>>76
広島に投下して3日後の9日には、別タイプの原爆第2号が長崎に投下されるのです。
ソ連の対日開戦予定日を目前にひかえ、
2発の原爆投下をやり終えようとして、米国の支配層がいかにあせっていたのかが、よく分かる事実です。

一瞬にして都市は完全な焼け野原となり、10万人以上の一般市民が死亡します。

原爆の威力は、
広島は1万5千トン、長崎は2万2千トンのダイナマイトを一挙に爆発させたのと同等のものでした。

日本とソ連は当時「日ソ中立条約」 という
不可侵条約を結んでいたのですが、もちろんソ連はそれを一方的に破棄。
「満州」 での一斉攻撃を開始します。

8月9日、アメリカは今度は長崎市への原子爆弾投下を実行。
再び都市は一瞬で全滅し、5万人以上の一般市民が殺害されることとなります。
なぜ軍事拠点を標的にせず、
庶民居住地区を標的にして、無警告で、しかも防空壕に退避させないようにしたうえで、原爆を投下したのか。