東日本大震災の津波で児童74人が犠牲となった大川小。[10/26] [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
@YES777777777
2016/10/26 23:36
遺族の方には同情し、賠償金支払いも理解できるが、この裁判後の横断幕は酷い。断罪って、
児童を見捨てて先生達は助かったのならわかるが、教職員10人も亡くなり、
あの状況下で必死で児童を助けようとした先生方の遺族にも失礼。#news23
https://pbs.twimg.com/media/Cvs1OHHVYAA1VFz.jpg
https://twitter.com/yes777777777/status/791287330824781824 大川地区で火災が起きたら
どこの消防署の管轄になるなかな
まさか広報車が 消火してくれるだろうか 指摘されたことには答えられずにトンチンカンなこと言ってるな
> 警官や消防は 住民避難を優先する義務があるだよ
義務があることがありえるとして、その当時の消防→つまり>>629での消防車には、住民及び大川小を避難させる義務があることを根拠づけるだけの情報を持っていたのか?
これを考えろといっている
宮城県に発令された、大津波警報を地域に知らせ、早期の避難を呼びかけていた
これで、避難させることを義務づける根拠があるのかよ?
事故検証報告書、判決文すら把握せず、なにいってんだか 神田ウンコ(うの)が被害に遭って
亡くなった人をカウントして
ギャンブルした日ですよ!
わたしはこいつを死んでも忘れない。 【Apple】 少し変えてW新型″を発売 <世界教師 マイトLーヤ> GC≒Wii WiiU≒Switch 【任天堂】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1515929310/l50 本日のビッグニュース
厚生労働省は大麻を所持や使用出来るように大麻の法律を書き換えていた
大麻取締法(二十二条の三参照)
https://www.ron.gr.jp/law/law/taima.htm
1 厚生労働大臣は、この法律の 規定にかかわらず、大麻に関する*1犯罪鑑識の用 に供する*1大麻を*2輸入し、又は*1譲り受けることが できる。
*2事実上大麻使い*3放題であることがわかった
*3かくの如し、日本でも*4CBD(オイル系)大麻は*2個人輸入でき、*4yahoo!や*4楽天などのウェブサイトで*4正式販売されるようになっていった
事実上厚生労働省の医療大麻*3解禁宣言である
*3これが某業界の枕営業となっている
*3因みに芸能人に大麻の話しをすると芸能界に入れてくる 事故直後の校長先生や市教委の態度がいい加減だったり
記録を残そうとしなかったのは証拠隠滅というよりまず
学校の対応がまさか後になって児童の遺族達から訴訟を起されるなんて思ってもみなかったのだろう。
未曾有の大災害であり、教職員も11人中10人が児童らと共に命を落としているのだから。
しかし津波事故直後から一度も不明者の捜索活動に参加することなく
ひたすら学校の再開だけをせかした校長先生のアスペな態度が遺族らの怒りを買い、
この時の校長先生の態度をディスる形で後の原告団が結成されて行ったことはマスコミ報道を見ても明らか。 どうも 政府系工作員がちらちらするな
むかしは公共事業がかりが多かっただが この程度で反論できなくなりレッテル貼りか
レベルひく
www 政府系ではないなら組合系の工作員さんかな
レッテルは正しいほうが良い 津波が来ないで欲しいと言う気持ちは分かる。
原告の児童には未来があったから。 ポジティブメリットは分かるけど、思うだけで地球に落下してくるアクシズの軌道を変えられる訳では無い。 youtubeに一般人が撮った津波動画が無数に投稿されてるけど
どれ見ても既に津波が防波堤乗り換えて市街地に浸水してきてるのにまだ
海の方角に向かって走り去っていく車が後を絶えない
撮影者はたいてい高い場所に避難しているから津波がどの辺まで来ているか見渡せるけれど
低地にいる人にはまったく状況がわからないんだね
カーラジオで津波到来を聞いてはいても「まさかここまでは来ないっぺ」
「おらには関係ないっぺ」そういう鷹揚で感覚が呆けた人たちなんだと思うね
そういう性格の人たちはどこにでも一定数いる
大川小の教員達も基本的にこの部類だったんじゃないかね
今は南海トラフ地震に備えて東海から四国、九州沿岸まで津波非難タワーが建造されている時代だけど
それでも次に津波が来ても、また海の方向や低地の方角に向かう人や
高をくくって避難しない人は必ずいると思う
そういう呆けた連中は最初からそこで終わりになる運命なんだよ 一説を唱えると、コンプラ意識がやたら高かったとか?
避難にバスは使えない。
土砂崩れの恐れがある山にも登れない。
川に行くなんてもっての他。
コンプラ意識を高くされる要因は、そらクレームだw
慎重過ぎて動けなくなったとか。
津波に現実味が無いってところも大きい。
痛みいります。 まず避難ルートが山に登るか川に行くしかなくて、地形的には袋小路では無いけど。
山にも川にもコンプラに抵触して責任がついて回って門を閉められてる感じ。
俺だったら校長先生に電話しちゃうかなw
津波情報に乏しかったら、社会的要因と言えるから、大雑把に言ったらの話しで運命と言えてしまうね。 >>786
発達障害というのが 注目されているけど
大川小学校の先生も このタイプだったのかもしれない
平常時なら気がつかないけど
こういう一か八かみたいな状況では 正しい判断ができないのかも >>790
津波が来る前に大川小に避難した近所の住人や子供を迎えに行って生存した保護者の証言で
当時校庭にいた教頭以下の教員らは裏山に向かうか三角地帯に向うかで意見が分かれていたらしいが
全体的にのんびりしていて、切迫した危機感が感じられなかったという話が多い
「ここまで津波がくるわけがない」という意見もあったらしい
さらに、その後も校庭に留まり続ける選択肢もあったのか
校庭で火を起そうとしていた教職員もいたらしい(この火を起そうとしていた話自体は確認が取れていないが)
地震後50分あまりも校庭に留まり続けたことから見ても彼らに切迫感がなかったのは間違いない
当日校長が現場に居合わせなかったのが決断が遅れた理由ともいわれるが
それにしても行動を起すのが遅すぎるし、この校長にしてもかなりKYでアスペな人みたいで
捜索活動に一度も加わらず、まだ不明者が何人もいる時点で
この事故を過去のことのように語るアスペな言動が遺族の心象を逆撫でして
訴訟のきっかけになったというから、仮に当日この校長が現場に居ても
大川小の一行が助かったかどうかはわからないと思う そんな中で唯一、危機感を強く持っていたのが教員の中でただ一人生還した男性教師ではないかと思う
本人の話ではこの男性教師も一行と一緒に一度津波に飲まれたことになっているが、
この人を救出・保護した住人らの証言から、この教師の服が濡れていなかったことがわかっているから、
この生存した教師だけははじめから三角地帯に向わず一人だけ裏山に逃れたものと思われる
事故の後、校長がこの教師に聞き取りをした際に
「屋根を越えて津波が来た」という記述があったと言われ、
これが校舎の屋根を意味するなら、津波が襲来した時点で
この教師は裏山の、校舎の屋根より高い位置に逃れていたことになり、
「一行が津波に飲まれた時、この教師はいったいどこにいたのか?」
このことはマスコミや原告団の中でも取り沙汰されている
この屋根が、三角地帯に向うルートの途中にある民家の屋根ではないかという声もあるが、
それではこの教師の服が濡れていなかった理由が説明できない
それに事故の数日後、この教員は自身の携帯電話で校長とメールを交わしているが、
「津波に飲まれ靴や眼鏡まで失った」と自己申告しているこの教師の携帯電話が
まだ普通に使用できていることの説明もつかない
この教師はおそらく水には浸かっておらず嘘を吐いているのだろう
しかしもこの人は自身の本能で危機感を感じとり、一人だけ裏山に逃れた、
だからこそ生存することができたのだろう
残念ながら、亡くなった教頭以下の職員たちには、この本能で感じるレベルの危機感がなかったのだろうと その疑惑はあるけどわかんないんだよね
この記事だと、疑惑があることは前提に、しかし教務主任は急斜面を駆け上がったと推定
http://sp.kahoku.co.jp/special/spe1193/20180114_01.html
遺族としては、その疑惑が本当なら、知っていることがもっとあるはずで、全て話して欲しいとの希望があるだろうから、なおさら、その疑惑は消えない
もちろん、教務主任が一度のみ、しかも短時間しか遺族に話していないことも疑惑が消えない原因
そして、その疑惑が真実であれ、単なる疑惑でしかなかったとしても、過失の有無の評価には影響しない
なんで、裁判での争点にはなりえないんだよね 教務主任の先生は体育館の裏から裏山に登ったと思われ、ホントに自分の預かり知らぬところで
三角地帯行きを決められて、今から三角地帯に行ったらマズイでしょ、て事で見切って 単独行動になったか。
あるいは裏山行きに望みを掛けて、役割の一環として既に裏山に登っていたか?
実績としては、そこに関してはクレバーだと思う。
ただ、その場合はもう一人の靴の濡れた生徒も体育館裏から登った事になり、一行からは距離がある。
引渡し中かな?
スクールバスも校庭に居るし。
何しろ金曜日の下校時刻の事で、それでなくても親御さんが迎えに来る時間帯で、明暗が随分わかれたか。
卒業式って朝からだよね?
合格発表はその次の日の予定だったか。 午後休で片道2時間か。
関与はしてないとしても責任はあると思うんだ。
教頭先生は校長先生の代理だからね。 大きな津波は突風を伴うと言う記述があって、水面の隆起が気圧差を生んで、
衝撃波を作るらしいね。
飛行機のエンジン音の様な轟音で大声もかき消される。
あとメガネを失くして良く見えなかったとか。
後付けの理論かも知れないけど。
死神でも居たのか。 津波が規模が確定事項で無い内は全員無事と言う事もあり得るから、
役割の一環と捉えるのが、むしろ自然と言える。
避難行動を放棄した事になるから。
ここの先生は在校1、2年の人が多くて、裏山を危険視してる向きがあった。
津波の規模の意外性からみて、教務主任の先生の行動は、
裏山じゃなきゃヤダヤダ~
と言う感じで、駄々っ子の様に見えたんじゃないかな。 予見可能性については知らんぷりされるかも。
予見には知識が必要だからね。
あと、意思の疎通をはかっておくこと。 裏山の学校菜園は なぜ中止になってしまったのかな
なぜか危険箇所になっているだけど
裏山の菜園を中止させた人物と 裏山への避難を反対したのは
同一人物かもしれないな 名目としては何とでも言えるけど、この場合は津波が来てから逃げたのか、
津波が来る前に逃げたのかの違いがあるわけ。
来る前に逃げたのだから予見していたと言う理屈。 >>800
> 来る前に逃げたのだから予見していたと言う理屈。
これは幾度か指摘したが間違い
勿論、抽象的予見はあったが、それは地震直後から
具体的予見は、避難開始しているから予見していたとはならない
「念のため」の避難があり得るから あのときは全ての放送局が津波情報を流していたし
広報車もはしりまわって避難を呼び掛けていた
こういう状況において予見していない のがおかしくて
海岸に到達して目視しなければ 避難する義務はない 罪はない
では市民は納得しないだろう 想定外ですませるなら 警察はいらないだよ
適切な判断ができない司法は 無用な存在になる 他所の学校に比べてもここだけが並外れて異様なというか愚鈍な行動をしている
全滅したのこの学校だけだし
地震後50分も行動を起さなかったのも遅すぎる
それだけ時間があれば近くの大川中まで行って3階に避難することもできたはず
一時的にであっても津波の進行方向に向かって避難ルートをとるのも愚の骨頂
その上10年前に道が行き止まりになっていたのも知らなかったとか
それ以前に教頭は直前に一人で三角地帯まで下見に言ったという話ではなかったのか
何もかもお粗末で酷すぎる 当時の河北新報見て来たけど、津波到達時には交流会館前と学校の校庭に生徒が分散していたと言う話で、
校庭には数十人の生徒が居たって事なんだけど。
これはお迎え待機と思うと、なんかやけに多い。
そこで思い着いたけど、思い違いの可能性もあるけど、
スクールバスで移動しようとしたと言う事も考えられるかなって。
結果的に行き止まりだったけど、三角地帯行きも裏道の最短ルートを取ろうとしていたなら、
緊急性を感じられる避難行動だと。
役割としての裏山行きの意味だけど、
裏山は行くのが早い、とにかく高い、見張りも出来ると津波対策には最も合理的で、
そもそも裏山に行くのが遅かったか、橋の欄干に瓦礫が引っ掛かって川の水位が
上昇して川の方向から津波とか、思いもよらなくて。
ままならないのが人生なのか。
アドリブ要素が大きかったと。 >>805
> 当時の河北新報見て来たけど、津波到達時には交流会館前と学校の校庭に生徒が分散していたと言う話で、
> 校庭には数十人の生徒が居たって事なんだけど。
この場面は、裏山への避難で学校近くを通った地域住民の証言によるものだと思う
他に、車で避難中に学校を見ると校庭に児童がいたとかの証言もあるね
しかし、その証言の厳密な時刻がわからないというか特定できない
そもそも避難開始後1分程度で津波に呑まれているしね
最後尾も避難開始して交流会館あたりだったのか、
最後尾はまだ校庭にいたのか
生存教師の証言を信じるなら最後尾も避難開始していて交流会館あたりとなる
ま、いずれにしても、避難開始時は、津波が迫っており、相当緊迫した状況であった
津波避難のためにとにかく裏山に登ろうとする住民がいる中、隊列を組んで三角地帯へと向かったことは間違い無いだろう
これは、教頭の「津波が来ています。急いで。」発言とも整合する 緊急性を感じるなら、裏山登ろうよ、て話なんだよね。
焦ってるんだけど、上司の意向との板挟みって感じでちぐはぐなんだよ。 教頭と校長は男性?
男性にしてはえらくアスペでぼんやりしてる気がする 海岸部6mの津波が来る→校庭にいたほうが良い
↓
海岸部10mの津波が来る→逃げたほうが良い
↓
海岸部10mの津波なら、三角地帯の高さで十分と判断
↓
海岸部20mの津波が来た
↓
全滅 >>809
> 海岸部10mの津波なら、三角地帯の高さで十分と判断
この判断が合理的であったといえるのかが問題
> 海岸部20mの津波が来た
いや、15m程度 まず、海岸部10mの津波と判断したことについて
次に、三角地帯の高さで十分と判断したことについて
最後に、三角地帯への避難が、時間的に間に合うと判断したことについて
最低限、上記の3点が問題となるな
大津波警報10mではなく10m以上だからね
数値としては10m以上の警報はない
20mの津波が予測されても警報値としては10m以上となる
津波の海岸部到達時における規模をどれだけ維持して大川小あるいは三角地帯へ到達するのか?
つまり、到来時の津波規模の予測
ハザードマップには依拠できない状況
合理的に予測することは可能であったのであろうか?
当時、既に、ラジオ等で、他地域では、高い建物まで津波に呑まれているとの情報は入手しえていた
津波が松林まで到達していることは知り得ていたのであるから、津波到達までの残された時間が正確にわからないとしても、数分単位であることは認識し得た
陸上遡上津波のスピードが40km/hとの知識があれば、残り7分程度と認識し得た
そして、いずれの点においても、山避難との比較において検討されるべきものであったと言える >>811
白波は津波高とは違うのでは?
後の現地実地調査で15m程度であったとの情報があったと思う
ソースは検索してみてくれ >>809
> 海岸部6mの津波が来る→校庭にいたほうが良い
ここは、同意
避難対応としてよかったのかはおいておくとして、つまり、プロアクティブの原則に照らし合わせて、問題ない判断であったのかはおいておくとして、
過失という観点からは、広報車の呼びかけ情報がなく、大津波警報6mという情報なら、校庭待機で問題なかったように思う
理由は、ハザード想定で、海岸部6m程度の津波想定で、大川小は浸水域外だったので 仮に三角地帯に全員避難できていたとしてもどうなんだろう
津波後の画像や映像を見る限り橋のたもとも三角地帯も濁流に洗われてるよね
個人的な見解としてはもし大川小の一団が校舎の二階に避難して
それでも津波に飲まれてしまったというなら
ここまで叩かれたり訴訟起されたりしなかったのではと思う スクールバスは長面方向行きで学校の正門付近、県道に海岸方向を向いて停車させて待機していて、
*15:10〜15:15 バス会社と無線行進「学校の判断が得られない」
*15:23頃 スクールバスがバックで校地内に入る
*15:25〜15:30頃 河北総合支所の公用車が長面方面から新北上方面に戻りつつ広報
事故検証報告書より抜粋で時系列は前後する可能性があると断り書きがある。
そもそもハザードマップやマニュアルは参考にするものでアテにするものではない。
決めるのはマニュアルじゃなくて自分。
さてさて、スクールバスは何をきっかけにして校地に進入して来たのかだけど。
運転手さんだって人間だよ。焦れもするし不安も抱く。
だから有り得るじゃなくて有るになってる。
避難を促すためです。
行進じゃなくて交信だった。
女川町で車が流されているもその時の交信で。
バスの運転手さんは避難を呼びかけられてるんだよ。 >>813
さあな。絶対に異なる、20mも津波はなかった、と言えるほど
l根拠もないとは思うがな。
>>814
無関係な気もする。 >>809のロジックは、>>810>>812>>820で、完全に崩れているね。 予見というなら最大のミスは東北大学で
自慢のスーパーコンピューターで
なんども流体シミレーションをしていた
もちろん地震の起きる何年も前からだ
なぜ予見できなかっただろう >>822
それは予見ではない
予測もしくは想定
ハザード想定の問題の指摘ではあるね 地震にかんしてはプロ中のプロのはずの東北大学だったはずなのに
一般の小学校に正しい対応を求めるのは無理なのかなあ
人材層の薄さをかんじるなよ ソニックブームとも考えたんだけど。
圧縮空気ね。気圧は高いところから低いところに移動するから。
ゆっくりな爆発だとソフトエクスプロージョンで逆はハードって意味合い。 >>826
東北大学の研究者は、震災時に児童を引率しての避難対応のプロではない
小学校教師は、津波シミュレーションのプロではない
役割もおかれた状況も異なる バスにテレビが付いてれば、勝ちは決まりと言う事か。
スクールバスだからな。 津波の高さの速報性が訴訟問題に発展するのは予見しえなかったか。 >>828
東北大学の研究者は
> 小学校教師は、
> 役割もおかれた状況も異なる
だけど同じ考えかたをしていた
最悪値を想定できなかった
神を越えることができないと思っていた >>831
> だけど同じ考えかたをしていた
同じ考えかたしていたの? 研究者も大川小学校も
最悪値を想定せず つごうの良い解釈をしていた そりゃあ誰だってこんなくだらんことで責任被りたくないから
全力で責任転嫁するだろ
市教委だって校長だって、それは仕方ない
今は「学校(教頭)は裏山に逃げたかったのに区長が反対して行けなかった」と全部責任を区長におしつけようとしているのか? 避難の失敗は、まず避難計画がくだらない事と言う認識にあるとして。
どこの学校でもやってる、防災、防犯の訓練はしていたらしい。
地震、火災、不法侵入者とか。
地域性のある避難、津波や洪水とかミサイルとか。
学校から移動する避難訓練はしていない。
実践避難する前に、「これは訓練ではない」、て言っておくべきか。
春先は、まだ草は芽吹いたばかりで、雪で潰れた去年の枯れ草で布団みたいにフカフカな踏み御心地
なだけで、通れない道と言う話では無いのでは?
春先なら通れると言う感じで。
多少無理をしてでもその最短ルートから行って欲しいと言う思惑。
ルートを指示した人と先導した人が別の人で、先導した人が、その意図を汲んでくれなかったか。
「こんな道は通れない。」て感じで。
仮にも昔は車道だからね。結果として立ち往生。
ホントに鉄柵があったのかも知れないけど。列が途中で分断したしね。
ここの先生は過去に七年間、勤務経験のある先生が居て、その人のルート指定な気もする。 個人的な考えとして、海の表層だけの風波と、海全体の運動エネルギーである津波は、
同じ波高でも一緒くたでは無い感じ。
風波の3m.と津波の3m.は違う。
思い出した様に来た、山の様な高波には死を感じたけど。 震源地は深さ10kmなので、地球規模なら水深200m.でも水溜りを揺らす感じか。 誰が一番悪いかと言えば教頭や教務主任教師は裏山に登ることを提案したのに
それに強固に反対し防波堤の上の三角地帯に向わせた連中、
地震後に大川小に避難してきた釜谷地区の区長と老人連。
なぜこの連中が裏山行きを拒んだかというと
元気な小学生と教員たちには裏山は登れても
足腰が弱った老人達には無理だから。
それで「こんなところに自分らだけ取り残されてたまるか!」と、
教頭らに「津波なんてとせうせここまでは来ないんだから、避難なんて形ばかりでいい。
だったら我々(老人)も全員無事にたどり着ける三角地帯しかないだろう」と食い下がったのだ。
自分達の面子や沽券にこだわった区長以下の老人連が真犯人。 津波到来前に裏山に登った住民は居ないみたい。
津波回避の目的以外で、この時期に好き好んで登る人は居ないとして。
交流会館側にも通路が欲しかったよ。
自分が生きてるうちに津波がくるとは思わなかったか。
いつ崩れるか分からない土砂崩れを心配してたら山には登れないし、テトラポットの上にも乗れない。
危ない事は何もさせないになる。
だからそれは、表向きの理由なんだよ。 15:14 に気象庁が発表した波高の変更値は10メートルではなく10メートル以上。
テレビだと即時10メートル越えとテロップがあった。(NHK)
15:21 にFMラジオが10メートルとなってるけどこれもおそらく10メートル以上。
情報を伏せておく意味がないから。
15:32 にAMラジオが10メートル以上でこれはクレームどころじゃないレベルだ。
AM放送を信用していた人達は津波に呑まれてしまう。
だから、大津波警報、波高6メートル、広報車の声は認知していた。
6メートルのほうは、最初からそう言ってるので知らぬ存ぜぬは出来ない。
広報車の声は認知してるといっても、松林(海岸)のところまで津波が来たと言う事と、
高台に避難してくださいと言う事まで。
松林(松林の高さは18メートル)の頭を津波が越えて来ました。
と言う意味まで汲み取るのは難しい。
いっそ立ち寄って一緒に裏山に登ってくれとは言えない。言ってるけど。 ここの学校に居た人たちは、もうみんなAM放送好きだったんだよ。バスの運転手さんも含めて。
10メートル以上の数字の尋常じゃなさは、いくらド素人でも分かる話だ。
津波が来ないと言う正常性バイアスが働いてワンセグを観る人も居なかった。
だから長々と議論した末に、三角地帯でもやり過ごせると言う結論に至った。
波高の数値より、伝えてる状況の緊迫さを推し量って欲しかったところ。
実際6メートルでも三角地帯行きは微妙な話なんだけどね。
決定した時は6メートル推定だけど、後で10メートル以上と知るところになったかも知れない。
ラジオだって逐一伝えるだろうし。教務主任の先生あたりは。 教務主任の先生は、校舎の見回り中に広報車の声を聞いたんだっけ?
高台に避難してくださいならすぐ校庭に出るよね。
6メートルなら校舎の2階は駄目って事になったか。
三角地帯行きが決定した時点で、先生は裏山に体育館の裏から登った。
見張りが目的だけど。他の意味もあったかも。
後の話だけど、住民の人の裏山からの「誰か無事な人は居るかー。」の呼び声は、
学校の2階の屋根に取り残されてる母娘に届くし、内容も伝わる。
先生は自動車整備工場のところで、「ハッッホッッ。」の呼び声で山の向こうに居る生徒一行を
呼び寄せた大声の実績があるので、そこは大丈夫。
ただし聞こえると言っても、なにぶん声が遠い。
校舎見回り中に津波を見て逃げたのなら、校庭には人が居るから声を掛ければ良いんだよ。
津波はまだだいぶ遠いしね。2階から見れば。
そんな形跡はないし、それだと別に緊急回避になるから、偽証したり証言拒否する理由がない。
はじめから裏山に登ってたのを言いたくないから偽証する意味があるんだよ。
裏山の存在は三角地帯行きの意義を揺るがせるからね。 教頭先生の「今から三角地帯に移動しまーす。」
の号令は、証言する人が割と居て、どこか周囲にも聞こえよがしに言った感じ。
後は例によって裏道から。スクールバスがその後どうなったかは、ネットでは全く出てこなかった。
6メートルでの三角地帯行きは微妙なので、教務主任の先生は津波がヤバイと思ったら、
即座に知らせてなんとか山によじ登らせるプラン。だった筈。
教務主任の先生が見た津波が想定外のものだったと思われるけど。
もしかしたら直前でラジオで知ったかも。
とにかく呼びかけてはいる。
「津波が来たーーー!山に逃げろーーー!」
それから一時間ちょっとあたりで自動車整備工場に着いて、
「一人しか助けられませんでした。」となる。 俺は自動車整備工場の人の証言を信じるよ。
だって証言に利害が絡まないもん。
先生の話しだと人がたくさん居るのに目撃者が居ないじゃん。
1時間ちょっとは遅めかな?もうちょっと早いかも。 生存教師の証言だと津波を見たのは交流会館前辺り
ここなら、大人だし、濡れずに山に登れた可能性が高い
つまり、体育館裏のではなく、ここは証言通り交流会館前辺りから山
しかし、後になって、濡れてもいないことに後ろめたさを感じてうそをついた
これもあり得ると思うけどな
ただ、車で一泊は意味わからないけどね 津波で濡れたこと、怪我をしたこと、車で一泊は、津波に巻き込まれた児童らへの救護義務違反の追及対策ってことも考えられるか
とにかく命からがら逃げて助かって、車で寝てしまったことにしたかった
工場なら人もいただろうし、なんで救援を要請しなかったと言われるのが怖かったからうそをついた
これなら、一連の嘘疑惑が説明できることになるな そう言えば合わす顔がなさそうな人はもう一人居るな。
まさかね。テレビ観てなかったか。 大津波到来時には、校庭で走り回って遊んでいると思われる児童達が目撃されている。
引渡し待ちと思われる十数人の生徒と父兄と先生と思われ、三角地帯の避難組の最後尾は交流会館の裏路地あたり。
避難と引渡しが同時に進行していてシュールな事になってる。
念のための避難は取り繕った言葉で、形だけの避難かな。
引渡しに何故そんなに時間が掛かるのかはともかく、引渡す先生達だって、
「ここに津波は来ない。断固として来ない。来る筈が無い。」
て確固たる思いがないと、引渡しなんて出来ない訳で、そこは避難所に指定すべきじゃ無かった。
波高10メートル以上と知っても多分それは揺るがない。
3次避難そのものが不可能だったんだ。
だから教務主任の先生は、裏山で見張りをかってでた。
1年に一回は山越えしてれば多分こんな事にはなってない。
裏山に馴染みがないと言う事が問題。 小学生と教員に同行して一緒に命を落とされた近隣の住人がいらっしゃるという。
この人たちの人数や年齢は公表されていますか。
それが彼らがどうして裏山ではなく三角地帯に向ったのかを解く最大の鍵だと思っておりますので。
ご存知の方よろしくお願いします。 三角地帯に歩いて行った住民の人は居ないと思う。
学校だけの行動だね。
そんな所に行く意味を感じるとは思えない。
少なくとも避難のためにはね。
学校の正門前で区長が車の誘導をしたりはしてたらしいけど。
根拠の無い事を可能性が高いと言ってる以上、河北新報も胡散臭くなった。 区長は交流会館の道沿いで誘導で、運転手さんが正門前で誘導だったか。
誘導は同じ場所に二人も要らないから多分そうだ。 コンクリートブロックには別に立たなくて良いよ。
登山ルートが比較的安全なら、そこを登り切って、頂上待機かな。
生徒を岸壁に立たせとくのも気が気じゃ無いし。
衝撃現場を記録に残したい人だけ。
津波は基本見ないが避難。 > 居ないと思う。
> 思えない。
想像だらけ・・・・
胡散臭くなってきた・・・・ だって無理でしょ。カメラマンが居て撮ってる訳でも無いしw
じゃあ最後に、
警報には到達予想時刻があって、
宮城県は15:00になってた。
予想は予想だけど具体的予見性とやらで逃げてたら、チキンランだね。
避難所は津波危機が去ってから開設を考えれば良かった訳で。
津波避難所では語弊があるね。 父兄さんが迎えに来る時間帯だけど、この対応は難しいな。一人置いてったら死ぬし。
大津波警報で避難中の貼り紙で良いか。
来るか来ないか分からない津波でそこまでやれるかだけど。 区長も亡くなっているが区長も大川小の一同と行動を共にして亡くなったんじゃなかったか? さあ?
とにかくそこは津波危機が去るまでは避難所では無いし。
住民の人は別に交流会館があるし。 > 居ないと思う。
> 思えない。
想像だらけ・・・・
胡散臭くなってきた・・・・ 私の推理はこうだ。
@地震後、大川小の教員11人と児童らは校庭に一時的に避難、待機中だった。
そこへ近隣住人達が集まってくる。大川小が緊急時の避難場所に指定されていたからだ。
その中に釜谷地区の区長もいた。
地域の住人達の中にはまさかここまで津波が来るわけがないと高をくくっている者もいた。
しかしラジオや広報車からの情報で津波の危機を感じ、かつ、足腰が達者な若い者は自主的に裏山に避難し始めた。
それを見て高学年の気の利いた子供達2人が裏山に上がろうとした。
元より、地震直後から教務主任が「山さ逃げろ」と叫んで回っていた。
(しかし裏山に逃れようとした子供達は校庭に連れ戻されてしまう。) A校庭ではどこへ避難すべきか論議が白熱していた。
「裏山に逃げたい」と主張する教頭と教務主任。
「三角地帯に行くべき」と強弁する区長。区長がそう主張した理由はおそらくこうだ。
まだ若くて足腰が達者な者なら裏山に登ることができるが、
区長はじめ老齢で足腰が弱った高齢者達には山登りは辛い。だから全員が楽に安全に到達できる三角地帯を目指すべきだと。
本来この区長に学校の指揮権はない。教頭は「それではあなた方は自分の意思でご自由に。
わたしどもは子供達をつれて裏山に参ります」とつっぱねるべきだった。
しかし、悪いことに、この日、学校の最高責任者である校長が午後から娘の卒業式に列席するために半休をとっており現場に居合わせなかった。
そのせいで学校側の決定権が揺らいだ。
この教頭はもともと優柔不断で、事なかれ主義の人ではなかったろうか。地震後に50分あまりも悠長に校庭に留まっていたことからも、
それが伺える。 B刻々と津波は迫っていた。
広報車が津波の襲来を告げながら、大川小の前の国道を走り抜ける。
ちょうどその時、教頭の携帯電話が鳴った。別の場所に居る校長から、地震後にやっと繋がった最初の通信だった。
救いを求めるように教頭は携帯に耳を傾け校長の指示を仰ぐ。そのため広報車が流す津波襲来のアナウンスを聞き逃した。
教頭から手短に状況を聞いた校長はこう決断を下す。
「区長がそんなに反対するなら仕方ない。全員で安全な三角地帯に向いたまえ」
離れた場所に居る校長は現場の差し迫った状況や広報車の動きなど、知るよしもない。
そして、その瞬間、「もう一度校舎を見て来ます」と言って、何食わぬ顔で現場を離れた者がいた。事態を察した教務主任である。
あるいはこの教務主任は最後に校庭を出るふりを装って、教頭らが校庭を出た直後に自分だけ一目散に裏山に走った。
この時に一人だけ、教務主任についてくる児童が居た。普段からこの教務主任を慕っていた小学3年生の児童だ。
生還したこの二人の服がだけが津波に浸かった様子がなく濡れていなかった、という後の近隣住人達の証言もそれで説明が付く。
この二人が裏山を登りはじめた時、地鳴りのような轟音と悲鳴が同時に起こった。
教務主任が後ろを振り返ると、三角地帯を目指した一団(教頭以下教員9人、児童、区長ら高齢の近隣住人ら)を飲み込んだ波頭が
近隣の民家の屋根を越えて迫ってくるのが見えた。
彼らは必死に土手を這い上がった・・・。 補足
教頭には強いリーダーシップが欠けていたのではないか。
決断力も鈍く、あまり気が回らない人だったと思われる。
何より本人も「まさかここまで津波がくるわけがない」と思っていた部分があるのではないか。
おそらくそのせいで、大川小の前に待機していたスクールバスの運転手には避難を促すわけでもなく
何の通達もせず、実質放置状態だった。
そのためにこの運転手は待機したまま津波に飲まれて亡くなっている。
この教頭は災害時のリーダーとしてはあまりにお粗末な判断力と認識力であったとしか思われない。 色々興味があってググった結果、こう思いましたよ、と言うのがネットサーフィンの限界なんだよ。
探偵では無いよ。事件は解決出来ない。 重たい冷蔵庫は水に浮くのか?
車と一緒で水を押し退けた力が浮力となるから、重さにその浮力が勝ってる内は浮いてられる。
船と一緒で徐々に浸水するから、その浸水した分が重さに加わり、その内浮力の方が負けて沈む。
浮いてる内は機械部分が重いから、冷蔵庫ならドア部分が必ず上を向くね。
いや、ちょっとたち気味に浮くかな?
校舎からの避難が、あまりに着のみ着のままだったので、その後の校庭待機が寒さに耐え難いものだったかも。
避難訓練ならそれで終了だったからね。
到達予想時刻がある以上、いつ津波が来てもおかしく無い状態で、密かに裏山だけで無く、
川に徒歩で近寄るのもはばかられた感じ。
ワンセグは使えたとしても、そこは公務員的で、他の先生方や児童の前では公然と使いにくかったかも。
日常の域を脱しきれない感じ。の
いっこうに津波も来ないし、次第に津波の警戒心も薄れて平常を保とうと、ラジオを消したり音量を下げたりはしたかも。
三角地帯行きや、引渡しの続行も、津波を度外視したものであり、落ち着き過ぎて緊張感に欠けてたかも。
津波の被害が局地的なものでは無ければね。
夜に聞こえたチェーンソーの様な音は、発電機か船の船外機かな?
チェーンソーの音なら草刈り機みたいに軽いエンジン音か。
追記でした。 ちっとも最後にならないけど、まあ聞いてくれ。
区長や運転手さんの学校の正門前での誘導だけど、何で誘導していたのか?
二つ考えられる。
一つは県道から、交流会館に入ろうとする車と出ようとする車の誘導。
鎌谷地区に当時居て、裏山、三角地帯経由、その他のルートで避難した人は、検証報告書では51人。
交流会館に立ち寄っていて、車で避難した人も居たと思う。
ただ、学校と交流会館の間の道は2車線あるから、誘導しなくても勝手に車は出入りする。
実はこっちは本命。
父兄さんが迎えに来ていて、県道に車を縦列駐車してるから、片側交通誘導する必要があったと。
県道も片側一車線ずつで、両側に路側帯(歩道)がある。
一応、駐車場は正門からの敷地内や交流会館、プールのところにもあるけど。
そこで誘導していたのは、父兄さんがそこに居た事になり、車をそのままにして避難についてったりもしない。
子供をそこに置いて避難も出来ない。
校舎の中にも、その形跡はあったと思う。 オンゲーで知り合った女子をなんとか口説いて会ったら意外に可愛くてオレ歓喜。
見てる世界の色が変わった気がするぜ。
この方法と飯代があればお前らにも可能なんだけどな。
goo.gl/KVKbfz ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています