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●創〇学〇は現在も公安警察の監視対象
驚愕の深層レポート 新たなる公安組織< Ⅰ・S >の全貌 後編
青木理(ジャーナリスト)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/1026
別の夕刊紙記者は、他メディアの記者とともに、某県警の公安警察官を囲んでの"懇親会"を定期的に開いている。主に話題となるのは、やはり政界関連の情報だ。
この夕刊紙記者の話。
「確度の高い情報から噂話の類に至るまで、とにかく永田町情報に詳しいので参考になるんです。特に(創〇)学〇や公〇党絡みの情報は異常なほど精通していますね。
それ以外ではメディア業界内部の動向も良く把握しています。幹部の人事異動や、どの記事を誰が担当したのかなど、私より知っていましたから」
<I・S>にとって重要な関心事の一つが、創〇学〇、および池田大作名誉会長の動向。彼らの分析・情報がメディアへと伝達される。
青木理
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%90%86
青木 理(あおき おさむ、1966年〈昭和41年〉10月26日 - )は、共同通信社出身の日本のジャーナリスト。TVコメンテーター。元ソウル特派員。
・経歴
長野県小諸市に生まれる。長野県野沢北高等学校を経て、慶應義塾大学文学部卒業。
慶大卒業後、共同通信社に入社。大阪社会部、成田支局を経て東京社会部で警視庁の警備と公安などを担当し、オウム真理教事件、阪神大震災、
種々の公安事件や経済事件を取材する。
(中略)
著書
『日本の公安警察』講談社現代新書、1999年。ISBN 9784061494886
※現在も公安警察内部には創〇学〇を担当する部署と係官が設置されており、公安警察からの監視を解かれた事実はない。

●創〇学〇幹部が亀井静香氏の暗殺を暴力団に依頼したとされる問題
後藤忠政著「憚りながら」より
>「藤井富雄は反創〇学〇の活動をしている亀井静香ら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』・・・といい・・・・・・
>後藤組長へ4人への襲撃依頼をしたという・・・・・。それで創〇学〇に命を狙われることになった亀井さんと警察関係者、弁護士、村上正邦で
>対策会議が行われました。・・・
>(その時に亀井氏からも他のルートからも画伯も暗殺者リストに入っていることが伝えられた)

続き
『憚らながら』からの引用はよく目にするが、藤井富雄氏というのがどういう人物なのか、きちんと説明すると、創〇学〇の実態が見えてくる。

藤井富雄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E5%AF%8C%E9%9B%84
>藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17日 - )は、日本の政治家。
>東京都議会議員(11期)、公〇代表(初代)、公〇党最高顧問、公〇党東京都本部顧問などを歴任した。
>■経歴■
>・旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。
>・陸軍士官学校、第二次大戦終戦直後に創〇学〇に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学〇を支えた。
>・1995年 創〇学〇推薦で東京都区内の議会に当選した32人のうちの1人
>・1967年 東京都議会公〇党幹事長に就任
>・1989年7月 東京都議団団長に就任
>・1994年12月 公〇党が公〇新党と公〇(参院議員11人、地方議員3200人)に分党、公〇代表に就任
>・1998年11月 衆参統一の公〇党が再結成され、公〇党常任顧問に就任
>・2004年 公〇党大会において、公〇党最高顧問に就任
>・2005年7月 政界引退。80歳を過ぎるまで議員を務めたことは公〇党では異例中の異例
>・2006年9月 - 公〇党最高顧問を退任し、公〇党東京都本部顧問、公〇文化協会理事に就任

藤井氏が創〇学〇最高幹部の一人で、文字通り、池田大作を側近として支え、中心部の中の更に中心に近いところにいた人物だという事がわかる。
また、藤井氏は経歴等から急進日蓮主義者の旧日本軍の軍人であった可能性が高いと考えられる。
戦前、急進日蓮主義の嵐が吹き荒れて、血盟団のような暗殺テロが横行したり、軍事クーデター未遂事件を引き起こしているが、その危険思想を持っていた疑いがある。
つまり藤井氏が亀井氏の暗殺を依頼したのは、戦後何十年も経っているのに、暗殺肯定の過激思想を全く捨てていなかったという事になる。
そのような人間が学〇の最中枢で幹部をしており、池田氏の側近だったという事は、戦後の創〇学〇の最中枢部自体が、暗殺を肯定する危険人物らがごく普通にいた事を
物語っている。