沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる日米両軍の凄惨(せいさん)な地上戦から75年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」には早朝から遺族らが訪れ、犠牲となった家族や友人らの名前が刻まれた石碑の前で手を合わせた。「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)。沖縄はこの日一日、鎮魂と平和の祈りに包まれる。

 戦後75年となり、沖縄戦の体験者が少なくなる中、戦争の記憶をいかに後世に伝えていくかが課題となっている。「平和の礎」には今年も新たに戦没者と判明した30人の名前が追加で刻まれた。戦没者の名前を国籍や民間人、軍人の区別なく刻んだ「平和の礎」はこの日で1995年の除幕から25年を迎え、総刻銘数は24万1593人となった。

 75年前の45年、米軍は3月26日に沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島中部の西海岸に上陸した。旧日本軍は本土防衛の時間を稼ぐために持久戦を展開して抵抗。約3カ月にわたる地上戦となり、推定で約9万4000人の住民が巻き込まれて亡くなった。死者は日本軍9万4136人、米軍1万2520人を合わせて計約20万人。6月23日に日本軍司令官が自決し、組織的戦闘が終わったとされる。

 沖縄は戦後27年間、米国の統治下に置かれ、72年に本土復帰したが、今も米軍専用施設の約7割が集中。米軍関係の事件や事故が相次ぐなど過重な基地負担が続く中、政府は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設工事を進めている。

 23日は平和祈念公園で県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、県立首里(しゅり)高校(那覇市)の3年、高良朱香音(たからあかね)さん(17)が平和の詩「あなたがあの時」を朗読。詩には、地上戦の中で命をつなぎ、戦後の沖縄を復興させた先人たちへの感謝の思いが込められている。【遠藤孝康】

毎日新聞
2020年6月23日 06時00分
https://mainichi.jp/articles/20200623/k00/00m/040/004000c