阿部敏郎パート8[無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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何も幸せになるためにスピの門叩くわけではないと思う
スピは宗教では解決できなかった者たちが辿り着く場所
ただ基本的には他人に理解してもらうのが難しいため個
人で追求していく必要があり、孤独と苦しみを伴う場合
も多いと思われる
単に苦しみから助けてほしい場合はSやKなどの宗教の方
が人間の輪もあり良いと思う
メンタルヘルス系は人の輪を中心とする宗教や非二元的
な学びが救いとなるのではないかとは思う いろんなブログ読んでるけどさ。
某所の信者らしき人が自分の信じる2ちゃん内のスレで、ここのブログを暗に批判してるのを見て怖いと思った。
バレバレなのに書き込むたびに人格がころころ変わってるし、たぶん糖質の人だと思ってる。
それにしても、なぜここを標的にしてるんだろう… >>54
MAKIは努力して修行するスピを否定している。
今すぐ簡単に幸せになれる、と。
だから奴が苦しそうなのは矛盾なんだよ 人生というのは、起きていることをどのように捉え、感じ、考えるかの連続だと思います。
そうやって捉えた出来事は、その時に終わるのではなく、記憶として長年にわたり持ち運ばれます。
そんな記憶の渦たちも、いま起きていることと同じように心に影響を与えていて、何かを想起するたびに、おなじみの感覚が蘇ってきて、そんな繰り返しが人生なのでしょう。
自分本位の考えなのに、まるで絶対的事実みたいに思っていて、一度決めつけてしまうとそれ以外の見え方ができなくなり、思いつめることで苦しみを作り出していきます。
全部が自作自演だというのは、目の前の人や物をあなたが念力で作り出したというのではなく、それらの素材を使って、意識のスクリーンに自作の物語を投影し続けているという意味です。
物語は無数に作りだせるのですが、人はたった一つしか採用しません。
自分の物語だけが真実だと疑わないのです。
誰かと対立した時は相手が間違っていると思うので、これが争いの基になります。
同じ時代に、同じ地域で、同じ仕事についていても、それぞれに全く違う世界を作りだして生きていることを忘れなければ、たいていのことは腹が立ちません。 案の定発狂してて笑った。
その行法が糖質こじらす原因だってことを身をもって証明してることに敬意を表す。 自我というものは、すでに多くの知識や結論を持っていて、自分はちょっとした人のつもりでいます。
そして自分と考えが違う人を見れば、相手が間違っていると感じます。
自我は尊大でとてもプライドが高いときています。
ある国の大臣が、今世紀最高の知性と呼ばれた、とある賢者のもとを訪ねました。
そして
「私は最高学府をトップで卒業し、得られる限りの富と権力と名声を手にしました。
こんな私にさらなる深遠な知識を授けてください」
賢者は言いました。
「よろしい。あなたはとてもいい日に私を訪ねた。
それではいまから外に出て、顔を天に向け、大きく口を開けていなさい。
遠からず、素晴らしい啓示があなたに訪れるだろう」
今日はとてもいい日とは、なんと恵まれたことだろう。
大臣は早速外に出てみると、外は大雨になっていました。
それでも彼は言われた通りに、ずぶぬれになりながら顔を天に向け、大きく口を開けていました。
雨は容赦なく顔を叩きつけてきます。
開いた口からは水があふれ、呼吸をするのもままなりません。
それでも何分も頑張り続けました。
しかしもう限界です。
彼はずぶ濡れになって部屋に戻ってきました。
そんな彼を見て、賢者は尋ねました。
「啓示はあったかね」
「いえ、何もありませんでした。大雨の中で顔を上げて、口を開けている自分が馬鹿に見えてきましたよ」
すると賢者は言いました。
「自分が馬鹿に見えたって?
そりゃ凄い。
なかなか分かるもんじゃない。
たった数分で、それほど偉大な気づきが訪れるのだから、今日は本当にいい日だ」 ノンデュアリティのスレも個人スレもないみたいだからここに書かせて欲しい
owさんってスピとか精神世界にどっぷり浸かりきってる人ほど傾倒してしまうフシがあるように見えるんだけど何で?
容姿が持ち上げられてるみたいだけど風俗とかキャバ嬢っぽいオバさんだし自意識コテコテな感じが気持ち悪い
目つきも喋り方も何というか禍々しくて動画もちょっとしか見られない
ハタから見るとなぜあれほど心酔されてるのか理解不能、でも熱烈な信者がいるっていう構図
悟ってるか悟ってないかどうでもいいけどまるで麻原とか新興宗教の教祖みたいなんだよね
owさんが特別な存在として祭り上げられてるような状況自体が異様に感じる
見た目(というか目)にあれだけムンムンと邪悪さを漂わせてるのになぜ心酔してしまう人が多くいるのか? 人間的に尊敬されたり慕われて愛されてる人って(有名人でも身近な人でもいいけど)もっと違わない?
何も特別な言葉を交わさなくても、その人の存在や眼差しだけで心が動かされたり感銘を受けるような
そういうのをowさんには微塵も感じないから、特にこういう世界でもてはやされているのが不思議で仕方ない
これがビジネスとかただの芸能人ならまだ分かる(AKBが売れるカラクリを誰もが知っているように)
自分が慕っていた人がowさんに感化されたようになってしまって本当に残念 >>28
20年前、abさんは日本一の瞑想コーチの生徒だったのですよ。 >>61
こういう見識の人は俗社会に洗脳され易い傾向があるから要注意とともに
スピの世界に入らず宗教で留めとくのが無難
>>人間的に尊敬されたり慕われて愛されてる人って(有名人でも身近な人でもいいけど)もっと違わない?
何も特別な言葉を交わさなくても、その人の存在や眼差しだけで心が動かされたり感銘を受けるような owさんは確かに邪悪臭がものすごくする。
そしてその熱心な追っかけしてる人たちも気持ち悪い。
owさんも、その信者も、必死で自分に言い聞かせてるみたいできっとものすごく孤独でスピなんかに嵌っていない人よりずっと欲まみれなんだなぁと思ってしまう。 「すばらしい・・」とか言ってると
皆が「すごいぃぃ」って、寄ってきてくれるんだ。。。
皆に好かれている私ってすばらしいんだ。。。
自分はなんでも知ってるんだ、って体で話していられる。
みんな、ふんふんって聞き入ってくれる。
そんな自分にうっとりなんだよぉ。 大◯隆法に何万人だか何十万人だかの信者が集まるんだよ
(トランプの守護霊には吹いた)
ABとかOWとかのモロ詐欺ビジネスにひっかかる連中が
ちょっとくらいいても驚くには値しないよ
AKBのしょんべん臭いクソガキにうっとりしてるアホもいるくらいだ
でもOWの目の気味悪さはヤギか爬虫類みたいでほんとすごいな
霊感ある人なら飛びのいちゃうレベル 先日の「スーパービジネスマンとの対話」
彼に、なぜ仕事をしているのか、なぜ生きているのかと聞きました。
その答えは、つまるところ
「利他心」
これは仕事でもなんでも同じで、この境地を生きられたら幸せであり、その幸せからはポジティブな発想しか出てこないから、スムーズに事が展開していきます。
利他心と言うのは、相手を喜ばせることであり、同時に自分も楽しい。
成果結果の前に、すでにプロセスを結果として楽しんでいる。
だから結果も良くなる可能性がグンと高まる。
成功者というのは、そんなスパイラルで暮らしているのでしょう。
一方、この真逆は、コントロールしようとするということ。
こう言えばこう思うだろうとか、こちらの都合に沿ってほしいとか、相手の意思を何かの方法でコントロールしようとします。
これは苦しい。
なぜなら、コントロールなどできないのだから。
しかもコントロールには愛がないので、物事に抵抗が生まれます。
自分の生き方が、その根本からしてコントロールになっている可能性は大いにあります。
たとえば、
「自分はおとなしくしているから周囲は私を○○な人間だと見ている」
というように、一定の人格をやり続けることで、社会からこう見られていると考えるのは、自分が周囲をコントロールしているつもりでいるから。
いちいち自覚しないだけで、無意識にこんなふうにやっていることは山ほどあるかもしれません。
家族や親しい人にさえ、コントロールしているつもりでいます。
この態度は「利己心」に基づいていて、周囲に対する漠然とした不信がその背後にあります。
将来不安に過度に陥っているときも、コントロールの世界にずっぽりハマりながら、コントロールできないかもしれないという恐れがあるのです。
「利己心」から「利他心」へのシフトは、考え方を変えるくらいではダメです。
いくら本を読んでも、同じことを教えられても、結局はコントロールの世界から抜けられないのは、もっと基本的な存在の質の変化が必要だからです。 トシロぉの頭の中は、思考の嵐。
瞑想しながら、ブログのこと、集客のことを考えてる。 誰より 人をコントロールすることに執着しているアベさんが、こんなことを言うんだから
人間って面白いよね。
自分の正体見破られるの怖いんでそ? >>67
でも昔(会員3000人程度)の時は全国から求道者が集まったんだよ
皆去っていったけど・・・ 布施の生活が、もしかすると下衆な生き方かもしれない。。。。
そんな謙虚さの中での生活ならまだしもね。
素直に集金のための活動だと、歌って踊れる活動をすれば
いいのに。高尚なことだけ言って、何も悩んでいないかの
ような様がとてもダサかったりするやつが多い。
ほんとは生活ギリ、いっぱいいっぱいのはずだ。
年収200万円時代のレベルの生活だろうな。
これ以外に生活力が出せないので仕方ないのだろう。
見る側がそういう視点で見ていればさほど腹も立たないかもね。 生活という物語の中に暮らしていると、つい物語のほうがリアルなものに見えてくるけれど、実際にはいつも、あるがままのいまが、淡々と展開しているだけ。
だから一日のうちのわずかな時間でいいから、人生物語を脇において、一切の活動から手を引き、誰でもない人になって、ただいまの中に寛ぐことが大切です。
そうすれば物語以前にある、いまここのリアリティーが見えてきます。
そしてある種の気づきが起きます。
「何も起きていなかった」
いままで、どこにも向かっていなかったし、これからもどこにも行かないし、いつだってこうして「いま」があるだけ。
古池や
かわず飛び込む
水の音
いまもただ、いまだけがあります。
こんなにもあからさまな「いま」が、どうして見失われるのだろう。 FF瞑想は、悟りとS○Xの100倍の快感が得られると言ってたのは誰?
過去は捨てたいだろうなぁ〜
「いま」だけのほうが都合がいいから、「いま」を強調しているんだろ。 >>62
性感マッサージ師アダムの生徒だったのですね。 集中瞑想に入るたびに思うのは、人間は朝から晩まで、いったいどれくらいの思考を使っているのかということ。
いつも、よりよい状態を目指さんとばかり、身近なところから遠い将来に至るまで、無数の夢が、思考という形で現れては消えています。
この傾向は今日始まったものではなく、子供のころからずっとです。
だから当たり前な状態になっていて、自分が思考まみれだという自覚もありません。
物心ついてから最初に教えられたのが
「思慮深くあれ」
考えることを通して物事を解決していくという姿勢です。
しかし、その思慮が消えた時、すでに与えられているもっとも大切な宝が現れることは見失われてしまいました。
思慮を通して達成するはずの最終真理が、思慮の消えた地平にすでに備わっていることを忘れてしまったのです。
瞑想とは、思慮の背後にある静寂との出会いです。
それは立ち止まることを通してのみ達成されます。
そしてその静寂の中に全ての答えがあります。
時間上に描いていた夢と希望を追求する人生が終わり、いまここにある充足を享受すること。
そのシフトが、すべての人達が内心求めているものです。
ところがその「いまここ」さえ、いつか将来に待ち構えているという感覚が消えません。
そうやってまた絶え間なく考え、漠然とした幸福地に向かおうというのです。
残された人生には、それに対する十分な時間があるような気もしています。
いままでの全てのやり方を変えるのは並大抵のことではないでしょう。
この旅の延長線上にきっとゴールが待ち構えているという信念は、そう容易く消え去るものではありません。
ある種の突然変異のような気づきが必要なのかもしれません。
このようなメッセージも、どれくらいの重要度で読まれるのかわかりません。
世界全体で夢を見ていて、あふれる情報の全てがその夢を強化するためにあるので、気づくチャンスは皆無です。
瞑想はそんな夢に対する、最初の一太刀。
ほんの小さなメスによる、頑固な夢への一太刀です。 >>79
こんな記事を読んで思考を働かせいることがどんなに無意味かを想像してごらん。
信者を思考の世界へ誘っているのは、あなたですよ。 この人は動揺するとコピペが長くなる傾向にあるようだ w あなたは「神」と聞くと、どんな存在を想像しますか。
神については、宇宙的な愛とか、無尽蔵なエネルギーとか言うように、特定の人格神を描くよりは、サムシンググレイトというような、普遍的な知性のようなものを想像する人が多いと思います。
僕も基本的には同じような感覚で神を想いますが、その一方で人格神というか、独立した意志を持った具体的な存在という感じがするときもあります。
そしてその神は、同時にありとあらゆることを見通していて、いまあなたの髪の毛が何本かということまで知っている。
世界の片隅にひっそりと暮らす者に対しても、誰に対しても一切の差別なく、エコヒイキもなく、同じように愛し見守っています。
神はあなたを、あなたが想像するよりはるかに深い愛で、いまもあなたを愛しています。
いまも。
神とは何かは知りませんが、そんなふうにあなたを愛している存在があり、その愛に比べたら、人間が語る愛は塵のようなもの。
そのことがわかれば、この世には誰ひとり落ちこぼれもいないし、無駄な人もいないことがわかります。
こうして生きて在ることが、即ち祝福だということをみんなで気づけば、この世は一気に変わることでしょう。
動物的な防衛心と利己心がいまの世界を作っていますが、一人一人が、本当の神の愛を実感する日が来ればと願っています。 まぁよくもこうしゃあしゃあと無責任なことを垂れ流せるよな。 >>82
FF瞑想、悟り、S○Xの百倍の快感、非二元、私はいない、NIKE瞑想、静寂、マインドフルネス、神・・・。
自分に都合のいい「神」を見つけて、
やりたい放題、言いたい放題だよね。 昨日書いた「愛」のことですが、愛という言葉にはとてもたくさんの意味があります。
たとえば誰かに惹かれる気持ちを「愛」と呼ぶことがあります。
「こんなに愛しているのに・・・」
とか
「この愛に応えてほしい」
とか
そういうときは、自分の中の足りない何かが、相手を通して埋まるような気がしています。
だからせつないくらい欲しくなるのです。
でも相手が埋めてくれるというのは幻想なので、そのようにして結ばれた二人は、いずれ現実に向かい合う日が来ます。
自分の中で感じている漠然とした欠乏感の正体は、自分が全体と分離しているという錯覚であり、その錯覚から解放されるまで欠乏感は続きます。
欠乏感は、人やモノや人生の状況によって満たされることはありません。
その欠乏感からの欲求が異性に向かったときの状態を「愛」と呼んだりもします。
このほかにも、家族や親しい人への思いも愛と呼ばれます。
もちろんそれでいいのですが、昨日伝えたかった愛は、もっと違う性質のものです。
その愛は、特定の対象に向かっていません。
対象が誰であるかということは無条件です。
恋人でも家族でも通行人でも、聖人でも罪人でも、いっさい判断することなく降り注がれる無尽蔵の愛です。
で、昨日伝えたかったのは、
太陽のように全体に降り注いでいるのが神の愛なのに、
同時にその愛は、あなたという特定の対象に向かっていて、
ものすごくあなたを注目していて、
あなたが自分の子供を注視するより、もっと強い集中力であなたを見つめ、
あなたがいままでしてきたことの全て
あなたがいままで考えてきたことの全て
さらには、そのことへの言い訳や、誰にも知られずに済んだ心の微妙な動きまで、
何から何まで全部ご存知で、
罪深い面も、一生の秘密も全部知られていて、
それなのに
それなのに
そんなあなたを、完全に受け入れて、完全に許して、完全に愛している、確かな存在がいるってこと。
いまもね。
これは例え話ではなく真実です。
神とは神を体験することだと思う。
すべてのものに対して、そのひとつひとつに限りない注目と愛を注ぐ存在。
まさに神業(かみわざ) >>88
>「こんなに愛しているのに・・・」
とか
>「この愛に応えてほしい」
ABの切実な願いに聞こえてきた。
愛に飢えているんだね
可哀そうに。 owちゃんを生臭爺さん坊主に盗られた男の哀愁を感じますね。 愛というものは首根っこの後ろでするのだ
そして、こんなに愛しているのに悲しいという思いも、まんざら悪いことでもない笑
そこでしか触れられない本気というもんがあるからね 最近の相談で多いのが、子供の不登校。
あなたの周りにもいませんか?
いま急激に世の中が変わっていて、どこまで変わるのか誰も想像できないくらい変わってきていて、まさに激動の時代。
10年後は社会構造そのものが、根底から変わっているかもしれない。
結婚しない人もさらに増加するだろうし、不登校も大きな意味ではそんな流れの一環だと思う。
学校に行きたくない理由を聞けば、人それぞれに違う答えがあるだろうけど、たぶんその理由は僕らの時代にもあったものだろう。
でも、実際に行かない子が増えていく現象は、僕らの時代にはなかった。
子供の精神力が落ちたという人もいるけれど、乱暴な言い方をすれば、やはり時代が変わったということに尽きると思う。
彼らは全く新しい世の中を生きていく未来人だ。
その未来人たちが通う学校は、明治時代からのもので、古さの象徴みたいなところ。
そこで感じる違和感は僕らの想像以上に大きいことだろう。
新しい時代がどうなっていくのか、何が必要とされるのか想像の域を出ないけれど、
我々大人がいまの子供たちにできる最大のことは、
「お前でOK」
という事実を、さり気なく教えてあげることくらいじゃないだろうか。
そうすれば、自分で何とかする。
その何とかは、いまの大人達の価値観とは違うかもしれないけれど、大切なのは、何であれ生きていく力だ。
ちなみに僕が子供に言い続けてきたのは、
「将来のことは大丈夫だ。
将来のことは将来のお前が何とかするから」
これは大人たちにも言えること。
わかりもしない将来より、今日一日を生きるとしよう。
完璧じゃなくても、人並じゃなくても、今日一日が人生の全てくらいの気持ちで生きれば、それ以上の人生があるだろうか。
相談を受けて、そんな風に思った。 >>92
>ちなみに僕が子供に言い続けてきたのは、
>「将来のことは大丈夫だ。
>将来のことは将来のお前が何とかするから」
ABの息子は、どんなに素晴らしい人間になったのだろうか。
いまでも
「将来のことは大丈夫だ。
将来のことは将来のお前が何とかするから」
と思って人生を過ごしているのだろうか・・・。 大和田獏か?
そりゃちょっとわかりにくいジョークだなぁ。
考えてしまったじゃないか ww FF瞑想って、本当にどの教師も適当だよな。
つくづく思う。 なにもわからない君たち
すべてわからない
己が欲望のままの君たち
すべては、おのがままの君たちにも
崩壊がある
こうしたくても無理である ファイナルファンタジーの瞑想か
ゲームの瞑想というのも珍しいな スピ系に嵌って、その稚拙さに気付けただけでもよかったかな..と自分で思う。
普通の人より遅れはとったというか、もう頑張りたくないけどw 人生では起きることが起きる。
それ以外は決して起きない。
どの道同じことならば気楽にいこう。 全体で起きてると思えば諦めもつくときが確かにあるが・・・
逃げ根性にはならないのだろうか?
てかそんな考えじゃスピの世界はやめたほうがいいか ABの息子は無職なの??
自分では何も決められない人間に育ったの?? >>結婚しない人もさらに増加するだろうし、不登校も大きな意味ではそんな流れの一環だと思う。
結婚しない人、不登校な子の増加。
なにか問題でも?
増加していることが悪い事なのか?
選択や拒否が自由にできるいい時代じゃないか。 さてみなさん、今日は日ごろのご愛顧にお応えして、究極の真実にお連れしましょう。
いやあ、それにしてもあなたはツイてる。
幸運なことに今日は、あなたの目の前にあるのだから。
いつか出会いたいと願っていた究極にして唯一の真実が、いま目の前にある。
まさにいま目の前にある「これ」のことです。
言葉遊びを聞いているみたい?
そんなんじゃないし、ましてや比喩でもないですよ。
文字通り目の前のこれのことです。
「これ」は常に変わり続けています。
あるときは部屋の中
ある時は電車の中
ある時はオフィスの中
ある時は海だったり、山だったり、野原だったり、街の雑踏だったり。
共通しているのはいつも目の前にあるってこと。
そうやって外側に展開するものと同時に、内側にも「これ」が展開しています。
思考、感情、空気感、触れた物の感触。
これらも常に変わり続けているけれど、共通しているのは、いまこれが起きているってこと。
内側にも、外側にも、「これ」は同時に起きています。
この話が当たり前に聞こえて、何の有難味もないとしたら、あなたは話を取り逃がしました。
「これ」こそが唯一の真実で、人生には「これ」以外のものはなく、「これ」以上のものもなく、こともあろうに「これ」を探して、あなたは覚醒の旅を続けてきたのです。
それも今日で終わり。
だってこうして目の前に見つけたのだから。
いつの日か、心を囲った一線を飛び超えて、晴れて一人前の覚者となったとき、すべての問題が消え、至福に満ちた永遠の中に生まれ変わるなんて、そんなこと考えてませんでした?
それこそが、幻想が生んだ幻想。
そういう幻想から解き放たれることが覚醒なのです。
それにしてもあなたはツイてる。
幸運なことに今日は、「これ」があなたの目の前にあるのだから。
とは言え、いつも今日だけどね(^^)
「これ」って、すごく平凡に見えてしまうんですよね。
もし「これ」が、孫悟空の西遊記みたいに、多くの冒険の果てにたどり着くガンダーラの聖地にあるとしたら、人はもっと有難がるのでしょう。
「これ」を言葉にした瞬間、「これ」が対象化されてしまい、もはや「これ」ではなく、「これ」についての考えになってしまう。
ここが落とし穴なので、不立文字と呼ばれてきたのです。
あなたはすでに、「これ」(究極の真実)の中に在ります。
衆生近きを知らずして 遠く求むる儚さよ
白隠禅師 あのさ、もしも の話。
あべさんの信者が結婚しないで赤ん坊産んで
その父親が激怒して あべさんとこへ
「お前が父親だそうだな!責任をとれ!!」って赤ん坊を置いていったら
あべさんは平気な顔して「ほお そうか」と言って そのまま育児できる?
評判悪くしても、信者が離れていっても 平気でさ。
できないでそ?
白隠さんを引用されるのは なんか不愉快なんだよなあ。 abはOSHOでも白隠でもなんでも、自分の体験を承認と権威付けしてもらうために
引用しているだけじゃん。
過去大勢の詐欺師や自称覚醒者がやってきたこと。
必死にコピペしてるのが滑稽だね。 いましかないのに、いまを生きられないのには理由があります。
ズバリ言えば、いまあるがままの状態では不十分だと感じているから。
いまの自分では何かが足りないし、いまの状況もこのままではいけないと思っています。
いつかどこかに理想の毎日が待っているはずだ。
私という個人は、そこに一歩でも二歩でも近づくために今日を生きている。
多くの人はそんな信念を持って生きています。
心の中に、いまの不十分な状態が改善されて、完全な日々を生きている自分を描いているのです。
いつの日か、やりたい職業に就けば・・・
いつの日か、あの人と結ばれれば・・・
いつの日か、老後の心配がなくなれば・・・
いつの日か、借金が完済されたあかつきには・・・
いつの日か、不登校の子供が学校に行き始めれば・・・
いつの日か、減量に成功すれば・・・
いつの日か、悟ったあかつきには・・・
いつの日か、○○○○○○○・・・
(○○○の中にあなたの言葉を入れてみてください)
そうなれば問題が消えて、安心することが出来て、ずっと待ち焦がれていた完全な人生を生きることができる。
だから結婚したい。
だから離婚したい。
だから就職したい。
だから退職したい。
あの人みたいになれたらなァ。
これらをストーリーと呼びます。
必要なことは、ストーリー上にある理想の状態を目指すことではありません。
ストーリーという催眠術から目覚めること、○○○になればという信念を手放すことです。
このことは、よくよくじっくりと確認してみてください。
と言うのは、○○○になってもいまと感覚(欠乏感)は変わらないから。
えっ、そんなことはないはずだって?
その気持ちは分かるけれど、実際にはいつだって、いまと同じあるがままのあなたがいるだけです。
その時また、新しい○○○が湧いていることでしょう。 >>111
この記事自体が、ABのストーリーなのです。
信者も息子も、
ABのストーリーをコピペして生きていくのです。
可哀そうに・・・。 獏ちゃん
新し動画いいんだけど、質問者への解決策は何らかの示唆でいいから
することを考えた方が見る人多くなるよ >>111
最近の精神世界関連の本を数冊読めば誰でも書けてしまう文章(笑)
自分の言葉で書かれていないことが見る人が見ればわかってしまう >>111
読経、唱題を繰り返す。
邪知謗法の人々に法を説く。
さすれば必ずこの世界がよくなる!世界が平和に!
って体で本当は自身の得だけ
期待してるが他人にはそれを言わない...
ってソウカと同じだったか。ゴメンw 人生に対する考え方は、年齢とともに変化してきました。
可能性を追いかけていた若いころは、いつかどこかにすべての問題が解決された幸せの楽園があると思っていました。
人生はその楽園に向かう果てしない旅だと信じていました。
楽しいことも沢山あったけれど、本当に心から楽しんだことはどれくらいあっただろう。
笑い声の裏には、いつも冷めた自分が辺り全体を見張っていました。
何かを手に入れてもすぐに別のものが欲しくなる。
心の中はいつだって欲求不満です。
それなのに周りはこんな僕を羨んでいる。
彼らの期待を裏切らないように幸せな人を演じることも忘れませんでした。
心の中を支配していた基本的な考えは
「いまはまだ十分じゃない」
そんな人生が30歳まで続きました。
ある日、人生を歩む足がいきなりストップします。
初めて本当の意味で立ち止まったのです。
疲れたから立ち止まったのではありません。
実際には疲れ果てていましたが、それでも明日への希望という推進力が勝っていたので、疲れを自覚することなく前に前にと歩んでいました。
何故立ち止まったのか。
それは、ふいにある考えが体中を流れたからです。
その考えとは
「人生はどこにも向かっていない。
私は同じ場所で、ハツカネズミの輪っかを走り続けていたんだ」
そう思った瞬間、すでに輪から降りていました。
降りようと思ったわけではなく、どこにも向かっていないという気づきが、その輪自体を消滅させていたのです。
そこに訪れた解放感。
これこそが、輪を回し続けることで求めていた楽園でした。
そのとき初めて、自らの中に優しさを感じました。
自分にも本当の優しさがあることを知りました。
何かを獲得しようとする緊張が、本来の温かさをマヒさせていたのです。
それは深夜のことでした。
僕は階下に眠る両親の枕元にこっそり忍び込み、小声で伝えました。
「もう大丈夫だからね。
僕はいま生まれ変わった。
僕が守ってあげるから、もう大丈夫だよ」
あれからまた30年が過ぎました。
いまは両親とも消えてしまったけれど、心の中に灯った炎はいまも燃え続けています。
後半の30年は何を目指すでもなく生きてきました。
にも関わらず人生という劇場は勝手に展開しています。
うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、それは前半の30年と何も変わっていません。
違いがあるとすれば、自分に対する過剰な期待がなくなったこと。
そして正しさで人を裁くことがなくなったこと。
今日も窓辺でお茶を飲み、テレビを見て、仕事をして、気が向いたら瞑想しています。
何も特別なことがない当たり前の人生。 >>118
>それは深夜のことでした。
>僕は階下に眠る両親の枕元にこっそり忍び込み、小声で伝えました。
>「もう大丈夫だからね。
>僕はいま生まれ変わった。
>僕が守ってあげるから、もう大丈夫だよ」
普通じゃない...
.
. 昨日話した「優しい気持ち」
それが自分の中にもあると気づいたとき、それまでの自分とは違う現れをしていることに気づきました。
肩の荷が下りているというのが分かりやすい言い方ですが、同時に「普通の人」になっていました。
普通の人とは、凡庸でつまらない人ということではなく、自然な人という意味です。
それまでは、特別な人を生きようとしていたので、その不自然さが日常になっていました。
自分が他者より優れていることを証明するのが仕事でした。
それによって、みんなの愛が得られると思っていたのです。
結局のところ、愛されたい、認められたいという心の衝動を満たすために、自分ではない自分を生きていたわけです。
「優しい気持ち」というのは、そのまま「愛」のことであり、自らの中に愛を認めた瞬間、他者からの愛が不要になり、自己演出が消えました。
人から好かれるために、いかに多くのことをしていたことか。
自分が普通以上の特別な存在だということを、執拗に印象付けようとしていたことが滑稽でした。
自分が心底普通だと思えた時、あらゆる人も本当は同じなのだとわかります。
そのとき分離が消えていました。
「特別さ」と「分離」は表裏一体で、どちらかが落ちれば両方が落ちます。
すべてが普通(自然)であるということは、分離した「私」はいないということ。
このことが、いまのメッセージの原点になっています。
上も下もないということがわかると、人生はとても楽になります。
僕もあなたも普通の人。
それでいいでしょ?
今日も自然な自分で、清々しく生きましょう。 荒稼ぎするようになってから冷めた目でしか見れない。
118の文章キモい。 >>122
「優しい気持ち」...?
ブログの中で人を責めたり、落とし込もうとしたABがこの言葉を使うとは...。
普通じゃない...
.
. なんかさ。。。。。。
あれだけおおっぴらに正体さらしたあとでの 覚者ぶりっこって
普通恥ずかしいとか、体裁悪いとか感じるんじゃないかと思うんだけど。
それでもやり続けるのが すごいよね。
やっぱり普通の人じゃないんだな。 黒斎の老子の本、出たばかりの時に、Amazonで低い評価のやつもあったけど、さっき見たら全部満点レビューで、操作してんじゃねって思った。 >>126
個人攻撃の様な評価は申請をすれば削除されるよ。
低い評価をした本人が評価を取り下げたかもしれないよ。
ステマ評価を乱発する事は容易。でも低い評価を消す事は困難だよ。 >>127
評価者が取り下げたのかもね。
「どうした??黒斎!?」
みたいな、昔は良かった的な内容だったけど。 黒斎もS野と持ちつ持たれつのズブズブになってからおかしくなった気がする。 S野S一郎と関わった連中は全員落ちぶれているよねぇ つまるところ、みんなで仲良くできたらいい。
それぞれの考え方や生き方を認め合って、争うんじゃなくてそれぞれの良さを与えあえたらね。
本当は誰でも心の底で、みんなと仲良くしたいと思っている。
なのに、表層の自分がそれをさせないんだ。
自分正しさのアピールのほうが大切になってしまう。
自分の正しさが一番正しいと思っているから。
口喧嘩から戦争に至るまで、あらゆる争いは正しさと正しさの闘い。
そして力が勝った方が正しかったということになる。
この世から正しさが消えたらいいと思う。
その代わりに愛があればすべてうまくいく。
愛は自分を主張しない。
愛は相手を受け入れる。
愛は空っぽの器にしか入れない。
自分の意見でいっぱいのマインドに、愛が満たされることはない。
いかに空っぽになるか。
いかに力を抜いてリラックスするか。
そうすればみんなで優しくなって、この世がグンと生きやすいところになるだろう。
この地上には70億人を養って余りある富と資源がすでにあるのに、それを使っていく能力をまだ人類は持っていない。
その気になればこの瞬間、世界中みんなで幸せになれるのに、そんなことより相手を淘汰することのほうが大切だと思っている。
恐れと恨みが消えてなくなれば、一気に人類の文明は高度なものになるのにね。 >>130
昔興味あったけど、見切って良かったーーw ある時、悪魔会議が開かれました。
人間をいつまでも不幸にしておくために、人間が決して神の子だと気づかないように、一番効果的な方法を人間界に用いてきた悪魔を、次期悪魔大統領に任命しようと言うのです。
現職の悪魔大統領が、候補の3悪魔に聞きました。
「お前たちは、人間界で何をやってきたか」
一人目が答えました。
「私は新種のウィルスを捲き散らしてきました。
エイズウィルスと鳥インフルと豚インフルです。
狂牛病も付け加えておきました。
欲深い人間どもが、肉を食し性欲におぼれる限り、これらの恐怖から逃れられません」
悪魔たちから拍手と歓声がわきました。
次に二人目が答えました。
「私は人間どもに暴力と破壊の楽しさを教えてきました。
映画やゲームのような娯楽に悪魔性を吹き込んで、子供の頃から洗脳し、無差別に人を殺しても何とも思わなくなる大人を養成できるようにしてきました」
ブラボー!会場はさらに盛り上がりを見せました。
そして三人目が答えました。
悪魔の中でも一番賢く、期待の星でした。
「私は聖者になり済まし、彼らの前に立って言いました。
『あなたは神の子だ』と」
会場に動揺が走りました。
しかし、その悪魔は続けました。
「どんなに苦しくても頑張るのだ。
耐え忍びなさい。
そして希望を持ちなさい。
より高き自分をめざし、神に近づくのだ。
いつの日か、完全な自分になった暁には、自分が神の子だったことを知るだろう」
会場は騒然となりました。
一番期待されていた悪魔が、自分たちを裏切るとは。
しかし、現職の悪魔大統領は言いました。
「人間はいずれ、ウィルスも暴力も制御してしまうだろう。
しかし、3人目のお前こそ完璧に仕事をやってのけた。
これで人間が神の子だということを知る日は永遠に来ない。
彼らは、永遠に自分を高め続け、永遠に神にあこがれ、永遠に「いつの日か」を待ち続けることだろう。
ABこそが次期大統領だ」
・
・ Merry Merry Christmas!!
i really wish your happiness and peace. キリスト、天皇、優しさ、愛・・・を集客の道具にしてしまうのですね。
キリストの名のもとに侵略と殺戮を繰り返した人々
天皇の名のもとに死んでいった人々
キリストも天皇は素晴らしいですが、
その名を使って金と名声を欲する人がいるんだよね。
普通と言いながら、特別を示す人には気を付けたほうがいいと思うよ。 もしかしたら人生は、自分の都合から貢献のレベルにシフトする学びの場で、結果もそれに従って付いてくるようになっているのかもしれませんね。
何事もタライに張った水みたいなもので、与えようとして水を押せば縁(へり)に沿って自分に返ってくるけれど、水を自分に引き寄せようとすると縁に沿って逃げていく。
身近な人間関係から仕事まで、何かに悩んだときはいつもこの基本をチェックするようにしています。
それにしても自我君は、執拗なまでに自分の生き残りを心配して、周囲をコントロールしようとする。
自力で生きているって信じているから奮闘するわけです。 わははは
確かにその通りなんだけど
人の書く文章って あれこれ他者について語っているつもりでも
実は自分自身のことを書いているってことが多くて 笑っちゃうよね。
スピリーダーであっても それは同じ。
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!! >>136
>何事もタライに張った水みたいなもので、与えようとして水を押せば縁(へり)に沿って自分に返ってくるけれど、水を自分に引き寄せようとすると縁に沿って逃げていく。
何言ってるのか、わからない???
だれか説明してくくれませんか。 「ほとんどの人間は、自分と周りという分離の現実に生きている」
って、
お前が一番分離しとるやん!w >>139
abさんの得意な パクリ ですね。
タライの水を押したり引いたりしないで、水をすくって頭からかければいい。
>>131
>愛は空っぽの器にしか入れない。
これもパクリかな? アセンションに関する自説
2012後半から叫ばれているアセンションいわゆる地球を含む次元の上昇
これに伴い人間も変化ていくと言われる
2016冬の所感では、特に何も変化が起きて内容に見えるが、起きてると
すれば一般人には理解が難しいと思われるOWなどの出現による非二元の
思想の展開(古くは光一元思想と言われる)が典型ではないのか?
今までは日本的思想は古来からの因果応報理論が中心であり悪事を働く
ことによりマイナスの要因が働き不幸となるということが中心的観念だ
ったが、今後は神仏より人間至上主義になり、現実的幸福は明朗かつ人
と調和を図れるものがますます力を得、益々幸福になっていくと思われ
るのだ。
長らくアセンションは人間が精神的に向上し神仏との融和がますます図
られるていくことだと思っていたが、どうやら誤解していたようだ。
反論等があれば、特に霊能関係者から意見が聞きたい 自分、頭が悪いもんで 何書いているか ようわかりません。
もっとかみくだいて 展開していただけると ありがたい。 黙って延々とコピペ貼り付けて
うんざりして誰も見なくなって
ほら勝った!っていう展開? >何言ってるのか、わからない???
だれか説明してくくれませんか
タライの強引な例えでわかったつもりになるのが自我でしょ
あべすけの自我が発した形イメージを自我でしか理解できないのは当然
例えや引用が多いのは本人あべすけが目覚めてないからよ パパジの言葉 非二元か?
Q:ノーマインドの中での経験は何ですか。
そこには経験はない.ノーマインドの状態から抜け出した時にのみ対象に対する経験がある.
過去の経験を取り除きなさい、そうするとこの瞬間には経験はない、経験すべき何物もなく、
経験者もいない。
あなたは全てから自由だ。経験は時間の中で起こるがこの瞬間には時間がない。この瞬間は
時間の外だ。 非二元は二元に存在している状態では説明ができない。
言葉では。
非二元は言語状態ではないから。
それを無理やり表現したり説明したり解説したりする連中は
非二元を商売道具にしたいだけのお馬鹿さん。
非二元を二元状態である程度解りやすく解説出来るとしたら
天才レベルの脳と表現力(文字や数字や絵画的表現全てを駆使できる)がないと無理。
スピやってる人間には到底無理。
単なる二元脱落者なだけだから。
非二元感覚到達者と、非二元脱落者は良く似ているようで
実は対局の存在。 世界という思考が湧けば、世界が現れる。
あの人という思考が湧けば、あの人が現れる。
特定の出来事が思いの中に現れた時、その出来事が活気づく。
しかし、世界を想起しなければ、世界は存在しない。
特定の人や出来事を思い出さなければ、それらも存在しない。
思いとして湧きだした時だけ、それらはある。
耳を澄まして、ただいまの中に佇んでみる。
窓の外の木々の揺らめき
鳥たちの声
流れる空気
畑のモーター音
目の前のパソコン画面
コーヒーの香り
ほんの少しの憂鬱
背中の張り
鼻づまり
椅子のシートの柔らかさ
これがいま起きていること。
ただこれが、こうしてあるだけ。
そしてこれからも、ことは瞬間ごとに起きつづけていくことだろう。
誰かがそれをやっているのではない。
ことはただ、起きているのだから。 >>148
>これがいま起きていること。ただこれが、こうしてあるだけ。
これはあなたが造り出している感覚。
「わたしはいない」のであれば、それは起きていない。
非二元と人間至上主義のどちらを選ぶのか? >>148
そこに喜びや感動そして感謝もはあるんだよな
なければあまりに無味乾燥すぎる。。砂漠だ 今年は何者かになってみようか。
その気になればどんな人にだってなれる。
だって、もともと何者でもないんだから。
本当は誰一人何者でもなくて、ただいまこうして呼吸して存在しているだけ。
頭の中にはいろんな考えが湧くけれど、ただそういう考えや感情が次々と起きているだけなんだ。
自分はこういう人間だと思ったのであれば、それがプラスイメージでもマイナスイメージでも、ただそういうイメージが湧いただけで、あなたは何者でもない。
と、ここまでの文章を読んで、
「そんなことはない、私はこういう人間だし、あの人とは違う」
と思ったのなら、いまそういう思考が湧いたってこと。
思考は刹那的なものだけど、それを繋ぎ合わせて一つのストーリーにして、まるでそのストーリーが実体であるかのように生きているのが、人生というものだよ。
本当に起きているのは、刹那刹那、いろんな思考が湧き、感情が湧き、刺激に反応し、行動するってことが繰り返されているだけなんだ。
人生なんていう連続したものは存在していないし、それを歩んでいるつもりになっている自分も固定された実体じゃない。
くどいようだけど、いま何を考え、何を感じ、何をしているかが、ただ起きては消えているだけなんだ。
起きている「いま」に無意識になれば、思いこみで作りだした世界が実体に見えるし、それを生きている自分も実体に見える。
その状態を
夢を見ているって言うんだよ。
夢は欲求不満になるのが定めで、気苦労やストレスを抱え込むけれど、それを解決しようとして、夢をよりよくするためにまた四苦八苦する。
そんなものは一瞬で消えてしまうのにね。
ただ「いま」に目覚めればそれで終わり。
思考や感情や動機を全部、いま湧き起きただけの刹那的な現象だと見極めれば、それであらゆる問題は消えてなくなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています