サヨクがイメージする国葬というのはスターリンや毛沢東、キムジョンイルの国葬だから国民全員が泣き喚いて哀悼の意を示さないと非国民という状態。
そんなものは日本ではありえないし絶対に許されないが、安倍元総理の国葬とは外国の元首脳たちからの弔問を敬意を持って接受して我が国との外交関係を永続的に強固なものにしていきたいと現政権、つまりは国民がフルに活用するのだから国費を使うことで遺族に無用な負担をかけない、弔問客に特別の待遇をとってこの際叙勲も済ませてしまえるいうことにすぎない。

 三木元総理大臣が佐藤栄作氏の国葬を渋ったのは佐藤派が分裂した田中派の起こしたロッキード事件の最中だったことよりも佐藤派一強時代に非主流派として大臣や党役員のポストから排除され続けてきた私怨にすぎない。
 この国葬見送りという判断ミスは当然に三木内閣生みの親でもある椎名副総裁以下党内の大多数から批判を受けて、政治改革という反論できない大義名分に対する漠然とした反感を怨念に転換させ、いわゆる感情的な三木おろしを招き、理念先行で進んでいた政治改革を中途半端に終了させてしまう。
 無能ではなかったが所詮そこまでの人であった。