挙行というより強行というべきか。安倍晋三元首相の国葬が27日、実施された。会場の日本武道館に設けられた祭壇は、多額の費用をかけただけあって、厳かで立派だった。だが、会場外では国葬への異論や冷ややかな声が絶えなかった。世論の強い反対を置き去りに、押し通された国葬。会場内外で、記者がその歴史的な一日を追った。(木原育子、中沢佳子)

◆飲み物持参不可「水が足りないよ」
 会場の日本武道館は黒一色に染まった。前回の1967年の吉田茂元首相の国葬の際、「菊の香りでむせかえる会場」と本紙は報じていたが、清らかな花の香りはなかった。白菊に囲まれた安倍元首相の遺影が、参列者をただじっと見下ろしていた。
 この日、会場を取材する報道陣は午前9時過ぎ、内閣府が指定した国会近くの場所に集合。50人乗りバスに乗せられ、直線距離で約2キロの武道館に一括移送された。「全てはテロ対策のため」とだけ説明された。
 新型コロナ対策も加わって、会場内のルールも厳しかった。飲み物持参は不可で、マスク着用が義務付けられた。監視カメラが至る所にあり、10メートル間隔で配置された警備担当の私服警察官が目を光らせた。
 ただ、最高気温が30度近い汗ばむ陽気。会場で配られた285ミリリットルペットボトルの水の消費が早い。係員がペットボトルの詰まった段ボールを抱えて右往左往走り回る。
 「水が足りないよ」。参列者の1人で、政府の新型コロナ感染症対策本部分科会の尾身茂会長が、熱中症を心配して係員に忠告する一幕もあった。
 開式約2時間前の正午近く。女性トイレは、参列者でごった返した。年配の女性は「持病があってトイレが心配。いったん始まれば離席しにくいし、かなりきつい」と話した。廊下では企業や団体のトップらが名刺交換を始め、本を読みふけて時間をつぶす参列者も。

◆白菊の両脇に散らされた黄菊、社会の分断のよう
 午後2時前、安倍元首相の遺骨を乗せた柩車が到着。自衛隊の儀仗隊が出迎えた。秋空に19発の弔砲。照明をやや落とした会場で陸上自衛隊中央音楽隊の「悲しみの譜」が流れると、一気に厳かに。昭恵夫人から葬儀委員長の岸田文雄首相に遺骨が託され、式壇に安置され、同2時過ぎに式が始まった。
 場内アナウンスで、式壇は「闘う政治家」を表現していると紹介された。遺影に続くまっすぐな白菊の道が、「いかなる批判も恐れず行動した」政治信条を象徴しているのだという。ただ見方を変えれば、白菊の両脇に散らされた黄菊が、いみじくも社会の分断を表しているようにも映る。
 白菊と赤いカーネーションで作られた国旗の日の丸は、縦2・5メートル、横4・2メートルだった吉田氏の国葬時と比べ、明らかに小さい。安倍氏が授与された勲章のほうが、日の丸の上方に幅を取る形で飾られていた。
 16億円を超える血税が投入された国葬。開式前、遺影や日の丸の大きさを聞こうと試みたが「今それどころじゃない」と血走る官僚の目。忙しそう。回答は得られなかった。
 黙とう—。再び暗転した暗闇の中で、「国の鎮め」が生演奏され、薄闇に4000人余りの参列者がこうべを垂れた。

◆追悼ビデオは肯定的な政策評価、モリカケ桜疑惑などは触れず
 思い入れがあったという東日本大震災のチャリティーソング「花は咲く」をピアノで弾く姿でスタート。2度の首相経験、アベノミクス、社会保障制度改革、地球儀を俯瞰する外交、安保関連法…。政府が作った約8分間のビデオは肯定的な政策評価であふれており、「森友、加計、桜」の疑惑など、物議を醸した話題はつゆほども出なかった。
 式典では、友人を代表して、安倍政権時代の官房長官、菅義偉前首相が追悼の辞を述べた。「覚悟と決断の毎日が続く中にあっても総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった」と語ると、感情をあまり表に出さない菅前首相が声を詰まらせる場面も。唯一大きな拍手が上がった。
 その後、献花が続いた。あまりの長丁場に「いつまで待たせるのか」と係員に詰め寄る参列者も。式典が終わったのは午後6時20分。トイレには、献花を終えた参列者の長蛇の列ができていた。

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東京新聞
2022年9月28日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205066