なぜ?今?という声が止まない。岸田文雄首相長男・翔太郎氏の「首相秘書官」起用に、与野党とも諦念ムードだ。

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売りだった「聞く力」は、「国葬反対」を聞きそびれた。首相の「聞く力」はとっくに機能不全ではないかと、閣僚経験者はこう話す。

「長男の翔太郎を秘書官に抜擢したことは、冷静沈着だったはずの岸田首相が暴走し始めたということ。このタイミングでこの人事は、どう考えても不適切ですよ。いくらなんでも時期が悪すぎる。この国難のときに息子さんの『箔つけ人事』をしている場合ではない。反発が出るのは素人にだって分かることです。せめて麻生さんに相談があれば、『少し時間をおいてからにしておけ』と助言されたでしょうに…」

しかし、その4日後、麻生太郎副総裁の長男・将豊氏が日本青年会議所の次期会頭に決定のニュースが流れた。親子2代の会頭就任である。「日本は縁故、世襲しかない」という疑問の声がさらに高まっている。

◆「首相としての残り時間」が見えてきたから

内閣支持率が下がり続けている。物価高を抑え経済を安定させるため、高度な政策を打ち出さなければならないときだ。北朝鮮ミサイルの脅威、統一教会問題もある。「なぜ今」の声は、国民のみならず、自民党内からも上がっている。しかし一方で、

「理由は明快です。支持率が下がり『首相としての残り時間』が見えてきた今、一刻も早く『首相秘書官』の肩書を長男に与え、地盤継承の準備をせざるをえない心境でしょう。岸田首相にとっては『今しかない』んです。半年後では、遅すぎますから」(コンサルタント)

岸田翔太郎氏の首相秘書官就任により、首相秘書官は、政権発足時からの嶋田隆秘書官を含め7人体制となった。秘書官の増員は政策充実のためというよりは「家族を近くに置くことで癒やしを求めたのではないか」と、前出の閣僚経験者はため息をついた。「岸田は、だいぶ参っているから」と。

◆翔太郎氏の「政界デビュー」

じつは半年前の今年4月、翔太郎「秘書」は、実質的な政界デビューを果たしている。政官財のトップなど450人が集まった「岸田文雄と国政を語る会」で「首相名代」として挨拶したのである。

「本日は、総理が公務のためお集まりいただいた皆様にご挨拶することが出来ず誠に申し訳ございません。名代として総理から必ず話すようにと申しつけられた内政、外交についてご報告させていただきます。よろしくお願い申し上げます」

岸田首相就任後、初めての朝食会。31歳の岸田翔太郎は、手のひらが汗でぐしょぐしょになるほど緊張していたというが、

「意外にしゃべれるじゃないかと感心したよ。10分ほどの挨拶の締めくくりは、会場をクスッと笑わせるオチもつけられた。演説のセンスは、父親よりいいかもしれない。後継者としてまあ、合格点。広島一区は安泰になりましたね」(大手エネルギー会社幹部)

都内宴会場のなかでも「大箱」であるANAインターコンチネンタルホテル「プロミネンスの間」を満員にできる政治家は、今、岸田首相くらいしかいないという。満席の会場で翔太郎氏は、こうも語った。

「総理は、車座の懇談にいくつも参加して貴重な話を聞き、政策に活かすことができたと申しています。物価高などへの対応は万全な政策でしっかり対策していく所存でございます」

父の仕事を報告し「聞く力」は遺憾なく発揮されているのだと強調した。また外交では、

「インド、カンボジア、タイ、インドネシア、EUとの対面外交を積極的に展開していきます。また、エマニエル米大使とともに広島を訪問しました。これは、異例の対応でございました」

アジアを重視し、欧米外交もこれまで以上に緊密になっている現状を「異例」とアピール、日米同盟に関しては安倍政権にも増して重視しているとした。そして、自らの「仕事」について語り、こう締めくくった。

「現在、公邸に住んでいます。公邸入居は、じつに野田佳彦首相以来となります。わたし自身も公邸に移り、いわば『住み込み』で首相に仕えています。母は地元広島を守っていますので、食事に困り、ケータリングというわけにもいきませんので、総理の命によってコンビニ弁当、少しだけ酒などを買いに、全力疾走しています」

母・妻がいないので「食事に困る」とは…。かつて「岸田妻は立ってお給仕かよ」と大炎上したことをすでに忘れてしまったのか。

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FRIDAYデジタル
10/12(水) 10:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/0355d192c0ef240fa508bf0bfe399fd42b34fa39