>>111つづき

日清開戦と戦局
日英条約改正の4日後,日本は朝鮮政府に清韓条約の破棄・清国軍の撤退・日本兵営の建設などの最後通牒をつきつけ,
ついに朝鮮王宮を占領して閔氏一族を追放し,大院君を執政につけて日本軍に援助を求めさせた。
その直後,日本海軍は豊島沖で清国艦隊を奇襲し,陸軍も清国軍の攻撃を始め,8月1日清国に宣戦布告したのである。
開戦すると今まで政府攻撃に熱中していた硬六派は,熱狂的な政府支持・戦争支持に転換し,国民も戦争に動員された。
近代的な装備でよく準備された日本軍は,わずかに李鴻章の北洋軍閥を中心とする清国軍を各戦線で打ち破り,翌年2月には山東半島の威海衛を占領して北洋戦隊を降伏させた。
また台湾・澎湖島の攻略作戦も進められた。
(以上出典:新日本史・・・小野信二,門脇禎二.著;教研出版株式会社)

これを見れば分かるとおり、当時の日本は結構朝鮮人から恨みを買う行為をやっていたわけだ。
詳細を調べれば,もっと生々しい情報を確認できる。