人生という苦悩に満ちた周回道路から解放されるためには、受け入れがたい事実を認めるのが第一歩となる。

受け入れがたい事実とは、人生には目的地などなく、どこにも向かっていないということ。


このことを受け止められないから、空想上の救済地が必要になるんだ。

救済地を詳しく描写し、そのためにはこう生きるべきだと説く教師はいつの時代も後を絶たないけれど、彼らが人をどこかに導いたことは一度もない。

だって導く先など存在しないのだから。



いつだって、ありのままのこれがある。

これ以外は存在していない。


潔くこの事実を認めて、これを生きるか、それともこれ以外の何かを求めて生きるのか。


とはいえ、このことを理解しようとしまいと、これからも起きることだけが起きていく。

事実を認めようと認めまいと何も変わらない。


変わることがあるとすると、重荷が消えて、深刻さが無くなることくらいか。

そしていままでどおり、ことは起きていく。




これしかない!というのがどういうことなのか、人生を立ち止まってゆっくり感じてみるんだ。

一切の過去や未来を排除して、いつだってこれしか存在していないことを見抜くこと。


完全に見抜いたとき

「これでいいのだ」が見えてくる。


そのとき、分離が消えている。