安倍元首相の死を、「国内騒擾」に使われないために今できること ジョン・ウィッティントン著、定木大介訳『暗殺から読む世界史』(東京堂出版)
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2022年07月18日

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!(今回はちょっと遅刻しました)

目次
● 情報と感情の波に流される
● 人類史上続いてきた暗殺事件
● 「ケネディ暗殺」からわれわれが学べること
● 騒擾の時こそ、危機が訪れる
● 「戦いの場」で倒れた安倍元総理

情報と感情の波に流される
安倍元首相に対する銃撃、そして死去が報じられたのが2022年7月8日夕方のこと。

この書評が公開されるのが、事件から10日後。ようやく、初七日を過ぎた頃となる。「まだ10日しかたっていないのか……」というのが、多くの方の実感ではないか。本来はそれでもまだ10日、悲しみなりの各々の感情を内に秘めて熟成させるべき時期だ。

だが現在の情報環境はそれを許してくれない。

この間、あまりの衝撃に面食らった、ショックを受けたというだけでなく、事件発生直後からの「情報の波」に溺れかかっている人も少なくないだろう。

小出しにされる犯行動機や犯人の身辺情報に完全に踊らされ、「○×のせいだ!」「いや、△△が悪い!」と、24時間、常に誰かが叫んでいるという状態だ。

さらにSNSでは、「情報の波」と一緒に「感情の波」も押し寄せてくる。一人ではこの感情を抱えきれない。だからネットで「悲しい!」「つらい!」という気持ちだけでなく、「どうして重要情報を報じないんだ!」などと、四六時中ぶちまけるに至る。

その中で、事件のことを考えないようにすることは難しい。感情を抑圧することは、精神衛生上もよろしくない。

せめて、一定の距離感をもって客観的に事件を眺められないか。そのためにはどうすればいいのか。これも一種の「逃避」だが、安倍元首相が見舞われた事件を、歴史に位置付けて考えてみたいと思った。そこで手に取ったのが、ジョン・ウィッティントン著、定木大介訳『暗殺から読む世界史』(東京堂出版)だ。

人類史が始まってから今日まで、絶えず暗殺事件は起きてきた。安倍元首相の事件が「暗殺か否か」という議論もなくはないが、「何が暗殺に当たるのか」に、本書は明解に回答している。

人類史上続いてきた暗殺事件

本書は古今東西の暗殺事件を扱っている。〈世界で最初に暗殺された人物〉の有力候補として挙げられているのは、エジプトのファラオだったティティという人物。歴史家は「警護のものに殺された」としているという。

歴史の趨勢を変えたものとして必ず教科書に載っているのは、1914年、オーストリア大公のフランツ・フェルディナントと妻のゾフィーが青年活動家に殺害されたサラエボ事件。「第一次世界大戦の引き金となった」と説明されることが多いが、本書の説明では「なし崩し的にそうなっていった」という主旨を匂わせる。

この事件について読むと、「安倍元首相にとってせめてもの救いがあるとしたら、事件当時、昭恵さんが巻き込まれなかったことかもしれない」とも思う。

(略)

※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。