https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200930/pol2009300005-n1.html
 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」

 『三国志』に由来する有名な故事だ。蜀の軍師であった諸葛亮(孔明)は、志半ばにして五丈原に倒れ、好敵手であった魏の司馬懿(仲達)は、ほっと胸をなで下ろす。持久戦に持ち込み、勝てずとも敗れざることを戦略の核としていたのが仲達だったが、ここで一気に反転攻勢を試みる。

 だが、蜀軍はあたかも準備していたかのように仲達の攻撃に猛然と反撃する。驚いた仲達は、孔明が没したという情報そのものが策謀であったのではないかと疑い、軍を撤退させる。死去していた孔明の影に怯(おび)えたのが仲達だった。

 孔明と仲達の故事を思い出したのは、朝日新聞27日朝刊の「社説余滴」で、「『地球儀』になかった韓国」というコラムを読んだときだ。すでに首相の職を辞した安倍晋三前首相の幻影に怯えるかのように、執拗(しつよう)に批判を繰り返しているのが印象的だった。

 コラムによれば、安倍前首相は「自身の歴史観に拘泥」し、「過去を重くみる韓国」を「強く意識した」。そのために慰安婦を模したという少女像の撤去にこだわり、前首相の口から「心からのおわびと反省」を韓国市民に直接伝えることはしなかった。

 興味深いことに、朝日新聞によれば、日本側が慰安婦像の撤去に拘泥したことが大問題だったという。日本が慰安婦像の撤去を求めれば、求めるほど、韓国の市民団体にとっては慰安婦像を建立するのが日本政府に対して効果的であるというメッセージを送ってしまったというのだ。

(略)