X



トップページSNS Plus
943コメント701KB
東日本大震災の津波で児童74人が犠牲となった大川小。[10/26] [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001朝一から閉店までφ ★@無断転載は禁止 がんばれ!くまモン!©2ch.net
垢版 |
2016/10/28(金) 19:59:57.98ID:CAP_USER9
@YES777777777
2016/10/26 23:36

遺族の方には同情し、賠償金支払いも理解できるが、この裁判後の横断幕は酷い。断罪って、
児童を見捨てて先生達は助かったのならわかるが、教職員10人も亡くなり、
あの状況下で必死で児童を助けようとした先生方の遺族にも失礼。#news23
https://pbs.twimg.com/media/Cvs1OHHVYAA1VFz.jpg
https://twitter.com/yes777777777/status/791287330824781824
0002名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 20:05:00.47ID:8t5iW44H0
おおかわいしょう
0003名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 20:10:10.10ID:z0hZkuAb0
近隣の殆どの学校の生徒達は助かったが
ここだけが教師の避難誘導判断ミスで死亡者が突出して多いから
この判決になったんだよな。おまけに徹底的に証拠隠滅図ってる点も
見逃せない。
0004名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 20:20:21.41ID:g4GNP6Wr0
この痛ましい出来事を 「おめでとう」と 祝ってくれた 民族も忘れないように したいもんだ。
0005名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 20:33:07.54ID:iV5qUTvc0
一度山に上がった生徒をおりてこさせ、
川に向かっていくってひでえ判断だよな
0006名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 20:43:42.03ID:F3N39FO50
>>1
判決がどうであっても、
愚かな判断が74人を道ずれにした教訓は生かされなきゃ!
 
0007名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 22:11:47.37ID:XnfCU8vN0
裏山に逃げて一晩明かしたという嘘つき教師は
そろそろ名前がさらされるなw

三角地帯への行進列
先頭は教頭
最後尾はその嘘つき教務主任

何故最後尾か
裏山に逃げそうな子供を羽交い締めして連れ戻した力量があるからだよ(´・ω・`)
0008名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/28(金) 23:54:33.38ID://QnjY1/0
>>7
その教師が生徒を連れ戻したとしても責任者は教頭だから独断ではないよね。
なぜ逃げ回ってるのか理解できない。
0009名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 00:06:47.92ID:ySOqqEEP0
住民含め地域行政の怠慢。
先生だけの責任は無い。私家族は過去の記録を参考にその地域の津波到達点より高い場所に逃げろが家訓である。
転勤でも地域の記録を調べろ。
家買うなら其処より高い場所に買え。
大阪でも沢山あるぞ、皆ご存じか。
0010名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 00:17:14.55ID:ySOqqEEP0
日本の土地全て値下がり必定。
だから地域行政口を閉じる。
君達も不動産取得の折は気を付けたまえ。日本全国地震源である。
安全な場は無いが、手掛かりは過去の偉人の記録である。
私は諸君に忠告したぞ。
自分達の不手際を他人の責任にするな。
0011名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 00:39:35.48ID:aGxpwNhd0
地震は必ずしも怖くない。耐震設計住宅が広がる中、家に押しつぶされる危険は
どんどん減っている。あとは家具に押しつぶされないよう、ガスガラス画鋲に注意する。

問題は今まで起きたことのない大規模地滑りや乾性山津波などの不測の災害に気を付けよう。
この百年起こっていないからと言って次の地震で起こらないとは限らない。俺は次を予測する。
例えば大阪の生駒山ろく石切枚方など急傾斜扇状地などでは一挙に数万人死亡する地滑りの可能性が有る。
標高が有るから安全とは限らない。東京では秩父盆地などが連絡取れなくなると山津波で全員埋まっていたりする。

まあ、直前の察知は困難なので係争事例には発展しないであろう。さすがに先例がないと不可抗力と言うものである。
また予測できても経済的に対策は困難な事例であろう。危険性が周知されて地価が下がれば対策は可能ともなる。
0012名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 12:45:35.43ID:fToIWu/F0
改造前の菅原彩加
http://imgur.com/ooWR84z.jpg

避難もせずに卒業式より帰宅してコタツでぬくぬくしてたら家族が津波に巻き込まれ、助けてとすがる母親を見捨てた事を陛下の前で美談として語る菅原彩加
http://imgur.com/4mOR9ZO.jpg

大川小の惨状をはしゃぐかのようなバカツイをする菅原彩加
http://imgur.com/XHYbyAZ.jpg

あしなが育英会に居た菅原彩加を自分の団体に入れ広告塔としてヒロインに仕立てた悪の張本人 坪内南
http://imgur.com/YltUN2r.jpg

ただ避難しなくて被災したのにAERAに載る菅原彩加
http://imgur.com/uEFv37h.jpg
0013名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 12:46:09.18ID:fToIWu/F0
募金受付が山口組で有名な竹中組傘下の産廃屋、現アミタホールディングスの子会社が窓口になってるビヨンドトゥモロー
http://imgur.com/VS2iec6.jpg
http://imgur.com/Y30SugT.jpg

成人の学生も居るのにビヨンドトゥモローの学生に自分が経営する原宿のパンケーキ屋にてランチを振る舞う公職選挙法違反で完全アウトのTully's創業者松田公太
http://imgur.com/Zhgc9Z5.jpg

孫人気にあやかって震災時石巻土木部部長から無職を経て石巻の副市長になる菅原秀幸
http://imgur.com/O9meE5x.jpg

菅原秀幸が手引きしたかは知らないが竹中平蔵率いるパソナと組んで石巻の海中の瓦礫処理を漁師にやらせる事業に一丁噛みするアミタ
http://imgur.com/oURY16t.jpg
0015名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/29(土) 12:47:44.17ID:fToIWu/F0
募金やモルガンスタンレーの蝶ネクタイおじさんによる個人奨学金でウハウハ留学の菅原彩加が皆様に感謝を表した顔がこちら
http://imgur.com/ofvAxtj.jpg
0016名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/30(日) 04:20:11.03ID:71qpNYoxO
市と教育委員会の対応がひどすぎた
0017名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/10/30(日) 18:20:33.78ID:etFJaTUR0
【大川小問題よくある勘違い】
裏山は崩れる心配は無かった<1uとはいえ震災当日に崩れた

海から4qもあるから津波が来るとは思ってないはず海を意識してないはず<一級河川の河口ですからねカエル鯉亀川エビウナギシジミボラスズキクラゲアサリが同居して秋にはサンマも遡上してくるほぼ海ですよ

裏山は緩やかな斜面<緩やかなのは裾野9度でそこから上は42度の急斜面
0018名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/11/01(火) 18:39:11.63ID:ptD1+KpF0
こんなこんななだらかな山がが地震で崩れるか。常識のない教員だ。
腹が立つ。
0019名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/11/01(火) 19:03:51.10ID:8VC7RBYS0
直ぐ上に崩れてると書いてあるのに池沼か
0024名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/11/26(土) 13:59:17.51ID:RUIRnat/0
ここで場所を借りるね。

あのハザードは宮城県沖連動型の第3次
波高は約6m
沿岸の浸水高は5−10m
大川小付近は浸水なし。

波高が約10mなら
沿岸の浸水高は15−20m
大川小付近は浸水。
と予想がつく。

なんで理解しないのか?
0025名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/11/26(土) 14:19:06.09ID:RUIRnat/0
波高と浸水高の区別が出来ていない人が多いね。
0026名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2016/11/26(土) 14:46:33.02ID:RUIRnat/0
別スレで興奮してた人は波高と浸水高の違いを勉強しよう。
0027名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/02/08(水) 11:28:57.32ID:UcYbdy2W0
東日本大震災 直接死15893 行方不明2556 関連死3523
合計21972人になり 明治三陸沖地震の死者行方不明者21959人
を超えて日本災害史上 関東大震災に次ぐ2番目の大災害となった
0028名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/03(月) 10:54:20.10ID:org/9iHW0
教師は木が地震で倒れてきて子供達が怪我をする事態を気にしたというけど
俺は倒れている木とか枝を気にしたんだと思うよ。

革靴で整備してない山に登ったらキズだらけだからな。
枯れ枝が積もってるところなんか通ったら目も当てられない状態になる。
とにかくもうまともには履けない靴になっちまう。
ズボンの裾も汚れるし。
女教師たちなんか「絶対登りたくないもん」って感じだったと思うよ。
スカートはいてたりオシャレ靴履いて来たのがいたり。
女性陣の受けを狙った古株親父教師が
「ここでも大丈夫だべさ」とか頑張っちゃったんじゃないの。

まあ小学校教師だからジャージでスニーカーなんてのも多いだろうが
たまたま革靴履いてる奴が多かったのかもな。
スニーカーだって傷むし、高いのは普通の革靴なんかより高いしな。

新しい革靴だし、もったいないからやだよーん、てなもんで
でも、なんとなく避難の形だけはとっておかないとまずいと思い始めて
三角地帯を目指したわけだな。
舗装されてるところばっかりだからなあ。
靴をケチって
自分たちも子供たちも死んだわけだな
0029名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/03(月) 13:05:25.51ID:org/9iHW0
なお、当日は時折雪がパラついた。が、積もるほどではなかった。

積雪は街中は無かった。建物の裏などに汚れた雪がうっすらと残っているような状態。
林や山の中では雪が積もっている部分があった。

大川小の裏の山はかなり木が鬱そうとしているので、雪もあちこちに積もっていたと思われる。
積もっていないところは溶けた雪でドロドロだったはず。
ほったらかしで倒木(地震による倒木ではない。台風などを原因とするもの)もあり、
長靴でなく普通の短靴で登るのは嫌だったろう。
子供達が怪我したらどうするなどというのは、あくまでも山に行きたくない教員の逃げ口上。

山に登らなくてもよい。学校裏、山の麓で子供たちを待機させておき、もしも津波が本当に来たら
山に駆け上がらせるということでよかった。
0030名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/04(火) 04:15:49.46ID:abNUjOi30
東北では、大人は冬の間は雪の中も歩ける「レインシューズ」を履いている人が多い。
カジュアルな服装なら足首まである防寒スニーカー。
だが、3月過ぎるとさすがに東京と変わらないような靴を履く。
女の先生は、オシャレでブーツを履いている人も多い。
ヒールの人だっていただろう。

これで山を歩けというのは酷だ。
東北の春先の山は融けた雪でグチャグチャ。歩けば枯れ枝が足下でポキポキ鳴る。
靴は傷だらけ泥だらけになる。

来るか来ないか分からない津波のために高い靴を一足駄目にするなんて、、、。
安いスニーカーを履いてる先生もいたが、それはそれで困る。そういう靴は、
グチャグチャの泥道を歩いたら水がしみ込んできて、靴下まで濡れてしまう。
おしゃれなコートを着てきた女の先生もいた。
これで倒木を跨ぐの?枝が引っかかったらどうするの。嫌よ。

教頭は山への避難を決定したが、自分もあまり乗り気でない。
教頭だから背広をキチンと着込み、ピカピカの革靴を履いていた。
他の先生たちは聞いていないような態度。
なんとなくみんな空とぼけていた。
「山さエグとよ、また大きな揺れがきたらば木が倒れてくるんでねえが。」と中年教師が言った。
「そうですよね。グチャグチャですから子供たちが転んで怪我する危険もありますね。」と
高価そうなコートを着た中年女性教師が言った。

教師たちは皆このまま時間が過ぎ、「津波は来なかったねー。よかったよかった。」となるのを
期待していた。子供が貧血かなにかで一人二人倒れてくれればいいと思っていた。
その介護で15分は潰せる。
寒い中に立たせているので、低学年の児童ではオシッコに生きたがる子供が増えた。
その子供を校舎のトイレに連れていく。
連れていって帰ってくるまで5分はかかった。一人連れて行って帰ると、また別の子が
「オシッコ」といった。

たしかに山に登るのは無理だ。教頭は教師たちの無言の圧力に負けた。
だが避難の形はとっておかねばならない。広報車も避難を呼びかけている。
靴を台無しにしたくない一行は、小学生を引き連れ三角地帯に向かった。
あそこなら途中の道はすべて舗装されている。
0031名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/05(水) 07:20:20.84ID:gGqrbeZ10
出発にあたり、生徒をキチンと並び直させ、点呼をもう一回して児童全員を確認した。
「じゃ、行きましょう」と教頭が言ったとほぼ同時に、小さな女の子が恥ずかしげに手を挙げ、
「トイレ」と言った。後ろの方にいた教師が「僕が連れて行きます。」とその子の手を取った。
いつも使いっ走りのようなことを率先してやる若い男性教師だった。
「すぐに追いつきますから。」と男性教師が振り返りながら言ったときには一行はすでに
移動を開始していた。
教師と女の子は小走りにトイレに行き、「早くしてこ」と言われた少女は走って女子トイレの
中に駆け込んでいった。
教師はトイレの入り口付近に立っていたが、奇妙な音と空気の振動を感じた。
もしかして津波? 教師はトイレ横の階段を駆け上がった。
窓の向こうに異様なものを見た。
ピロピロとうごめきながら迫ってくる黒い油の壁のようなもの。
何故か授業で生徒たちに作らせたスライムを連想した。
次の瞬間、教師は走り出していた。体が先に動いた。
トイレから女の子が出てきて、不審そうに周囲を見渡した。校舎の角を曲がる先生の後ろ姿が見えた。
全力で走っていた。
「先生どこに行くんだろう?」。一人になった恐怖が湧いてきて、無意識に教師の後を追った。
校舎の角まで来ると体育館の向こうに教師の背中が小さく見え、消えた。
少女は困惑し、振り向いてすでに去ってしまった仲間たちの姿を捜そうとした。
校庭の脇の住宅の方向。何故かその屋根が動き、後ろの家にぶつかってきたのが見えた。
立ちつくす少女の周囲は何故か無音だった。住宅の屋根の上に黒い波が見えた瞬間、すさまじい轟音が
響いてきた。
0032名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/06(木) 06:11:46.14ID:4fSIJl5d0
この国はある意味では北朝鮮以上の国民を騙す国家だと思う

★★★★政治家・マスゴミ・が隠す日本の真実!★★★★
  ↓       ↓            ↓
https://www.youtube.com/watch?v=D6YjUs6fZ6c

https://www.youtube.com/watch?v=pX9COqRfCSU

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
0033名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/09(日) 06:01:43.04ID:ceY47G3n0
大川小学校は皮肉にもすぐ裏が山だったことが災いになったということだな。
山が公園化されて階段やアスファルトの道路が作られていたら間違いなく避難しただろう。
山でも段々畑になっていてその中を道が通ってるとか、山の上に鉄塔や電波塔が
立っていて管理用の道路が作られていたりとか、そんな状態だったら、上の方に
ブラブラ歩いて避難したんだろうけど。
春先のぬかるむ時期に事実上道も無い放置された山林に入っていけというのは酷なのかもな。

とはいえ、どこにせよさっさと避難してれば助かったわけで、50分も過ぎてから
川の方向に向かったなんぞ問題外だわ。
0034名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/09(日) 09:26:14.17ID:ZyPGUYy20
津波を予見できたと言うのであれば、
そんな津波が来ると分かってる地域に
子供を住まわせてた親の責任は?
0035名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/09(日) 09:43:18.73ID:4957yyg/0
>>34
地裁が、何時の段階で、誰が(どのような知見を有すべき者)予見可能であったと認定したのかぐらい理解しろよ、アホが
これを理解すれば、こんなアホな質問は恥ずかしいということがわかるだろう
0036名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/10(月) 09:40:23.44ID:/PQxG6cq0
震災後に気象庁が行なっていない予報を、学校教師にできたというのは無理筋。
0037名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/10(月) 13:00:08.24ID:C/Ks6ECc0
裁判所は、避難行動を始めた以上、津波の可能性は予見していた、として
予見可能性は簡単に認定しちゃってるわけだが。

問題は津波の被害を避けるため土手の三角地帯に移動しようとしたことが
避難行動として適切であったか、という部分に移った。
三角地帯の周囲は低い場所ばかりで、そこに到達するまでに津波が来た場合に
逃げる場所がないということで結果回避義務違反が認められる。
つまり過失があった、ということになった。
0038名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/12(水) 07:03:09.82ID:w5iWHNDd0
震災当日の天候
西高東低の冬型気圧配置だったが三陸沖に気圧の谷があり
その影響で曇り。ときどき雪がちらつくような状況。

仙台市 天気/にわか雪 最高気温/6.2℃ 最低気温/-2.5℃

津波が来てからの石巻や女川での記録はない。
機器類が全滅したからである。

ついでながら、津波が来るときには強風を伴うらしい。
https://ir.kochi-u.ac.jp/dspace/bitstream/10126/4923/1/kuroshio5-2chiba.pdf
東日本大震災時の気象−主として仙台平野の場合

海沿いを走っていた軽自動車が津波の直前に強風で横転しそうになり
走行不能になったという情報がある。

当日は夕方から冷え込み、風も強くなった。
「河北新報の記事(3月12日の「社説」)に『仙台は夕方からいったん吹雪状態になって・・』
とあり,これからも地震後の仙台地方の気象は厳しく,津波の被害にあわれて一晩屋外で
耐えた被災者の困苦は想像にも及ばないことであった。」

最高気温はだいたい午後2時頃の気温といわれる。
最高気温6.2度であるから、午後三時頃から四時頃の石巻は5度以下だったろうと
思われる。地震の後は非常に風が強くなった。
津波は強い風を伴い、市民の多くは「さくら吹雪のような雪が降った。」と証言している。
大きな雪が風に舞いながら横に流れて行く様子がさくら吹雪のように見えたらしい。

大川小学校の一行が移動を始めたのは寒さに耐えかねた(だからともかく歩いて体を
温めたかった)というのがあるかもしれない。
教師の一人が山への避難に強硬に反対、「ここでたき火をするべよ」と言って半分に切られた
ドラム缶を持ち出したという話もあるが、校庭に留まるならたき火が必要なほどであった、と
いうことは言えそうである。
0039名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/12(水) 08:01:59.14ID:7f5tVe5k0
>>38
で、それが、地裁の学校管理者への過失認定にどのように影響するの?
0040名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/12(水) 22:48:07.98ID:w5iWHNDd0
>>39
それが、地裁の学校管理者への過失認定にどのように影響するの?
なんてこと考える人いるの?

中学生?
0041名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/13(木) 07:34:38.51ID:W+qcR1/x0
運よく助かった小学5年只野君の証言

6年生が最前列で、「ヒューと風が吹いた」後、「バリバリ音を立てながら前から津波が押し寄せ、
すぐに反対方向へ走り出しました。しかし、しゃがんで動けなかった子もいます。片方の足が震えて
動かなくなり、振り向いたら動けるようになりました。途中、しゃがみこんでいる子の胸をつかんで、
たたせようとしましたが駄目でした。一目散にすぐ近くの山へ駆け上がりました。
山の麓で何人も上がろうとしていました。しかし雪で滑り、上がれませんでした。
そうしているうちに津波に飲まれてしまいました」。

山には雪がかなり積もっていたようである。

只野君の証言続き

「山の崖を3m駆け上がった時、津波に後ろから押され、気がついたら泥で体が半分埋まり動けません
でした。そこへ同級生が、『哲っちゃんだいじょうぶか』と言いながら助けに来てくれました。
その同級生は津波の中へ沈み、ヘルメットの浮力で水面上に顔を出す事ができました。
まじかに浮かんでいた冷蔵庫の中に入り、船のように流されて裏山へたどり着くことができました。
彼は左腕を骨折していたので右手で枝につかまり、左素手で周りの泥を掘り起こしてくれました。
しかしどうにもならないため、2人で20分ぐらい『助けてー』と叫んでいました。
そうしたら、大人が降りて来て、竹藪の方へ連れていかれました。

他の証言によると、山の植林されたところは雪が深いため、竹藪に行ってたき火をし、夜を明かした
ようである。竹藪は木陰と比べると日射しが入って明るいので、雪も融けて少なかったのだろう。
0042名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/13(木) 10:39:14.00ID:W+qcR1/x0
大川小学校は災害時の避難場所になっていたので、周辺住人で校庭に逃げ込んできた人も
少なからずいた。教頭は裏山への避難を決めたが、住人たちの中に反対する人がいた。
山は木が倒れてくるかも知れないから危険だとか、子ども達が転んで怪我をするかも知れない
というのである。山への避難を促す教頭に対して、校庭にいるべきだとくってかかる人もいた。
子ども達も「教頭と地元の人たちが喧嘩していた。」と証言している。

広報車も避難を呼びかけ、教師たちも携帯ラジオを聞いていた。
大きな津波が防波堤を越えたという情報も入っていた。
教頭も避難の必要性を認識していたが、山への避難に反対する住人たちの制止を振り切る
ことができない。彼らに対して必死の説得をしていていたずらに時間が経過した。

地震から50分を経過した頃、教頭はようやく決断を下す。
川べりの三角地帯への移動だった。
住人たちの中にはお年寄りが多く、裏山に登るのは困難と判断したからだった。
お年寄りに配慮して山への避難を諦めるという苦渋の決断だった。

教育委員会は、こういう筋書きにしたかったみたいだ。
報告書にはこうした狙いが読み取れる部分が多数ある。

地元住民と教頭はたしかに激しく口論していた。生き残った子供も「教頭と地元の人たちが喧嘩
していた」と証言している。しかし、この口論の内容は、早く山へ逃げろと迫る地元住民に対して
教頭が「落ち着いて下さい。」などと宥めたり、学校は学校で事情があるある、などと抗弁したり
するものだった。
教頭が山に逃げるといい、それに住人が反対したというのは、事実とは正反対である。

教師と生徒たちは列を作って移動を始めた。中に住民は混じってはいなかった。
教師たちは生徒を並ばせて点呼や人員確認のようなことばかりしており、地元住民と生徒たちが
混在していたというような事実はない。
そもそも保護者でもないのに小学生の列について行こうというような大人はいないだろう。
目撃者の中にも、老人が混じっていたというような話をする人はいない。
老人のために避難先を三角地帯にしたというようなことは考えられない。
0043名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/13(木) 21:26:39.72ID:c83QS2Kv0
>>40
アホ?
裁判官は中学生ってことになるなw
0044名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 06:23:47.38ID:E0Fu70Gp0


何言ってんだか。

駄目だこりゃ。。。。
0045名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 06:50:40.64ID:A8eWkniZ0

なんだ反論できないのかw
それらしいこと言ってるようで説得力ないね
0046名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 07:54:03.55ID:E0Fu70Gp0
>>45

中学生はまだ過失がどうのとかいいから勉強してなさい
0047名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 08:23:16.75ID:j5dFQKQA0
>>46
反論できずに捨てゼリフw
悔しければ反論してみ

お前の価値観でお前がお前の考えを述べるのは自由
しかし、社会的決定は判決によるところとなり、その判決は法律という基準によって判断されることになる
だからこそ、>>39が重要になるわけだ
たらたら長文レスしても、この重要な観点がなければ、お前の感想文に過ぎない

こんな簡単なことがわからないアホw
0048名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 08:43:02.30ID:x+MiB6mw0
たらたらと薄っぺらい駄文レスしているが、
結局は、山へ登りたくなかったという言い訳を述べているに過ぎない
津波の危険と比較して、山へ登るべきではなかったということは主張できていないんだよ
判断基準は、当時の学校管理者として保持すべき知見が前提となる
悔しければ反論してみろw
0049名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 12:03:43.87ID:eecqlHxd0
一旦学校に避難してきてその後に山へ避難して助かったという地元住民はいるのか?
いるとすれば教頭とのやりとりの証言がとれるはずだが?
0050名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/14(金) 16:09:13.72ID:6zY6oPxo0
津波の話が児童図書になってるよ。

 『原文から』
「覚えてる?東北大しん災のとき、三りくのほうにつなみが来たじゃん」
「うん」
「どっかの港から、海上保安庁の船とふつうの漁船が沖ににげようとしてさ、海上保安庁のは
にげられたんだけど、漁船はダメだったんだ。それ、テレビでやったよ」
「本当?知らなかった」
「だれかが、遠いりくの安全な場所から写してたんだ。家族みんなで見ていて、がんばれって、
にげてくれって、もう、泣きながら必死で祈ったんだけど、とうとう漁船はダメったよ。
小さいからなんだ。海上保安庁くらいありゃ、技じゅつはすごいんだからにげられたんだ」
「こえー。その漁しさん、助からなかったの?」
「うん、あとでこわれた船が見つかって、その人、自分の体を、
しっかりと船にしばりつけていたって。全力で船といっしょに
つなみをのりこえようとしていたんだ」
「……」
心が重たくなって、言葉がつまった。その人にとって、船は自分の命と同じように
大切なものだったんだ。
波を乗りこえて遠さかっていく、大きな海上保安庁の船を目の前に見て、
小さな船の漁しさんは何を思ったのだろう?

★勇人と亮輔★
http://slib.net/71510
上松煌(うえまつあきら)作
http://slib.net/a/21610/
0051名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/15(土) 06:16:51.24ID:gE1Vxcmg0
>>50
津波の場合は、シーアンカーの方向が台風のときなどとは逆になるからね。
巡視船は長いロープを船尾から流したんだろう。
漁船はそういうことができなくて、船首が津波を越えるときにちょっと横向いて
横波受けて転覆ということかな。

小さい船だから駄目だったというのは子供には分かりやすいが、船の大小は
あまり関係ないと思う。巨船だって津波をまっすぐに突っ切らなければ転覆する。
転覆しなくても横波に押され、陸にまで打ち上げられる。
建物の上に乗っかってる船とかいくらもあったよな。


>>40
どのように影響するの? って影響してないじゃんw

判決文嫁よボケ
読まなくても原告勝訴だから過失認定されたというのは
当然分かるよな、、、
何騒いでるんだかw
0052名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/15(土) 07:26:43.49ID:gE1Vxcmg0
「それから、50分くらいだっけ、けっこう時間がたって、『じゃあ、移動しましょう』ってなって」。
河北総合支所の職員の「松原を津波が越えてきました」という声を聞いて、
教師たちは山ではなく、河川堤防近くの「三角地帯」へと子供らを誘導し始めた。
この、結果的に危険な避難先を選んだ理由についても、第三者検証委員会の
最終報告書(今年の2月23日)に明確な記述はない。

「おい(俺)は、てっきり山に行くと思っていたけど、もう進んでいたので、『まっ、いいか』って。
公民館の前あたりに来たとき教頭先生が戻ってきて、『津波が来たので、
早く移動してください』と言われて、小走りで山沿いの道を、民家の間を抜けて県道へ出ようとした。
そのとき、波がこぼれてくるのが見えて。
家が爆発したと思って、砂煙がパーッと上って、なんだかわかんないけど、『逃げなきゃ』と思って、
逆戻りしていた」

パニック状態で周囲まで気遣う余裕はなかったと、素直に打ち明ける。
「波が来たときは、腰を抜かして動けない人もいたけど、自分が助かりたいというのしか
なくて、走っていって。
後ろのみんなは『なんで、戻ってきたんだよ』という感じで見ていたけど、ジェット機の爆音の
ような音のせいで、口をパクパクしているのしかわからず、でも、おいは上っていって」

「指を土に突っこんで山を上っていった。ベチャベチャな雪の斜面で、登れない人もいた。
3〜4メートル登って後ろを振り向いたとき、まだ波がそんなに来ていなかったから、
『逃げれる』って思ってもう1回前向いたとき、いきなり後ろから押し倒されるように津波に
のまれて、気絶した――」

哲也くんは土に半分ほど埋まっていたところを奇跡的に助けだされた。
0053名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/15(土) 07:32:39.63ID:gE1Vxcmg0
小学生を引き連れた一行が移動を開始したとき、女の先生が先導していたと
いう目撃者の証言がある。
只野君の証言では「教頭が戻ってきて」とあるから、教頭は一行の先頭にいたの
ではなく、先に様子を見に三角地帯の方へ行っていたらしい。
0054名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/16(日) 07:11:38.04ID:ZPy0o6D60
公民館の前あたりに来たとき教頭先生が戻ってきて、『津波が来たので、
早く移動してください』と言われたとある。

一行より先に行っていた教頭は津波を見た。それで戻ってきて、早く移動しろと
言ったわけだ。教頭はこの時点でも、三角地帯に行けば津波はやりすごせると
思っていた。

直後に土手の上を黒い波が越えてきたのが見えた。
只野君は、自分はまだ教室で寝ていて夢を見てるのかな、と思った。

一行は十数軒の住宅の横を歩いていたのだが、只野君は「住宅が爆発した」と思った。
轟音とともに二階建ての家が大きく揺らぎ、屋根瓦が飛んだ。
家は傾きながら動き、後ろの家にぶつかった。
只野君は本能的に「逃げなきゃ」と思い、来た道を逆走した。横には小学生の行列が
続いていた。後ろのみんなは『なんで、戻ってきたんだよ』という感じで只野君を見ていた。

「指を土に突っこんで山を上っていった。ベチャベチャな雪の斜面で、登れない人もいた。」

山にたどり着いた子供がすべて助かったわけではないらしい。
只野君も津波に下から押されるようにして持ち上げられる形で波に呑まれたので
呼吸が続けられた。頭から波に呑まれていたら、コールタール状の泥で鼻や口は塞がれ
窒息死していただろう。
もう一人の子も、たまたま流れてきた冷蔵庫に入って助かった。
冷蔵庫がなければ、波の中で溺れ、沈んでいくだけだった。
その子が骨折した手で泥に埋まった只野君を掘り出してくれた。
この子に助けられなければ、只野君は動けないまま凍死していただろう。

その後、二人は動けないまま、助けてと叫びつづけた。
二時間ぐらい経ってから大人が来て助けてくれ、竹藪に連れてい焚き火に当たらせてくれた。
0055名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 04:10:25.94ID:694EHfu30
今は携帯というものがあるんだからさ。先生の一人が携帯持って三角地帯あたりに
立って津波が来るのを見張っていればよかったんだよ。

学校のある場所はきわめて低くて(海抜1メートルとか)、たとえ二階に上っても
遠くは見えにくい。校庭からは、それこそ何も見えない。校庭と土手の間には
住宅が建ち並んでおり、視界は遮られていた。仮に住宅が無くても、校庭より
土手の方が数メートル高いのだから、川下の方がどうなってるのかなどは
全然分からない。

三角地帯あたりに立って海の方向を見ていれば、かなり遠くの津波でも望見できる。
即座に携帯で知らせれば、子供達が校庭にいたとしても山に逃げることはできた。
学校裏の体育館の方に居れば、さらに安全だった。

見張りの先生はどうなるか、だって? それは子供達のために犠牲になっていただく
ということで。
というのは冗談で、三角地帯だと大人なら逃げ場所があるんだ。
すぐ裏の高台だ。ユーチューブにそこから撮った映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M
0056名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 06:23:19.13ID:obpzvQ2f0
携帯は繋がりにくい状態だったという事も知らないのか?
0057名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 08:49:52.42ID:694EHfu30
被災地で IT は役立ったか?

意外なことに、仙台市内では地震直後に携帯電話がなんとか使えていたという証言が多い。

 仙台市役所の職員によれば、地震後 10 分間くらいは携帯メールで家族の安否が確認できていたという
(その後はつながりにくくなった)。

 仙台市北部の住宅地に住んでいた、人材育成事業を営む渡辺一馬さんによれば、 3 月 11 日いっぱいは
仙台市内中心部の一部のほか、避難先である宮城県南部の角田市でも NTT ドコモやイー・モバイルが
利用できていた。

 ソフトバンクの携帯電話も、震災当日から翌朝まではつながったとコンピューターグラフィックスの専門家、
鹿野護さんは証言している。

 いずれの回線も 3 月 11 日当日は、接続状況が悪いながらなんとかつながっていたが、3 月 12 日からは
つながらなくなる。これはおそらく携帯電話の基地局の予備電力が切れてしまったからだろう。

------------------

地震のあと津波が来るまでの間、携帯がつながらなかったという情報は今のところ無いんじゃないか。

津波で送信施設が壊れてしまったところや電力が来なくなったところは駄目で、おそらく海浜地域は
すぐ駄目になったと思うが、仙台の市街地など津波が来なかったところはけっこう使えている。
大川小学校あたりは津波が来るまで問題なく機能してたんじゃないか。
0058名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 10:55:57.60ID:EEBQakoh0
もっと調べろ
教頭は当日不在だった校長に幾度となく、携帯電話で連絡をとろうとしていたがなかなか通じずに、携帯電話のメールで連絡している
そのような携帯電話が容易に通じない状況で>>55のような事を実施するのは無理があろう
0059名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 20:55:28.29ID:694EHfu30
>>58
震災当日の午後、休暇をとっていた校長は、地震発生を受けて、
自家用車で大川小学校を目指した。途中で、大川小学校の固定電話や、
教頭はじめ教職員の携帯電話に連絡を入れようとしたが、つながらなかった。
石巻市教育委員会にも電話をかけたが、同様だったと証言している

石巻市教育委員会 事後対応 に関する事実情報」(未定稿)抜粋
にはこう書いてあるね。

この校長は何をやってたのか。不思議な人だ。
当日は行く努力をしたが行けなかった。
地震の翌日も「行ける状態ではない」とのことで行かなかった。
13日も個人的に情報収集にあたったが大川小にはいかなかった。
14日、知人とともに小学校に行くこととして待ち合わせをしたが、この知人が
現れなかったため実現しなかった。
15日、教職員A(助かった教師)から携帯のメールによる連絡が入った。
16日、校長が市の教育委員会に震災後初めて登庁。この日も小学校へは行かず。
校長が大川小学校の現地に初めて入ったのは、3月17日である。

小学校へ来ても、校長は親たちの捜索活動は無視し、校長室の金庫を開けるのに
夢中になっていた。校長は学校を去る際にもそそくさとした態度で、親たちとの接触を
避けるような様子だったという。

この校長の証言によると、地震発生後大川小の教頭や教職員に携帯で連絡をしようと
したがつながらなかったんだそうだ。
校長の証言を信じる >>58 は、純心素朴な人だ。
0060名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 21:21:56.15ID:obpzvQ2f0
>>59
都合悪くなると論点すり替えか?
0061名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 21:30:40.14ID:694EHfu30
それじゃ

http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-3157.html


■「大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ“真実”〜」

午後3時29分、迎えに来た母親の1人(死亡)が、「子どもと学校にいます。」というメールを
夫に宛てて送った。町の側溝からは水が噴き出し、堤防からは水があふれ始めた。
児童の1人が、学校の前の住民の「津波が来たぞ!」と言った声を聞いた。
0062名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 21:32:42.75ID:obpzvQ2f0
校長の証言の信頼性が問題ではなく、
>>55を実行できるだけの携帯電話の通話の容易性が当時の現場にあったのかが問題
アホは論点すぐに変えたがるなw
0063名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 21:35:26.78ID:obpzvQ2f0
危機伝達の即時性が要求されるような>>55を言いだしておいてメールってw
アホすぎw
0064名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/17(月) 21:39:20.22ID:obpzvQ2f0
しかもメールなんて相手に確実に情報が伝わったかの即時性も無い
0065名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 02:55:23.52ID:kZZDZfxp0
最初の地震の時から少なくとも津波が到達する直前までの間、大川小学校ないしその付近で
携帯が使えなくなったという事実はないんじゃないか。
そういう情報があるのかい?

>>62 「>>55を実行できるだけの携帯電話の通話の容易性」
>>63 「危機伝達の即時性」
>>64 「相手に確実に情報が伝わったかの即時性」
なんか必死になって難しい言葉使おうとしてるけど、意味ないんじゃ、、、
最後の>>64なんて日本語として怪しいし。

今度は携帯が使えたことを前提に「通話の容易性」とか「即時性」とか確実性を
問題にしてるじゃん。論点を変えてるのは君じゃないのかな?
0066名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 05:47:32.71ID:lfyGX1Fs0
>>65
もっと簡単に言ってやるわ
アホにはわからんようだからな
論点は>>55の実行可能性があったのか?という点
当時の現場での携帯電話の通話が平時と同様にできたのかという事
0067名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 06:21:18.68ID:lfyGX1Fs0
大川小学校事故検証報告書
81ページ
この間、教職員Aは、校外にいる校長や市教育委員会へ何度も電話をかけたが、つなが
らなかったとしている。
117ページ
地震発生後、河北消防団では、団長、副団長などの幹部が河北総合支所に参集した(ただ
し、一部の幹部は交通事情などにより参集できなかった)。当時、消防団には無線が配備さ
れておらず、携帯電話・固定電話ともに通じない状態だったため、地元にいる消防団員と
の通信手段はなく、被害状況などの情報は入ってこなかった。
118ページ
震災当日の午後、休暇をとっていた校長は、地震発生を受けて、自家用車で大川小学校
を目指した。途中で、大川小学校の固定電話や、教頭はじめ教職員の携帯電話に連絡を入
れようとしたが、つながらなかった。石巻市教育委員会にも電話をかけたが、同様だった
と証言している。
121ページ
教育委員会は、各学校と連絡を取ろう
としたが、なかなか電話が通じず、徒歩や自動車で行ける学校に行って避難所開設の指示
を行った。電話で連絡がとれたのは約半分程度の学校に過ぎなかった。

携帯電話の通話の容易性が以上のような状況で>>55の実行可能性があるというアホは反論してみw
0068名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 08:21:46.04ID:kZZDZfxp0
「震災当日の午後、休暇をとっていた校長は、地震発生を受けて、
自家用車で大川小学校を目指した。途中で、大川小学校の固定電話や、
教頭はじめ教職員の携帯電話に連絡を入れようとしたが、つながらなかった。
石巻市教育委員会にも電話をかけたが、同様だった」と証言している

という校長の証言が信ずるに足るものかと言ってるんだよ。
この人のその後の言動からして、適当に都合のいいこと言ってるだけじゃないかと。

校長は震災当日はともかく、教育委員会とは早い段階で連絡を取っていると思われる。
だが、報告書では11、12、13、14、15日と行かず、16日になって初めて登庁、
大川小学校にはじめて行ったのがその翌日の17日である。

教育委員会の判断は、校長に身を隠させておくということではなかったのか。
当日の責任者だった教頭はもういない。
校長が現れれば、子を亡くした親や報道陣からの質問が矢継ぎ早に飛ぶだろう。
答えに窮した校長から不用意な発言がなされるおそれもある。
そういう事態を避けようとしたんじゃないか。
だから、上の校長の証言も、教育委員会作成の証言なんじゃないかと。

小学校へ震災後はじめて行ったときも、「取材は受けない」という約束の下、報道陣の車で
行くという奇妙な方法をとっている。

この校長の証言をもとに、当日携帯がつながらなかったというのはおかしいんじゃないか。
むしろ、この校長の証言はウソなんじゃないかと考えるべきではないのか。

あと、当日電話が「つながらなかった」というのが機器的な不通だったのか、人が出なかった
のかを区別する必要がある。どちらか分からないものが多いね。
>>67
「教育委員会は、各学校と連絡を取ろう
としたが、なかなか電話が通じず、徒歩や自動車で行ける学校に行って避難所開設の指示
を行った。電話で連絡がとれたのは約半分程度の学校に過ぎなかった。 」
そりゃそうだろう。学校は大川小学校みたいに被災したのも多いし、校舎が無事だったところも
学校の中なんかに人はいなかったろう。
君は、ほら電話で連絡がとれたのは約半分程度の学校に過ぎなかったじゃないか、とか
言うんだろうけど。純朴な人だ。
0069名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 08:35:22.77ID:kZZDZfxp0
東日本大震災―内山哲之先生

2011年3月11日午後2時半ごろ、私は田村クリニックの分院の南大沢メデカルプラザというところで
外来にでていました。
田村クリニックに務め始めて、4か月目だったので、受け持ち患者は少なく、診察室でうとうとしていましたら、
石巻市立病院のドクターから電話がかかってきました。

私の実家の叔父が胃がんになり、石巻市立病院でその年の1月に手術を受けておりました。

叔父の胃がんは胃の上部で食道にも少しかかっていたので、転移していることを心配していたのですが、
石巻市立病院の先生から化学療法を勧められ、叔父が甥の私と相談してくださいと言ったので
電話したということでした。

初めは若い担当のドクターでしたが、すぐに責任者の内山先生に変わりました。

電話の向こうで、叔父の状態、腫瘍マーカー等の話をしていたと思いますが、その時、向こう側のほうで、
地震が起きているという話があり、それでもいろいろと話し続けていたのですが…
約1分ぐらいでしょうか、こちらのほうも揺れだしました。
それでも電話で話をしていたのですが、向こう側で、いろいろ倒れてきて、もう電話できないと言うので
会話が終わりました。
その後激しく揺れだし、私は近くにあったエコーの機械が動かないように持っているのがやっとでした。
クリニック内の書棚が倒れて、カルテなど書類が散乱しました。
揺れが終わってから、外を見ると待っている患者は整然として座っていました。
隣の薬局の天井が落ちて、薬を出せないと言ってきました。
コンピューターが止まって、カルテもわからなくなったので、診療はそこで打ち切られました。

震災直後は石巻の実家に電話は通じました。
親父の携帯に電話すると、おふくろを石巻市内の仙石病院に送って、おふくろが透析している間に
ホームセンターに行ってたら地震になったとの事で、ホームセンター内は棚など全部倒れたと言っていました。
それから親父はいったん内陸にある家に戻ったそうです。
その後しばらくすると、固定電話には電話できなくなってしまいましたが、親父の携帯はつながりました。
親父はおふくろのところに戻ろうとしたのですが、途中で津波のために行けなくなったと言っていました。

今考えると、その時病院に迎えに行ったいたら、津波に呑まれたと思います。
おふくろは数日その透析病院の上の階に避難して、あとで救出してもらいました。
その日、東京では交通機関が止まりました。
次の日は電車など動いたのですが、原発が停止して、電力が不足するからとのことで、電車がかなり間
引いた運行になり、駅には見たこともない長蛇の列ができました。
0070名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 08:37:41.60ID:ZHeWIYJp0
>>68
>>67は校長の証言だけではないし
事故調査報告書を否定するならそれよりも信頼性が高いソースを出せよ
それともお前の妄想で語っているのか?w
0071名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/18(火) 15:54:19.05ID:FBgRTRCq0
>>69
>>67
> 大川小学校事故検証報告書
> 81ページ
> この間、教職員Aは、校外にいる校長や市教育委員会へ何度も電話をかけたが、つなが
> らなかったとしている。
事故検証報告書では、当時の現場では、携帯電話は繋がりにくかったとされている
当時の現場でない話を持ってきて何がいいたいの?
何かの反論になっているの?
不思議
0072名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/19(水) 01:02:01.29ID:IhFAAuRD0
>>71
当時の現場っていつの話?
津波が来た時点では携帯は使えたでしょ。

事故後の校長の行動は非常に疑問視されている。この人物の
証言が信用できるのか。現に現場から夫にメールをし、その後津波に呑まれて
死亡してる親もいるのに。このお母さんのこと、テレビでやったじゃないですか。
報告書にあるA教諭の行動はウソばっかりというのも知られた事実。
救助を頼んだ自動車工場へは真っ暗な山の中を車のヘッドライトを頼りに辿り着いたと
いうけれど、経営者夫妻によればA教諭が来たのは昼間だったという。
背広も濡れていませんでしたよ、という。知ってるでしょ、こういうこと。

事故検証報告書そのものが怪しいというのも分かってないのかな?
「石巻市立大川小学校 「事故検証委員会」を検証する」(ポプラ社)
という本もあるぐらいなのに。
なんでそんなに携帯が使えなかったということにしたいのかな?
不思議
0073名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/19(水) 04:44:43.02ID:mqVkwv290
>>72
> 当時の現場っていつの話?
2011年3月11日15時から15時37分の大川小でのこと
校長が怪しいこと、A教諭の証言の信用性が問題視されている部分があることは承知している
事故検証報告書に問題があることもだ
だからといって全てが嘘とするのはアホだわ
校長にメールをしていたということは事実だろう
通話が容易であればメールではなく通話で意志疎通を図ったであろう
当時、大川小では通話が困難であったことは事実だとされている
お前はアホな>>55を取り繕うために事実を認めないでいるにすぎない
つまりアホ
0074名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/20(木) 05:42:12.16ID:I/FcWdAy0
事故検証委員会の報告書は、徹頭徹尾教育委員会寄り。
校長の事後対応や教育委員会の指示に誤りがなかったとするだけ。
責任を免れしめるための架空事実の設定がかなり見られる。
携帯が使えなかったというのもその一つ。

地震の後、校長は教頭や数人の教員宛に何度も携帯をかけたりメールを
打ったりした。しかし、それらはことごとく通じなかった。
→ 校長は人事を尽くしたが、携帯電話の不通により責務を果たすことが
できなかった。

生き残ったA教師は地震の後、津波が来る前に教育委員会に何度も携帯を
かけメールもした。しかし、それらはことごとく通じなかった。
→ 若手のA教師でさえ連絡しようとしているということは、教頭や学年主任等は
当然携帯をかけ、メールもしていたことを意味する。
しかしそれらは通じなかった。
※ A教諭は教務主任であるが「学年主任」ではない。教師が13人しかいない
学校での教務主任であることに注意。

→ 津波の後、小学校の事故を警察等へ連絡するのが遅かったとの批判が
あるが、教育委員会は携帯の普通により事実の報告を受けていなかった、
多数の教員児童が津波に呑まれたという事実を知らされていなかったと
いうことになる。

とにかく携帯が使えないとしないと、校長や教育委員会の責任問題が出てきて
しまってどうしようもないんだな。
>>73 は何で必死こいて携帯が使えなかったことにしたいんだろう???

だいたい、A教師が教育委員会に直に携帯をかけたりするはずがない。
教育委員会との連絡は教頭等学校幹部のすることだろう。
0075名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/20(木) 05:45:46.75ID:I/FcWdAy0
自動車整備工場に逃げ込んだA教師は、大川小学校で起きたことを話さなかった。
A教師がただちに警察等へ連絡すれば、小学校優先の救助活動が迅速になされ、
助かった子供もいたのではないかというのが親たちの思いである。

A教師は津波に呑まれ、衣服は濡れていたことになっている。これは携帯が使えな
かったことにするための嘘ではないか。げんに自動車整備工場経営者夫妻は
A教師の服は濡れていなかったと証言している。
整備工場にはもちろん固定電話もあった。
携帯電話は震災後数時間で徐々に不通になるものが多かったが、その段階に
いたっても固定電話はかなり通じた。工場の電話を借りることも可能だった。
さらに、市教委の当初の県への報告では、A教諭は震災当日は整備工場の車の
中に勝手に入って寝たことになっている。
これは工場にいた人たちと接触していないことにするためではないか。
A教諭は整備工場の社長の自宅に泊めてもらったのである。
あとで誤りを指摘され、市教委は「泣きながらの説明だったのでそのように
聞こえた。」としている。市教委は、整備工場の社長の方へは「社長に迷惑が
かかるといけないと思ってそう報告した。」とわざわざ牽制のための電話を
かけている。

とにかく、報告書は、徹底的に連絡できなかったことにしているんだな。
なんでもかんでも携帯のせい。携帯がつながらなかったことにしないと、
あらゆる虚構の事実が崩れてしまう。
>>73 みたいな人は校長や教育委員会の有力な味方だなw
0076名無しさん@13周年@無断転載は禁止
垢版 |
2017/04/20(木) 08:28:07.79ID:8XS9WfeK0
>>74
> 事故検証委員会の報告書は、徹頭徹尾教育委員会寄り。
> 校長の事後対応や教育委員会の指示に誤りがなかったとするだけ。
> 責任を免れしめるための架空事実の設定がかなり見られる。
> 携帯が使えなかったというのもその一つ。
馬鹿はこれだから馬鹿なんだな
事故検証報告書を正確に読め

検証にあたっての基本的な考え方
本検証の目的は、「誰が悪かったのか」という事故の責任追及ではなく、
「なぜ起きたのか」という原因究明と「今後どうしたらよいのか」という再発防止である。

このようや考え方を前提とする調査報告書には限界があるあるいは逃げの姿勢があることは否定できない
法的過失の認定につながることからは逃げているからな
しかし全てを否定するのは馬鹿のすること
地裁判決のポイントとなった広報車呼びかけについても記載されている
これも嘘だというのか?
(時間については教師側有利に持って行こうとしているが)

それに、そもそも今の論点は、事故検証報告書の信頼性ではない
>>55の実行可能性が論点だろうが
つまり、携帯電話の通話が可能であったのかについては>>55の実行可能性という観点から論じなければ意味がない
馬鹿にはコレがわからない?
たまたま一度通じたとしてもそれではダメだろう
だから通話の容易性といっているんだよ

>>75
A教諭の証言を全て信用できないとすると地裁判決の、「現に予見していた」との認定の裏付けが崩れるな
アホは0か100かどちらかでしか考えられないのかw
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況