霊性進化のために我々が目指すことを語り合う [無断転載禁止]©2ch.net
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主に霊界通信の本、スピリチュアリズム(キリスト教、仏教、その他多くの啓蒙書との比較も可)を参考にして
我々がより一層霊性進化する道を語り合いましょう
この板で使えるか分かりませんが、SLIPの設定をしてみました(荒らし対策)
もしSLIP設定不可能であれば、すぐ落ちてしまう短命スレになるかもしれません
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 成功しました!
本来はこちらで語り合うべき内容が、当時スピリチュアル板が無かったためオカルト板で代用されていました
旧名「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」※最新スレはありません
スピリチュアリズムを語り合うために参考となる書籍
「シルバーバーチの霊訓」(関連書籍多数)
「永遠の大道」「個人的存在の彼方」
「霊の書」「霊媒の書」「スピリティズムによる福音」「天国と地獄」「霊との対話」
「モーゼスの霊訓[上][中][下]」「インペレーターの霊訓」
「ベールの彼方の生活[1][2][3][4]」
「天と地を結ぶ電話(アガシャの霊界通信[上][下])」
「ホワイトイーグル霊言集」(関連書籍多数)
「迷える霊との対話」
その他
「小桜姫物語」「新樹の通信」「ジュリアの音信」「死後の世界」
ここはまじめにスピリチュアリズムと霊性進化について語り合うためのスレッドです
コピペだけの投稿や個人的なグチ話はNGです。そのためにSLIP設定しました
今日から再出発です。オカルトの旧スレッドでまじめに投稿していた方が戻ってこられるのを祈りつつ 【説明】
ここはスピリチュアリズムを肯定的に受け入れて、実生活の心の拠り所にしている人達のためのスレッドです
スピリチュアリズムを頭から否定する方や、侮辱・誹謗中傷目的の方は参加をご遠慮ください
ただし中立な立場にある方や、この思想について知らない方からの、まじめな疑問や参加は歓迎します
【注意】
ネット上に氾濫している「スピリチュアル(スピ)」という名称を用いた思想は、名称が似ていますが
【スピリチュアリズム】ではありません。根本的に内容が異なるので混同しないようご注意ください
【目的】
1.互いに情報交換し、スピリチュアリズムをより深く理解する
2.スピリチュアリズムの疑問点について議論し、可能な限り解明する
【推奨】
私達の霊性向上に結び付く倫理や摂理や行動原理について語り合いましょう
スピリチュアリズムの観点から世相をどのように判断するかという話題も歓迎します
(ただし霊界の諸相についての話題を制限するものではありません)
【禁止】
他者が信じる思想を誹謗中傷目的で攻撃するのは、他者の個性及び自由意思を尊重するスピリチュアリズムと相容れません
ただし教義内容そのものについて、スピリチュアリズムの観点から吟味し、差異を明確にするための指摘は問題ありません
またスピリチュアリズムによる霊性進化の道を語り合うのが主眼なので、それをニューエイジ等の思想に置き換えて主文とするのは禁止です
コピペだけの投稿や個人的な愚痴を書き連ねるのも禁止ですが、荒らしや禁止行為があってもSLIPが味方になるのでIPマスクで防衛しましょう 霊性追求に偏らず肉体面も鍛えた方がいいと思う。
最近闇堕ちする人多いから皆さん気をつけようね…。 |┃ __
|┃ ガラッ イ´ `ヽ
|┃ 三 / /  ̄ ̄ ̄ \ ハァハァ…
|┃ /_/ ∞ \_ ・・・・呼んだ?
|┃ [__________]
|┃ 三 | ///(__人__)/// |
|┃ ハァ… \ ` ⌒´ ,/
|┃ /ゝ "` ィ `ヽ.
|┃ 三 / ,│ │ \
,⊆ニ´⌒ ̄ ̄" y(~~)====(~~~)==r、 ヽ
゙⊂二、,ノ──-‐'´|..~~ ~~~ .| l" |
|┠ ' | l/'⌒ヾ
|┃三 | (x) |ヾ___ソ
|┃ / \ / l スピリチュアリズム(シルバーバーチの霊訓だと明確)では、霊主肉従ということが定説です
「霊が健全であれば肉体も健全である」
それは自分自身でも日常生活の経験から追認できています
ですが、肉体は「神の宮」として大切に扱わないと霊に悪影響を及ぼすのも事実です
過度な運動や鍛錬は慎むべきだと思っていますが、学生や社会人であれば
それぞれの立場で出来る適度な運動または体を使う仕事であればそれに打ち込むことで心身とも健康でいられると思います
精神面ではバランスを取ることが大切でしょうね。真剣で生真面目に過ぎるのは害になるでしょうし
(スピリチュアリズムを学ぶ人はこれになりやすそうです)、だらけた生き方も害になります
精神面が疲弊したり何かストレスを抱え込んでいる時は、大霊に身を委ねきるよう心を良心の奥深くに引っ込め
安静にしていることで回復を図ることが出来ます(そして落ち着いて元気を回復したらそこに至った原因を反省する)
これは是非どなたにもやっていただきたいことです さっそく荒らしが登場しましたが、専用ブラウザ(Janeなど)を使っていればNG設定で除外できます(透明化で消すことも)
それにIPが明らかになりますので、複数回同IPで荒らし行為をされたら、運営に該当IPが所属するプロバイダーを
書き込み禁止処置にするよう動かぬ証拠付きで依頼することが出来ます 闇の話が出ましたが、それに関して一言
闇は、それが何なのかを正しく状況把握、理解し
そこから得られた気づきや省察を良心と相談するのであれば
我々にとって素晴らしい進歩の材料になるはずです
むしろ問題になるのは行き過ぎた強い光、すなわち強固な偽善になると思います
闇によるネガティブな状態は容易に気づきますが
偽善による光側の行為はなかなか自覚できないものです。そこに落とし穴がある >>10の続き
シルバーバーチの霊訓を元に自分の言葉でまとめると
我々は光に目覚め視界が開けと性急に事を進めたくなり、結果を早く出したくなる(素晴らしい成果を早く味わいたいと思うようになる)
しかし自然の摂理に反するかのような一朝一夕の成果は望めないし、仮に一時的に成功しても
それはホンモノではないので長続きしない。曰く「自然は真空を嫌う」(意訳:自然はダミーやフェイク(あつらえた偽善)に置き換えることは出来ない)
よって、我々が進める最善策、曰く「自分に出来得る精一杯のことをする」(注釈:精一杯とは限界までと言うことではなく、能力が及ぶ範囲内で心身ともに健全さを損なわないレベル)よう努め
そして、それは全て『最高の自分のガイドである良心の声に従えば間違えることがない』
大切なことなので何度でも自分自身に言い聞かせる必要があります。日本語のことわざで言えば
「急いては事をし損じる」「急がば回れ」
継続が大事。何よりも微々たる善意を一日たりとも怠らずに続けることが大切。分相応に自分で出来る範囲内でどんな些細なことでもいいということです
自分自身を見極めることの大切さは古代の聖賢からも語り継がれてきました
「汝自身を知れ」 これはあくまでも個人的見解ですが
自分がスピリチュアリストだと思っただけで偽善の入り口に近づいていると思います
なぜそう思っているのか。それはシルバーバーチの霊訓を熟読していて気づいたことです
曰く「ラベルやレッテルに興味はありません」
曰く「大切なのは結果です(良き種を蒔けば良き結果の実がなる)」
自分の思想が何であるか(どう呼ばれるべきか)など、それこそどうでもいいことだと思います
何にせよ、シルバーバーチは特定の固有名詞には一切こだわらない神霊でした あんまり他人に構い過ぎないで、まずは自己の霊性を高めて、相手や状況に飲まれないようにすることが先かなと最近思う >>13
それでいいと思います。自分に無理強いすることだけは避けて、現状で無理なく出来ることをお互いやっていきましょう いつでも保てる
穏やかな感情のコントロール大切ですね 私達は極力「比較」をしないほうが良いと思われます(人間関係そのものだけじゃなく、自分の考えていること思っていること指向など全て)
比較をすることで心の中に様々な不公平感や葛藤や劣等感、軋轢などが生まれ、不純な思念となって善霊を遠ざけてしまいます
そんな時、SMAPの「世界に一つだけの花」は個人のあり方として素晴らしい教訓が含まれていると思うので
「比較」によって自分の心に濁りを感じたら、この歌を口ずさむのもいい気分転換になるかもしれません
ただし、参考のための比較、見習いたいと思わんがための比較なら話は別です
比較検討したのちに良い点を真似ようと心がけることは、霊性の進歩につながりますから 比較の話の続きです。今度は霊訓関連
さまざまなスピリチュアリズムの本で、多くはイエスの偉大性が語られ
イエス以上の聖賢はこれまでの人類史上で誕生したことがないと言われています
これにはちょっとしたカラクリがあります
それはほかならぬシルバーバーチ自身が霊訓で語っていることです
全文引用すると長くなるので、お手持ちの霊訓(二)P.66-67を読んでみて下さい
「霊媒現象はすべて霊媒の潜在意識を使用している」
西洋の文化圏では最高の聖賢はイエスという認識が非常に強く広まっていると思われます
どちらかと言えば西洋はプラスを積み重ねるモラルを追求し
東洋はマイナスを減らすモラルを追求する方向性があると思われます
西洋「自分がしてほしいと思うことを・・・」東洋「自分がされて嫌なことは・・・」
だから西洋の文化圏なら他の聖賢と比較してイエスを最上とするのもうなずけます
ですが東洋の文化圏ではそれは当てはまらないと思います
もし東洋の文化圏でスピリチュアリズムが誕生したとしたら、おそらくは仏陀がイエスのように称えられていたに違いありません
私自身は、イエスと仏陀を比較してどちらが上かなどと考えたこともありません
どちらも霊性進化への教訓を、アプローチの違う方法で説かれた。ただそれだけであり
比較すること自体に意味が無いし、尊敬する聖賢に対し不遜だと思っているからです
私のような未熟者には、イエス・仏陀はもちろんのこと、どんな聖賢であれ、まぶしい存在です
聖書はニケーア会議で改竄されたと言われていますし
パーリ語訳の原始仏典でさえ、後代の編集者の手が間違いなく入っており(特に12縁起などは哲学そのもの。こんなのを一般民衆に語っても理解できるわけがない)
どちらもオリジナルな教訓では無くなっているのが非常に残念です 結果が大切なのは、瞬時に原因と結果がさらされる霊界ならではですし
この世界でも社会人として会社勤めや自営においても結果を最重要視されます(この世では金銭的利益として。霊界では奉仕力として)
ですがこの世は学びの世界であり、学校でもあるので、普通の会社では通用しない「結果(利益)が出なくてもプロセス(善意)を重視」
というあり方が、この世では通用しなくてもあの世では重要視されます。シルバーバーチ曰く「動機」です。動機によって手段も変わります
もちろん動機が正しくても慈愛に満ちていても、法則の働きは絶対無謬なので、結果に対しての責任は負うことになるとも教えられましたが 偽善に注意。偽善は善ではありません。いつわりです。だから偽善といいます
イエスも聖書の福音書で偽善者を喝破しているとおりです
偽善でもしないよりはしたほうが良いと考える時点で、すでに「霊である自分が何をしにこの世に生まれてきたのか」を
見失っていると言えます。この世は学習であり修行の場であり、永続する世界ではありません。試される場です
心に偽善の葛藤があるならば、「動機」はやましいものとなり、したがって手段も偽りで、結果も偽りです
ですが結果については法則が働くので、霊性の幅が広がる(応用力が効く)ことにつながるかもしれません
ただし霊性向上へはつながりません。断言できます
「純粋であること」
これこそが動機も正しく、したがって手段も正しく、結果も正しい、という霊界規準です(仏陀の縁起説風にまとめてみました)
もちろん、平凡な霊から高級霊に至るまで、同じ内容について行動に移すとしても、違ったものになるし
平凡な霊が行えば、智恵不足による誤った手段で結果を出し、ひんしゅくを買うことにもなるかもしれません
ですが純粋性を貫いた時点で、上位の霊からの暖かいアドバイスが望め、霊性向上へ結びつくこと間違いありません 仕事で霊性を高めたいと願っています。
でも会社生活の中で純粋ではいられず悩んでいます。
理不尽なことも多くて…
そんな中でも純粋であり続けることが霊性を高める修行なんでしょうね。 ですね!
負に取り込まれないよう清い心で
頑張りましょうね >>21
私自身もそんな感じで日常を過ごしています
4行目のコメントは、良心の導きに素直に従って諦めずがんばっていこうという裏返しと受け取りました
ここから実践的な話も交えて、自分がどのように人間関係が交錯する現実世界を有意義に学ぼうとしているのか参考意見として紹介します
まず、自分自身の精神性・心の内奥に(良心よりも浅い界層の潜在意識下。顕在意識で素直な気持ちで見つめればすぐに分かるレベル)
個性としてこれまで蓄積してきた一切の「原因(良いことも悪いことも全て)」があります。結果はその原因があるから因果律として法則が働いて現実化するわけです
そこで、自分が不快な経験をした場合、例えば自分の考えを頭ごなしに否定されたり、馬鹿にされたり
思いも寄らぬ誤解を受けたりした場合に、普通の人であれば反論したり誤解を解こうとしたり身の潔白を証明しようとするでしょうし
その過程で腹立たしくなったり怒り心頭になったり悲しくなったりがっかりしたりといった心の葛藤が起きると思います
それはそれで正常な反応だと思いますが、その後未解決で物別れした場合に空しさやストレスを抱えることでしょう
そして普通はそれで終わり。特に深くその件について追求せず、自分に何らかの言い訳をして慰めるか、相手のせいにするか
はたまた趣味や娯楽・飲酒などで憂さ晴らしして忘れようとするでしょう
私の霊性進化への学びの第一歩は、そうした事態が起きた当日に帰宅後、静かにその状況を見つめ直し、原因を探ることから始まりました
素直に自分の心を見つめ直せば見つめ直すほど、いかに反省すべきことが多いか、理解したくなくても理解せざるを得ない状況に
嫌悪感を味わうことも度々ありました。毎日が反省、後悔、やり直しの決意・・・この繰り返しでした。昭和も終わりに近づいていた頃です
そこから二〇有余年の現在。今では、事象発生即反作用(原因)想起、という思考回路が形成されていて、それが複雑な要因が絡んでいて
即座に想起できなければ自宅で検証しますが、単純なことであれば、例えば10年位前にこんなことがありました・・・
自分とは親子ほど年齢の離れた若い同僚の社員に、仕事についてレクチャーしていたところ突然キレて罵倒されました
自分としては丁寧に説明したつもりでしたが、すごい剣幕で口汚く罵られました。もちろん不快な気分を味わったのは言うまでもありません・・・
それを瞬間その場想起
「自分自身、過去に同じようなことはしなかっただろうか?相手の説明を頭ごなしに否定して非難したり怒鳴ったりしなかっただろうか?」
「似たようなケースで相手に不快な気分を抱かせなかっただろうか?」「丁寧に説明したつもりだっただけで、実際は相手への配慮を欠いていたのではないだろうか?」
・・・etc・・・「それらにおいて作用反作用の法則が今ここで発動したのではないだろうか?」
なるほど確かに自分にもあった。違うパターンではあったけど、別の会社で目上の先輩社員にけんか腰で非難批判して食って掛かったことがあった
ああそうかそれが今返ってきたんだな、確かにこんなことされたら非常に気分悪くなるよな、あの先輩には過去ずいぶんとひどいことをしてしまった
○○先輩申し訳ありませんでした。自分の当時の言動をお許し下さい。今ここで気づきを得ました。自分の未熟な精神面を今ここから刷新します
という感じで、現実のキレた若手へのフォローをしつつ、同時に意識をフル回転させて反作用を理解し素直に現実を受け止め、反省と新生決意を固める
・・・と、こんな感じで心の純化を進めてきています。大抵は何度も同じような不快感や心痛を得る経験が積み重なるので、思考スピードもかなり早いです 当時参考になった文献は、シルバーバーチの霊訓はもちろんですが、アガシャの霊界通信も強い影響力をもって心に染みいりました。一部紹介
過去世の生活態度、行為によって、われわれすべての者は、ある性格的な傾向、素質、あるいはある人は不調和に向かう業(カルマ)を
持って生まれてきている、ということができる。そこでわれわれは不幸や苦難の運命を受け、この世は悪であると見なしたりするような
傾向をもつことになる。われわれはこういう考えを現実で真実とつい見なすが、それは正しくない。
喜びに満ちた生活は、手のとどかない生活ではない。生命が理想的に表現された場合、苦痛や不幸が起こるはずがない。
もし人間が悪い反作用がくるようなことをしさえしなければ、喜びのみの生活によって悟りに達することができるのである。
どのような反作用になってかえってくるかは、もし意図的に悪いことをした場合は苛酷に、知らないでした場合は緩和された形で
かえってくるものである。人生の目的は常に理解を深め智慧を増し、生命の神秘、即ち神の生命を現わすことによって悟ってゆくためである。
よく考えること−(熟慮)−と反省と瞑想を他から強制されたり束縛されたりせずに、自然にすることによって、その時
問題にしていたことへの解答は自然に直観となり客観意識となって浮かび上がってくるものである。そしてその生活は、生活
そのものが喜びであることができるし、またそうあるべきはずである。その生活を過去と現在の愚かさが傷つける時にのみ、
それは悩みとなり不幸となってくるのである。
「アガシャの霊界通信(下)」P-118・119
今回紹介した経験は、自分に内在する負の側面を払拭する方向のアプローチから霊性向上を試みた一例です
どっちかと言えば西洋スピリチュアリズムよりは原始仏教の方向ですね
機会があれば人の役に立つための本来のスピリチュアリズムの観点から例を挙げたいと思います 神の善意を疑ってるんだけど
ネットで神を否定する書き込みをみると何様なんだと思う
神に対する考えが混乱してる >>25
シルバーバーチの霊訓を読まれたことはありますか?
一般的な「神」とは認識の異なる「神」として説明されています
今日は遅いのでこのへんで ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ )
i / ノ ヽヽ )
! (゚ )` ´( ゚) i/
| (__人_) |
\ \__| /
/ \ 新規の荒らしが2件出たので、専用ブラウザのほうで設定をして消去(透明化)しましたが
みなさんは専用ブラウザを使われていますか?私はJANE STYLEを使っていますが
とても快適です。荒らしに悩むのは新規の荒らしがきた時のみになりますから。2回目以降はコメントごと消去されるので
不快な状況に悩まされることはほとんどなくなります
もしJANE STYLEで、荒らしを透明化する設定が分からない方がおられたら、説明しますよ スピリチュアリズム、特にシルバーバーチの霊訓による神の概念ですが、こうなります
神=法則
神=霊
神=生命
呼び方「グレート・ホワイト・スピリット」日本語訳(近藤氏)では「大霊」
このうち、霊は生命であり生命とは霊です、ということははっきり語られていますが
法則は霊、法則は生命、とは言われていませんので全部が等式で結ばれているわけでは無いです
なぜかというと、根源の神である大霊は全て等式で結ばれているのですが、ここから
神道流に言うと分け御霊として、宇宙のあらゆる所にさまざまな形態になって存在するからです
我々人間もそうですし、その辺の石ころだってそうです(石にもオーラがある)
こうした、分離した霊(生命)は、なんらかの特徴を持たないと存在そのものとして形態を表せません
石であれば様々な鉱物などですね。動植物や魚や人間もそうです。そして一旦そうなると
純粋な生命そのもの、霊そのものではなくなります。だから=法則とは言えなくなるわけです
次に一般的に言われている「神」であれば、スピリチュアリズムだと「高級霊」ということになります
歴史上で語られている、何らかの名称がついた神は全て高級霊(またはその名をかたる偽物)です
純粋さを増して進化すればするほど大霊に近い存在になり、その慈愛も途方も無いレベルの高い状態になっています
世間一般で認識されている「神」「神々」において、疑念がわいたり宗教関連では戦争になったりするのも、その対象が
高級霊であってそこには個性があるからです。上のほうで西洋と東洋の文化圏においての違いを簡単に説明しましたが
高級霊もまさにそのように様々な個性があります。ですが共通事項として、大霊に近い存在になればなるほど
自ら無償の慈愛を発揮する光り輝く存在になります、例えればどんな悪党にも分け隔てなく熱や光を与えてくれる天空の太陽のように うーん・・・新規荒らしがまた増えましたね。透明化するので次のコメントは見えなくなりますがその前にスレ主として一言
>1をよく読んで下さい
コピペのみの投稿は禁止
もちろん特定の主義主張の宣伝も禁止 >31の続き
実はこの地上界にも、未来の神(高級霊)候補は相当存在するはずなのです(というか、そういう存在が転生してきたとも言えますが)
私自身は、現場を体験して確認したわけではないのですが、あり得る話として身近なところでは
「医師」「看護婦(士)」があげられます。特に戦場に近いところで、ほとんどボランティア的に活動し
凶悪な犯罪者であろうとも生命を救う方は、仏教的に言えば如来や菩薩と言ってもいいはずです
彼らはいつ命を落とすかもしれません。それどころか助けた患者に傷つけられあまつさえ殺害される可能性だってあります
そういう状況下においても、自らの利得をなげうって、いのちを救おうと献身される方は
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」福音書ヨハネ15-13
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか」福音書マタイ5-44…47
とイエスが語られているように、最高の愛を発揮しているのです。本当に心の底からそのような方には頭が下がります
私ごとき未熟者には、まだその境地へはたどり着けません。ですがいつか少しずつ努力を重ねた末に、たどり着きたいです 天国と地獄の長い箸の話とか、正義の反対語は愛(寛容や優しさ)だとかをつい先日知ったけど、昔の人は、短い言葉でうまい具合に大事なことを伝えるもんだね クレヨンしんちゃんのお父さんが「正義の反対は悪じゃねえ!もう一つの正義なんだ」って言ってたけど、すべてを包み込む愛という言葉も素敵ですね。私自身は仏陀の自燈明という言葉を拠り所にしてます。 >>34
厳密に言うと正義の対義語は不義、愛の対義語は正義ではなく憎悪。ですが不毛な地上世界の正義を語るよりも「愛」の
素晴らしさを習得するべく様々な方法で導こうとするのは良い方法だと思います。霊性を磨けるのはスピリチュアリズムだけでは
ないですし。学ぶ人のレベルにあった方法がこの地上界にはたくさんあります。仏陀も対機説法をしていました。イエスは・・・略
蛇足ですが、地上界においても霊界でも、正義の対義語は不義であり、ではその不義の本質は何かというと「利己主義」です
霊界でも一般的な霊界人が犯す罪は利己主義です。ただし霊界の場合は摂理が即座に働くので、気づいて修正しようと心がけるのも
早いということです。シルバーバーチによれば霊界で犯す罪は利己主義の罪と語っています
あと、長い箸の件ですが、自分の記憶違いでなければ、確か30年以上前に漫画の「エースをねらえ」を読んで、その長い箸の話に
当時は、うまいことをいうもんだなーと感心したのを思い出しました。どんな文献からの出典かは書かれていなかったような・・・ 正義や愛といった良い題材が提供されましたので、それについて語ってみようと思います。長文注意
結論から、しかも誰にでも分かりやすく定義すると、正義とは「決まり事を守ること」です
そしてこれは地上界でも霊界でも全く同じです。では、なぜ地上界の正義はこんなにも混沌としているのでしょうか
それは「地域」「人種」「民族」「風習」「慣習」「教育」「経験」「年齢」「能力」「個性」・・・etc
これだけの様々な違いが世界中にあるからです。さらに加えると「霊性レベル」も大きな要因です
その様々に異なって認識・定義されている「正義」を、守らない者には守らせようとすること
これが本来、バランスを取ること・調和、といった良い方向性に展開されれば問題無いのですが
互いの「正義観」が異なることから戦争になったりもします。根深いものでは宗教戦争などがあります
そして良い方向に正義が働けばいいのですが、大抵は「目には目を歯には歯を」といった報復と
その強制施行をもって正義とすることが問題です。「悪を裁く」。聞こえは良いですが地上の概念では
そこに愛や憐れみの要素が加わることは非常に稀なことでしょう。現代でもそうですから、法やルールが
国家や地域でしっかり制定されていなかった時代は、相当ひどかったはずです
そこでイエスが登場されました。イエスは律法を廃するためではなく、成就するために私はきた、と
語っています。律法は今からおよそ3000年前にモーセによって神託された十戒が元になっていますが
それは人間の尊厳を守るための「正義」であり、当時では最も適切なルールでありモラルでした
しかし結局報復合戦や復讐の途絶えることがなかったのでしょう。結局、こう語られています
「目には目を、歯には歯をと言われていたことは、あなたがたの聞いているところである・・・中略
・・・しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」福音書マタイ5-38…44
もし我々の生命が、この地上だけで終わるのであれば、このイエスの言葉ほど空しく意味のないものはないでしょう
このイエスが説かれた究極の愛は、死後も生命が続き、転生を繰り返しながら永遠に存在することを
心底理解(願望としてではなく確信)していなければ、通用しない教訓です。この地上界は学びの場であり
永遠の生命の旅路の非常に短い期間です。愛や慈悲や善意を発揮するための訓練の場です
この混沌とした正義がまかり通る地上界で、真の正義を発揮させようと努めるのはとても骨の折れる仕事ですが
霊性進化を志すのであれば、避けて通れない道です
さて、地上界の正義の概念が混沌としているのに対し、霊界の正義の概念は非常にシンプルです
霊界における正義(決まり事を守る)とは、「神の摂理を遵守する」ことのみです。ではなぜ霊界の正義は
シンプルで混乱がないのでしょうか。それは霊界では摂理が『即座に』自動的に働くからです。裁判官も執行官も必要ありません
自分で自分を裁くのです。しかも、霊性レベルに応じた反作用として返ってきます。不服を言おうにもどうにもなりません
自分の行動によって即座に結果が出、その責任を自分で取らないわけにはいかないのです。誰かがそうしているわけではなく
摂理としてバランスとして、その責任から逃げることは出来ない仕組みです
上で真の正義と言いましたが、それは地上界の混沌としてあやふやで地上で生存している時のみにしか通用しない、一過性の
正義とは違って、永遠に通用する「神の摂理」ことです。それを日々心がけて少しでも日常で反映させることこそが
スピリチュアリズムを学ぶ者の真骨頂でしょう。なお、神の摂理は、逆説的ですが原理は「目には目・・・」と同じです
「人のために己を役立たせる」=「己のために人が役立ってくれる」
「人の幸福のために身命を賭す」=「己の幸福のために他者が身命を賭してくれる」
原因と結果・作用と反作用ですから。唯一違うのは、霊性に磨きをかけ純粋性を増すほど喜びや幸福感が手に入るのですが
その方向性の鍵を握る行為こそが「愛」です。シルバーバーチも語るように「愛は摂理を成就する」ということです 明らかに間違ったことをしてる人を
「いつかは悟る日が来るから」ってほっといていいの?
人のこと言えた義理じゃないし責任とりたくないしで関わり合いになりたくない
(実際に周囲にいるわけじゃないです) >>38
上にある私のコメント(偽善のこと・比較のこと・正義のこと)をしっかり読んでもらえたものとして回答いたします
こう言うと無責任かもしれませんが、「(万人に通用する)正解はありません」
統一された正義というものは、地上では存在しません。そして霊性レベルによって犯す罪の深さも違います
混沌とした地上界で私達は自分の霊魂を磨く修行をしているので、単純に「こうだ」と言える回答がないのが悩みでもあります
ですが、どなたにも備わっている良心は、自分を欺かずに素直にしっかりと向き合えば、進むべき道を必ず教えてくれます
あとはその答えをどうするか。それこそが霊性向上につながる心の葛藤でもあります
自分が行おうとする勇気。もしそこに『一片の自己欺瞞もなく純粋に対象者や関係者のため』を思ってのことなら
良心は必ずゴーサインを出すことでしょう。なぜなら『 』でくくった部分は、動機が摂理に適っていて(愛そのもの)正しいからです
その場合に実行された行為の結果がどんなものになろうとも、実行者は何も後悔することが起きません
もしその行為の結果に落胆したり後悔するようなら、動機が間違っていたということになります
摂理を成就する愛の形とは、偽善ではなくホンモノであれば、決して「見返りを求めない」からです
(※純粋でなければ行動してはいけないということを言っているわけではありません。最初からやりたくないことを無理矢理に自分に強制する
偽善が間違っているというだけで、もし単に、ある勇気ある行為に「恐れ」を感じるなら、それを無視して自己強制するのではなく
「今自分は実行することを恐れていますが、正しいと思える行動を取ろうとしています。神よ、どうか私に恐れを克服する勇気をお与え下さい」
「どうか私に慈善を行う勇気をお与え下さい。恐れて怖じけている未熟な自分ですが、少しでも人の役に立ちたいのです」
・・・というような善意の心願を持てば、そしてその強さがホンモノなら、必ず守護霊・指導霊及び多くの善霊が協力してくれるはずです
そういう行為であれば、元は自分の心にやりたくない気持ちがあったとしても決して偽善にはなりません。意識や意志がまるで違うからです
なお、この場合は元が純粋さに欠けていたわけですから、その度合いに応じた落胆や後悔も当然出ます。それを少なくしていくことが私達の目標でもあるわけです)
他者との関わり合い、社会との関わり合いにおいて、自分はいかに行動すべきか?
これは霊性向上(と同時に地上界の浄化=模範的行動で「地の塩」を目指す)を心がける人にとって、各人各様に
刻苦奮励することが大切と言えます。社会の荒波や激流にもまれることを何度も経験することによって
自分の個性にふさわしい、自分にあった行動指針としての導きが、必ず得られます(良心からの智恵として) >>39
ありがとう
人の為に役立つことをってのが受け入れがたい
人間とは何か?って考えるのは好きだけど人間はあまり好きじゃない
情報の収集は好きなのでそれを自分のペースでやってる >>40
それでいいと思います。無理なく自分のペースで自分が信じた道を歩むのは、個人ごとに正解だと思います
何よりも「こうしなければならない」という思想の枠を、自分に当てはめようとすることだけは避けたいものです
一つの理解が増えるごとに、一つの納得があり、そうしてまた一つ進歩する。霊性進化の道はこの地味な経験の積み重ねですから 原点に戻り考えてみたいと思います
現在でこそシルバーバーチに代表されるスピリチュアリズムは、倫理的な教訓を伝えることが主眼になりましたが
最初はそうではありませんでした。まず死後の世界というものがあり、生命は地上で消えてなくならず生き続けるという証明を
これでもか、というくらい降霊実験を通して我々に提示することが大きな目標になっていました
なぜでしょうか?
そこには幾通りもの霊界側の計画があるはずですが、その中の一つに「神(大霊)の公正」が事実明白であることを知らしめる
前提条件として、霊界の存在を信じてもらうということが必須だったからだと思われます
なぜならば、原因と結果・作用と反作用の法則は、この地上世界だけでは完全に反映されないことが、直感的に理解できるからです
いくら崇高な倫理を語っても、もし生命がこの世限りであるならば、そこに一片の希望も見いだすことは出来ません
生命が再生(転生)を通じて、良いことも悪いことも必ず自分で受け取ることになり、また、望めば何度でもやり直すことが出来る
精神が未熟で善悪の判断が出来ない霊性レベルの初期段階の者にとっては、このシステムは牢獄のように映るかもしれません
しかしある程度成熟した精神を持ち、倫理や慈善に目覚めている者にとっては大きな希望以外の何物でもないでしょう
もしスピリチュアリズムをかじりながら、その時に知った希望や喜びや慰め、新たな人生への勇気とやる気。こういった天啓に
陰りが訪れて、いつの間にか元の何も知らなかった時の自分と何一つ変わりない生活を送っているとしたら、私達はもう一度
原点に戻り、自問自答してみるのがいいでしょう
自分は心の奥底から霊界の存在を信じているのだろうか?自分に都合良く解釈していないだろうか?そうあってほしいという願望だけではないだろうか?
その昔、仏陀の弟子になるには三宝帰依(仏法僧…仏陀を信じるか・仏陀の説く法を信じるか・仏陀の法を学ぶ仲間を信じるか)が必須でした
もし真剣にスピリチュアリズムを学ぶのであれば、スピリチュアリズム的な三宝帰依が必須でしょう。こんな感じになると思います
霊法心…霊界の存在を信じるか・大霊(法則・生命・霊の根源)を信じるか・良心を信じるか
この3つを信じ切っているスピリチュアリズムの学徒なら、その人はすでに誰から何も言われずとも日常生活で自分に分相応な慈善行動を起こしているはずです 自分がされて嫌なことを人にしないくらいしか出来ないな 「分相応」です。シルバーバーチは「自分に出来る限りのことをする。それ以外は求められていません」と語っています
つまり「己を知る」ことが必然的に求められているわけです。自分を過小評価してもいけないし、過大評価してもいけない
これは我々一人一人が現在の霊性レベルにふさわしい行動を見極めるということでもあり、上の方でもコメントしましたが
他者と比較する必要は全くありません。各人各様で出来ることや出来る範囲は全く違うのですから
もし行動に迷ったら良心に素直にたずねれば適切な回答が得られるはずです 神って自分を崇めさせたくて人間を創ったってことはないの? >>45
普通にお答えすることも、すぐに出来るのですが、あえて質問させて下さい(話がかみ合わなくなることを出来るだけ排除するため)
あなたがイメージしている(または認識、あるいは信じている)神とはどういうものでしょうか?
>30の説明がスルーされているようなので、違う解釈があるように思われます >>46
読んでもよくわからん
なんで始めも終わりもなく完璧な存在が無知なるものに対して進歩するように
強制できるのか納得がいかない >>47
まずは>30に対するコメントですね。分かりました
ただ受け止め方に誤解があるようです。大霊は何人たりとも強制させるようなことはありません
大霊は、我々人間が通常抱く認識はもっていません。生命であり、法則であり、霊です。そこに思想的な意識は一切存在していません
強制という意識があるのは精神を持つ存在のみです。神の摂理に従えば従うほど、己の魂の純粋さは増していき
より大きな自由を獲得できるのが死後の世界の仕組みでもあります。しかし、だからといってその神の摂理は
我々に強制させられているわけではありません。逸脱する自由すらあります。世間一般の概念では地獄とよばれる界層の住人が
まさにその状態です。彼らとて誰にも強制されているわけではなく、自分が望んだとおりの低次な精神性を発揮してその場にいるわけです
ですが、より進歩したい。より神に近付けるような存在になりたい。慈善や愛をごく自然に発揮できるような者になりたい・・・etc
こういった、霊性進化への道を選ぶなら、そこには必ず苦難があります。それは避けて通れません
なぜなら自分の未熟な精神を鍛え上げるのは、刻苦勉励以外にないからです。楽をしても得るものは何もないのです
現代の地上では洒落た言い回しでこう言っていますね(元はボディビルトレーナーのウィダーによる、40年近く前の金言です)
ノーペイン、ノーゲイン = 痛み無きところに収穫無し
シルバーバーチは、価値の高いものほど苦しみを経て獲得できるのです。楽をして得られるものには価値はありません。と言っています
さて、なぜ強制という意識が生まれるのか?実は自分にも若い頃に経験があります。これはシルバーバーチも語っていることですが
「結果を早く求める」ことに原因があります。いかに価値の高い精神性を獲得しようと決意実行したとて、一足飛びに進歩することは不可能です
少しずつ少しずつ地味な経験を積み重ねて、トータルで霊性レベルが高まっていくものです
だからこその「自分に出来る限りのことをする」のが大切なスピリチュアリズムの基本的概念なのです。限界まで自分を追い込めなどとは
言われていません。ある特定の善意をしようと思う時、そこに自己強制を感じるような嫌な感覚が生まれるのであれば
まだそれは自分にとってはちょっとハードルが高いのかもしれません。無理をする必要はありません。少しずつ出来ることから始めれば
やがて、当時は自己強制的に思えた行為も、少し先の未来では自然に行えるようになるはずです
そういう経験を、我々は数え切れないほどの再生(転生)をして獲得してきました。ただ、霊に精神が加わって初めて地上に誕生した我々にも
年齢差のようなものが当然あります。再生回数50回の者は、どうしたって再生回数1000回の者よりは霊性が未熟なのは当然です
そしてこの地上界では、そういった魂年齢の大きな差のある者達であふれているのです
他人と自分を比較する必要はありません。そして自分で自分を追い込む必要もありません。自分に対し過小評価や過大評価せず、よく自分の精神性を見極めて
自分で出来るペースで、分相応な形で少しずつ前進していきましょう。私もそうしています
※見当違いの回答になっていたらすみません。あと、今日はこの辺で失礼します。何か質問等あれば、明日回答しますので >2に様々な推薦図書を挙げていますが、難しいことはよく分からないがとりあえず霊界が存在することは納得できた
と思っている方に特にお勧めしたいのが「天国と地獄」です
ここには生前にどのような人生を送り(原因)、死後に霊界でどんな生活を送っているか(結果)
という話がまとめられているからです。神の摂理がなんなのかとか、法則の話はとりあえず脇においておきましょう
霊界の存在を心から信じている人にとってなら、事実は霊訓を補足して余りある情報になっています
よって霊性進化への道を志す人へ教訓として、自信をもっておすすめしたい良書です
(残念ながら、現在は新品で手に入れられることは出来ないみたいです。AMAZONで中古品は販売されています。500円程度) スピ系の本の中にはプレミアついてて元値の2倍くらいで売ってる本あるよね
本を読めば救われるみたいな免罪符的心理も働いてプレミアつくのだと思う
実践が大切で、実践こそが難しい >>30
神=法則 ではないですよ
スピリチュアリズムを語る上で非常に大事な部分ですので、そこははっきりさせるべきだと思います
シルバーバーチの霊言の中には、「神は自然法則です」と言ってる箇所がいくつかあるので、「神=法則」として
解釈している人は多いと思います。わたしも最初はそう解釈しました
ですが、シルバーバーチの霊言の中には
「私の抱いている神の概念は完璧な自然法則の背後に控える無限なる叡智です。」
「神は大自然の法則よりももっと大きな存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。
神とはその自然法則と同時にそれが作動する仕組みをもこしらえた無限なる知性です」
のようにはっきりと「神=法則」を否定する箇所もあります 「大霊とは宇宙の自然法則です。全生命――物質界のものと霊界のもの全て――の背後の創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。
それが全宇宙のすみずみまで行きわたっているのです。人間の知り得た限りの小さなものであろうと、まだ物質界には明かされていないものであろうと、同じです。」
シルバーバーチは上のように、「神=法則」と受け取れる表現を割と多用しています
なぜ、こういう表現になったのか、それを考える時にはシルバーバーチが「いつ?」「誰に?」「なんのために?」神観を伝えようとしたかを考慮する必要があると思います
「いつ?」 1910年代〜1981年
「誰に」 イギリス人・キリスト教圏の地上人(イギリス人を経由して世界中の人)
「なんのために」それまでの誤った神観を正すため
最後の「それまでの誤った神観を正す」ことは、スピリチュアリズムが地上にもたらされた意義の中でも特に重要な部分です
地上人は、それまで間違った神観を持ち続けてきました。(今現在も持ち続けている人がいるわけですが)
その誤った神観が、戦争や飢餓といった今も地上人を苦しめ続けている問題を今なお引き起こしています
イスラム国の人間による破壊行為などはその最たるものと言えます
誤った神観とは、具体的に言えば「霊性の進化が進んだ高級霊(イエス含む)を神とする神観」「特定の人の願いを叶えたり特定の国に恩寵を与える神」
「怒りや憎しみと言った感情を持つ人間的な神」など
要するに過去の人間にとって神とは、不公平な存在、不完全な存在、唯一の存在ではない(多神教)と考えられてきました
それらを正すにはまず神の公平性を示す必要があるとシルバーバーチは考えたのでしょう
神の公平性を示すには、法則を持ち出すのが最も有効です。なぜかと言えば、地上人は法則の存在を理解出来ますし、
同時にそれが万物に公平に働いている事実も理解できるからです >>48
意識という表現が適切かどうか、それについての議論の余地はありますが、
(なぜなら神を表現するには不完全な人間が創った言語では限界があるから)
神は意識(に相当するもの)を持っています。神はあらゆる属性を至高の形で保持しています
人間を含めた全ての生命体、万物、物質界(宇宙)、霊界、あらゆる法則を創造したのが神です このスレッドも活発になってきましたね。ありがとうございます
今度は神の概念ですね。これは文章の限界もあるので上手に伝わらないのも仕方ないことです
>>52
さて私が「機械的」に説明した大霊の概念は、この地上界においては適切だと思っています
とにかく地上にいる人々の大半は、神=個(一神・多神問わず)と考えているからです
神は全てです。宇宙そのものが神本体であり頭脳でもあります。しかし分かれて存在しているのではなくて全てが統合して全体として存在しています
自然法則の枠外に存在しているのではなく、自然法則や愛も統合・融合された全体的包括的存在が神です
だからこそその特別なあり方に叡智の存在が内包されていることも理解できるのですが、叡智的存在が別に存在しているわけではないのです
というわけで機械的な等式をもう一つ増やしても問題無いと思います。神=至高の叡智
これを踏まえた上で、無味乾燥無機質な表現、機械的表現に抵抗がある方は、神とは愛の権化である。神は究極の叡智である・・・etcのように
とらえるのは何ら問題無いと思います
>>54
私の表現を、別の角度から表現すればそうなるでしょう。ではここでもう一つ別の表現をしてみます
人間でたとえると、生命活動そのものとは別枠に存在するのが意識活動になると思います
しかし神は統一統合されている存在です。生命活動も意識活動も(法則・・・etcも)融合していれば、そこにはもはや意識とよべる純粋な活動はないと言えるでしょう
以上のように、私が表現したかったのは、大霊が「個」という特別な存在ではなく、「全て」という特別な存在である、ということです(個人格を想起するような表現につながらないようにするため)
我々の視点から見ればそうなるのですが、大霊視点で見れば大霊という個が細かく全体に広がり分かれた、とも言えそうですが 仮に、神=法則 とした場合、わたしには無神論者の神観との区別がつかなくなります
地上人はみな、法則の存在を理解しています。法則が理解出来ない子供や精神障害者などの例外的な人を除いて。
有神論者か無神論者かに関わらず、誰もが法則の存在を確信しています
神=法則 が成り立つのであれば、この世に無神論者はいなくなることになります
神の存在を疑う人はいても、法則の存在を疑う人はいないからです
スピリチュアリズムが示している神観と、あなたが主張する神観は相容れないものだと思います
>自然法則や愛も統合・融合された全体的包括的存在が神です
自然法則が統合・融合された存在だと断定する根拠は何ですか?
シルバーバーチの霊言にも、その他の霊言にもそういう記述を見かけたことはありませんが?
神=法則 が成立しないという根拠をいくつか示します
神は創造主であり、無限の叡智、完全なる愛です
それら全てがイコールで結ばれます
ですが、法則と創造主、無限の叡智、完全なる愛はイコールになりません
これがまず根拠の一つです
法則とは、言ってみれば神が作った完璧な法律です
法律に意識・心が無いのと同様に、法則にもそれらはありません
愛とは心の働きです。法則が心を備えてないことは自明です 2つ目の根拠は、自然法則をごく一部ではありますが人間が科学によって解明しているという事実です
そのお陰で現代人の生活が豊かで便利なものになっているわけです
仮に、神=法則 とした場合、人間が部分的にではありますが神を解明したことになります
これはどう考えてもおかしいですよ >>56
より理解を深めるために質問させて下さい。まず共通認識として神=大霊(全創造源)ということで話を進めます
>有神論者か無神論者かに関わらず、誰もが法則の存在を確信しています
○その誰もが確信しているという「法則」とはどんな法則ですか?
>自然法則が統合・融合された存在だと断定する根拠は何ですか?
>シルバーバーチの霊言にも、その他の霊言にもそういう記述を見かけたことはありませんが?
○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
個の存在でしょうか?全の存在でしょうか?
回答は急ぎません。書き込む余裕のある時にでもお願いします >>59
○その誰もが確信しているという「法則」とはどんな法則ですか?
万有引力などの物理法則です
○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
まず「実態的な話」という意味が解りません
神(大霊)を実態的に認識することは不可能です
人間と神(大霊)は直接的な関わりを持つことは出来ません
法則を介して間接的な関わりを持つことしか出来ないのです >>60
了解しました
ここは区分けして考えたほうがいいと思います。一般常識(といってもまともに高等教育を受けた人に限りますが)は
この世界において広く認知されており、あなたの言われるとおりかなり浸透しているでしょう
しかし、その学識的な法則と神の摂理という人として生きるべき規範は、残念ながら分離されてしまっています
原因と結果、作用と反作用は何も特別な法則では無いけれども、じゃあそれが日常生活に浸透して誰もが認識して行動規範にしているか?
となると、皆無とは言いませんがかなり知られておらず浸透していないことは明白です。だからこそ霊界からメッセンジャーが派遣され
我々に道しるべとして教訓を与えてくれたわけです。それで、この質問で何を言いたかったかというと、学識的な人間が広めた法則は
現在我々が知りうる限り正当性を持つ事実ですが、それは範囲が地上世界で使われるためのものです。ですからそうとらえてほしくなかったこと
そして法則という単語は地上言語ですからどうしてもその地上世界で使われている学識のイメージがつきまとってしまいます
まさか学識的に知られている法則の基本概念が、自分たちの生き様、死後にも非常に大きな影響力をもっているなどと信じ切って生活している人はまずいません
であればなおのこと、神=法則 が腑に落ちないのはある意味当然だと思いますし、荒唐無稽とも思えるのも仕方の無いことだと思います
法則(神の摂理)は神の本体です。=という等式で結んでも何も矛盾しません。地上言語の法則とは質が違います。これはあなたの良心が
あなたに告げる認識と、私のそれとが一致しないだけ。それだけのことです。神の分霊である我々の良心が、最も大切な基本的概念である
「人の役に立つこと」から外れていないのであれば、遙か遠い存在への認識違いがあっても、それはそれで別に構わないと私は思っています
>神(大霊)を実態的に認識することは不可能です
答えが出ていますね。決して屁理屈ではなく、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることになります
あとは、自分自身の良心がどうとらえるか。それでいいのではないでしょうか
私は本に頼ることはないのですが、あえて引用するならここは「霊の書(上)」(スピリチュアリズムの真髄・思想編)をあげます
そこには「第一原因」ということが書かれています。仮に神が法則を作ったとしましょう。そうすると作るための「何か」が必要になります
意識に関しては自分の見解をすでに語っていますので、それは意識とは呼べません
「何も」必要ないのです。なぜなら存在を仕組みを自分自身をそのようにするだけでいいからです。だから=愛でも=叡智でも
もちろん=法則でも問題無いと、私は認識しているというわけです。それらの単語の枠外にある存在ではなく、その単語そのものが同時に
第一原因と私は認識しているわけです。それが宇宙のすみずみの全体として網羅されていると認識しています
「神が結果であり、また同時に原因でもあるという筈はあるまい」霊の書・上P.15
「神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません」真髄・思想編P.26
このように、神は単体で独立した存在とは私は考えていないということです
付け加えると、我々にはあたなも言われるとおり、究極の存在を定義したりその存在を正確に言い当てることは出来ません
あとはお互いの良心がどうとらえているか。それでいいのではないでしょうか。私も自分で認識したことを良心の導きに従い、自分の言葉で表現したまでです
私の言っていることが絶対無謬などとは全然思っていません >>61
56は説明不足でした
法則と一口に言っても、様々なものがあります
物質界に働く物理法則をはじめ、物質界と霊界を通して働く因果の法則など。
わたしが法則という言葉を使う場合、それら全て、人間がまだ知りえていないものも含めたありとあらゆる法則のことです
ですが、56の2行目の「地上人はみな、法則の存在を理解しています」
の文中の法則は、文字通り一般的な人間が理解済みの法則(万有引力など)のことであり、ありとあらゆる法則を
理解しているという意味ではありません。その点はおことわりしておきます
摂理
1 自然界を支配している法則。「自然の―」
2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。
上は摂理の意味ですが、1の意味の摂理は法則と同義と言って構わないと思います
しばしば「法則(摂理)」という表現をされるわけで、シルバーバーチの霊言の中にも見られます
あなたが61で使っている「摂理」は2の意味ですよね?
それだと法則と意味が変わってきますよ? >答えが出ていますね。決して屁理屈ではなく、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることになります
神(大霊)を実態的に認識することが不可能だからと言って、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることにはならないと思います
あなたの論理だと、神をどう表現しても良いことになります
>私は本に頼ることはないのですが
それだと1に書いていること(主に霊界通信の本、スピリチュアリズムを参考にして)と矛盾しますよ
そういった霊界通信の要旨と異なる、あなた独自の見解を語りたいのであれば相応のスレッドを立ててそこでなさるべきです
繰り返しになりますが、神を実態的に認識することは不可能です
ですからそこは、シルバーバーチなどの霊言などを頼りにすることになるわけです
そこには当然読む側の読解力・解釈などの問題も関わってきます
そういうわけで、わたしもあなた同様、自分の見解が完全に正しいとは言い切れません
ただ、ひとつ言えることは、なるべく2に書いてある書籍の要旨と矛盾や差異がなくなるように努めるべきだと思います >>63
本に頼ることはないと言ったのは、自分の見解を「これこれこのようなことがこの本のここに書いてある」というような
本に書いてあることを正当性として出すようなことは基本的にしないという意味です。
そして、その時も本のコピーの一字一句違えず出すのが目的ではなく、それは自分の見解の参考として出したというほどの意味です
シルバーバーチの霊訓に青年牧師(彼は当時聖書を盲信していた)との対話の下りがありますが、そのような感じで
盲信する気はないというほどの意味です。それと、私がこのスレッドを立てたのは、注意事項にもあるようにコピーだけ出しても
意味が無いと考えているからです。我々はロボットでは無いのです。参考となるテキストを元に、自分の個性に合うように
良心と相談しながら参考図書が語っているエッセンスを実施していこうという意図からです
参考図書の一字一句を完全に違えずコピーするなら、わざわざスレッドを立てて霊性向上のための経験談を語るような場を設ける必要はありません
本を読んでいるだけで終わりです。参考図書はあくまでも参考図書であり、それを頼り切ることは意味があると考えていないわけです
上の方で35の方が仏陀の自灯明の話を出しておられましたが、スピリチュアリズムも同様で、自らの良心を最高のガイドとすることが大切だと考えております
そうなってくると、個性の数だけ神の摂理の理解は異なり、その人の霊性レベルにふさわしい理解と実施方法が生まれることになります
参考図書は基本であって、それをどう応用するかは我々次第であり、差異が出るのも当然あることです
差異が出ない見解、個性が同じような人ばかりの中で同じようなことを語ってどんな切磋琢磨があるというのでしょう。ここは地上界であって霊界では無いのです
「こうでなければならない」という学び方は自由を制限し、自分をがんじがらめにします。必要なのは良心に従うことです。そしてその良心も
霊性レベルによって返ってくる答えが変化するでしょう
最後に、神の存在については61でもコメントしたように、それぞれの人が別々のとらえ方をしたとしても、私は一向に構いません。私は絶対無謬ではないのです
大切なのは「己を人のために役立たせる」ことで、それを追求することが霊性向上への道であり、神の存在を研究しても霊性向上に結びつくわけではないですから
私の神の存在に対する見解がお気に召さないなら、捨て置いて下さい。どっちが正しいかとかには私は興味ありません。お互いの参考意見を出し合う以上の
論争につながるやり取りや、相手の見解を「こうあるべきだ」といって変えさせようとするようなやり取りは、自由な学びを損なう無益なことなので慎んでお断り申し上げます 摂理
1 自然界を支配している法則。「自然の―」
2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。
答えていただけなかったのでもう一度お聞きします
法則の話をしていたのに、いきなり摂理の話に置き換わったのはなぜですか?
1の意味の摂理なら、法則と同義ですから置き換える必要はないはずです
2の意味の摂理なら、法則という言葉の意味と変わってしまいますが?
あなたは上で、法則(自然法則)という言葉を使っています
大変申し訳ありませんが、神=法則に関する件から始まったコメントのやり取りは、64で終了させていただいております
考え方の違いを深く追求されても、こちらからはもう何もありません。霊性向上のための方法を語り合うのが
このスレッドの一番大きな目的です。直接日常の行動に関わらない概念についての話は、相手の話に納得が
いかなければ、それはその人の霊性レベルや個性の違いだと考え、捨て置いて下さい。以上です あなたはちょくちょく言葉のすり替えをしますね
わたしは、「そういった“霊界通信の要旨”と異なる、あなた独自の見解を語りたいのであれば相応のスレッドを立ててそこでなさるべきです」
と言ったのです
それがあなたにかかると「個性の数だけ“神の摂理”の理解は異なり」になってしまう
霊性進化の道を語るのは結構なことです
スピリチュアリズムをガイドにするのも結構なことです
しかし、霊界通信の要旨を勝手に変えて、あなた独自の見解を語るのは止めるべきです
あなたの発言にはそれが多く見られます
その理由は、スピリチュアリズムを知りたい、学びたいという人を混乱させるだけだからです 明らかにスピリチュアリズムと異なる見解を述べておいて、それを指摘したら「捨て置いてください」ですか…
ネットに書く以上、自分の言葉に責任を持つべきです。チラシの裏に書くのとはわけが違います
ネットに書く、ネットを読むという行為も日常の行動に他なりません
わたしのレスがお気に召さないのでしたら、捨て置くなりスルーするなりご自由にどうぞ
{汎神論とは、全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるとする世界観・哲学。}
55であなたが述べているのは汎神論です
スピリチュアリズムは汎神論を地上に伝えようとしているのではありません
勝手に書き換えたガイドが霊性進化の参考になるわけないですよ あなたはかなりのエゴイストですね
実社会ではなかなかお目にかかれないレベルです
あなたと接していると、なんでも自分が一番じゃないと気が済まなかった、わがままな小学校の旧友を思い出します
あなたはとにかく 自分 自分 自分 自分 ですよね
このスレッドを読んでいるとよく判ります
3000年生きていて、世界中に伝わっていて、大勢の人に素晴らしい真理と認められているシルバーバーチの霊言・霊的真理も、
あなたにかかれば一刀両断に斬って落とされます >>52>>55
まるで、そんなチンケなものは真理ではないと言わんばかりです
それに代わって「あなた」の『自説』が来るわけです >>55
おそらく「『自分(あなた)』がそう思うから」くらいの根拠ですかね
あなたが最優先するのは自分ですから、自分(あなた)がそう思った説であればシルバーバーチの霊言にすら優先するわけです
わたしが使った言葉も、自由に「あなた」の好きな言葉にすり替えられます
その点を伺っても答えてはもらえません。「あなた」が答えたくないのだからしょうがないですね
会話をいつ打ち切るかの決定権ももちろん「あなた」にあります
わたしの意向は一切汲んでもらえません
さすがにちょっと言い過ぎましたかね
気を悪くなさったのなら謝ります
でも一言言わせてください。わたしにこういう文章表現をさせたのは「あなた」に原因があります
因果の法則が働いたとご理解ください このスレッドは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」です
論争に誘うような発言や個人攻撃、愚痴、それらは全て目的外とするところです
ネット上で特定の思想信条を持つ人に対し、差異を明確にするのは構いませんが
自己の思想を相手に押しつけるのは禁止になっています。このあたりをもう一度参加される方はご確認下さい
また、私達はネットの中で生活しているわけではありません。ネットはあくまでも日常生活に必要な情報を得る場所です
お互いの持ち得る情報をあくまでも参考としてここに持ち寄り、疑問点があれば確認し合い、差異が明確になった時点で終了です
あとは個人の自由を尊重するよう心がけましょう。自分の人生が自分自身のものであるように、他者も同じなのです
自分自身が充分に情報を得られれば、それでいいのです。ここは弁論術やディベートを練習する場所では無いからです
他者の情報に接点が得られないと感じたなら、そこで終わりにしましょう。全ては現実社会でいかに人の役に立つか、それだけです
皆様には不要な情報はSLIPで遮断することをおすすめします
スレッドルールから逸脱するようなコメントは、スレッドの正常進行の妨げになり、荒らしと何ら変わりありません
今回は、霊性進化とはまるで方向性の違う、個人的感情、恨み節とも思える自己の正当性をしつこく押しつける方に対し
SLIP処理させていただきました 【説明】
ここはスピリチュアリズムを肯定的に受け入れて、実生活の心の拠り所にしている人達のためのスレッドです
スピリチュアリズムを頭から否定する方や、侮辱・誹謗中傷目的の方は参加をご遠慮ください
ただし中立な立場にある方や、この思想について知らない方からの、まじめな疑問や参加は歓迎します
あなた自己矛盾を起こしてることに自分で気づきません?
あなた自身が>>52のスピリチュアリズムを>>55で頭から否定してるじゃないですか?
他人は駄目だが自分はOKってことですか? とりあえず、わたしが主張すべきことは主張させていただきます
一方的に会話を打ち切られたことで、わたしの真意が伝わらなかったので、改めて説明します
>>63のわたしの「霊界通信の要旨」という言葉が、次の>>64でoOpq+s3g0さんによって「神の摂理」という言葉にすり替えられ、
わたしが「神の摂理」と言ったとして論を展開し勝手に自己完結してしまいました
わたしが言ったのは、「霊界通信の要旨」です。例を挙げると「死後生・再生の存在」などを指します。
要は霊的真理であり、そこに差異や矛盾は生じません。なぜかと言えば、真理にはそれらが生じ得ないからです。
>>2の書籍で、同じ真理について語っている場合であれば、多少表現が違うことがあっても、書籍間での差異や矛盾は生じません
例を挙げれば、「再生の存在」についての表現が、Aの書籍では「生まれ変わりはある」、Bの書籍では「再生はある」だとします。
結局、表現が違うだけで言っている事は一緒なわけです。
それを踏まえて言わせてもらうと、>>64の11行目〜12行目
>そうなってくると、個性の数だけ神の摂理の理解は異なり、その人の霊性レベルにふさわしい理解と実施方法が生まれることになります
>参考図書は基本であって、それをどう応用するかは我々次第であり、差異が出るのも当然あることです
の箇所がいかに的外れなことを言っているかが判ります
こちらの言葉をすり替えて、勝手に「差異が出るのも当然」などと言って自己完結しているわけです。
くり返しになりますが、真理に差異は生まれません そもそもスレ主の方は>>52>>55を見れば明らかな通り、スピリチュアリズムの根幹である
霊的真理を真理として認めておりません。差異や矛盾が起こりえないはずの真理を簡単に否定し、
自分の作り上げた偽の霊的真理(>>55)を持ち出してくるわけです。ベースが偽物ですから、
その後の論も誤りだらけとなります
例を挙げると、>>30の「神=生命」。このベースが誤りであり、>>55で「神の生命活動」と更なる誤りを重ねるわけです
神は生命というより、生命の根源という表現が適切です
無始無終わの存在であり、外形を持ちません
仮に、スレ主の方に「神の生命活動について具体的に語って欲しい」と頼んでも、
いつものように逃げるでしょう。なんせ、本人にすらよく解ってないんだから、それを
他人に説明することなど出来るはずがありません
偽物の霊的真理は作り放題
それによって、スピリチュアリズムを真面目に学ぼうという人が混乱しようが知ったこっちゃない
偽物の霊的真理にツッコミが入ってもスルー
他人の言葉を勝手にすり替えて、謝りもせず自己完結
スピリチュアリズムを頭から否定する方はご遠慮下さいという但し書きを書きながら、自ら頭から否定
こんな人が霊性について語るんだから噴飯物です。ヤクザが人道を語るのを聞かされる感じでしょうか
他人の霊性をどうこう言う前に、その醜く肥大化した利己心をどうにかするべきです
まあ、これだけ言っても馬の耳に念仏でしょうけど ようやく解りました!!!!!!
スレ主の方が言われた「神は全て」という主張も、わたしの「万物・物質界・霊界・法則は神の創造物」という主張も、
シルバーバーチの「神は自然法則です」という霊言も「法則の背後に控える無限の叡智」という表現も、
それら全てがある意味正解です。それら全てが真理です!!!
それを今から説明します。神は万物・物質界・霊界・法則を創造されました
そして、それらの創造物全てに遍在していうのが神なのです
無限大の心、無限大の意識体と言うべき存在です。創造者と被創造物という意味では、
「神≠法則」となりますが、法則内にも神は遍在しておられますから、その意味では「神=法則」となります
シルバーバーチの表現が異なったのはおそらくそういう理由です
ですから、わたしの真理も正しいし、スレ主さんの真理も正しいのです
スレ主さん、失礼な発言してしまい済みませんでした
心から謝ります 物質界(宇宙)・霊界に神が遍在しているとはいえ、無限の過去から無限の未来に存在する神に対して(つまり原初がない)、
物質界(宇宙)が無限の過去から存在しているわけではない(宇宙には原初がある)、ということから考えると、
やはり物質界(宇宙)・霊界・万物・法則は神の創造物と考えるべきでしょう
だから、厳密に言えば、「神≠宇宙」「神≠法則」となると思います
>>52のシルバーバーチの霊言が真理でしょう ネットは必要な情報を得る為のものであるのは確かです。でも、それだけじゃないですよ
コミュニケーションツールでもあるわけです。実生活で出会えないような人とも簡単に出会えます
どこの誰かも分からない、顔も知らない人と簡単にコミュニケーションが取れる便利な物でもあります
文章だけのやりとりとはいえ、そこで人間関係について学ぶことも出来るわけです。霊性を高めることも出来るわけです
法則とは、人生の全ての場面に適用されるんです
職場での行動だけが霊性進化に関わるわけではないのです
家庭での行動はもちろん、それ以外の、人間が生まれてから死ぬまで、その間の行為・業(これには思念も加わります)が
霊性進化に関わるのです。ネットでの読み・書きももちろんそれに含まれます
ネットは単なる情報収集のみのツールだ、なんて考えて、画面の向こうの相手の心情を無視した行為をとることが、
果たして霊性進化に繋がるとお考えでしょうか?
わたしも酷い言葉を書いてしまいましたが、それについては反省します。あなたも、もう一度あなたの行為についてお考えください
わたしも欠点だらけの人間です。霊性が低いことは自覚しております。
欠点を指摘されるのは誰でも嫌なことですが、それが霊性進化のための「気づき」「自覚」に繋がることもあるわけです
わたしは、霊性進化において重要なことは、「気づき」「自覚」だと考えます
自らの欠点に気づき、自覚することで、それを解消しよう、無くそうという方向に向かうわけです
あなたがそういう方向に向かわれることを、わたしは望みます >>78
そうです
無限の叡智(神=大霊)によって創造されたのです
その被造物に、神(大霊)が遍在しているのです いまシルバーバーチの霊訓全巻を貸しているので、正確な確認ができないのですが、
シルバーバーチは「神は摂理だ」と言っていますが、交霊会に参加した人が、
「自分は自然法則を神と思っています」という自己紹介に対して、それは違うと答えています。
確か、その場合は誰が法則を作ったのだ、と言う話になるのでそれは違うよ、と回答してた気が。
全12巻のあとの方の巻数です。
シルバーバーチ自体がレッドインディアンでは無いとあとから言っていますから、
話の段階というものを重視したのでは無いでしょうか。
つまり初めは分かりやすく法則だと言い、
話しについてこれるようになった時に、改めてより正確な発言をしたとか。
そんな感じを自分は受けます。
まあ仲良くやりましょうよ。 遍在:あまねく存在すること
統合:二つ以上のものを合わせて一つにすること
融合:とけあって一つのものに なること
結局霊的真理は「神は全てに遍在している」ということだね
>>55で「神は全てに統合・融合している」と書いてるけど、遍在≠統合・融合 ということ
神が全てに統合・融合しているなら、人間=神 ってことになっちゃう
人間が全知全能な存在じゃないことは言うまでもない
スレ主さんの>>59の質問の意味もようやくわかった
>○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
>個の存在でしょうか?全の存在でしょうか?
スレ主さんは「神が全てに遍在している」という霊的真理を「神は全てと統合・融合してる」と考えちゃってたってことだね
>>81
以後気をつけます >81
参考意見として受け止めさせていただきます
>まあ仲良くやりましょうよ。
まったくもってそのとおりです
「自分を人の役に立たせること」を理解し実行している【スピリチュアリズムを学ぶ同志】であるはずの私達は
個性の差による見解の違いなどにこだわる必要などありません。もしそれが「悪意」では無いのであれば当然のこと
もし悪意から出た見解ならば、諫めるのは同志の義務だと思います。それ以外は互いに「出来る限り」寛容でありたいものです
自分の穏やかな精神状態を損なってまで他者につきあう必要はなく、許容限界を超えると感じたら、身を引くのも大切なことだと思っています
会社においても、自分のおかれた現状や行動をありのままに説明しても、理解されないときがかなりありますが、そんな時は
自分の意見を押し通すことはしていません。「そういう事情ですから、ご検討をお願いします」と一言いれて、自分に納得がいかない決定事項であっても
受け入れるようにしています(彼らの正解として)。ここは様々な霊性レベルと個性を持った方々が存在する地上界だと理解しているからです
不毛な、空しい議論にはならないよう、そのあたりは特に若い人たちと会議で話す時も心がけていることです
そして、心を鍛え修養する場だと割り切っています。自分の若い頃はとてもとてもそんなことは出来ませんでしたが。今思うとその頃の自分は失笑ものでした
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPはこちらからは見えていませんのでご容赦下さい(使用ブラウザ:Jane Styleによる透明化)
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125] new[60.42.110.26] 念のために言っておきますけど、神が遍在してることは、シルバーバーチの霊言やその他の霊信に多く出ておりますから知っておりました
生命(人間)、法則、宇宙、自然に神は内在してると明言しております
それをスレ主さんが「神は全てと統合・融合している」と考えてたということが解った、ということです
質問の答えは、「個の存在」ということです
全てに遍在していても、神とは「個の存在」なのです
今後はご自分で決められたルール、「スピリチュアリズムを否定しない」をお守り下さい
霊界の高級霊から地上にもたらされた霊的真理は、霊性進化にとって助けとなる大事な人類の宝というべきものです
霊的真理を真理であると認めることが大事なのです 自分は精神疾患を患っており、下手をするとシルバーバーチの霊訓のような本は
読むなと言う人がいるかも知れません。ただ読んでいた頃は体調は良かったです。
それで昨日の書き込みの「神は摂理だ」と言ったのか、「神の摂理が〜」と言ったのか、
いま全巻貸しているので確認できないのですよね。
全巻貸したのは実は幻聴にシルバーバーチの本を燃やせと言われたからです。
なのでライターで本の角に焦げ目を作りました。
あとになって輝く霊言を偽りの教えと思って燃やしたのかと思うと、心が痛みます。
それで読むのがつらくなって貸し出しました。本当は貸した人に差し上げたい気持ちです。
ただの状態が少し悪い古本として扱ってくれるでしょうから。
あの頃の地獄の幻聴はいまでは緩和しましたが、幻聴は本当につらかった。
「信じている」という言葉は、その中にまだ疑いを含んでいるのでしょうか。
それが当然なら信じないと言う事はあり得ないはずです。 それでシルバーバーチは霊的真理の開示を
時代に合わせて行った計画の一つだといまでは思っています。
つまり今はもうそれらは為されて事なので、シルバーバーチを引き継ぐ存在は、
現時点ではそれら計画に沿った別の事をしているのではないかと思っています。
今はヒーラーが主流なのでは無いか。どこかに書いてあったからそう思ったのかな?
ヒーラーが日本に居るのであれば、病気を取り除いたり何なりして欲しい。
健康に寿命まで生きたいです。
ただ死にたくもなります。幻聴に死ね死ねコールをやられたりしますから。 >>86
本なんか読んでたらぼろぼろの紙くずになっていくのだから、焦げ目くらい気にする必要はない
本が重要ではなく、教えが重要
俺なんかいろいろ古本買ってて、積ん読してるところに麦茶紅茶もこぼしてるから本が染みだらけだぜw
焦がすより汚いしそもそも読んでもいないんだから、罰当たり度は俺のほうが上 >>88
温かい励ましのお言葉をありがとう。
罰当たり度ですが、自分の方が罰当たりだと思うからこそ苦しみました。
「シルバーバーチは地獄の王」であり、「日本の神々と戦い、滅ぼそうとしている」と
強烈な声が聞こえてきました。なのでシルバーバーチを裏切る意味で焦げ目を付けたのです。
ですがどうか精神疾患の人間はスピを読むなとか仰らないで頂きたい。
苦しい中であの中身を読むと本当に希望がわき、前に進みたいと思うのです。
苦しくて死にたいと思うような時も、ちょっと読むだけで元気が出てきそうです。
それを自分が裏切った。これは自分で自分が赦せないのですよね。
その後読もうとしましたが、焦げ目が気になって読み続けられないのですよ・・・ スピを読むなって言葉の裏には、読んで現実世界から完全に乖離しちゃうのを警戒してるんじゃないかな
精神疾患の中には、解釈の仕方そのものがこじれてる状態のときがあるから、そういうときにスピリチュアルを読むと、内容をどう解釈することになるかわからない
なので、一般的には、スピと精神疾患は相性が悪いと思われてるのではないかな 返信、ありがた屋。
それで、多分そうでしょうね。
変な解釈をしてしまい、狂信的になった日にはシルバーバーチも悲しむかも知れません。
では別の話を・・・
ようつべで素粒子物理関係の動画を見ると、
中には宇宙の重力が思ったよりも多いとか少ないとか、
そんな事を検証しているアメリカの女性物理学者が居ました。
それで彼女が仮説を立てて、
宇宙の中には別の5次元宇宙がいくつも存在する、と言うものでした。
これは全くのファンタジー的想像なのですが、スピリチュアリズムで明らかにされた
死後の世界はもちろん宇宙の中にあると思いますので、
その世界に重力が行ったり来たりしているのかなーと、学術的意義を全く介さずに思っています。 詰まらない話をしました。霊的進化とは全く関係が無い。すみません。 いやダークマターとかダークエネルギーって明らかに霊界の存在を示唆してると思うけど。
私たちが観測できない電磁相互作用しない物質ってそれしかないでしょ。 やっぱりそう思いますか。
大霊とは何かを考えた時、生物だけで無くその辺の石ころすらも神の創造物ですから、
そこには我々とは違う生命が宿っているのかも知れません。
ひも理論とかそう言うのだと、素粒子やとにかく全てを構成している物質の素が
振動していると言うわけですから、その振動こそが生命であるとすれば、
石ころが生命を持っていると言っても良いかもしれません。あくまで想像ですが。 なぜ奴隷だと思うのか?って方向からアプローチしたほうがいいかと 人間がコンピューターからAIが生まれるのを待ってるように。
神も人間の中から宇宙を創造できるような存在が出るのを待ってるんだと思うよ。
違う個性を持った宇宙がいっぱいあってそれぞれに創造主がいるんだと思う。
まあ、人間がそんな存在になるのは先が長くてすべてがそうなれるわけではないと思うけど。
まあ、そんな長い魂の修行のひとつの過程が物理世界地球なわけだけど。 悪因悪果 善因善果 人間同士で苦しめあってるのはわかる
でも埋め合わせがあるからって悪い事してない人間を悲惨な目に遭わせるのは
横暴じゃないの?
ワシのものをどうしようが勝手
ワシのおかげで生きられるのにワシを崇拝しないなんて許せない
とか思ってんじゃないの? バーチの霊訓なんかが特に
そう思うのはお前がバカだから、神こそ至高
ってよく言うよね
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