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アベノミクス批判 四本の矢を折る 伊東光晴著  岩波書店から)尖閣諸島に関する部分を抜粋。

p.120〜
日中の間ではどうだったか。
 日中間の国交回復は,田中角栄首相と周恩来総理との間で,北京の日中共同声明となって実現した。一九七二年九月二九日である。
日韓関係と同じように三点を挙げるならば,第一の日本が中国を侵略し,多大の損害と苦痛を多くの人に与えたことに対する賠償請求権を中国は放棄した。
 第二のこのような歴史的事実を日本が認めることは,共同声明の中での田中首相の言葉が問題となり,それ以降もことあるごとに「歴史認識の問題」として日中間での紛争の種となった。
このことについては後述する。
 第三の領土問題について,最後に残ったのが尖閣列島であった。
 ポツダム宣言を受諾することによって,日本は戦争によって取得した一切の領土を放棄することになっている。
これには,当然のこととして,日清戦争によるものも含まれる。台湾が中国に帰属すること。これで一つの中国を日本は認めた。次の問題は沖縄である。
 徳川時代,琉球王朝は津島氏の支配下にあると同時に清国に朝貢していたが,明治政府は,一八七二年(明治五年)九月,琉球王国を琉球藩とし,ついで沖縄県に改めようとした。
この試みは琉球側の強い抵抗と,宗主権を主張する清国の抗議にあい,実現しなかった。七九年三月,明治政府は軍隊と警官の力で首里城を明け渡させ,この結果,琉球王国は消滅した。