自民党総裁選に立候補せず、1年で退任することになった菅義偉首相。民心が離れ、首相の「大権」を失いながら、なお最後まで巻き返しを狙った。窮地にあえぎ、立候補断念に追い込まれるまでの10日余りの間に、何が起きていたのか。

 菅義偉首相からの「遠心力」が一気に加速したのは、8月22日の横浜市長選の「惨敗」からだ。

 首相が全面支援した候補は、最側近の一人だった小此木八郎・前国家公安委員長。閣僚の職をなげうって、首相の地盤・横浜で挑んだ勝負だった。当初は優勢が見込まれたが、フタを開けてみると、立憲民主党が推す新顔に18万票の大差をつけられた。

 全敗した今春の衆参3選挙、自民党が過去ワースト2の獲得議席に終わった7月の東京都議選など、菅氏が首相に就いてからの注目選挙はことごとく敗北していた。五輪後、新型コロナ禍のもとで戦われた市長選は、菅氏を看板に衆院選を戦えるかどうか最後の試金石に位置づけられていた。

 「顔を代えるしかない」(閣僚経験者)。首相と距離を置く勢力では、総裁選での首相交代論が急拡大した。一方、首相側では「国会を開いて、コロナ対応などで国民に説明を尽くすべきだ」(首相周辺)といった正攻法から、総裁選前の執行部刷新、不意打ち解散、総裁選の先送りなどの「奇策」まで、反転攻勢に向けた様々な案が浮上した。

「ひ弱な連中。次の選挙で落選してもらえばよい」

朝日新聞
2021/9/10 10:00
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP9B038BP98UTFK027.html