>>470
つづき
https://Lite-ra.com/2018/02/post-3801_3.html

言うなれば“スシロー哲学”までもが披露されている。

「かつての記者は派閥とほぼ一体化していた。一線を引く流れの中で、政治家の本音を知らずに書く記事が増えている。会見の場で簡単に口を割る人たちじゃない」
 田崎氏は安倍首相との会食について“複数の記者ら”が一緒であり、
“当初は割り勘で、現在は記者側が全額を負担している”と、まるで批判に当たらないかのような言い訳までしているが、唖然とするのが、
田崎氏自身、政治権力に利用されていることを十分自覚しながら、
その上で、それは自分の判断だと開き直っていることだ。
「今も利用されていると感じているが、利用されるかどうかはこちらの判断。
『いずれ書くぞ』というのが、最大の良心でありプライドだ。言いなりの記者には視聴者の目も厳しい」

 この人はいったい何を言っているのだろう。当たり前だが、田崎氏は単なる傍観者ではない。
曲がりなりにも政治の中枢に食い込むジャーナリストではないのか。
実際、ワイドショーに出まくり、世論を形成する役割さえ担ってもいる。
 そんな田崎氏が「いずれ」などと悠長なことを訳知り顔で語っている間に、安倍政権下でどんなことが行われ、何が進められたか。