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しかし,この琉球処分に反対する勢力はあとを絶たず,清国の力を借りて王朝を復興しようとする動きもあり,清国も武力行使を辞さないという態度をちらつかせた。
七月,世界一周途上にあったアメリカの前大統領グラントが清国をへて日本に向かうところから,清国はグラントに調停を依頼した。来日したグラントが,平和的解決を明治政府に勧告した。
これを受けて日本政府は,中国での通商権を認める代わりに宮古島・八重山列島を清国領とする条約を提示し,同意を得るに至った。
しかし清国は調印せず,最終的には,日清戦争での日本の勝利によって,沖縄の日本帰属が決着した。
 こうした歴史があっても周恩来は,沖縄に住む人が日本への帰属を望んでいることから,沖縄の日本帰属を認めた。
ただし尖閣列島は中国領であることを主張した。なぜかはわからない。推測する以外ない。
 まず,当時日本人は住んでいない。
日中共同声明の数年前の一九六八年,国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の学術調査により,尖閣列島の付近の大陸棚に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性があるとされた。
これ以後,領有問題が中国・台湾によって主張されるようになった。中国が領有権を主張した最初は一九七〇年とも七一年とも言われている。
 他方,本土復帰以前の琉球政府が尖閣列島に標識の杭を立てたのは一九七〇年で,中国は石油資源が付近の海域に埋蔵されていることから日本が領有権を主張しだしたと見ている。
戦前には日本の水産加工工場があり,日本人の土地所有者もいた。