「私は、畳の上で死ぬことはないでしょう」

 7月8日に兇弾に倒れた安倍晋三元首相(享年67)は、長年にわたり安倍家を取材してきたジャーナリストの野上忠興氏にこう語っていたという。

【画像あり】“こてつ”や“こてっちゃん”と呼ばれていた山上容疑者の中学時代

 その言葉が現実のものとなってしまった。奈良県で安倍元首相を銃撃したのは、県内に住む無職の山上徹也容疑者(41)。2002年8月から3年間、海上自衛隊に所属し、射撃の訓練を受けていた。

 抵抗することなく逮捕され、「特定の宗教団体に恨みがあった」と供述している山上容疑者。その実家はかつて、奈良市内の閑静な住宅街にあった。この家は1999年に人手に渡っており、現在では山上容疑者を知る人はほとんどいない。近隣の住民が語る。

「(山上容疑者の母である)A子さんが実家のあったここに戻ってきたのは、徹也くんが4、5歳のころでした。夫が若くして亡くなったからです。実家は建設業を営んでいましたが、その後A子さんの父親も亡くなり、またよそへ引っ越していかれました。

 ここに暮らしていたときも、徹也くんの姿は、まったくといっていいほど見かけませんでした。その下の妹さんはよく見かけましたが……」

 その後、山上家は奈良市の西大寺に引っ越していったという。今回、山上容疑者が安倍元首相を銃撃した土地だ。

 山上容疑者と中学校の同級生で、同じバスケットボール部に所属していた男性が語る。

「中学時代の山上は、“こてつ”や“こてっちゃん”と呼ばれていました。小柄でバスケは未経験でしたが、とにかく努力家でした。正月以外は休みがないような厳しい練習に耐え、70~80人いた部員のなかで、山上は3年生のときに12人のベンチ入りメンバーの座を勝ち取ったんです」

 バスケットコートを離れた山上容疑者は、打って変わって物静かな優等生だった。

「山上は、勉強はできましたね。授業中はボーッとしているけれど、テストでは高得点を取るタイプで、当時流行っていた漫画『スラムダンク』だけは熱心に読んでいました。

 女のコにモテていた記憶はありません。いじめに加わったり、逆にいじめられたりするタイプでもなかったです。話し方はゆっくりで、関西人っぽくボケるようなこともありませんでした。ただ、一人称が『ワシ』とか『オイ』だったことが印象に残っています」

 そんな山上容疑者が、“豹変”したことを、男性はよく覚えているという。

「ふだんの山上は、めったに自己主張をすることはありませんでした。ところが3年間で一度だけ、部活の運営をめぐって、部内で意見が対立したことがあったんです。

 全員が反対意見だったのに、彼は最後まで自分の信念を貫きました。ふだんの山上のキャラとのギャップに、当時は非常に驚きましたね」

 山上容疑者はその後、大和郡山市にある県立高校に進む。最新の入試データでは、偏差値68を誇る進学校だ。

「山上くんは応援団に所属していました」(同級生の父親)

 高校卒業後に海上自衛隊での勤務を経て、2022年4月には人材派遣会社を退職している。

 山上容疑者が暮らしていたのは、家賃3万5000円で間取り1Kのマンションだった。

「銃撃事件の2、3週間前のことです。山上容疑者が所有するSUV車をマンションの駐車場内の別のスペースに停め、荷物の積み下ろし作業をしていました。

 そのことを同じマンションの住民が注意すると、山上容疑者は大声で『ちょっとだったらええやろ!』と怒鳴り散らしたんです。近所の店舗からも様子を見にくる人がいたほどの、すごい剣幕でした」(近隣住民)

 一方、山上容疑者に誘われて西大寺の飲食店で食事をしたことがあるという男性は、山上容疑者からある悩みを打ち明けられていたという。

「これまでに3回ほど、安い居酒屋でおごってもらったことがあります。ふだん山上さんは、自分のことをほとんど話しません。

2に続く

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7/10(日) 6:00
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