ネットヘイト勝訴 大きな意味 崔さん裁判に伴走・ 師岡弁護士が川崎市内で講演 禁止法制定など必要性訴え [少考さん★]
<差別なき社会へ>ネットヘイト勝訴 大きな意味 崔さん裁判に伴走・ 師岡弁護士が川崎市内で講演 禁止法制定など必要性訴え:東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/295897
2023年12月14日 07時30分
「被害者に努力を求めるべきではない」と話す師岡弁護士=中原区で
川崎市内の在日コリアン3世の女性に対し、「祖国へ帰れ」などとネット上で匿名で中傷した男性の投稿を差別的言動と認めた10月の横浜地裁川崎支部の判決を受け、女性の弁護団として伴走してきた弁護士の師岡康子さんが12日夜、「ネットヘイト勝訴判決の意義」と題して市内で講演した。師岡さんは「大きな意味がある判決で、多くの外国人にとって希望となる」と意義を強調した。(竹谷直子)
女性は崔江以子(チェカンイヂャ)さん。長年にわたり差別や中傷の投稿を繰り返され、精神的苦痛を受けたとして男性に損害賠償を求めて闘ってきた。同支部の判決では、「祖国へ帰れ」という投稿はヘイトスピーチ解消法に基づく差別で違法な権利侵害などと認め、男性に194万円の高額の賠償を命じた。
師岡さんは、コリアンルーツであることを理由に当時中学生だった男性が差別記事をネットに投稿されたとして訴えた裁判で、2021年に130万円の損害賠償が確定したことにも触れ、「差別されない権利が認められた。金額も高額で大きな意味があった」と振り返った。
一方、解消法の問題点も指摘。現行法では、日本に居住する日本以外の出身者や子孫に対する差別的言動について「許されない」と明記しているが、禁止規定や罰則はない。師岡さんは「被害者側が提訴しなければならない状況を変えるべきだ」とし、差別禁止法を制定し、禁止規定と制裁規定、被害者救済の三つを盛り込むことが必要だと訴えた。
ネットでの匿名の投稿について訴訟を起こす場合、事前に発信者を特定する手続きが必要となる。師岡さんはこの点についても法の不備を指摘。差別投稿に関してプロバイダー側に削除を要請しても、「違法かどうか分からない」として対応されないケースもあるとし、ネットでの人権侵害に関して禁止事項や事業者の責務などを定める必要性も強調した。
講演は市民団体「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が主催。約100人が参加した。 >>1
沖縄石垣のある韓国人を批判するスレが5chマリンスポーツ板に立って怒った韓国人に手で開示請求されて裁判になって勝訴したけど、その記事は沖縄の新聞社匿名のまま勝訴だったんだよな
どうしてかっていうとその韓国人が犯罪繰り返してて、その裁判の前後にも暴行事件とかで逮捕されまくってたから…
これじゃあ悲しいけど差別に反対とかできなくなっちゃう
しっかりしてほしい 川崎市民は川崎を愛せ
ふるさと納税もヘイト認定して欲しい 地方自治法の中で出来ることは勝手にすればいい
だが川崎市に住みたいとは思わない 日本は、法の下での平等があるので、既存の侮辱罪、名誉毀損で対応できることなのだが、
敢えて、外国人のためのヘイト禁止法を作るのは、二重課税をするようなもの。
例えば、ガソリンにかかる税金に対して、不満がないのというのなら、まあ、構わないけど、二重課税はお嫌いですよね。
だったら、芸黒人のためのヘイト禁止法もダメだわ。
法律の二段重ね、三段重ねは、特権を作り出すことが目的なんだなと分かっちゃうぞ。 >>4
それいいなw
川崎市民が他市町村にふるさと納税使ったら厳罰という条例作ればいい
なんでもアリの川崎ならできるw
オマエらの天皇では、とても日本の領土領海内における
国家主権を確保出来ていない。
事実、日本では在日朝鮮人韓国人によって
領土領海内の国家主権が蹂躙(じゅうりん)され続けている。
これが、事実だ。
国家主権とは:
領土領海内においては、排他的な絶対権力が
その国にあるという意味。国際慣習法。
現在の国際法は、フランス人権宣言以前の
国王の時代の国際慣習が引き続いている。
国王の仕事は戦いだ。
オマエらの天皇は、
はっきりといってプードル犬である。
国民が可哀想である。
この状態では、日本国民に対する人権侵害がはなはだしい。
『国王は君臨すれども統治せず』
国王は遊べるという意味ではない。
君臨するということは、
領土領海内における国家主権を
国王が確保するという意味だ。
オマエらの天皇では、とても日本の領土領海内における
国家主権を確保出来ていない。
事実、日本では在日朝鮮人韓国人によって
領土領海内の国家主権が蹂躙(じゅうりん)され続けている。
これが、事実だ。
国家主権とは:
領土領海内においては、排他的な絶対権力が
その国にあるという意味。国際慣習法。
現在の国際法は、フランス人権宣言以前の
国王の時代の国際慣習が引き続いている。
国王の仕事は戦いだ。
オマエらの天皇は、
はっきりといってプードル犬である。
国民が可哀想である。
この状態では、日本国民に対する人権侵害がはなはだしい。
『国王は君臨すれども統治せず』
国王は遊べるという意味ではない。
君臨するということは、
領土領海内における国家主権を
国王が確保するという意味だ。
オマエらの天皇では、とても日本の領土領海内における
国家主権を確保出来ていない。
事実、日本では在日朝鮮人韓国人によって
領土領海内の国家主権が蹂躙(じゅうりん)され続けている。
これが、事実だ。
国家主権とは:
領土領海内においては、排他的な絶対権力が
その国にあるという意味。国際慣習法。
現在の国際法は、フランス人権宣言以前の
国王の時代の国際慣習が引き続いている。
国王の仕事は戦いだ。
オマエらの天皇は、
はっきりといってプードル犬である。
国民が可哀想である。
この状態では、日本国民に対する人権侵害がはなはだしい。
『国王は君臨すれども統治せず』
国王は遊べるという意味ではない。
君臨するということは、
領土領海内における国家主権を
国王が確保するという意味だ。
オマエらの天皇では、とても日本の領土領海内における
国家主権を確保出来ていない。
事実、日本では在日朝鮮人韓国人によって
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これが、事実だ。
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領土領海内においては、排他的な絶対権力が
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現在の国際法は、フランス人権宣言以前の
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国王の仕事は戦いだ。
オマエらの天皇は、
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『国王は君臨すれども統治せず』
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君臨するということは、
領土領海内における国家主権を
国王が確保するという意味だ。
まずはヘイトを煽る在日チョンウヨを訴えた方が良いのでは >>1 言論の自由に対する
地裁の判決に意味なし、上訴しなくても最高裁の判決必然。 >>13 続き
判断で私人個人とそれ以外に
分かれていようと大きな社会的問題での詳細判断出せ。 重度訪問介護を求める障害者に「殺処分でいいやん」と侮辱…96万円支払い命令
ネトウヨは早く「たった96万円で言いたいこと言えたんだから安いもんだ」と言えよ じゃあ朝鮮人による日本人差別と慰安婦詐欺の賠償金を在日朝鮮人に払わせようか
自治体からナマポ詐欺してる奴らとか追い出すためにも
訴訟でがんじがらめにして日本から出ていきたくしてやらないとな 外患罪で死刑にすべき今の司法は片寄っている改革が必要 「架空パーティー。すごいの来た」西村康稔経産相に文春砲10人足らずの茶話会で儲けは1回数百万…「これはあまりにひどい」ネット上でも怒りの声 日本破壊工作活動がバレそうになったら「差別ニダ」というんでしょう これ日本に対する敵対行為だろう。
なぜ居住を許すのか。
他の在住外国人との差異がひど過ぎ。
オマエらの天皇では、とても日本の領土領海内における
国家主権を確保出来ていない。
事実、日本では在日朝鮮人韓国人によって
領土領海内の国家主権が蹂躙(じゅうりん)され続けている。
これが、事実だ。
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国王の仕事は戦いだ。
オマエらの天皇は、
はっきりといってプードル犬である。
国民が可哀想である。
この状態では、日本国民に対する人権侵害がはなはだしい。
『国王は君臨すれども統治せず』
国王は遊べるという意味ではない。
君臨するということは、
領土領海内における国家主権を
国王が確保するという意味だ。
『支持を得られない国王は価値が無い』
ー トマス・ペイン、英国人、
独立革命戦争最中のアメリカで啓蒙活動、
パンフレット「コモン・センス(常識)」を発行
なお、英米日のコモン・ローでは、
コモン・センス(常識)が法源である。
革命フランスは、
アメリカ独立戦争の戦費に
フランス財政を使い果たし
フランス国内に窮乏をもたらした
ルイ16世を断頭台で処刑し
無敵のナポレオンを
フランス国民の防衛にあたらせた。
https://www.youtube.com/watch?v=LIsfMO5Jd_w
https://www.youtube.com/watch?v=OAZWXUkrjPc
日本人に尊厳も権利もないと明らかになった鳩山由紀夫が言ってたな日本は日本人のものではないと >>1
最近ではおパヨさんのチョン批判が目立ってる
パヨクだったら見逃すとやっても、あふれ返るだけなんだけど 一般家庭でも時間が遅くなれば
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家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます 勝っても朝鮮人好きとか増えんよ 竹島不法占拠 日本人拉致 ミサイル ヘイトスピーチ以上の事やってるからなww 思想エリート貴族の溜め込んだ金を使ったコントロール欲最優先の社会改造ごっこなんだろう。
体制や政権を叩き庶民の味方を気取りながらこういう弱い者いじめにも余念がないわけで
庶民を思想で選別しながら締め上げてこんなのが庶民の味方なわけがないよな。 司法がモラルの奴隷で法より情緒が優先されるんだからしゃーない。
社会秩序の維持という観点から見ても何ら貢献するものではないし
特定の弱者権力を野放しにして批判の隙を見つけて傷を広げて壊滅させようというやり方で
法治主義が拡大解釈の無限連鎖で思想に汚染されていくということ。
今や司法は国民の味方なんかではないということは押さえておく必要がある。 要するに少しでも傷ついた人間がいたら傷ついた原因を全て取り除けば
傷つく人間がいなくなるって理屈なんだろう。
ネットで「死ね」と書かれて「はいそうですか」と死ぬような人間にまで
配慮しなければいけないんだからな。
仮にそんな人間がいたとしてあらゆる言論や人間関係を変質させてまで守らねばならず
しかもサヨクが攻撃する対象にだけは適用されないというご都合主義なんだから
サヨクに政治を委ねるとこういうことになっていくという反面教師にはなる。 差別についても建前と本音の乖離が広がる一方でな。
俺は人を見下すとか馬鹿にするとかは全部差別意識からくるものと思っているから
そう考えたら今の世の中でも許容されている差別はいくらでもある。
総じて不潔でキモくて暗くて金がなかったり馬鹿だったりする人間は差別される。
別に障害者差別や在日差別が良いとは言わんがもうやる奴が一人もいない中で
なお差別が悪いと叫んでもどうにもなるまい。
差別語も言葉に政治性がびっしりとこびりついてしまいもう使いたくても使えない現状で
ネットや活字の世界でのみ生き残るものになるんだろう。
本来差別っていうのは人間の本質と骨がらみでだからこそ質で吟味されるものだったんだが
やりたくてもできない現状というものを踏まえれば
人々は故なき差別を憎む気持ちなどとっくに失っていて責められる恐怖ぐらいしか持っていないだろう。
見下す、馬鹿にすると言った蔑視が許さないと言う不寛容に置き換わっていく社会の流れもあり
差別が悪いという建前はもう完全に機能不全を起こしており弊害しか残っていない。 まあ5ちゃんなんてヒリヒリしてるぐらいでちょうどなんだろうが誹謗中傷にも質があって
やたら心にずっしり堪える重たい罵倒とかは書いてる人間の本気度が伝わってきて
そういうのは洒落にならんなあと思う。
真剣に傷つけようとしてるのは大体数を頼みに束になって襲い掛かってくるケースがほとんどで
とにかく真面目だから恐いってのが大きい。
で、開示とか訴訟で狙われるのはそんなのじゃなくて単なるストレートな悪口レベルのもので
本当に悪質なのはスルーされているんだろ。 本当に悪質な誹謗中傷は大抵上から目線。
簡単に言うと偉そうで批判対象の邪悪さ、醜悪さ、卑小さを言葉を尽くして罵倒する。
憎悪に常識の歯止めがかからずとめどなく暴走するのだが
公共の福祉の側に立っているという立場が揺るがないので事実上野放し。 徹底抗戦が唯一の抑止力ってことか。
掛ける手間は向こうも同じだしコストも大して違いがないってことが共有されれば
諦めて収束するかもしれんな。
ただこんなごね得の恐怖支配が今後も加速するようなら社会問題化して
何らかの法整備が必要になる可能性もある。 スラップ訴訟には徹底抗戦が唯一の抑止力ってことか。
掛ける手間は向こうも同じだしコストも大して違いがないってことが共有されれば
諦めて収束するかもしれんな。
ただこんなごね得の恐怖支配が今後も加速するようなら社会問題化して
何らかの法整備が必要になる可能性もある。 何でも思い通りになると思ってるからな、サヨクは。
あらゆる綺麗事の根底にはこの万能感・支配欲がある。
で、それで実際思い通りになってたんだと思うわ。
ただ力づくに圧し続けているだけなんだがやればやる程社会が崩れていき
それを政権や保守派のせいにしながら突っ走れば人心を失いイメージが悪くなるから
いくら思い通りになってもやればやる程不満が高まっていくと。 真偽の定かでない不祥事の拡散が名誉棄損だとしたらマスコミのやってることなんか
全部名誉棄損だよな。
公共性、公益性、真実相当性なんて突き詰めれば人間の主観でしかなく
立場によって価値が異なるもの。
マスコミはこの基準を満たしていると判断されているから問題にされないんだろうが
明らかに社会的地位や名声を根こそぎ剥奪されてる事例はいくらでもあるし
個人の意見や悪口なんかで受ける精神的ダメージなんか知れたもので
裁判なんかに頼らずとも回復できる機会はいくらでもある。
悪質な中傷を行う者は放っておいても信用を失うしその程度には世間は健全だろう。
誹謗対象者への怒りや憎悪を増幅し繰り返し扇動するような真に迫った悪質なものは仕方ないとして
ほとんどの場合はただの難癖、嫌がらせの恫喝復讐目的の訴訟。 そういう世の中なんだろ。
理屈が一切通じない力だけで押し切る社会。
正義マンだけが好き放題暴れまわり誰も近寄れなくなる社会。
ビビッて泣き言を言うのだけはやめにしよう。 まあリベラルクレーマーを刺激すると制裁を加えてくるってことで
一切逆らわなければ百倍返しをされることもないんだろうが闘いっていうのは
元々こういうもんなのかもしれんな。
ただ飽くまで見せしめの復讐に過ぎず被害の回復なんて建前に関しては
論破しつくし無効化したとは思うので後は勝手に裁判でも何でもやってくれ。 大体サヨクなんて多数派でもなんでもなく少数のうるさい集団ってだけだからな。
多数派工作と政権叩きとネトウヨ弾圧と思想押し付けしかやらないし
他人の弱みに付け込むことだけは異様に鼻が利く連中がマジョリティなわけないよな。 まあ俺はサヨクの綺麗な言葉にくるまれた獰猛さを暴き虚飾をはぎ取ることしか興味はない。
それで何が変わるわけでもないだろうが外から見た見栄えが悪くなれば
ちょろまかされる人間も減るし付け狙われる人間の心の重しも軽くなるだろう。
人助けだな。 別に裁判の判決が天の声ってわけじゃないからな。
あんなもので真実が究明されるのではなくそんな気になっているだけ。
人一人殺しても5年ぐらいで出てこれたり責任能力なんてもので免罪されたりする
司法の判断能力なんかを絶対視できないし世論とは結局は主観の集合体だからな。
何が正しいかは人によって違うし確実なものなど何もなく信頼できる支持の広がりだけが判断の基準。 正義の機能不全。
言葉本来の意味での正義などもうどこにもなくただ人を叩くためのツールに成り下がっている。
人を傷つけている自覚がないので歯止めが効かないのも特徴で
被害者ポジションに自分を置きながらの人格攻撃なので
自分のやってることが誹謗中傷ではないという強固な確信がある。
訴訟で脅して示談金をせしめるなんていうのも傍目には明らかな恐喝なんだが
合法でありさえすれば倫理的な問題も全くないと思っているんだろう。
政権叩きにせよ政敵・加害者叩きにせよ正当防衛というスタンスを崩すことはなく
自分が不快になった原因を全て他人に擦り付けることで
完全無害な人間として際限のない他者攻撃を空気を吸うように当たり前のこととして正当化する。 リベラルが弱者権力を無限に肥大させ社会規範を破壊し
自分たちの都合のいいものに塗り替えようとしているのは確かなんだが
彼らが必ずしも弱者ではないということは重要。
マスコミ特にテレビに出ている人間はほとんどが勝ち組だし
努力してその地位をつかみ取ったのは事実だしある程度社会に貢献しているのも確かなんだろう。
どんな破壊活動も社会改良という大義名分の元に行われており
実際百の害悪があったとして十ぐらいは世の中の役に立っていることもあるのかもしれない。
自由は勝ち取るものという規範を身をもって体現してはいるんだろうし
本能に対する忠実さや必要悪としての悪意や人を蹴落とす闘争心なども人並に持っているから
社会に影響力を行使できる立場につくことができたのだろうが
そういうことに対して無自覚で言葉と人格の乖離という問題が表面化している。
善意を持っていたとしてそれを帳消しにして余りある攻撃性を持て余しているから
言葉でいくら良いことを言っても責任を取ろうという気がないのなら信用できないしな。 名誉棄損なんて主観的な犯罪は痴漢冤罪とか食品の毒物混入とかよっぽど社会的評価が
地に堕ちるものでない限り大抵は道義的には問題になるレベルの犯罪ではない。
流布された風説に逆らい難い脅威や悪人レッテルがまつわっていない限りそういう被害は起きないし
ほとんどの場合はただの形式犯。
真実相当性とか受忍限度とかで争うんだろうが悪質さなんてのはまともな常識があれば
傍目には一目で分かるものではあるよな。 善と悪は対立ではなく加減の問題であって悪を完全に排除する純粋善を目指すのがリベラル、
悪を包含した全体としての善を目指すのが保守と理解している。
純粋善は理屈の上でしか成立せず生身の人間が実践に移すと必ず独善と狭量を生み出すことは明らかになっている。 ami(@amisweetheart)TwitterXヘイト発言専用アカウントです。通報協力お願いします。 誹謗中傷する権利が法で保証されていないのは当たり前なんだろうが
権利として明文化されていないことは何もできないという決まりがあるわけじゃなし
他人の権利を全く侵害しない生き方なんてものが本当に可能なのかという疑問が一点と
誹謗中傷を非難している連中が誹謗中傷をしてない保証はどこにもないということ。
侮辱罪なる悪法が成立するようだが誹謗中傷を肯定しないことと制裁を加えることは次元の違う問題。
批判と中傷の線引きも曖昧だし誹謗中傷にも重いもの軽いものと言った質の違いもあり
大体論争なんてものは相手を傷つけることが避けられないものだからな。
モラルを気取って人を叩けば誹謗中傷じゃないぐらいに思ってるのかも知らんが
自由には責任が伴うなんて筋違いの大仰なことを抜かすのなら
自分たちの隙だらけの発言も全部規制の対象になるってことを自覚したらどうだと。 自分たちの批判は正しくて綺麗な批判。
対立者の批判は間違った汚い批判。
この構図をやたらと振りかざすのもリベラルの特徴。
自分たちが批判するのは当たり前のことで批判される側に回る
可能性など全く想定していないので
いざ批判されるととにかく道徳的な威圧で相手を屈服させる以外の対応はなく
出来ない場合は対象への憎悪を歯止めなく肥大させる。 誹謗中傷とか名誉毀損とかも相手の隙を突く粗探しみたいになってる感じはする。
本当に効いているかどうかは考慮の対象外で言葉の乱暴さに対するアンテナで自動的に選別して
むしろ相手の失言を訴訟で追い込むネタとして楽しんでる感じすらあるよな。 俺はあの裁判ってものが勝っても負けてもどうも好きになれず
その理由は司法の判断って言うものが世間の本音や常識とかけ離れたものになる
可能性が高いことが一つと
あと公的機関の信用保証を使って勝者と敗者を決めるってやり方が好きになれない。
なければ社会秩序は維持できないがその必要不可欠な重要性を自己都合で曲解し
何でもかんでも裁判を利用して世渡りする人間に
何のリスクもないのではやったもの勝ち社会になるので
判決如何に関わらず批判することだけはサイレントマジョリティとしての責務と考えている。
何を言ったところで訴える奴は訴えるんだから思う存分好きにやればいいが
一般人を巻き込むのであれば自己満足に浸る横着な態度とは向き合わせるつもりでいる。 向こうがひたすら大袈裟に被害を言い募ってくることは分かり切ってること。
それに引きずられて押し切られるかどうかでこういう訴訟の勝敗は決まるんだろう。
絶対に大袈裟に言ってくることは百も承知の上で戦略を練るしかないよな。
大した差別意識もない事象に差別を見いだす姿勢なんていうのは
俺から見れば無自覚な差別意識の裏返しにしか見えないし
言えば何でも通る構造ってものがあるのならそこには無自覚ではいられないよな。 このように名誉毀損の訴訟の動機が名誉の回復などではなく個人的怨恨に過ぎないことが明らかになってくる。
まあ名誉毀損でそんな理不尽な被害がある場合はほとんどないしそういうものなんだが
それが悪質な誹謗中傷だという向こうの主張を受け入れるとして低下した社会的評価の実体とは何か
ということは問いかける必要もあるだろう。
おそらく批判の正当性が認められないであろうという目論見の元に訴えてくるので
実際に正当な批判とは認められないのだろうが正当と認められない批判がそれだけの理由で犯罪を構成したり
損害賠償の対象になるのかという社会通念と密接に関わる根の深い問題とも向き合うことになるだろう。 被害者ぶったかと思えばネトウヨの非力を嘲笑ったり
とにかく自律的なモラルが欠落している連中であることは間違いない。
ネトウヨの言動の不整合を論い行動原理や動機をカルトと紐付けて分析するのが楽しいらしいが
言葉に責任を持つ気が全くなく自分を棚に上げているのでただの揚げ足取りだというのが丸わかりで
悪意だけが先鋭化して暴走している。
相手より上に立ちねじ伏せることだけが目的でイメージアップを図り支持を拡大する発想は全くない。 オキナワ人民共和国
オオサカ民国
に続きカワサキ民国が誕生 誹謗中傷は言葉の表面的な加害性だけではなく強度も質の見極めの指標にはなり得るってこと。
軽い気持ちで言った悪口と心の底から相手を憎悪する呪詛が同じではないし
その悪口を真実だと固く信じ込んでいるのなら間違いを指摘されても認めることはないからな。 生き方の本質において真面目じゃない人間が他人にだけ人の道を求めても響かないわな。
本質において真摯な人間は他人を脅迫したりはしないし
どんなに道徳の衣を纏っていても肝心要な生き方は形で現れるし人も見ている。 良くないことはするべきではない、と良くないことは絶対にしてはならない、
の間には天と地ほどの差があるからな。
絶対にしてはならないことっていうのも確かにあるが明らかにそうではないものにまで政治的に適用していく。
そういう教条的な良識派は他人にだけその基準を押し付け
自分の問題は全て相手の悪意に対する正当防衛だと主張し明らかに批判の域を超えた脅迫や人格攻撃も
道徳的非難の体裁を取っていさえすれば何の加害性もないと思っている。
また自分たちの批判は公益に適うもので相手の批判は私怨による言いがかりという
結論ありきの根拠のない印象操作が前提となっており
だから悪人に対しては何を言っても許されるし相手は無限に譲歩させる存在としてしか認識されない。
左右対立におけるリベラルのスタンスはこれで一貫しているのだが
マスコミ総がかりの思想宣伝にも関わらず左派離れが起こっている原因を直視できなければ
いかに圧力を強めようともどの道先細るだけだな。 新左翼=グローバリストにとって、国民は養分
搾り取られてポイされるのがオチ
目覚めよ日本人
その為の日本国民の分断化がこいつらの目的
外人増やして既存文化、生活様式を破壊 善行の名の元に国民の罪悪感を刺激して過去からの現状を否定することがリベラルの真の狙い。
現状の否定をテコに積み重ねる善行ではあるので見返りの有無に関わらず
必ず打倒すべき敵が意識されており政治闘争に組み込まれた条件付きの善意であり
社会への感謝や恩返しといった前向きな動機に基づく善意ではない。
動機が不純なので言葉と身体が一致せず、である以上無償の善意なんて困難でしんどいことを
引き受ける覚悟もないと考えるのが自然ではあるんだろう。 不平不満や憎悪をテコにした善意が世の中の役に立つのかと言えば立たないから批判されている。
役に立たないだけなら放っておけばいいんだろうが人に押し付けるから周りからウザがられる。
ネガティブな善意の矛先は大抵社会秩序の維持に必要な立て付けを悪として解体するモチベーションに
向かうので善意であれば社会が良くなるというのは自己満足の幻想で現実においては衰退を加速する。 今後は復讐の正当化とかも司法の問題に浮上するんだとは思うわ。
被害者と言いさえすればどんな行為に対しても認定されるのなら誰でも被害者と主張するし
何を言っても無限に事情が斟酌されるのであれば事実上の言いたい放題の無法状態だからな。
世の中には明らかに過剰防衛ってものがあるのと無自覚な加害性って問題もでてくるわな。
これは一般論だが社会問題として何らかの判断の更新を求められる時がくるだろうな。
順法闘争ってのにはそういう側面もある以上司法判断の絶対視はできないし
まあリベラルが裁判沙汰ではしゃぐのは問題は常に相手にしかないという主観が
客観的であると社会に公認されているという万能感に支配されているんだろう。
勝った勝ったと浮かれてればいいし、ただやり過ぎればいずれボロを出すというのが個人的見解。 まあ裁判っていうのは極めて真面目な態度で臨むもので洒落や冗談が通じないので
他愛ない揶揄や悪口に悪質な悪意を見いだそうとすれば見いだすことは可能で
言葉が本人の意図から独り歩きして解釈の暴走が起きる可能性は否めない。
大体の場合侮蔑の意図をもって先制攻撃を仕掛けた場合や露悪的な表現を使った場合は
加害性が認定されやすい傾向にあるんだろうが
それが司法判断の全ての基準になってしまっては
良識の名の元に他者攻撃を行う人間のやりたい放題になってしまうので
攻撃に主体性のあるなしに関わらず加害性が社会通念上許容できるレベルを超えているかどうかや
そこに至る道筋に妥当な根拠があるかどうかで判断するべきもので
悪意の質や強度は道徳的性向や修辞で免罪されるべきものではない。 些細なことで被害を訴え相手を断罪したり正しさの元でやりたい放題する人間が
常日頃の振る舞いでも信用するに足る人間かどうかっていう疑問はある。
善行にしても体を張ったり欲得と絡まない規範を自分に課すことができるのかとか。
そういう人間の言うことを聞いていると一見まともなことを言っているようで
反論しづらい響きを伴っているんだが所詮それだけのことで
正しさの威圧の元で他人を黙らせる効果しかなく
つぶさに見ていけばいくらでも不整合を抱えているし
根っこにある動機が作為によるものである以上論理が不自然なものになるのは当たり前なんだろう。
今までの経験からこういう連中を納得させることは無理で
モラルの裏に隠れた言葉の暴力性を削ぎ落すしかない。 他責的攻撃性ってものの倫理的問題とかは法的に十分な考慮の対象になっているとは言い難い。
被害者の救済というのが法の理念の根幹の一つにある以上、それを逆手に取った他者攻撃に
十分な手当てはされておらず事実上野放し状態で放置されている。
だから世間一般の面倒くさいから関わらないでおこうというデタッチメントを良いことに
やりたい放題を何でも通していく人間が社会問題として浮上し
それを敢えて批判の俎上に乗せることが被害者叩きの弱いものいじめという口実に使われるという
悪循環で被害者権力の先鋭化がますます進行していく。
世の中には本当に許しがたい加害行為ってものも確かにあるんだがそういうものに対する
法による救済の道筋は整備されており今時の糾弾沙汰はそういう本当の被害のリアリティまで
損なわせ疑念の目を向けさせる危険性を孕んでおり
問題意識の妥当性やアプローチの仕方に致命的な欠陥を抱えている。
何らかの手当をしなければ問題の拡大に歯止めがかからない段階に差し掛かっている。 勝ち組と負け組で待遇に差があるのは明らかなことだがそれは価値による序列を意味しない。
美人と不細工でも待遇には差があるが人間の価値に違いがあると言われれば抵抗はあるだろう。
リア充と陰キャは人間の価値が違うのかとか。
先天的な資質であれ後天的な努力であれ明らかに差は生まれるが
その差はごく自然に生まれるものでそこまで大きな普遍的な意味を持つものではない。
努力・経験・立場・才能といったものへの敬意とかは厳然とあるが
勝ち組の負け組への優越とかはそんなに真剣な意味見いだす程のものじゃないってこと。
そう考えれば差別なんてそんなに大した意味を持つものではなく
パワハラ・セクハラなんていうのも強者が弱者にそういう形でマウントを取ることを
人格を踏みにじられ全否定されたと捉えるのは短絡というもの。
差がつくことに敏感な人間は自分の価値を信じることができず
些細なことで自分を全否定されたと思ってしまうんだろう。
誹謗中傷もそうで少しぐらい悪口を言われたぐらいで自分を全否定されたと感じてしまうのは自分の問題。
だから結局は質や程度の問題で俺は執拗な人格全否定ってものは好きではなく
根拠があれば免罪されるものではない。
筋を通さない人間や性格の悪い人間は嫌われるが生きる権利がないわけじゃないからな。
人が人を否定するってことは極普通にあることだがそれを絶対的な価値観にしようという心理が嫌い。
断罪とか道徳的追及とかがまさにそれでそんなものに耐えられる程人間は強くないからな。 差別・ハラスメント・誹謗中傷もあれだけ必死になって封殺すればなくなるのは当たり前だよな。
ただ人間関係からネガティブな要素を一切排除した関係ってのがそんなに健全なことかって問題もある。
自分の中にあるものを抑えているのではなく元々なかったことにしているわけだからな。
人間関係から遊びや笑いがなくなり揉め事を小さく抑える知恵がなくなり
些細な揉め事が生き死にに関わるような遺恨の大喧嘩に発展するという関係性の脆弱化への変質という問題だな。