韓国側が日本の尊厳に対して攻撃を加える。
ならば、日本側が韓国側の行き過ぎた表現に批判や圧力を加えても良いのか?
あるいは、ベトナムが韓国に対して尊厳を否定する攻撃を加えるのは良いのか?
と韓国側に効いたならば、韓国側は自信を持って「NO」と答える。

「韓国は『表現』の上で、人の写真を焼きイデオロギー的な攻撃を加えただけだ。
 韓国はベトナムの森を焼き村を攻め、人を殺しただけだ。
 日本は我が民族の存在そのものを一度奪ったのだ。あまりにも格が違いすぎる。
 前者には限度があり得るが、後者には限度がない。」

韓国政府の日本に対する憎しみというやつは、
よくよく分析すると、宗教に近い感情。
民族というものには「信心」が生まれるものだと理解しよう。

日本政府の罪は「平和に対する罪」で「ホロコースト」だと言ってはいるが、
韓国政府筋の人間の心中ではホロコ−ストを受けた以上の屈辱を感じていることだろう。
ホロコーストは命と尊厳を奪おうとするが信心は奪わない。
日韓併合は信心を奪うものなので、その点ではホロコーストをも凌ぐ何かを持つ。

しかも、韓国内では歴史教育とメディアで、韓国に都合のよい曲解しか教えない。
その分も屈折した歴史観の悪意を倍加させている。
やるのはいいが、やられるのは許さない。
日本をやるのは許されるが、韓国がやられるのは許されない。
こちらはすべて正しく、彼方は限定的にしか正しくありえない。

宗教戦争なのだ。日本は韓国に未来永劫の宗教戦争を挑み続けられる宿命にある。
民族という名の宗教を巡る闘争。単に歴史観や歴史的事実を巡る闘争では実はないのだ。
そこを理解してかからない限りは、日本は最後に負ける。