>>108つづき
東学党の乱(甲午農民戦争)
このような時期に,朝鮮に東学党の乱が起こり,鎮圧できない朝鮮政府は清国に救援軍の派遣をもとめた。
この東学の布教師全臻準に指導された封建制に反対する農民反乱は,南朝鮮一帯に広がったが,他方日本と欧米資本主義の侵略に反対する運動でもあった。

日清両軍の出兵
朝鮮から救援をもとめられた清は,ただちに大軍を派遣するとともに,日本にその出兵を通告してきた。
通告を受けた日本もただちに京城に出兵したが,すでに東学党軍が朝鮮政府と講和を結んでいたため,朝鮮政府は日清両軍に即時撤退をもとめた。
ところが清国政府がそれを受け入れたにもかかわらず,日本政府は,逆に日清両国による朝鮮の内政改革を提議した。
しかし清に拒否されると,単独で朝鮮政府に「内政改革」を要求し,開戦の口実をつかもうとしていた。
ちょうどそのときに,日英条約改正の調印が行われ,日清開戦に関するイギリス側の支持を得たのである。