の所感では、特に何も変化が起きて内容に見えるが、起きてると
すれば一般人には理解が難しいと思われるOWなどの出現による非二元の
思想の展開(古くは光一元思想と言われる)が典型ではないのか?
今までは日本的思想は古来からの因果応報理論が中心であり悪事を働く
ことによりマイナスの要因が働き不幸となるということが中心的観念だ
ったが、今後は神仏より人間至上主義になり、現実的幸福は明朗かつ人
と調和を図れるものがますます力を得、益々幸福になっていくと思われ
るのだ。
長らくアセンションは人間が精神的に向上し神仏との融和がますます図
られるていくことだと思っていたが、どうやら誤解していたようだ。
反論等があれば、特に霊能関係者から意見が聞きたい 自分、頭が悪いもんで 何書いているか ようわかりません。
もっとかみくだいて 展開していただけると ありがたい。 黙って延々とコピペ貼り付けて
うんざりして誰も見なくなって
ほら勝った!っていう展開? >何言ってるのか、わからない???
だれか説明してくくれませんか
タライの強引な例えでわかったつもりになるのが自我でしょ
あべすけの自我が発した形イメージを自我でしか理解できないのは当然
例えや引用が多いのは本人あべすけが目覚めてないからよ パパジの言葉 非二元か?
Q:ノーマインドの中での経験は何ですか。
そこには経験はない.ノーマインドの状態から抜け出した時にのみ対象に対する経験がある.
過去の経験を取り除きなさい、そうするとこの瞬間には経験はない、経験すべき何物もなく、
経験者もいない。
あなたは全てから自由だ。経験は時間の中で起こるがこの瞬間には時間がない。この瞬間は
時間の外だ。 非二元は二元に存在している状態では説明ができない。
言葉では。
非二元は言語状態ではないから。
それを無理やり表現したり説明したり解説したりする連中は
非二元を商売道具にしたいだけのお馬鹿さん。
非二元を二元状態である程度解りやすく解説出来るとしたら
天才レベルの脳と表現力(文字や数字や絵画的表現全てを駆使できる)がないと無理。
スピやってる人間には到底無理。
単なる二元脱落者なだけだから。
非二元感覚到達者と、非二元脱落者は良く似ているようで
実は対局の存在。 世界という思考が湧けば、世界が現れる。
あの人という思考が湧けば、あの人が現れる。
特定の出来事が思いの中に現れた時、その出来事が活気づく。
しかし、世界を想起しなければ、世界は存在しない。
特定の人や出来事を思い出さなければ、それらも存在しない。
思いとして湧きだした時だけ、それらはある。
耳を澄まして、ただいまの中に佇んでみる。
窓の外の木々の揺らめき
鳥たちの声
流れる空気
畑のモーター音
目の前のパソコン画面
コーヒーの香り
ほんの少しの憂鬱
背中の張り
鼻づまり
椅子のシートの柔らかさ
これがいま起きていること。
ただこれが、こうしてあるだけ。
そしてこれからも、ことは瞬間ごとに起きつづけていくことだろう。
誰かがそれをやっているのではない。
ことはただ、起きているのだから。 >>148
>これがいま起きていること。ただこれが、こうしてあるだけ。
これはあなたが造り出している感覚。
「わたしはいない」のであれば、それは起きていない。
非二元と人間至上主義のどちらを選ぶのか? >>148
そこに喜びや感動そして感謝もはあるんだよな
なければあまりに無味乾燥すぎる。。砂漠だ 今年は何者かになってみようか。
その気になればどんな人にだってなれる。
だって、もともと何者でもないんだから。
本当は誰一人何者でもなくて、ただいまこうして呼吸して存在しているだけ。
頭の中にはいろんな考えが湧くけれど、ただそういう考えや感情が次々と起きているだけなんだ。
自分はこういう人間だと思ったのであれば、それがプラスイメージでもマイナスイメージでも、ただそういうイメージが湧いただけで、あなたは何者でもない。
と、ここまでの文章を読んで、
「そんなことはない、私はこういう人間だし、あの人とは違う」
と思ったのなら、いまそういう思考が湧いたってこと。
思考は刹那的なものだけど、それを繋ぎ合わせて一つのストーリーにして、まるでそのストーリーが実体であるかのように生きているのが、人生というものだよ。
本当に起きているのは、刹那刹那、いろんな思考が湧き、感情が湧き、刺激に反応し、行動するってことが繰り返されているだけなんだ。
人生なんていう連続したものは存在していないし、それを歩んでいるつもりになっている自分も固定された実体じゃない。
くどいようだけど、いま何を考え、何を感じ、何をしているかが、ただ起きては消えているだけなんだ。
起きている「いま」に無意識になれば、思いこみで作りだした世界が実体に見えるし、それを生きている自分も実体に見える。
その状態を
夢を見ているって言うんだよ。
夢は欲求不満になるのが定めで、気苦労やストレスを抱え込むけれど、それを解決しようとして、夢をよりよくするためにまた四苦八苦する。
そんなものは一瞬で消えてしまうのにね。
ただ「いま」に目覚めればそれで終わり。
思考や感情や動機を全部、いま湧き起きただけの刹那的な現象だと見極めれば、それであらゆる問題は消えてなくなる。 >>151
>夢は欲求不満になるのが定めで、気苦労やストレスを抱え込むけれど、それを解決しようとして、夢をよりよくするためにまた四苦八苦する。
これは、ABの造り上げたストーリーだよ。
いや、商売のネタとするところかな。
>思考や感情や動機を全部、いま湧き起きただけの刹那的な現象だと見極めれば、それであらゆる問題は消えてなくなる。
あやふやな言葉ばかりで、いくら話を聞いても信者が辿り着くことのない領域だよ。
お金ばかり取られるのがおちだね。 今日から通常の生活に戻る人も多いかと思います。
今年はどんな年にしたいですか?
昨日も書いたけれど、その気になればどんな自分でも生きることが可能ですよ。
な〜んて言うはやすしで、実際には過去の自分を生きてしまいがちで、それは僕も同じ。
存在のカラクリに目覚めたとしても、肉体と精神に刻まれたパターンは、なかなか手ごわいもの。
人生ゲームの矛先を、外側の壁やトラップではなく、内側の条件反射のパターンに向けられたら、人生は変わっていくのだろう。
もちろんあえて変える必要もないし、本当は何でもいいのだけど、どちらにせよ深刻にならずに気楽にいきたいものだ。
子供の遊びみたいに、やっていること自体を楽しもう。
彼らは、その結果どうなるかなんて気にしていない。
走り回ること自体が楽しいのであって、走ったからどうなるなんて考えてないから楽しめるのだ。
結果志向は深刻になりがちだから。
でね、こうやってメッセージを書いていて思うのは、書いていることって自分に必要なことばかり。
だって僕は少し放っておくと、すぐに深刻になりがちだから。
本人は真面目で真剣だと思っているのだけれど、うっかりすると眉間にしわよせて怖い顔しています。
だから、
「気楽が一番」
「深刻さはいらない」
なんて何度も言いたくなるんだろうな(笑)
もうひとつ言うとね、
いや、やっぱりやめておこうかな、
いまさらだし・・・
でも言っておく
実はね
僕は
いまここを生きるのが苦手。
あはは、面目ない(^o^;)
うっかりすると、すぐにストーリーにハマっています。
もし自分があたりまえにできていることだったら、そのことに大した価値を感じることもなく、あえてメッセージとして伝える気にもならないことでしょう。
たぶん僕だけでなく、教師めいたメッセージを送る人って、自分ができていないことを言うのかもしれない。
いつだって自分が一番の生徒だ。 そうか、あんた悟ってないから悟り悟りと言ってんのか >>153
>僕はいまここを生きるのが苦手。
やっぱりやめておこうかな、
いまさらだし・・・
でも言っておく
実はね
ABにあった時から知っていました。 >子供の遊びみたいに、やっていること自体を楽しもう。
虫メガネでアリを燃やしている子供を見たことがある。
真剣な顔をして、夢中で燃やしていた。
子供ほど恐ろしいものはないと思った。 OWちゃんは
”去年は、大大大好きな祖門さんと2回も一緒に ”
ラブラブなんだけど、AB氏とはどうなっているのでしょうか?
コピペ氏・・・知ってるのかな〜〜 myuさん
>肉体を持つ意味や、思考にとらわれてしまう過程の全ては、神のリーラと理解しても良いですか?
おっしゃるように肉体の現れも、思考や精神作用も、リーラ(宇宙の戯れ)です。
戯れとは、そこに確たる意味がないということ。
意味は人間が後から付けるものであり、森羅万象に内在しているものではありません。
でもこのことを受け入れるのは困難です。
人生には苦悩が付きものであり、苦悩が無意味だとしたら耐えられません。
苦悩には意味や理由が必要です。
そこでいろいろ考えます。
苦悩が存在するのは
魂を磨くため
成長するため
人生の深い意味を知るため
本当の幸せにたどり着くため
苦悩のおかげで魂が磨かれ、成長していると感じることも事実ですが、では何のために魂を磨いて成長しなければならないのかという疑問は残されたままです。
そこでまた意味を考え出します。
「宇宙は自らの一部を全体から切り離し、再び全体に戻るというゲームを仕掛けることで、宇宙(全体)自身の素晴らしさを再認識しようとしている。」
僕もこの答えが気に入ってはいますが、いかにも人間的な発想です。
完璧な宇宙が、完璧さを知りたがるというのも無理矢理感が否めません。
そこでまた理屈が必要になり、それは永遠に続いていきます。
若いころからいつも考えていました。
誰にも知られず野に咲く花は、何のために咲いているのだろう。
人生の目的は何だろうか。
人は何のために生きているのだろう。
で、行きついた答えは
「わからん!!以上!!」
なんの答えにもなっていませんが、それでも
「生きているって素晴らしい」
と思うこともよくあります。
素晴らしいって思う時、そこに意味は不要です。
素晴らしさは、それ自体で完結しているから。
意味を必要としない境地になったとき初めて、「森羅万象はリーラ(神々の戯れ)だ」という言葉が現実味を持つのです。
いろいろ言いましたが、わららないものはわからない。
でもいまこうして生きてる。
なんだか分からないけど、ありがたいなァ。
合掌 人間の精神にはいくつかの段階があります。
段階と言っても優劣ではありません。
精神がフォーカスしている場所が違うのです。
最初は、目に見える世界だけが真実だとする、いわゆる唯物論の段階があります。
見えないものはすべて迷信か妄想だと言うわけです。
人生は一度きりで、死んだらお終いです。
この段階を生きている時は、何かを獲得したり所有したりすることに価値を感じます。
それは、お金であったり、地位であったり、あるいは家族だったり、自分のものと感じられるものを、より良く、より高く、より大きくしたいと願います。
これらを守るためには闘うこともあるでしょうし、他者と競って優位に立とうともするでしょう。
教育もこの価値を基準にしていますし、より良い人生を生きるための訓練や努力を奨励します。
もちろん人格を高めることも重要視します。
欲によって生きているので、欲を抑えることが立派なことだと考えます。
周囲の目を気にし、「べきだ」「ねばならない」が一番多い段階です。
多くの人達がこの価値観を生きていて、世界も社会もそれによって成り立っています。
次の段階では、見えない世界を感じ始めます。
占いや、予言、高次元からのメッセージなど、第一段階の人から見れば如何わしく思うものも、この段階ではリアリティを持ちます。
この世には科学や物理法則では説明できないものがあるというわけで、このあたりからスピリチュアルと呼ばれる世界に入ってきます。
欲しいものは第一段階と同じですが、それを神秘的な力によって成したいと願います。
霊の力や、念の力、あるいは良い感情や、思考が持つ不思議な力が、願いを叶えると説きます。
人格の形成よりも、愛や優しさが大切になり、死後の世界を信じ始めるのもこの段階です。
やがてさらに精神が高まってくると、欲しいもの自体が変わってきます。
霊的成長や、真理の発見、あるいはハイヤーセルフとの出会いといったものが、より大切なことになるのです。
この段階においては、所有することよりも、経験することや体感することが重要になります。
様々な修行に身を投じたり、古今東西の覚者の言葉を学んだりします。
いわゆる「悟り」を目指しているのです。
そして最後の段階においては、個人という感覚が薄れ始めます。
悟りや霊的成長を目指す「自分」がいなくなり、すべては一つだということが現れてきます。
この段階においては、所有することや、経験や体感することよりも、いまここに「在る」ということが大切になります。
これしか存在していないことを完全に理解しているからです。
肉体の死がすべての終わりではないことはスピリチュアル全般に共通していますが、死後の世界とか、輪廻転生とか、未来という時間に想定されるすべては幻想になります。
そして何かを変える必要もなく、すべてはあるがままで完璧だと宣言します。
この段階の真実を、他の段階の人に話せば、無責任な暴論にしか聞こえません。
世界を見渡せば、悲惨な事件や貧困、戦争や環境破壊など問題だらけなのに、あるがままで完璧などと、何を寝ぼけたことを言っているかとなるのです。
ですからこの段階の真実は、社会に浸透することはありません。
宗教さえも、悟りを求めたり、神の力を説くことで成り立ってきました。
そうでなければ社会に根付かなかったことでしょう。
さて、ここまでざっと精神の段階を説明してきましたが、最初に話したように、高い段階とか低い段階とかいうのは説明上の表現で、優劣ではありません。
どの段階を生きる人も、すべて完璧な流れの中にいて、完璧な人生を送っています。
低い段階の人を高めてあげようなどと思う必要もありません。
宇宙というのは、様々な段階によって総合的に成り立つものであり、最終段階の魂ばかりになることを目指しているわけではないのです。
ちなみに僕は第一段階を生きていますが、どうか放っておいてください。
悟りを求めることもありません。
一周して戻ってきて、結構楽しくやってます(^^) 自我流今ここを実践
まず過去も未来も存在にも自分は存在してないことを確信するとともに、
自分の意思を現在只今(中今)のみに生きていると捉えそのことに意識
的に集中する。そうすると自分の視界が狭くなったように感じ、やがて
本当に現在の苦でさえも忘れてることに気づくであろう。
ただし外でやると事故に遭う可能性があるので自宅で実践すること。
慣れれば視界も回復し、仕事や勉学にも集中できるようになります。 すいません訂正
自我流今ここを実践
まず過去にも未来にも自分は存在してないことを確信するとともに、
自分の意思は現在只今(中今)のみに存在していると捉えそのこと
を意識的に集中する。そうすると自分の視界が狭くなったように感
じ、やがて本当に現在の苦でさえも忘れてることに気づくであろう。
ただし外でやると事故に遭う可能性があるので自宅で実践すること。
慣れれば視界も回復し、仕事や勉学にも集中できるようになります。 >>159
いまは2つだけどそのうち3つになるでしょうね
またはもしかしたら第2ブログとか作るかもね
ここまで欲に乗っ取られているのを見ると少し悲しいね
こうなると気がつく見込みはもうなさそうだけどね 悟り(と呼ばれているもの)のプロセスや至点なんか人それぞれ違う。
だから禅なんかは「ただ座る」と言うだけ。
悟りやら非二元なんぞでもてはやされたり贅沢したり
認証欲求満たそうなんてする連中が悟るきっかけになんかなるわけないw
誰もが簡単に悟れる時代、ではなくて
誰もが簡単に脳の誤動作を作れる時代ってだけ。
情報の上澄みだけをかき集めて解ったふりやら知ったかぶりで商売ができるスピで
ぼこぼこになった脳が死んだあとどうなるか
いやいや、楽しみですなw 現実逃避なのか真実の探究なのか、確実な回答はどこにあるのだろう 本当に悟った人間が、その悟りでビジネスするか?
それで稼ごうと思うか??
それが一番の疑問だ。 >>164へ
>すいません訂正
>慣れれば視界も回復し、仕事や勉学にも集中できるようになります。
訂正するようじゃ・・・集中できてないよね。 さて、目の前の出来事は常に、ただ起きることが起きているのですが、我々はそこに何らかの意味や理由を持たせて、「こういうことが起きている」と決めつけて生きてきました。
そうやって決めつけたストーリーを全部束ねたものを人生と呼んでいます。
どんな出来事に対しても百万通りの解釈が可能なのに、人はその中の一つを採用し、それを唯一の事実だと思いこむのです。
したがって人生とは思い込みの束のようなものであり、それを生きてきた自分自身という存在の印象も、思い込みによって作られています。
思い込みの束は、たいていの場合重荷になっているので、全部ガサっと落としてしまうのがいいのですが、なかなかそれができません。
なんだかすべてを失ってしまうような気がして怖いからです。
でも落としてしまっても、何もなくならない。
だって思い込みの束なんだから、最初から存在していなかったものを落とすだけです
自分という思い込みのキャラクターが、ガサっと落ちた時の気持ちよさは、他のどんな快感をも超えています。
そしてそこに残るのは、純粋無垢の目覚めた意識。
それが本当のあなたであり、その存在は、いままで起きたどんな出来事にも一切影響されていません。
本当のあなたはいまも、純粋無垢の目覚めた意識であり、それ以外は全部マインドが作り出した偽物です。 誰かの意見に追従していくのも勉強にはちがいないけど、
あくまで参考くらいにしておいた方がいいよ。
自分の人生を代わりに歩いてくれる人は自分を除いて誰もいないよ。 >>170
>自分という思い込みのキャラクターが、ガサっと落ちた時の気持ちよさは、他のどんな快感をも超えています。
快感なの???
>そしてそこに残るのは、純粋無垢の目覚めた意識。
純粋無垢の目覚めた意識とは、どんなものなの??
「わからん!!以上!!」 >>171
同意
この人、せっかく場が静まりかけていたのに
わざわざ その静まった水をかき回して泥を巻き上げて 騒がずにはいられないのね。。。。
人をコントロールしているつもりが
自分の秩序さえ保てなくなっているようにも見える。。。。。
大変なんだろうけれどね。。。。。。 本当に悟った人なら、おそらく淡々と静かに生きてる。
表に出てくることもなく。
すこし人と違う体験をしたり、技をもったからこそそれを
見せびらかしたくなるのさ。
極めた人はひけらかしたりはしない。
むしろ一人で精進し続けるだろう。
学校や家庭で習わなかった?
「おいちゃんについておいで」っていうおじさんには絶対についていってはいけない
ことを。
スピっていう杖に頼るのもいいんだけど、最後は自分の足で歩けるようにならないと
それこそ生きている意味がないと思うんだ。 目覚めたからと言って、何かを得るわけではありません。
立派な人になるわけでもなく、特別な能力が身につくわけでもない。
むしろその反対で、自分が実に当たり前の存在で、何一つ特別なものがないということを知ります。
全ての人が自分と同じであることに気づくことで、自分の当たり前さを知るのです。
と同時に、あらゆる同胞たちへの言いようのない慈しみが湧いてきます。 スピのフィールドに嫌気がさしてしまっただけじゃないのか?
それにしても あくえりあんさんも去ったし ほとんどの人が消えてしまったね。
それもまた流れのひとつ。
よしとするか。 新しい欲求の提出をしていることに気がついていなくて、そして、更に、その場に引き込んだ人たちの面倒はみない
しかし、本当にメッセージは、つまり体験を誤って、以前の知識に当てはめているのだが、その実際の感覚は知っている
味わっている
ただ、理解ができていなくて、人の言葉を当てはめて理解したので伝わらない
だから、様々にぶれるのであるが、しかし真理をついている時もあるという不思議な現象になっている
しかし、この姿勢は感動を覚える
あなたのために 時折、あの人と、この人では、どちらが悟っているのだろうなどという質問が寄せられます。
「私は大きな悟りを得た偉大な魂だ」
とか
「私は釈迦の生まれ変わりだ」
とかいう人がいるからでしょう。
どんな覚者だろうと、いまマインドに取り込まれていれば夢を見ていますし、あなたが完全に今にあるとき、あなたは覚者です。
人は不安を抱えているので、全てを理解し、全てを超越した特別な人にいて欲しいのです。
それが神でも、聖者でも、高次の意識でも構いません。
そこに寄り沿えば安心だと考えます。
多くの宗教はそのようなニーズに応えるために生まれましたが、それはそれで役に立ってきたように思います。
しかしいま、真実への目覚めが一介の市民たちの間でも起き始め、何かにすがるような親離れしない信仰から、己の中にある真実を、それぞれが見出す時代に入ってきたのではないでしょうか。 堀澤祖門さんは、仏教界を代表する方で、素晴らしい肩書きをお持ちですが、
仏教という枠を超えて、とてもオープンにノンデュアリティーの
メッセージを理解し、解説してくださいます。
これは、概念の枠、二元の現実が作り出す枠を超えてこそ
できることだと感じています。
そして、普段から、いつもにこやかで、気さくに楽しいお話を
たくさんしてくれます。
彼の溢れるエネルギー、パワー、にはいつもおどろかされます。
そして、祖門さんは、まだまだ新しいことに対する好奇心と、
なんでも楽しむエネルギーに溢れていて、
なんと、6月には、パリにもいらっしゃる予定です!!👏👏👏
祖門さんは、とっても若く見えるし、彼の実年齢を知らない方が
多いと思うので、ここでばらしてしまうと、なんと、87歳ですよー!
今からとても楽しみです!!
これを機会に、他のお寺でもたくさんリトリートが
できたらいいなー。という思いが湧いています。
人は、気づかずにどこか重みを抱えています。その
ほとんどが、今まで吸収してきた、概念によるものです。
その枠がどんどん外れることによって、
起きていることにナチュラルに対応していくことが起きてくると、
自然とエネルギーはどんどん溢れ出します。
祖門さんは、まさに、このことを体現している方です。
愛と感謝を込めて
菜穂 >>181
非二ドルでしょ
「菜穂と祖門さんのDVDのアマゾンレビューにだれか五つ星つけて!
一週間以内にやってくれた人に恥ずかしいけどセクシー写メ送ります(*´ェ`*)ポッ
でもシリルには内緒にね」 大和田菜穂さんのこと
この一か月間、どこで講演をしても必ず出てくる質問は、大和田菜穂さんについでです。
彼女の言葉を聞いて、初めての感覚に触れた人や、根底から救われたという人もいれば、どうしていいか分からなくなってしまったとか、混乱したという人もいます。
いずれにせよ、彼女の出現は、一部の人にとってセンセーショナルだったようです。
かく言う僕もその一人で、頻繁に訪れる無我の感覚を彼女の言葉で説明してもらえた一方で、まだそれは「経験」にすぎないという、さらに次の状態があることの証拠を見せてもらった感じがあります。
そしてそのような最終的状態は、難しい何かではなく、誰もがすでにそうであるところの、存在基盤の発露です。
重要なのは、誰一人例外なくその状態を求めていて、ただそれを求めていることさえ知らずに、その代用品として、人との愛や、成功、豊かさ、成長、さらには、安心、安全、満足などを求めているということです。
そしてここにきて、さらに鋭い切り口で、しかも現代の日本語で、その役目を担ってくれる人が出てきたと思っています。
向老師は彼女のメッセージを、臨済自身のメッセージと酷似していると言います。
多くの求道者は、臨済の言葉はうやうやしく崇め、若い日本女性の言葉は一笑に付してしまうかもしれませんが、僕から言わせれば、臨済の言葉は紙面の中にしかなく、彼女の言葉は生きています。
権威に惑わされずに真実を見抜く目を持った人には、とても有難い存在だと思います。
大和田さんはパリ在住で、いま欧州で大変な注目を集めています。
当地では、すでにノンデュアリティブームとも言えるような現象が起きていて、そのことを伝える多くのメッセンジャーがいますが、本物は一握りです。
中でも、彼女の評価は極めて高いものがあります。
毎週末、ヨーロッパ各国に招かれ講演されていますが、その最新の模様も、近いうちに日本に紹介してくれるようにお願いしています。
そして今年の夏に来日します。
百聞は一見にしかずで、とにかく間近に見て、聞いて、その存在に触れることだと思います。
自己が消滅する現象は、自己側にできることは何もないのですが、唯一、その状態になった人のそばにいることが、何らかの触発現象を起こす可能性となります。
すでに欧州では、彼女に触発されて、新しい次元を垣間見る人たちが出てきています。
同じ民族の我々には、さらにチャンスが多いと感じています。
会場は、東京と大阪の二か所です。
ゲストには、雲 黒斎君、さとうみつろう君、向令孝老師を予定しています。
このワクワク感。
何十年もやってきた活動に、ひとつの節目がやってきたというのが率直な印象です。
一般社会の中で、彼女のメッセージを、いきなり理解できる人は稀でしょう。
でもここに集まる人たちは、すでにその素地があります。
このような展開は、ある種の必然だと感じています。
大いなる流れと、この時代に生を受けたことに感謝しています。
今日もここに来てくれてありがとうございました。
これからも応援よろしくお願いします。 >>184
懐かしいな、おい!
それにしても言語明瞭意味不明瞭。
いや活舌も悪いから全く以て意味不明。
自己が消滅するって、死んでるってことだよね?
にゃほちゃんはお化けなの?
数か月ぶりにここに来てみたので記念カキコ。 owは臨在ではない。
真実が何かもわからないから宗教は続く。
事実 真実は隠されて広がらないようになっている。真実ではないものが広がる。
それが何かもわからないほど難しいんだ
よ。 ソモンさんは、一歩間違ったらオ〇ム真理教系だよ。
オ〇ムを宗教法人にする手伝いしたのも世界的に著名な宗教家だしね。
老僧の臨在が大和田女史に代弁されるなら
老僧自体が大便だ。
大和田女史の登場がいろんなものをはっきり見せてくれたって意味では
面白かった。 さとうみつろうという詐欺師を持ちあげてる時点で論外 確かにな。
owさんが本物と感じる人間は、間違いなく人が見えていない。
そこで 判別がつくってのは 俺も感じたことだ。
どんなに高名な宗教家であろうと、中身は地位とは関係ないんだな、ってよくわかったよ。
>堀澤祖門さんは、仏教界を代表する方で、素晴らしい肩書きをお持ちですが
人間社会の肩書とか宗教界の地位とかなんの意味もないのよ!と
主張しているowさんが こういう場面で正体ばれる。www
アピールのためには堂々と臆面もなく 肩書を利用するわけだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています