>>596 >>597
>>1に何と書いてありますか?それがぼくがここにいる理由です。
もし読んでいただけたのなら、あなたなりの感想を聞かせてください。
あなたはどう思うのか。それが知りたいのです。
実はシルバーバーチを愛読し、あなたたちと同じように100パーセント忠実とはいかないまでも
この10年間ここ最近まで生きてきました。
自分なりの利他愛の実践、自己犠牲的奉仕を行い、
そしてシルバーバーチの嫌う1人こもって行う瞑想は実はほとんどしたことがありませんでした。
なぜ瞑想をしなかったかというと、1人こもって行う瞑想よりも奉仕を行うようにシルバーバーチが勧めていたから。
ほんとに信じて実践してました。
で実際はどうだったかというと、まず奉仕するにも奉仕するほどの環境がありません。
職場で人の仕事の荷を代わってあげることくらいです。
その結果、鬱になり統合失調症になりました。
自己犠牲と謙遜な姿勢で生きていていいことはひとつもありませんでした。
逆に人から弱いやつだと軽くみられ、いいように使われたりする場面も多くありました。
シルバーバーチを読みかえすたびに、正義と奉仕的精神に燃えるんですが、
その反面、社会の悪や不正や人の利己主義や傲慢さに対して、異常に腹が立ちイライラする瞬間も多くなりました。
それは独善的になってしまっていたのでしょうね。
自分以外はみな霊的真理を知らない未熟者と思ってしまうこともありました。
そんなぼくがここ2ヶ月で考え方が変わったのは真我瞑想を行うようになって、
思考や自我を完全に止めることで現れる真我に目覚めたからです。
真我と言うのは神性と同じものです。我々の本質の意識です。
それにより、今までシルバーバーチを信仰してきて、このようにあるべきだ、このようにしなければならない、
というものが消え去り、すべてはありのままでいいのだ、と思えるようになりました。
つまり、奉仕に生きなければ、謙虚で利他的でいなければ、禁欲でいなければ、
という自分に課した戒めがすべて消えさり、代わりにダイアモンドのような純粋な意識にめざめました。
その意識でいると、すべてはこのままでいいと思えるんです。なぜなら真我は完璧だからです。
完璧な自分がここにあるのです。なにを変えることがありましょう。
奉仕的でなくても利他的でなくても謙虚でなくてもいいんです。
真我とはそれらすべてだからです。それが神の性質であるということなんです。
そして瞑想中の神秘体験により自我の消滅が起こり、悟りを得ました。
いまのぼくには自分というエゴが存在しません。なんと表現すればいいのか、すべてが自分なのです。
あなたもぼくなんです。一つなんです。木から落ちる木の葉さえ自分なんです。こんな感覚なんです。
すべてが自分なので利他も奉仕も自己犠牲もないんです。あるのは究極の利己主義なんです。
すべてが自分だからすべての自分を愛するんです。神は究極の利己主義なんです。