9月27日に行われた安倍元首相の国葬で、菅前首相は友人代表として「追悼の辞」を読み上げた。

番組で菅前首相は、「安倍元首相に挨拶させてもらう最後の機会だと思ったので、しっかり悔いの残らないようにしようと思った」と語った。

「追悼の辞」は、安倍元首相の葬儀・告別式が終わった後に、昭恵夫人から依頼を受けたという。菅前首相は、「しっかりやらないと大変なことになってしまうということで、いろいろな資料集めから始めた」と振り返った。

「追悼の辞」の内容については、「政策について少しだけ入れたが、気を遣った」という。その理由は、「政争ではない、国葬の中なので、適している、適していないということを分けるべきだと思った」と説明した。

また、菅前首相は「追悼の辞」の中で、一般献花に多くの若者が訪れていると述べたが、「若者から安倍さんにお別れしたいという人がたくさんいるだろうと思った」一方で、「ある意味、予測だから、当たらなければ大変なことになる」と考えたという。しかし、「20代、30代の人は(献花に)来てくれると自信があったので、あえて(原稿に)入れさせてもらった」と語った。

また、菅前首相は「追悼の辞」を、安倍元首相の机に置かれた本『山県有朋』(岡義武著)についての話で締めた。

この中で、山県が先に亡くなった伊藤博文にあてた短歌に、安倍元首相がマーカーで印がつけていたことを紹介したが、菅前首相は「何を考えてこうしたのだろうか、いろいろなことを考えた」という。その上で、短歌を2回にわたり読み上げたのは、「自分がどういう政策をやろうとしても、やはり安倍さんという政治家がいたからできているということが全てだと思っていた。それが一瞬のうちに消えてしまったので、その思いを(込めた)」と説明した。

「追悼の辞」を受けて、国葬の会場が拍手に包まれたことについては、「挨拶を終えて自席に戻る時に、何が起きたのかよくわからなかった」と述べ、想定外の反応だったとした。

https://www.fnn.jp/articles/-/425240