転載

明治25年から大本の出口なおという方に降りた「神示」と申す神界からの伝言は
人々に「改心」を促すものではありませんか
現在に至ってもまだ「改心」されずに自分の意見を語る
そのことが「我よし」ではございませんか?
自分の意見や考えて生きるのが正しいことでしょうか?
神様からの警告を素直に受け入れることが出来ない
そこに問題があるのではありませんか
神様からの警告などあり得ない
神様がものを言うはずがない
そのような考えの人をどうするか
そのことを神様は警告しているのです
人とケモノとに別れるとはウソでしょうか
神様の声が聞こえない人がケモノです
人は神様に従って生きるのです
それを素直というのではございませんか
神様などいないと申すケモノをどうするか
その処分が示されているのです
自分のものは何もない
それが改心だと示されているのです
自分の考えも自分のものでないのです
悪霊に憑りつかれた「意識」なのです
神様などいないと申す意識こそが悪霊の意識です
神様を否定する意識が意識なのです
神様を否定したらどんな結末が待っているか
自分で理解出来ないのです
だからこそテキストが必要なのです
テキストを否定して自分が教科書になっている
その「傲慢」さが神様の逆鱗にふれるのです
神様を「ないがしろ」にすればどんな結末を迎えるか
自分で自分が見えないのです
自分の未来が見えない、一寸先も見えない
神様を馬鹿にしている神様(オレ様)こそ
最も危険な生物なのです
どうか気を付けてお過ごし下さい
清算される日が来るのです
自分勝手な意見を言わないこと
すべて神様の帳面に書かれていますので
その帳面によって人は罪の清算をするのです
罪の意識の無い人がどうなるか
意識するまで「ゆすぶる」のです
どうか助けてくださいと叫んでもその時では遅いのです
先に知らせてあるので遅いのです
その時でよければ警告は必要ないでしょう
神も仏もいないと主張する者にこそ必要なのは
神様の「おしかり」なのです
神様の怒りではなく「鉄槌」なのです
お知らせ➡警告➡実施(実地)となります
好き勝手なことを申している方は十分に気を付けて下さい
「お前も気を付けろ」と申す人もおるでしょうが
お互い様でございます
その人相当の清算があるのです
口を慎むことです(最後の警告)