人生に対する考え方は、年齢とともに変化してきました。
可能性を追いかけていた若いころは、いつかどこかにすべての問題が解決された幸せの楽園があると思っていました。
人生はその楽園に向かう果てしない旅だと信じていました。

楽しいことも沢山あったけれど、本当に心から楽しんだことはどれくらいあっただろう。
笑い声の裏には、いつも冷めた自分が辺り全体を見張っていました。

何かを手に入れてもすぐに別のものが欲しくなる。
心の中はいつだって欲求不満です。
それなのに周りはこんな僕を羨んでいる。
彼らの期待を裏切らないように幸せな人を演じることも忘れませんでした。

心の中を支配していた基本的な考えは
「いまはまだ十分じゃない」
そんな人生が30歳まで続きました。

ある日、人生を歩む足がいきなりストップします。
初めて本当の意味で立ち止まったのです。

疲れたから立ち止まったのではありません。
実際には疲れ果てていましたが、それでも明日への希望という推進力が勝っていたので、疲れを自覚することなく前に前にと歩んでいました。

何故立ち止まったのか。
それは、ふいにある考えが体中を流れたからです。

その考えとは

「人生はどこにも向かっていない。
私は同じ場所で、ハツカネズミの輪っかを走り続けていたんだ」

そう思った瞬間、すでに輪から降りていました。
降りようと思ったわけではなく、どこにも向かっていないという気づきが、その輪自体を消滅させていたのです。

そこに訪れた解放感。
これこそが、輪を回し続けることで求めていた楽園でした。

そのとき初めて、自らの中に優しさを感じました。
自分にも本当の優しさがあることを知りました。

何かを獲得しようとする緊張が、本来の温かさをマヒさせていたのです。

それは深夜のことでした。
僕は階下に眠る両親の枕元にこっそり忍び込み、小声で伝えました。

「もう大丈夫だからね。
僕はいま生まれ変わった。
僕が守ってあげるから、もう大丈夫だよ」

あれからまた30年が過ぎました。
いまは両親とも消えてしまったけれど、心の中に灯った炎はいまも燃え続けています。

後半の30年は何を目指すでもなく生きてきました。
にも関わらず人生という劇場は勝手に展開しています。

うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、それは前半の30年と何も変わっていません。
違いがあるとすれば、自分に対する過剰な期待がなくなったこと。
そして正しさで人を裁くことがなくなったこと。
今日も窓辺でお茶を飲み、テレビを見て、仕事をして、気が向いたら瞑想しています。
何も特別なことがない当たり前の人生。