>>300
これ↓もそうだ。

被害者証言
慰安所に連行された日、将校のナカムラが入って来ました。私はまだ小さかったので彼が何をしようとしているのか分かりませんでした。
 彼は私の服を受理やり脱がせて強かんしようとしましたが私の膣が小さくて入らなかったのでナイフで膣を切り開いたのです。
私はあまりの痛みに気絶してしまいました。

一九四三年ごろ、満州の慰安所に連れて行かれましたが、そこがどこかも分かりませんでした。
 抵抗すると殴られ、ペチカの火で熱した焼きごてのようなものを体に押しつけられました。その時の火傷の跡は今も残っています。
 私はこのまま処女の亡霊となって死にたくなんかない。
  (週刊金曜日 臨時増刊号 2014 10/29 特別編集「従軍慰安婦」問題から)

元日本軍兵士の証言
金子安次さん
 昭和17年(1942年)に山東省の東昌に駐屯していた時に、巡回「慰安婦」の警備をしろと命令され、三人の朝鮮人「慰安婦」を前線部隊に移送したことがあります。
 慰安所が強かン防止に役立っていたとは思いません。
慰安所に行くには金がかかり、われわれの給料ではそうは行けません。1円50銭払うかわりに作戦に行って強かンすればただでできました。
陸軍刑法では禁じていましたが、上官は自分の成績に響くため見逃していました。
 当時は中国人を劣等視していましたから、「チャ☆ンコロの女をやって何が悪い。どっちみち殺☆すんじゃないか」と言う気持ちをもっていました。
(週刊金曜日 臨時増刊号 2014 10/29 特別編集「従軍慰安婦」問題から)