>>99つづき
甲申の変<第2次京城事変>(1884)
壬午の軍乱後,清の袁世凱は大群を京城に駐留させて宗主国としての力を振るい,これと結んだ閔氏一族の支配が強化された。
この閔氏一派の事大党に対して,内政改革と清国よりの独立を目指す金玉均・朴泳考などの独立党(開化党)が組織された。
彼らは,日本にならって朝鮮の近代化と独立を確保しようとし,勢力回復を策する日本政府と相互に利用しあいながら,権力掌握を画策した。
1884年,金玉均らは竹添慎一郎行使の率いる1個中隊の日本軍隊と共にクーデターを起こし,
革新的な政綱を発表したが,閔妃に要請されて出兵した清国軍に攻撃されて敗れ,竹添行使は日本公使館を捨て,金玉均と共に仁川に逃れた。
独立党のクーデターは完全に失敗したのだが,日本政府は直ちに外務卿井上馨に2個大体の軍隊をつけて京城に急行させ,
翌年朝鮮に京城条約をおしつけ,朝鮮政府に謝罪・損害賠償などを約束させた。