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2020/01/13(月) 17:17:01.92ID:7nm7t8B49「(店名)にて、いつもの腐れメンバー(朝日:曽我、毎日:山田、読売:小田、NHK:島田、日テレ:粕谷、日経:石川、田崎しゃぶ野郎)と総理はご会食なされました」
そのツイートを1月12日に私がリツイートしたところ、たちまち2000を超えるリツイートで拡散した。常日頃の私のツイートに対する反応の実に100倍だった。
ここは個々の参加者というより、参加の形態に注目したい。何れも日本を代表するメディアから1人が参加している。これが会食の肝であり、同時にそれが問題点であることは後述したい。
この安倍総理と「くされメンバー」との会食は度々批判されてきた。それは、森友、加計問題から桜を見る会の問題にいたるまで、国民の多くが抱いている疑問に総理とその政権が応えていない中で、メディアが取り込まれているという印象が強くもたれているからだ。特に、桜を見る会については安倍総理は勿論、夫人の関与も明らかになっている。こうした中で「いつもの」のメンバーが総理と会食したという事実は、ジャーナリストの見識の無さを物語って余りある。
一つ言えることがある。これは少なくとも私が知るアメリカのジャーナリズムの世界では記者の倫理違反になる。
私はNHKに在職していた2010年から2011年まで、アメリカのジャーナリズム・スクールに在籍した。また、NHKを退職した2017年にも再び、フェローとして在籍した。
そこで教えられることは、コンピューターやFOIA(情報公開法)を駆使した取材法などだが、実は、最も重視されているのが、ジャーナリストの倫理だ。これは基本中の基本として教えられるし、常に議論をしている。担当していたリン・ペリー教授は次の様に語った。
「例えば、取材先と食事をしたり、取材先に過度な贈り物をしたりするのは、取材者としての倫理に違反することになります」
ペリー教授はアメリカの全国紙であるUSAツデーで記者、デスクを経験したベテラン・ジャーナリストだ。私は次の様に問うた。
「日本では、取材者は取材先の懐に入り込むことが重視されるが、その際に、食事をしたり酒を飲んだりといったことが奨励されているが?それはアメリカでは違う?」
ペリー教授の答えは明快だった。
「私自身は約30年近い記者生活で、取材先から食事に誘われたことは何度も有りますが、そうしたものに応じたことは有りません」
つまりアメリカでも、取材される側がジャーナリストを食事に誘うことは有るということだ。では、ペリー記者はなぜ断ったのか?
「それは単なる癒着だからです。例えば、取材先と親しくなって得た情報で記事を書いても、それは評価されません。それは単に、相手に利用されているだけとみなされる危険も有ります。そうなったらジャーナリストとしては終わりです」
その時、なるほどと思わされたのは、日米のジャーナリズムの質の違いだ。それを説明する前に、補足しておきたい。
情報は権力を持った人間に集まる。それは日本でもアメリカでも同じだ。その情報は、あらゆる人に対して甘い蜜を発する。だからアリが蜜に吸い寄せられるように日本のジャーナリストは権力に群がろうとする。
その権力とは、総理大臣を頂点に、有力政治家、高級官僚、捜査機関のトップ、自治体の長、財界トップ、有力企業のトップなどだ。
しかし、そうして得られる情報は、権力の側に都合の良いものであるケースがほとんどだ。結果、日本のメディアには権力側の広報機関のような報道が蔓延することになる。カルロス・ゴーン氏が検察、日産への批判と同時に、日本のメディアへの批判を展開したのはそれを指しているし、これまでもそうした批判は有った。
ところが、アメリカのジャーナリストにとってその蜜は実はあまり甘くないということだ。
2につづく
立岩陽一郎 | 「インファクト」編集長
1/13(月) 9:09
https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20200113-00158674/