無謀な闘いか、大波乱の幕開けか──。小池百合子・東京都知事の圧勝ムードだった東京都知事選(7月5日投開票)に山本太郎・れいわ新選組代表が出馬し波紋を広げている。国民民主党国会議員がこう語る。

「事前の情勢調査では、小池氏が6割以上の支持を集めて圧倒的に強い。東京都のコロナ対策が評価されているということだろう。山本氏の出馬でどれだけの票が動くか。結果次第で国政にも影響が出る」

 現時点で山本氏の当選は容易ではない。しかし、仮に小池氏に肉薄する結果になれば「若手はれいわになびく」(立憲民主党関係者)と警戒する声もある。

 山本氏の原動力は“怒り”だ。第一声の街頭演説後、安倍政権のコロナ対策について本誌記者から問われると、こうまくし立てた。

「(安倍首相は)貴族みたいな方ですよね。彼らは何年ロックダウンされても大丈夫なんです。でも、庶民は違う。非正規労働で働いている方は、1週間仕事が途絶えたら家賃が払えません。病気もできないし、ケガもできない。ステイホームなんてできないんですよ」

 鋭い舌鋒は、時に野党にも向く。山本氏は野党統一候補とならなかった理由について、次の衆院選で野党の共通公約として消費税を5%にするという約束が実現しなかったことをあげている。消費税引き下げに最も慎重なのは野党第1党の立憲民主だ。街頭演説では「今、苦しんでいる多くの人々を助ける気概もないのに、たいした野党第1党だなという話ですよ!」と怒りを隠さない。

 既存政党との闘いも辞さない山本氏は、自らを「空気を読まない」と公言する。公約には総額15兆円の都債(地方債)を発行しての都民全員への10万円給付など過激な政策が並ぶ。熱狂的な支持者がいる一方で、批判を受けることも多い。

 ただ、実際の山本氏を知る人は一様に「礼儀正しく気配りのある人」と話す。ある省庁の官僚が証言する。

「国会質問のレクに行くと、野党議員では官僚を怒鳴りつけるような人も結構いる。でも、私が知る限り山本さんはそんなことはしない。準備した質問が時間切れで取り上げられず、後で『申し訳ありませんでした』と、わざわざ謝りに来てくれたこともあります」

 山本氏の政治姿勢は、貧困に苦しむ人や身体障害者など社会的弱者に寄り添うことで一貫している。その信念が生まれたのは、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原発の事故だ。俳優だった山本氏は同年4月に反原発運動を開始。「芸能人が政治について語るな」とたたかれながらも原発批判を繰り返した。

 一方、自らの言葉で傷ついている人がいることに気づく。山本氏と親しい作家の雨宮処凛氏は言う。

「太郎さんは放射能被害を受けた地域に住んでいる人に『逃げろ』と言ったのですが、『逃げたくてもそんなお金はない』と言われショックを受けたそうです。原発事故によって、政治が人々を見捨てる構図が浮き彫りになった。原発問題が、社会的弱者や貧困の問題とつながっていることに気づいたんだと思う」

 所属していた芸能事務所は11年5月に退所。フリーの俳優として活動したが、仕事は激減した。

 そんな中、12年に公開された映画「EDEN」の主役に山本氏を抜擢したのは、映画プロデューサーの李鳳宇(リボンウ)氏。「フラガール」や「パッチギ!」などの名作を手がけた李氏は、自身も在日コリアンというマイノリティーだ。作品で、山本氏は新宿2丁目のショーパブで働くゲイの店長を演じた。李氏は言う。

「彼は悩みのある共演仲間には積極的に助言していた。正義感が強く、おせっかいなぐらい。私は彼の俳優としての才能を高く評価していたけど、映画の世界だけに収まらない人だろうなと、当時から感じていました」

 李氏の予感通り、山本氏は芸能界から飛び出し、12年12月の衆院選に出馬。この時は落選したが、翌年7月の参院選に東京選挙区から再出馬し、約66万票を得て初当選した。

 議員としては無所属で活動した後、小沢一郎衆院議員率いる自由党などに籍を置き、昨年4月にれいわ新選組を設立。同年7月の参院選で自身は落選したものの、重度の障害を持つ木村英子氏、舩後靖彦氏の2人を当選させ旋風を巻き起こした。

 この選挙にれいわから立候補した一人が、「女性装の東大教授」として知られる安冨歩教授だ。山本氏に初めて会ったのは16年、参院選に出馬したミュージシャンの三宅洋平氏の応援演説の場だった。そこで少し言葉を交わした以降は連絡を取り合うことはなかったが、昨年7月の参院選直前になり、山本氏から「選挙に出てくれませんか」とメールが届いたという。

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※週刊朝日  2020年7月3日号より抜粋
2020/6/24 08:00
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