「民族」は、3つの意味で使われる。
1「民俗」 2「エスニック血縁グループ」 3「運命共同体気合いグループ」 の3つだ。

1「民俗」 これは習俗を共にするグループという意味。
 習俗を変えてしまったら存在しなくなる。少数民族を守るときにこれを持ち出す。
 厳密には民族ではなく民俗である。

2「エスニック血縁グループ」 これは心の中の習俗=心のふるさとを共にするグループという意味。
 アイヌや沖縄を擁護するときにこれが持ち出される。ただし見た目の同一性なども求めるため、
 金髪の日本人など認めないとか、いかにもアイヌっぽい見た目でないと「ぽくない」と言われたりとか、
 弊害もある。一般的には「ひとつの民族はひとつの国家を持つ資格を持つ」という通念があるため、
 これが認められると、外敵を設定しだして内輪で固まり出すという問題が起る。
 自称アイヌで固まり日本国に補償を求めるという利権問題が典型である。

3「運命共同体気合いグループ」 これは「ひとつの国家を作るぞ」という強い気合いを
 共有するひとたちのグループという意味である。
 ひとつの国家を持つという意志・願望が先にあり、そのために
 共通の習俗・こころのふるさとなどが事後的に「補強のために」「人工的に」設定される。
 髪の色や肌の色や習俗・習慣などは利用されることもありされないこともあるが、必須ではない。
 「気合い」が一番のポイントだという点が、重要でありおそろしい点でもある。
 本当はこの意味での民族こそ、本物の民族たるにふさわしいだろう。
 日本民族という概念は、この意味においては正統な民族であり立派な民族である。
 この意味では「アメリカ」もひとつの民族だろう。ただ「アメリカは民族!」というところまで
 気合いを持ち得ていない、気合いを育てる契機に恵まれていない。
 なお「在日コリアン」も「在日コリアン」というひとつの民族たり得る。気合いがあれば。

問題は、3.の意味での日本民族を攻撃したい人が、
1.や2.を用いて、切り崩しを図る事例がとても多い事だ。
そして3.の人たちは、自分たちが3.の定義であることを正しく理解していない場合がある。
そこが大きな問題だ。