「スレ主さんは神社参拝をどう思われますか?
 自分はどうも‥神社は 自分にはよくわからないものを祀っているのかな?
 という気もしています。 」

>>71
えっと、自分は神道は、たぶん平均的日本人くらいの理解しかないと思うので
その程度の自分があれこれ言うのもアレかなーと思うので
まず、そこら辺をめっちゃ調べてくれた人のHPを紹介します。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/091shintou.htm

「神道に流れる基本的なものはすべて、もともとは古代イスラエル宗教から来たと、言ってよいように思えます。私たちは、神道内に流れる本流のルーツを、古代イスラエル宗教に見ることができるのです。」
(本文より抜粋)

それで、上のページを少しでも読んでくれたと仮定して、
以下、答えますね。

もし、上記HPの言う通りに
「神道の元々の源流であるユダヤ教の【形だけ】が残り、
 その礼拝対象であるヤハウェという聖書の神の【本質】を見失って」しまい、
その結果、本来のものとは別のものを神道が社に据えて礼拝しているとしたら
 >>71 さんが仰る通り、「よくわからないもの」として映るのは
ある意味、自然なことなのかもしれません。

以上、限られた知識ですが、自分は今はそう思います。


そんで以下、補足。
ユダヤ教(&キリスト教)に描かれる聖書の創造主は
「わたしはこういう存在だよ」と
自らを人に現されるお方です。(これを「啓示」と言います)

ヤハウェはどんなお方か、何を愛し、何を憎むのか
何を喜び、何に悲しむのか
どんな性格(神格?)なのか、どんな目的があるのか、
人の様々な態度や行動に、どのように応答されるのか、されないのか…
それらを、聖書から知る事ができます。
そして、人と愛し合う関係を結ぶ事を願っておられるお方です。
だから、聖書に書かれているお方を
実生活の中で実際に体験して知っていくことができるお方なんです。

すごく、愛でいっぱいの方です♡
すごすぎる、このお方…。