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兵士の性犯罪・性病の拡散を回避し"売春婦"を"性奴隷"にしないために"慰安婦"として位置づけ、 設置管理したのが "慰安所"であった──

★『岡村寧次大将資料(上)戦場回想篇』(原書房)302〜303頁
「斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。」

★中曽根康弘元首相・主計長 海軍主計中尉の時、慰安所設置に尽力
『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)所収の手記。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、 私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」

★Wikipedia 慰安所より──
太平洋戦争期の全ての戦地(満州を除く)での性病の罹患率は、100万以上の[90] 陸軍兵士・ 軍属に対し年間約1.2万人で[80]、終戦時の連合軍の調査では南西太平洋地域では日本軍の罹患率はきわめて低いとしている。[80]

★人道的な軍の関与──
宮沢訪韓後、1992年7月に出された加藤官房長官談話での「政府(軍・官憲)の関与」の定義、すなわち人道的な軍の関与──
「私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の衛生管理、 慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである」