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単純化しすぎ
4度の「中東戦争」の結果、今のような状態になっているのであって、初めからパレスチナ人が「国連」の「パレスチナ分割決議案」を受け入れて独立していれば、こういうことにはならなかった

「第一次大戦」でオスマントルコが敗戦するまで、オスマントルコの統治下にあった「パレスチナ」とは、現在のイスラエル、ウエストバンク、ガザ、ヨルダンの約10万平方キロもこと
そのうち約8万平方キロのヨルダンは先に独立(ヨルダンの人口の約8割はパレスチナ人)
後の2万2000平方キロにユダヤ人とパレスチナ人が、だいたい1対2の比率で住んでおり、「第二次大戦」前から両者は対立し武力衝突を繰り返していた
その頃のパレスチナ人は「反ユダヤ主義」を共通項として「ナチス」と連携していた、そのため「ナチス」が敗れると、「連合軍」が結成した「国連」からは冷たい目で見られたことは否めない
ともあれ、ここにユダヤ人の国とパレスチナ人の国を作って、両者共存させようということになり、紆余曲折を経て成立したのが「パレスチナ分割決議案」(1947年)である
「国連」が「パレスチナ分割決議案」を可決した時点では、パレスチナ人人口はユダヤ人人口の約2倍いたにも関わらず、領土はほぼ半々にされた(戦前戦中の「ナチス」との関りが災いしたのであろう)
ユダヤ人側は「パレスチナ分割決議案」を受け入れて翌年独立(1948年5月14日)、しかしパレスチナ人側は周辺のアラブ諸国を頼り、独立したばかりのイスラエルに戦争を仕掛けさせた(5月15日)
それが「第一次中東戦争」である、この戦争でイスラエルがアラブ諸国を破り勝利したことで、戦火を逃れて周辺のアラブ諸国に避難していたパレスチナ人は帰国困難となってしまった(これがパレスチナ難民の起源である)
その後も「中東戦争」は4度にわたり繰り返され、その都度イスラエルが勝って現在の状況に至っているのである
現在では「中東戦争」でイスラエルと戦った周辺アラブ諸国のエジプト、ヨルダン、レバノンはイスラエルと「平和友好条約」を締結しており、国境を接している国ではシリアのみがいまだ「平和友好条約」を締結できないでいる