「都議会を冒頭解散したい」。二〇一六年七月六日、小池百合子氏は都知事選への出馬会見で周囲も驚く公約を掲げた。対立する自民党都連・都議会自民党への宣戦布告。選挙や政局が絡むと、より先鋭化する小池氏を象徴する姿だった。

 地方自治法上、知事が自ら都議会を解散することはできない。「議会からの不信任が必要」と断りつつ、「都議会自民党と都民の間に距離がある」と、挑発するように言葉を継いだ。有権者に強い印象を残したのは間違いなく、党中枢は不快感をあらわにした。「理解できない」

 自民党に所属(その後離党)しながら、都連との対立構図を描いて注目を集めた小池氏。狙い通り自民推薦候補の増田寛也氏らに圧勝した。だが自民との関係は保つ。翌八月、二階俊博幹事長に面会後、報道陣に「私は党本部とは戦っていない」と明言した。

 自民党への批判を避ける姿勢はその後も一貫した。地域政党・都民ファーストの会を率いて大量五十人を擁立した一七年七月の都議選。安倍晋三政権は、森友・加計学園問題や共謀罪の強行採決で逆風にあった。対自民を打ち出す好機にもかかわらず、政権批判を事実上封印。都民ファ代表としての会見で「(疑惑に)出てこられる名前はみなさん都連に関係した方ばかり」と都連批判にずらした。

 しかし都議選の圧勝から約三カ月。小池氏は衆院選で野党的立場にかじを切った。自民や旧民進党現職議員を引き込み国政での一大勢力を目指し、希望の党を設立。九月二十五日の党設立会見で代表に就任した小池氏は「本当の意味での改革勢力が必要だ」と宣言、一時は世論調査で自民に次ぐ支持率を得た。

 それが四日後に暗転する。合流を目指した旧民進の一部について「排除いたします」と発言したことをきっかけに支持が離れ、お膝元の都内小選挙区で一勝二十二敗という惨敗。出張先のパリで「おごりや慢心があった」と振り返った。

 その後、表舞台で脚光を浴びることは格段に減ったが、再び自民との関係を修復する。一八年九月の沖縄県知事選で自民推薦候補の応援演説に入り、旧新進党時代から関係が深い二階幹事長とたびたび面会。二階氏に「出馬すれば全面協力するのは当然」と公言させるまで接近した。

 「その場その場の課題にうまく適応するタイプ」。有力支援組織の役員はこう評する。都庁幹部の間では二代続けて知事が一期目途中に辞職したことから「安定のためには二期はしっかり務めてほしい」との声がある一方、新型コロナウイルス対策で小池氏自ら「国難」「国家の判断が求められている」(今年三月三十日の記者会見など)と発信し続けた姿に、こんな声も漏れる。

 「もう国政を見据えているような気がする」
 小池氏は十二日の出馬会見で国政転身の可能性を問われ「都政にしっかり取り組む。現在、考えておりません」と述べた。 (原昌志)

東京新聞
2020年6月14日 07時08分
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