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カルト日本会議/新しい歴史】「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よ
https://Lite-ra.com/2019/08/post-4903.html
 「慰安婦はデマ」「慰安婦はなかった」という発言こそ、はっきりとしたデマだ。そもそも、2014年に朝日新聞が訂正・謝罪した
のは「慰安婦狩り」を創作した吉田清治証言に関するもののみ。戦中の日本軍がアジア各地に慰安所をつくり、女性たちを
「慰安婦」にして、兵士の性暴力の相手にしたのは事実である。

 まず、軍が慰安所づくりに主体的に携わったことを示す公的文書や元日本軍人の証言はいくらでもある。先日の記事
でも触れたが、たとえば、海軍出身の中曽根康弘・元首相は回想のなかで、
インドネシアで「苦心して、慰安所をつくってやった」ことを自慢話として書いている。陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は
ある対談で、「調弁する女の耐久度とか消耗度」などを含む慰安所の設置方法を経理学校で教わったと語っている。これらの証言は
防衛省などが保持する当時の軍の史料でも裏付けされており、つまり、慰安所と「慰安婦」が軍主導であった事実を示している。

 アジアへの侵略戦争のなか、日本軍は戦地または占領地に軍直営や軍専用の慰安所をつくり、あるいは民間の売春宿を指定する
かたちで慰安所にした。たとえば、防衛省の防衛研究所が所蔵する史料「常州駐屯間内務規定」(1938年3月16日、独立攻城重砲
兵第二大隊が作成)では、中国現地の〈慰安所使用規定〉として部隊ごとに使用する曜日が決められていたほか、〈使用時間ハ一
人一時間ヲ限度トス〉とあり〈支那人 一円○○銭〉〈半島人 一円五十銭〉〈内地人 二円○○銭〉とされている。軍が慰安所
をつくり、朝鮮や現地の女性を「慰安婦」にしていたのは客観的にも議論の余地がないのだ。



 日本政府は、慰安婦問題に関して、平成3年(1991年)12月以降に調査を行い、
平成4年(1992年)7月、平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、
資料を公表し、内閣官房において閲覧に供している。また、平成5年(1993年)の
調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において、この問題は当時の軍の
関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとして、
心からのお詫びと反省の気持ちを表明し、以後、日本政府は機会あるごとに
元慰安婦の方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明してきた。



慰安婦問題に対する日本政府の公式見解が
>日本政府は機会あるごとに元慰安婦の方々に対し、
>心からお詫びと反省の気持ちを表明してきた。
ことにあるなら、徹底して行え