これまで「弱い者を守るとか困っている人がいたら手を貸すのは(宗教や精神世界を勉強したり頼るまでもなく)人間として当たり前だろ?」という気持ちでいましたが、
ここに来て、その自分にそれが全く出来てない事、その「愛」を持ち合わせていない事に気付きました。

また今回、なぜか解らないのですが、救いの手を差し伸べなかった第三者達に対して憎しみや恨みにも似た怒りを強く抱いていました(子供達を手にかけた人外は論外)。
その点を伏せていたにもかかわらず、「第三者にも意味がある」というような話を聞く機会を流れの中で得られたのも、ただの偶然ではないような気がしてます。

ありがとうございました。