クリスチャンだけどたくさん不思議な体験したよ [無断転載禁止]©2ch.net
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内容的にはややオカルトに通づるものもあるとは思うけど
クリスチャンなのにオカルトはさすがにまずいだろと思い、こちらに来ました。
不思議体験のスレッドを見てて、
「クリスチャンの間で聞く不思議体験て、
ここにあるものと遜色ないものいっぱいしてきたし聞いてきたよな。
なんで2ちゃんでほとんど見かけないんだろう?」と思い、
試しに自分のを書き込んでみようと思いました。
…まあ、「偶然だろ」「気のせいだよ」で片付けられなくもないんだけど…
「そういうこともあるのかな」「自分もそれで救われるかな」とか、
似たような境遇の人には、なんか希望になったりするかも、と思って書いてみます。
…スレッド立てたことないけど、うまくいくかな…
スペック
30代男性
20歳の頃イエス・キリストを主として受け入れる。
プロテスタント。主にバプテスト。
あとちょこっとハウスチャーチ、セルチャーチ、カリスマ。
10年くらい前に燃え尽き
東日本住み 体のともし火は目
「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。
入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く。
あなたの体のともし火は目である。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。
だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、
ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
ルカ11・33-36 金持ちの青年
さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは言われた。
「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
そこで、この青年は言った。
「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
たくさんの財産を持っていたからである。
マタイ19・16-22 最も重要な掟
ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人人を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
マタイ22・34-40 復讐してはならない
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に背を向けてはならない。」 マリアの賛歌
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」
ルカ1・46-49 どうぞ私が、死のかげにおおわれた、暗い地に行く前に、
しばらく悲しみ嘆くことができるようにしてください
ヨブ10・20-21
主が科あるあさましい罪びとに、主としてお求めになるのは何でしょうか?
それはただかれが心の底から痛悔して、その罪のために謙遜になることにほかなりません。
真に痛悔し、心が謙遜になったときこそ、赦免を得る希望も生まれ、
悩んだ良心もやわらぎ、失われた恩恵も回復され、人は来るべきおん怒りから救われ、
神は悔悟した霊魂と相会って、聖なる和睦の接吻をおかわしになるのであります。 お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。
お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。
悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
イザヤ1・15-16 罪深い女を赦す
この町に一人の罪深い女がいた。
イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、
香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、
泣きながらその足に涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、
「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
ルカ7・37-39 「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。
赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
同席の人たちは、「罪まで赦すこの人はいったい何者だろう」と考え始めた。
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
ルカ7・44-50 ダビデの詩
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。
わたしは罪をあなたに示し咎を隠しませんでした。
わたしは言いました。
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。
詩編32・1-5 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
たとえ暇つぶしででも、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
求めなさい
「求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」
マタイ7・7-12 娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。
ゼカリヤ9・9-10 イエス、三度死と復活を予告する
イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。
彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
十二人はこれらのことが何も分からなかった。
彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、
イエスの言われたことが理解できなかったのである。
ルカ18・31-34 イエスの死
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。
マタイ27・45-46 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。
こうして、聖書の言葉が実現した。
そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。
人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、
イエスの口もとに差し出した。
イエスは、このぶどう酒を受けると、
「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
ヨハネ19・28-30 復活する
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、
マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
すると、大きな地震が起こった。
主の天使が天から降って近寄り、
石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
天使は婦人たちに言った。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、
復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。
『あの方は死者の中から復活された。
そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』
確かに、あなたがたに伝えました。」
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、
弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスが行く手に立っていて、
「おはよう」と言われたので、
婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
イエスは言われた。
「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。
そこでわたしに会うことになる。」
マタイ28・1〜10 1や皆は元気なのか。
クリスマスシーズンなのでage わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
(ヨハネ14:23) 対抗宗教改革の煽りでカソリックが日本に布教に来て、
本来あるはずのないカソリック教会や大学がポコポコと雨後の竹の子して
しまった日本の今に不思議を超えた思いをしてますよ
キリスト教の歴史って殺戮の歴史だから、キリスト教が入り込んだ欧州では
輪廻転生、五穀豊穣、循環の概念はブツ切れとなり、誰が神に一番近いかの
不毛な直線レースになって三十年戦争とか暗黒の中世史さえ作り出し、
いまだに抜け出せてない
日本人は人間ではないから、そもそも救済の対象ではないとするプロテスタントは
布教はしなかったから江戸幕府は黙認したけど、信仰に嵌ってしまった長崎の
バテレン一派を江戸幕府が許さなかったのは正しい
日本国は日本人が創り出した傑作であるし、その歴史と伝統と文化を育んでいくのが
本来の姿であって、そこにキリスト教が入り込む余地はいささかもないからね
これから受験シーズンを迎えるけど、キリスト教系の学校の多さにあらためて辟易 汚れた霊が戻ってくる
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つか らない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、 家は掃除をして、整えられていた。
そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほか の七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。
そうなると、その人の後 の状態は前よりも悪くなる」
(ルカ11:24-26)
http://www.j-e-s-u-s.org/shoei/2011/20110320.htm 隠された宝と、高価な真珠
「天の国は畑に隠されている宝に似ている。それを見つけた人はそのまま隠しておき、喜びのあまり、持ち物をことごとく売り払い、その畑を買う」
「また、天の国はよい真珠を捜し求める商人に似ている。その人は高価な真珠を一つ見出すと、持ち物をことごとく売りに行き、そしてそれを買う」
マタイ13:44-46 種を蒔く人のたとえ
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、
あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
マルコ4・3−9 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マタイ 18:35
年末になぜ住まいの大掃除をするのでしょうか。
新年に神様に来ていただくためですよね。
心も同じです。
http://seishonyumon.com/coach/509/ この章のポイント
1. 赦しは、憎しみの悪循環を断つ力である。
2. 赦しは他人だけではなく、自分自身をも解放する。
3. 赦しは、人に感動を与える力である。 人を裁くな
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。
自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
マタイ7:1-6 2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本を始め、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
イエスも最高のマスター(師)の例だが、イエスだけがマスターではないと。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome いろいろと役に立つネットで稼げる情報とか
役に立つかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SB27G キリストの命令
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
ヨハネ 愛の讚歌
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、私に何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。
妬まず、自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。
Tコリント まだこのスレッド読み始めたばかりだけど、とても癒やされる… 神様凄いですね。自分もそんな神様の奇跡を体験したいです。 キリストを信じるすべての者よ
主の過越を讃えよう
小羊は羊を購い
罪のないキリストは罪の世に
神の赦しをもたらされた
死といのちとの闘いで
死を身に受けたいのちの主は
今や生きて治められる
マリアよ わたしたちに告げよ
あなたが道で見た事を
開かれたキリストの墓
甦られた主の栄光
証しする神の使いと
残された主の衣服を
私の希望 キリストは復活し
ガリレアに行き待っておられる
共に讃え告げ知らせよう
主キリストは復活された
勝利の王キリストよ
慈しみをわたしたちに
アーメン
アレルヤ 「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。
今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
ヨハネ 最も重要な掟
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
マタイ22 はっきり言っておく。
あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。
あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
女は子供を産むとき、苦しむものだ。
自分の時が来たからである。
しかし、子供が産まれると、一人の人間が世に生まれでた喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。
(ヨハネによる福音) いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
゛霊゛の火を消してはいけません。
預言を軽んじてはいけません。
すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。 見よ、わたしはすぐに来る。
わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
わたしはアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。
初めであり、終わりである。
命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、
自分の衣を洗い清める者は幸いである。
(キリスト) 神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。
(詩編) ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。
喜び祝う声を聞かせてください
あなたによって砕かれたこの骨が喜び踊るように。
わたしの罪に御顔を向けず
咎をことごとくぬぐってください。
(詩編) 神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
わたしはあなたの道を教えます
あなたに背いている者に
罪人が御もとに立ち帰るように。
(詩編) 神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
主よ、わたしの唇を開いてください
この口はあなたの賛美を歌います。
もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす捧げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
(詩編51) たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる。
(イザヤ) ヨハネは答えた。
「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
ヨハネによる福音
悔い改め(水の洗礼)、福音を守り、聖霊の洗礼を受けなさい。 詩編
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。 詩編
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。 【全部、言っちゃうね。】今頃カルチャー転換ですか?無駄ですねw
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2691
殺人事件まで起きました。飛び降り自殺まで起きました。
何故?カルトだから。
そこまで凄惨な事件が内部で起こらなければ自身の間違いを正せない?
ここまで来てしまったら、もう終わりなのです。
「幸福の科学」は最初から、教祖親子の嘘で始まりました。
元々は、「中川力=仏陀」「中川忠義=教祖」「中川隆=霊媒」で始める予定でした。
教義内容の概要は、「エメラルドタブレット」のパクリ、
その他、読書で得た知識の継ぎ接ぎによる完全パクリ教団です。
つまり、この教団は、立て直しようがないのです。
教祖は悪魔(裏宇宙の邪神)・ナイアーラトテップの分身に過ぎません。
ライトサイドの軍事魔獣が、政治利用されて、裏宇宙に放逐されたのです。(核廃絶のようなもの)
それが「一千億年の孤独」の意味です。
根本仏に孤独は存在しません。
絶対世界に、二元的思考はないのです。
嘘から始まったカルトを正すなら、原点から正さねばなりません。
つまり、最初から嘘である為、それを正す行為は、全てを消し去る行為となります。
そう、一切合切を消し去らねば、正すことが出来ぬほどの闇なのです、「幸福の科学」は。
信者さんたちよ、職員さんたちよ、皆さんが善良な人間としてとるべき態度は只一つ、
退会すること、この間違ったカルトへの信仰を捨て去ること、完全に縁を切ることです。
それしかないのです。
そして、それが正しい判断です。
大川隆法は
悪魔(裏宇宙の邪神)・
ナイアーラトテップの分身です
仏陀ではありません
宇宙神ではありません
エル・カンターレなど存在しません
そもそも地球系霊団最高大霊
というポストもありません
息をするように嘘を吐く大川隆法は
只の「魔物のキレッパシ」に過ぎません わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。
だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
人の怒りは神の義を実現しないからです。
だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、
心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。
この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
御言葉を行う人になりなさい。
自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、
その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、
それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、
これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。
このような人は、その行いによって幸せになります。
自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、
自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。
みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、
世の汚れに染まらないように自分を守ること、
これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
ヤコブの手紙 キリストの言葉
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、
わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 最も重要な掟
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
マタイによる福音 キリストの言葉
「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。
神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、 平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つように努めなさい。
体は一つ、霊は一つです。
それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 すべてのものの父である神は唯一であって、
すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
エフェソの信徒への手紙 わたしたちは、互いに体の一部なのです。
怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
悪魔にすきを与えてはなりません。
盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。
むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
悪い言葉を一切口にしてはなりません。
ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
エフェソの信徒への手紙 それから、イエスは言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
マルコによる福音 イエスは言われた。
「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。
ヨハネによる福音 はっきり言っておく。
わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
はっきり言っておく。
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
ヨハネによる福音 私たちの生まれながらの性質は、
聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。
一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、
生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。
内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。
そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、
したいと思うことが自由にできない状態なのです。
しかし、本来聖霊に導かれているあなたがたは、もう自分を律法に従わせる必要はありません。
生まれながらの悪い性質、つまり肉に従った結果がもたらすものは明らかです。
すなわち、汚れた思い、好色、 偶像礼拝、心霊術、憎しみ、争い、怒り、
利己心、不平、あら捜し、排他主義とそこから出て来るまちがった教え、
ねたみ、人殺し、泥酔、遊興、そのような種類のものです。
前にも言いましたが、もう一度言いましょう。
そのような生活を続ける者は、一人として神の国を相続できません。
ガラテヤ しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、
私たちのうちに、次のような実を結びます。
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
そこには、律法に反するものは何もありません。
キリストに属する者は、生まれながらの自分が持つ肉の欲望を十字架につけてしまったのです。
もし私たちが聖霊の力を受けて生きているなら、
すべてにわたって、その導きに従おうではありませんか。
そうすれば、互いにねたみ合ったり、いがみ合ったりすることはないでしょう。
ガラテヤ 奥山実さんの動画を最近見あさってる
本物のクリスチャンだよね 奥山実さんを検索していて見つけました。
キリスト教は体験する宗教
http://www.christiantoday.co.jp/articles/10319/20120324/news.htm
クリスチャンには、洗礼のパブテスマ体験、そして聖霊のパブテスマ体験が必要です。
聖霊のパブテスマ体験によって、初めて内部から理解し宣教することができるのです。
キリストは生きて今も働いておられます。
クリスチャンはそのキリストと出会うことができるのです! キリストの言葉
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、
わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 キリストからして死んだ人間が生き返ってるゾンビ教のオカルトでしょ 正しい者の道は、夜明けの光のようだ、
いよいよ輝きを増して真昼となる。
悪しき人の道は暗やみのようだ、
彼らは何につまずくかを知らない。
わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、
わたしの語ることに耳を傾けよ。
それを、あなたの目から離さず、
あなたの心のうちに守れ。
それは、これを得る者の命であり、
またその全身を健やかにするからである。
油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。
曲った言葉をあなたから捨てさり、
よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。
あなたの目は、まっすぐに正面を見、
あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。
あなたの足の道に気をつけよ、
そうすれば、あなたのすべての道は安全である。
右にも左にも迷い出てはならない、
あなたの足を悪から離れさせよ。
箴言 >>387
キリストによる解説
イエスはお答えになりました。
「あなたがたには、神の国の真理を知ることが許されていますが、
ほかの人には隠されているのです。
預言者イザヤが言ったように
『彼らは見もし、聞きもするが、悔い改めて神に立ち返り、その罪を赦していただくことはない』( イザヤ6・9 ) のです。
それにしても、こんな簡単なたとえがわからないのですか。
そんなことで、これから話すほかのすべてのたとえは、どうなることでしょう。
いいですか。
農夫とは、人々に神のことばを伝える人のことです。
このような人たちは、聞く人の心に良い種をまこうとします。
初めの種が落ちた踏み固められたあぜ道とは、
神のことばを聞いても心を堅く閉ざした人のことです。
すぐにサタンがやって来て、そのことばを忘れさせてしまうのです。 続き
土が浅く石ころの多い地とは、
最初は喜んで神のことばを聞く人の心を表しています。
ところが、そんな地に落ちた種は、根を深くおろすことができません。
だから、初めのうちこそうまくいっても、迫害が始まると、たちまちぐらついてしまうのです。
いばらの地とは、神のすばらしい知らせに耳を傾け、それを受け入れる人の心を表しています。
けれども、すぐにこの世の魅力、金もうけの楽しさ、欲望のとりこになり、
神のことばなどは心からはじき出されて、実を結ぶまでには至らない人です。
良い地とは、神のことばをまちがいなく受け入れて成長し、
神のために、三十倍、六十倍、百倍もの収穫をあげる人の心を表しています。」 最も重要な掟
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
マタイによる福音 キリストの言葉
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、
わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 イエスは答えて言われた。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ニコデモは言った。
「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。
もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
イエスはお答えになった。
「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
肉から生まれたものは肉である。
霊から生まれたものは霊である。
『あなたがたは新たに生まれねばならない』
とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
ヨハネによる福音 神の国はいつ来るのかと、
パリサイ人が尋ねたので、
イエスは答えて言われた。
「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。
神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」
ルカによる福音 キリストの言葉
はっきり言っておく。
あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。
あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
女は子供を産むとき、苦しむものだ。
自分の時が来たからである。
しかし、子供が産まれると、一人の人間が世に生まれでた喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。
ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。
ヨハネによる福音 見せかけだけで人を愛してはいけません。
真心から愛しなさい。
悪いことを憎み、良いことには賛成しなさい。
兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。
決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。
あなたがたのために神が計画しておられることすべてを喜びなさい。
困難に耐え、常に祈りなさい。
仲間が困っている時には、助けてあげなさい。
客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。
迫害されても、のろってはいけません。
むしろ、神がその人を祝福してくださるように祈ってあげなさい。
だれかが幸せで喜んでいる時には、いっしょに喜んであげなさい。
悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。
互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。高ぶってはいけません。
偉い人に取り入ろうとせず、かえって、身分の低い人々と喜んで交際しなさい。
何でも知っているなどと思い上がってはいけません。
悪いことをされても、決して仕返しをしてはいけません。
だれが見ても、あなたがたの正直さを認めるように行動しなさい。
だれとも争ってはいけません。
できる限り、あらゆる人と仲よくしなさい。
愛する皆さん。決して自分で復讐してはいけません。
復讐は神に任せなさい。なぜなら、神が、
「当然報復を受けなければならない人には、わたしが報復する」( 申命32・35 )
と言っておられるからです。
むしろ、あなたの敵が飢えていたら、食べさせてやりなさい。
のどが渇いていたら、飲ませてやりなさい。
そうすることによって、あなたは、
「敵の頭上に燃えさかる炭火を積む」 ( 箴言25・22 ) ことになります。
つまり彼は、あなたにしてきたことを思って、恥じ入るようになるのです。
悪に負けてはいけません。
かえって、善を行うことによって悪に打ち勝ちなさい。
ローマ人への手紙 また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
イエスは、人々の聞く力に応じて、
このように多くのたとえで御言葉を語られた。
たとえを用いずに語ることはなかったが、
御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。
マルコによる福音 わたしは誇らずにいられません。
誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。
わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、
その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。
体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。
わたしはそのような人を知っています。
彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、
言い表しえない言葉を耳にしたのです。
このような人のことをわたしは誇りましょう。
しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。
仮にわたしが誇る気になったとしても、
真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。
だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、
わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、
また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
コリントの信徒への手紙 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。
たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちを見回して言われた。
「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。
イエスは更に言葉を続けられた。
「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
弟子たちはますます驚いて、
「それでは、だれが救われるのだろうか」
と互いに言った。
イエスは彼らを見つめて言われた。
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
マルコによる福音書 10:21??-??27 富んでいると見せて、無一物の者がいる。
貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。
箴言 クリスチャンで、幽霊を見た、自動書記をしている、亡くなった愛する人が自分のそばにいるような気がして時々話しかけている、夢で天国に行った家族に会った、そんな体験をしたことがある人は教会で話すわけにもいかないから、みんな秘密にしてるのかな。 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」
この神秘は偉大です。
わたしは、キリストと教会について述べているのです。
いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。
妻は夫を敬いなさい。
エフェソの信徒への手紙
※この偉大な隠された神秘は聖霊に満たされたとき理解できます。 イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。
ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
それを見てイエスは憤り、彼らに言われた
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。
止めてはならない。神の国はこのような者の国である。
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、
そこにはいることは決してできない」
そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。
マルコによる福音書 最も重要な掟
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
マタイによる福音 肉の働きは明白である。
すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。
ガラテヤ さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、
全財産を使い果たしても何の役にも立たず、
ますます悪くなるだけであった。
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、
後ろからイエスの服に触れた。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」
と思ったからである。
すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、
「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
そこで、弟子たちは言った。
「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、
震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
マルコによる福音書 エリコの近くで盲人をいやす
ほどなくエリコという町に近づくと、盲人が一人、
道ばたに座り込み、通りがかりの人に物ごいをしていました。
大ぜいの人があわただしく通り過ぎ、あたりの様子がざわついてきたので、
いったいどうしたのかと思った盲人は、そばにいた人をつかまえて尋ねました。
すると、ナザレのイエスがお通りになると言います。
盲人は、この時とばかり大声で訴えました。
「イエス様!ダビデ王の子よ!どうぞ、私にあわれみを!」
イエスの前を進んで来た人たちが黙らせようとしましたが、
そうすればするほど、ますます大声で叫び立てます。
「ダビデ王の子よ!あわれみを!」
その時、イエスは足を止め、
「あの人を連れて来なさい」と言われました。
それから、彼にお尋ねになりました。「わたしにどうしてほしいのですか。」
「主よ。見えるようになりたいのです!」
「さあ、見えるようになりなさい。あなたの信仰があなたを治したのです。」
その瞬間、彼の目は見えるようになりました。
そして、心から神をほめたたえながら、イエスについて行きました。
この出来事を見ていた人たちもみな、神を賛美しました。
ルカによる福音 主はこう言われる。
知恵ある者は、その知恵を誇るな。
力ある者は、その力を誇るな。
富ある者は、その富を誇るな。
むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい
目覚めてわたしを知ることを。
わたしこそ主。
この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事
その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。
エレミヤ書 「その日、その時は、だれも知らない。
天使たちも子も知らない。
父だけがご存じである。
気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、
僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、
門番には目を覚ましているようにと、
言いつけておくようなものだ。
だから、目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰って来るのか、
夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、
明け方か、あなたがたには分からないからである。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。
目を覚ましていなさい。」
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